イギー・ポップ論  〜 ロックの不可能性について 〜
大覚アキラ

 ロックとは、イギー・ポップのことである。イギー・ポップ自身がロックであり、ロックとはイギー・ポップと同義である。

 イギー・ポップ以前にロックは存在せず、いつか(そう遠くない未来に)イギー・ポップがこの世を去る時にロックもこの世界から消える。イギー・ポップ以前に存在したロック的(であるかのような)現象・表現等はすべてロック前史の遺物であり、そこには、魚類と両生類もしくは魚類と爬虫類ほどの差異があるといえる。

 イギー・ポップ登場以降の、あらゆるロックミュージックやロック的芸術、ロック的表現、ロック的ファッション、ロック的事象は、すべてイギー・ポップの模倣である。いかにロック的であるかということは、言い換えればいかにイギー・ポップ的であるかということを意味しているに過ぎない。そして、それはすなわちどこまで追求してもイギー・ポップそのものになりえない=ロックそのものには到達できない、ということに他ならない。このことはすなわち、ロック的であること、あるいはロックであることの不可能性を意味している。

「ロックは死んだ」のではなく、「ロックは(イギー・ポップ以外には)存在しない」のだ。


散文(批評随筆小説等) イギー・ポップ論  〜 ロックの不可能性について 〜 Copyright 大覚アキラ 2007-04-03 18:47:46
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