■批評祭参加作品■ 「 ロッカーズの星は今夜も瞬いている 」 〜 Muddy stone Axel ...
服部 剛

 都内の様々なカフェ・クラブ・ライブハウス等で「ポエトリーリ
ーディング」と呼ばれる詩の朗読が行われるようになってから、約
9年以上の月日が流れた。「ポエトリーリーディング」という名前
が日本において世間一般にどれほど認知されているか?と問われれ
ばまだ発展途上の感はあるが、9年前に比べれば行われているイベ
ントも大分増え、その流れが消えること無く今も続いていることを
思う時、「言葉は死んでいない」ということを感じる。 
 60年代のアメリカ文化であるのビート・ジェネレーションの詩
人達は、後の映画・音楽・ファッション・アートの世界に影響を及
ぼしたが、その後もアメリカでは「ポエトリーリーディング」は各
地で行われている。約9年前に、アメリカン・ブック・ジャムとい
うアメリカ文学を伝える雑誌のスタッフが東京の高田馬場にあるベ
ンズ・カフェでポエトリーリーディングの催しを始めた頃から「日
本におけるポエトリーリーディング」は始まったと思うが、当時を
想い返す時、忘れてはならない夭折の詩人がいる。 
 MUDDY stone AXEL、またの名はカオリン・タウミ・・・彼は6
年前の夏、病に倒れこの世を去った。当時古い詩友のUからの電話
で彼の死を知った僕は、数日後追悼詩を書き、彼がしばしば朗読し
た南青山のオージャス・ラウンジというクラブで朗読会がある夜、
ファックスでその追悼詩を送り、この店の店長の妻であり、彼と親
しかった詩友のIに代読してもらった。 


  その破天荒な男は 
  突然僕等の目の前に現れた 

  目に映るあらゆるものに逆らい
  虚空に拳を殴り続け
  いつも目には見えない何者かの影に怯えながら
  心の弱さと戦う彼は 
  一体何を求めていたのだろう 

  土曜の夜の場末のBarで 
  マイクを手にした
  彼の口が羅列する機関銃の言葉 
  誰の手も届かない心のふところに 
  疾風は吹き抜け 
  月夜の狼となり吠える彼の肉声に 
  深夜の酔いどれ達は振り向いた 

  一瞬の静寂の後に 
  彼が何度も呟いた言葉 

   ( I gotta(アイガッタ) I gotta I gotta・・・ ) 

   ( アイガ アッタ・・・ ) 

  寂しがり屋のクラクションを鳴らしては 
  いつも誰かのリアクションを求めていた彼は 
  窮屈な呼吸を繰り返していた 
  日々の束縛から解き放たれて 
  一瞬の閃光を夜空に残して消えた流星の如く 
  この世を去った

  星になった彼は今夜も
  夜空の何処かで笑っている


 この追悼詩から、詩人・MUDDY stone AXELのイメージを想像して
いただけると思うが、今僕が生前の彼の姿を想い出すならば、深夜
のオージャス・ラウンジのカウンターで孤独にグラスを傾けている
詩人の姿である。そして、深夜の六本木の暗いクラブの明かりの下
で恋人と手を繋ぎ、はしゃいで踊っていた彼の床に伸びる楽しげな
影は、僕の閉じた瞼の裏で、今も踊り続けている。 

 「REDEMPTION SONGS」という彼の詩集を開くと、2編目に「ほん
とうに ちいさなこどものためのゴスペル」という平仮名(一部片
仮名)で書かれた詩があり、最後の3連を引用すると、彼の姿が浮
かんで来る。 


  かなしいきもちはどこからくるのか 
  いかりやにくしみのしんげんちは
  いったいどこなのか
  ほんとはだれもがしっているはず 

  だから もうすこしのあいだ
  こうやって 
  ぼくのむくむくのこぶしを 
  やさしくりょうてでつつんでいて・・・ 

  てぶくろみたいできもちいいんだ 


 この詩は彼の息子のことを書いたものなのか、それとも彼自身の
気持を書いたものなのか定かではないが、生き辛い世の中で日々葛
藤しながら、矛盾する世の中から消えない「いかりやにくしみのし
んげんち」という衝動と「ぼくのむくむくのこぶしを やさしくり
ょうてでつつんでいて・・・」という繊細なハートの両面が、彼の
一つの魂に宿っていたのであろう。 
 「スリープウォーカーブルース」という詩には、彼が過ごした一
人きりの夜の心象風景がより表れている。 


  この先一体どうすればいいのだろう 
  一人の夜には涙さえ照れ笑いして空回り
  でも夜は
  へこたれた奴らにさえ優しい 
  力尽きた跡に訪れる深い静寂はそっと教えるだろう 
  あがないのチャンスはまだ残されているということを 
  空っぽの頭に降りてくる喜びや慈しみ
  それは刹那に花開く幻の青い心 


