批評とかなんとかいって小難しいことを書いたところで、どうせ底の浅さを曝け出すだけなのでそういう路線で行くのはやめておこうと思う。
結局、なんだかんだ言ったって、つまるところは好きか嫌いかなんでしょうが。好きなものについて、どこがどういうふうにどれぐらい好きか語る。嫌いなものについて、どこがどういうふうにどれぐらい嫌いか語る。それでいいんじゃないのかと思う。
というわけで、大好きな馬野幹について語りたいと思う。
馬野幹という詩人が、ぼくは大層好きだ。ぼくは、好きな詩人を挙げれば殆どが女性の詩人なのだが、数少ない好きな男性詩人の筆頭格が馬野幹である。
以前にこんな↓テキストを書いたけど、それほどまでに彼のことを愛しているのだよ。
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=59382
馬野幹の恐るべきところは、その存在自体が“詩”であることだ。
あんなに詩的なオーラを纏っている人間を、ぼくは他に見たことがない。しかも、その詩的なオーラは演じているものではなく、馬野幹本人の、言わば魂から滲み出ている、そういう種類のものだ。
だから、馬野幹の言葉は、すべてが、詩だ。
彼が書いた言葉も、語った言葉も、すべてが、詩だ。
残念なことには、リアルで彼に会ったのは一度だけしかないのだが、一度会っただけでここまで惚れさせる、それこそが馬野幹の凄さなんじゃないのかよ。
愛が、
何かわかんなくていいから
疑わなくていいから
俺だってわかんないんだから
わかんないのに詩人とかいって主催とかしてんだから
身を引き裂かれて
そん時に爆笑してなくちゃ
誰がこの地上で
爆笑すんだよ
きちがい共、踊れ
こういうのは今夜で終いさ
じゃなきゃ子供たちになにをつたえるんだよおまえら
※馬野幹『そうさ!』より抜粋
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=70321
こういうのって、まったく最高だね。
説明なんか要らないだろう?
(文中、敬称略)