子猫
三州生桑

休日に公園で本を読むのが好きだ。
園内では、緑を眺めることより他にすることがないから、読書に専念できる。
解し難い本を繙(ひもと)くのは公園に限る。

今一つの楽しみは、公園に巣くふ野良猫たちにオヤツを与へて、写真を撮ること。
その為に私の鞄には、常にデジカメと安物のカリカリキャットフードが入ってゐる。
野良猫を助けねばならないといふ、そんな大仰な意思は無い。
写真のモデル代を払ってゐるとでも言はうか知ら。


野に住む猫には、街猫や家猫には無い気高さがある。人に頼って生きてはゐないといふ自負が感じられる。
私がカリカリを与へても、彼らは決して馴れない。カリカリが無くなれば、サッと山に帰ってしまふ。感謝するそぶりもない。
彼らは無頼の徒だ。彼らは人間を決して信用しない。私はさういふ彼らを愛する。


先日、お気に入りの四阿(あづまや)に行くと、既に昼寝中の先客がゐた。
居心地の良い四阿の争奪戦は、かなり激しい。
仕方なくその日は、キャンプ場の炊事場で本を読むことにした。
椅子と机があって快適だけれども、遊歩道に面してゐるので、散歩者から丸見えなのが少し難だ。

数頁繰るうちに、何やら音がした。
きゅう。きゅうきゅう。
樹々のこすれ合ふ音かと思ったが、私が舌をツッツッツッと鳴らすと呼応する。
炊事場の裏の、廃材置き場の中から聞こえてくる。
慎重に丸太を取り除いてみると、まだ目も開かぬ子猫が二匹現れた。

まだ生後一週間ほどか。鳴き声にも力が無く、痩せた四肢も震へてゐる。
産後の母猫が外に出てゐる間に、廃材が積み込まれてしまったのか。
そのお蔭で外敵からは守られてゐたやうだが、このままでは子猫達が独力で外界に出ることは不可能だ。
私は、常備してゐたカリカリを石で砕き、捨ててあった紙皿に載せ、水でふやかしてから子猫たちに与へてみた。
まだ目もよく見えてゐないやうだったが、ニーニー鳴きながら汚い紙皿に首を突っ込んで、しょりしょりと食べ始める。

私は其の足で公園の近所にあるスーパーマーケットに行き、一番重たい丼鉢を買って、子猫達のもとに取って戻る。
薄暗い箱の中をのぞいてみると、彼らはスヤスヤと寝入ってゐる。呑気なものだ。
満々と水を入れた丼鉢をゴミ箱の隅にそっと置き、彼らの側に残りのカリカリを並べた。
二、三日分はあるだらう。固いカリカリは食べにくからうが、ふやかしたものは直に腐ってしまふ。
私は渾身の力を込めてその大きなゴミ箱を動かし、子猫がやっと通れるだけの隙間を開けてから、その場を去った。
子猫達の写真は撮らなかった。


野良猫の寿命は四、五年だといふ。
病気や事故で死ぬことも多いだらうが、子猫の生存率もかなり低からう。
あの子猫達が生き残る可能性は、どれくらゐだらう。
家に帰る道すがら、私は様々なことを思った。

私はどうするべきだったらうか?
単なる自己満足か? 自己満足が悪いのか?
何もせず放っておくべきだったか?
子猫を箱の外に出した方がよかったか?
母猫は帰って来るだらうか?
万難を排してでも飼はねばならなかったか?
持って帰って里親を探すべきか?
保健所に連絡すべきか?
野良猫を救済するといふコミュニティに連絡すべきか?
さうして避妊手術を受けさせるのか?
野良猫の幸せとは何か?
野良猫の、ひいては生き物の尊厳とは?



野良猫の、真の幸せなど、誰にも解らない。




三月や子猫の息も絶え絶えに



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未詩・独白 子猫 Copyright 三州生桑 2007-03-03 21:03:51
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