 詩人という人種は、常識的な価値観とは異なる 何か を求める故
に、不器用に世を渡る人が多いと思うが、世間から外れた場所に息
を潜めているからこそ、「優しい夜の静寂」に耳を澄ますことがで
きるのだろう。心身共にボロボロになっていく日々の夜の底で、彼
は一握りの希望を掴もうと伸ばして開いた手のひらの先に、幻の青
い花を見ていた。幻の青い花は、詩人に沈黙の声を囁き、彼は自身
の詩の言葉で世の罪や人間としての自分にも宿っているの罪があがな
れることを願った。彼が生前残した唯一の詩集「REDEMPTION SONGS
(贖いの詩)」という題は、彼の詩人としての最後の望みが託され
ているのであろう。アメリカン・ブック・ジャムの臨時号に掲載さ
れている「SAINT OF ME」という散文の中に、今はこの世にいない
彼からのメッセージが遺されている。 


  愚かさの犠牲になって死ぬくらいなら
  ぼくはロックンロールのために死にたいよ 
  だって、ロックンロールが僕を 
  生かしてくれているんだから 

    * 

  おまえたちはこの先、それぞれの場所で 
  パレードを続けるだろう 

  おまえの頭の上にはいつだって 
  ロッカーズの星が光っている 
 
  それだけは時々思い出してくれてもいいぞ 
  だって、お前達の誰かが
  苦境に立たされた時 
  たとえば、知らない十字路で 
  行き先を見失った時なんかに 
  俺達のロッカーズの星を思い出して 
  絶望を切り抜けてくれたりしたら 

  俺はやっぱり嬉しいから・・・ 


 2年位前、詩友Iが久しぶりに Everyness というポエトリーの
イベントを渋谷の店で久しぶりに行うと聞き、僕も駆けつけて朗読
に参加した。8年前に若い詩人達で月に1度、深夜まで朗読してい
た想い出の場所であるオージャスラウンジはすでに無くなり、渋谷
に移転していたのだった。朗読の時間が始まる前に、I はMuddy S
tone Axel の写真を見せてくれた。街頭の下に腰を下ろした優しい
横顔・・・それは生前の激しい気性の彼が普段見せなかったもう一
つの顔であり、一遍の詩の中で、繊細な心で呟いている彼の顔であ
った。 
 僕が最後に彼と会ったのは、彼がこの世を去る1ヶ月ほど前だっ
た。オージャスラウンジで出演者が控える隠し部屋のような暗い一
角のスペースでソファーに腰掛けているとMuddy Stone Axel は姿
を現し、「わかりますか?」と自分を指差す僕に、「おぉ、はっと
りごうか」と思い出してくれて、握手をしたのが最後だった。 

 詩集「REDEMPTION SONGS」は「RAMBLING IN THE RAIN」という
詩で終わっている。僕は今、インターネットで彼がこの詩を朗読し
ている肉声を聞きながら、この文章を終えようとしている。
 

  人のやる気を奪う灰色の空の下 容赦なく雨が降ってやがる
  俺はまったくずぶ濡れで 雨宿りの場所をさがしてんのさ 

  雨がこれ以上激しくなる前に安全な場所に隠れたいんだ
  そこでもう一度 びしょびしょの服を乾かせたら俺だって
  複雑な仕組みやいわれない伝統や
  うざったい美学なんかに惑わされないで
  夜明け前の空に
  ささやかな星を光らせることだって
  できるかもしれないんだ

  明日晴れたら大笑いさ 
  太陽の下で大の字んなって寝るのさ
  でも今は まだそんな未来はお預けさ
  とりあえず 俺は雨宿りの場所をさがしてんのさ  


 夜空の流星のように、一瞬の閃光を残して消えた詩人・Muddy
Stone Axel 。闘いの連続だった人生を終えてから約6年月日が流
れた今も、彼は時々雨宿りの場所を探すように、詩人達が集う夜に
顔を出しているのかもしれない。 



 * 追伸 * 
 生前の Muddy Stone Axel が朗読をしていたポエトリーリー
 ディングの老舗 Ben's Cafe は今年から「笑いと涙のぽえと
 りー劇場」として新たな物語が幕を開けます。 
 http://www.benscafe.com/ja/poetry_j.html 
 第1回は2週間後の1月21日(日)18時開演です。 


   * 文中の詩は以下から引用しています。 
   ・「REDEMPTION SONGS」(光琳社)
   ・「AMERICAN BOOK JAM 」(BACK UP PUBLISHING) 











散文(批評随筆小説等) ■批評祭参加作品■ 「 ロッカーズの星は今夜も瞬いている 」 〜 Muddy stone Axel ... Copyright 服部 剛 2007-01-08 22:21:15
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