詩論

現代詩フォーラムの詩論の会議室に発表された佐藤三夫氏の記事をまとめました。

イタリア関連との切り分けが難しい記事も含みますが、同氏の文学観を知るうえで参考となると考え、掲載しています。


わが詩的巡礼 (1)

97/02/10 15:25


1997/2/10 (月)
(長文注意)

     わが詩的巡礼 (1) / 佐藤 三夫
      ----ヴァレリーとニーチェを先達として

     1. なぜイタリアへ
    わたしがイタリアを留学の地に選んだのは、そこが地中海文化の中心、
  ヨーロッパ文化の永遠の都であったからである。
    告白すれば、人生の旅路なかばをすぎてわたしもまたダンテのように、
  暗い森のなかにふみまよったわが身に気づかざるをえなかった。過去にわた
  しをみちびいた道標が、行く末をも保証するものか。わが身のおかれた正し
  い位置をさとるためにも、確たる証しを、それもイエスの聖痕に触れた使徒
  トマスのように、わたし自身の目と手による証しを、わたしは切に求めざる
  をえなかった。かくてわたしは聖なる都へ巡礼の旅に出た。
    来し方のわたしの人生をみちびいた道標こそは、ダンテにとってのウェ
  ルギリウスとベアトリーチェになぞらえていえば、ヴァレリーとニーチェで
  あった。その対照がしめす知性と情念との矛盾は、そのつどのわたしの道標
  への懐疑を意味している。ヴァレリーのかわりにデカルトをおきかえてもよ
  い。そしてニーチェにいたりつくまえには、わたしは戦闘的な実存主義者だ
  った。だがなぜヴァレリーとニーチェが、わたしをイタリアへみちびいたの
  か。

     2. ヴァレリーの「地中海的精神」
    ヴァレリーというとき、わたしにただちに連想されるのは海だ。たとえ
  ばかれの『エウパリノス』のなかで、パイドロスの口をかりて語られた港の
  光景や、ソクラテスの描写した渚の模様など。またかれの自伝的告白である
  「地中海の感興」というエッセー。そして「海辺の墓地」の詩。ヴァレリー
  は、フランス人を父としイタリア人を母として、南仏の地中海岸のセットと
  いう町に生まれた。「わたしは、海に面し、人間の活動のただなかで、わた
  しの生涯の最初の印象を受けとるような地点に生まれたことを、幸いだと思
  っている」とかれは言っている(Paul Valery, "Inspiration Mediter-
  raneennes," Variete III, Paris, Gallimard, 1936, p. 232.  [フランス
  語のaccentはcomp.通信では表出不可能なため省略する。以下同様])。わ
  たしもまた横浜に生まれ、湘南海岸で少年期の一時期をすごした経験から、
  ヴァレリーの「地中海の感興」をひじょうな共感をもって読んだものだ。
  だがヴァレリーは、海についてのこのまったく個人的な印象を、普遍的な文
  明論にまで展開した。そしてそれをきわめて説得的に可能とするあるもの
  が、地中海にはあるのだ。
    ヨーロッパ人を他の人間たちから、近代をそれ以前の時期から、わずか
  な世紀のあいだにかくもふかく区別した、驚くべき心理的および技術的な変
  容は、地中海的自然に起因しているのだ、とヴァレリーは言う(Ibid., 
  p.246)。それはさしあたりまず、昼間の海辺を構成する純粋な諸要素、空
  や海や太陽や、瞑想を好む精神によってあたえられる。自然が白昼の海辺に
  おいておこなう錬金術の成果は、つぎのとおりである。すなわち、もっとも
  単純にして明晰な真理への注視、普遍的な秩序と統一の観念、宇宙あるいは
  無限の可能性への知的冒険。そしてこの広大で安定した世界に対応する普遍
  的自我。最高の自然現象が最高の文化の担い手の条件を構成する。
    こうしてこんどは精神が、自然から受けた特権的条件にもとづいて自然
  を規定するようになる。すなわち精神は、自然の必然性に精確に対応する抽
  象的で普遍的な方法を創造する。そして精神は、この方法を全自然現象およ
  び自己自身に適用しようと夢み、その冒険を実践しようとこころみる。人間
  はいまやその自然的諸条件から遊離し、デカルトの言うようにむしろ「自然
  の主人にして所有者のごときもの」(Rene Descartes:  Discours de la
  Methode, AT. VI, p. 62)となろうとする。「『人間は万物の尺度である』
  というプロタゴラスの言葉は、一つの特徴的な言葉、本質的に地中海的な言
  葉である」とヴァレリーは言っている(Variete III, p. 242)。ここにすべ
  ての人類に対して理念的に普遍的なヨーロッパ文化が形成された。それを知
  的ヒューマニズムと呼んでもよいであろう。
    さらに地中海の地理的条件が、この理念を現実化するうえに大きな役割
  をはたした。この海がほどよい狭さであり、三つの大陸がそこに接してお
  り、温暖な地帯にあること。それらの恵まれた条件から、この海の沿岸に集
  中的に多くの異なった民族がたがいに交流しあうことが可能となった。かれ
  らは戦争や貿易を通じて、物品の交易や人種の混淆、風俗・言語・宗教・法
  律・政体・技術等の交渉をおこなった。当然、競争が地中海世界では早くか
  ら、ひじょうに激しい仕方で展開された。この豊富な文物の競争的取り引き
  から、現実的により優越せる普遍性の獲得がめざされた。こうしてヨーロッ
  パは、文明の進歩による世界支配の意志をもったのである。
    したがって、「すべてがヨーロッパにきたり、すべてがヨーロッパから
  きた」(Valery:  Variete, Paris, Gallimard, 1924, p. 24)。とすれ
  ば、ヨーロッパからもっとも隔たっていて、しかもその高貴な知的文化のき
  わめて多くをヨーロッパから仰いでいる日本人のひとりであるわたしは、ヨ
  ーロッパに巡礼することによってしか、普遍的精神の連鎖につらなることが
  できないのではないか。だがヨーロッパのどこへ行くべきか。いうまでもな
  く地中海沿岸へ。だがまたそのどこを訪ねるべきか。
    ふたたびわたしは、ヴァレリーの「精神の危機」の「覚え書き」をひも
  といた。そのなかでかれは、「つぎの三つの影響を歴史の過程で受けたあら
  ゆる民族をヨーロッパ人とみなそう」と言っている(Ibid., p. 46)。第一
  はローマ帝国の影響であり、第二はキリスト教、そして第三はギリシャに由
  来するものである。それらのうち、第二の中心もローマであり、第三にして
  さえヴァレリーは「この際、もういちどローマ帝国の役割を賛美しなければ
  ならない」と言う(Ibid., p. 51)。すなわち、ギリシャとキリスト教に浸
  透されたローマ帝国は、平定され、組織された広大な土地をそれらに提供し
  た。そして「キリスト教的観念とギリシャ思想とがそのなかに流れ入って、
  それらのあいだでかくも精巧に結合しあうことになった鋳型をつくったので
  ある」。
    それゆえわれわれはヴァレリーの言葉を言いかえて、「すべてがローマ
  にきたり、すべてがローマからきた」というべきではないか。ともかくこう
  してわたしの行く先は、永遠の都ローマとさだまった。そこには全ヨーロッ
  パ文化の根、そしてヨーロッパ文化が唯一最高の普遍性を主張しうるなら
  ば、世界のへそ石があるはずであった。
                           (続く)





