イギー・ポップ論 〜 ロックの不可能性について 〜
大覚アキラ
ロックとは、イギー・ポップのことである。イギー・ポップ自身がロックであり、ロックとはイギー・ポップと同義である。
イギー・ポップ以前にロックは存在せず、いつか(そう遠くない未来に)イギー・ポップがこの世を去る時にロックもこの世界から消える。イギー・ポップ以前に存在したロック的(であるかのような)現象・表現等はすべてロック前史の遺物であり、そこには、魚類と両生類もしくは魚類と爬虫類ほどの差異があるといえる。
イギー・ポップ登場以降の、あらゆるロックミュージックやロック的芸術、ロック的表現、ロック的ファッション、ロック的事象は、すべてイギー・ポップの模倣である。いかにロック的であるかということは、言い換えればいかにイギー・ポップ的であるかということを意味しているに過ぎない。そして、それはすなわちどこまで追求してもイギー・ポップそのものになりえない=ロックそのものには到達できない、ということに他ならない。このことはすなわち、ロック的であること、あるいはロックであることの不可能性を意味している。
「ロックは死んだ」のではなく、「ロックは(イギー・ポップ以外には)存在しない」のだ。