大谷良太氏「夜、起きてまた寝た」
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必ずまず読んできてください。
大谷さんの詩がすきだ。いつも、いっかんして、ひとりだとおもう。ひとりっきりだとおもう。この人の目もまたきっと透徹した目なのだろう、とおもう。
大谷さんの詩の中でも、わたしは、彼の詩で初めて読んだ(と記憶しているのだが)、「夜、起きてまた寝た」がすきだ。この当時のかれはいつも「Aした」とか「Bした」という題名をつけていて、それがいつも、ひとりっきりのつぶやきだ。(とおもう。)
この題名が好きだ。
あと、第二連の後半
本棚、新聞の束、散らばっているプリントとか
しばらくじっとしていた、立ったままで
にわたしはいたく惹かれる。プリント「とか」。その、散らばりようと、それにたいする諦めの気持ちと。それから彼はしばらくじっとするのだ。立ったままで。この倒置法の効果。
立ったままで
と改行された後の、読者のほっておかれ感、それと、詩のなかの「彼」の孤独(現実の彼と同一かどうかは知らない)が、この行ほど出ていることはないだろう、といっておいて、実はその次の二つの連にこそ孤独は滲む。第三連。
一人でいて黙り続けていられること、それは
当り前のことなのだろうか
これまで日記をつけてこなかったし、たぶん
これからもつけないと思う
独り言である。黙読された独り言かもしれない。どちらにせよ、読者からしたら、「知らないよそんなこと」とおもいかねないほどの、独り言っぷりだ(「日記」とか、とつぜん言われてもね、とか)。しかし、わたしは、その、ひとりであること、そしてひとりでしかかんがえないこと、を、詩のいちばん大切な場所に持ってきてあるということに、いつも打たれる。第三連を読み終えて、わたしはここでいつも、息をのんでしまう。さらに第四連。
じっとしていた、静かだった
すこし寒くなってまた寝た
わたしはこの最終連が一番好きだ。ここにこそ、ほんとうの孤独がある。2000年代を生きる一人の青年の孤独を、わたしは同年代の生きるものとして、激しく共感してしまう。この過去助動詞「た」の連続。ほんとうに、静かだったんだろうな、とおもう。寒くなるんだけど、それは「すこし」寒くなるんだ。それで、また寝ちゃうんだ。それで、題名が「夜、起きてまた寝た」なんだ。その、漫才風に言うと「そのままやんけ」みたいな感じ、そういっちゃうと否定的に聞こえるけどそんなつもりはなくて、その題名の「そっけなさ」こそ、この「ひとり、であること」の、はだか、さ、を如実に示しているとおもう。ほんとうに、ひとりで、ほんとうに、しずかで、たまらなくなる。この、「た」の連続。