わが詩的巡礼 (2)

97/02/12 00:22


(長文注意)

     わが詩的巡礼 (2) / 佐藤 三夫
      ----ヴァレリーとニーチェを先達として

     3. ヨーロッパ精神の危機
    だがわたしがこうして普遍的ヨーロッパ精神にイニシエイトされようと
  ねがえばねがうほど、ヴァレリーの主知的ヒューマニズムへの懐疑と不安に
  さいなまれないわけにはいかなかった。なぜなら、以上述べたヨーロッパ精
  神の優越についてのヴァレリーの主張は、「精神の危機」と題した一連のか
  れのエッセーと、それから派生した論議において展開されたものであるから
  だ。
    「精神の危機」の第一の手紙は、「われわれ文明は、いまや、われわれ
  が死すべきものであることを知っている」(Variete, p. 11)という言葉で
  はじまっている。フランス、イギリス、ロシアなども、過去の華やかな名に
  すぎないものとなってしまうかもしれない。「知識」も「義務」もどうして
  信じることができようか。なぜなら、それらに対するドイツ国民の大いなる
  美徳なくしては、あれほど多くの惨禍は起こりえなかったろうから。ヨーロ
  ッパはそのすべての思考中枢において、もはや自己を認めなくなり、意識を
  失なおうとしているのを感じた。
    そのときヨーロッパは、その生理的な存在と所有を絶望的に防御するた
  めかのように、過去の偉大な遺産をよびおこそうとした。「魂は、記憶や、
  以前の行為や、先人たちの態度などの全記録のなかに、避難所や、指標や、
  慰安をもとめた。そしてそれこそは、不安の当然な所産であり、わなにかか
  ったねずみのように狂乱して、現実から悪夢へ走り、悪夢から現実へもどる
  頭脳の、無秩序な企てなのだ」(Ibid., p. 15)。軍事的危機が去っても、
  経済的危機が、さらには精神の危機が、すべてを混乱と無秩序のなかに投げ
  いれ、最後に希望が残されたとしても、「希望は、その精神の精確な予見に
  対する存在の不信にすぎない」のだ(Ibid., p. 16)。
    ヴァレリーがこのように書いたのは、第一次世界大戦後のことであっ
  た。だがその状況は、第二次世界大戦後に青春時代をおくったわたしにとっ
  ても、類似したもののように思われた。ただヴァレリーとわたしとのあいだ
  には、その状況をうけとめる視角に対極的な面があることを感じないわけに
  はいかなかった。その視角の相違は、「精神の危機」の第二の手紙を読むと
  きに、妥協しがたいものと思わせるほどにあらわにされる。そこにおいてヴ
  ァレリーは、他の地域に対するヨーロッパの優越が、文化の拡散によって失
  なわれんとしていることを嘆いている。かれはこうした現象を、ヨーロッパ
  のdeminutio capitis (頭格喪失)とよんでいる。
    ヴァレリーのヨーロッパ優越観は、しばしば人種差別と植民地主義を感
  じさせる危険をはらんでさえいる。かれは言うのだ、「あらゆる時代におい
  て、生きている地球の状態は、その表面のひとの住む地域のあいだにある、
  不平等の体系によって決定されうる。----ヨーロッパという小さな地域は、
  幾世紀以来、等級別の首位にある。----その奇跡はその住民の性質のなかに
  あるにちがいない。----秤の一方の皿にインド帝国をおき、他方にイギリス
  連合王国をおきたまえ。見よ、もっともわずかな重しをのせた皿が下にかた
  むくのだ。----人間の性質が、ヨーロッパの優越の決定要因であるにちがい
  ない」(Variete, pp. 26-7)。
    「精神の危機」の「覚え書き」では、さらにこう言っている。地中海に
  おいて、「ある時期に、人類がますます似ていない二つのグループに分かれ
  ることがあきらかになるのをひとは見る。ひとつのグループは地球の最大部
  分を占めているが、その慣習、その知識、その実際的能力においてあたかも
  不動なままにとどまる。それはもはや進歩しない」(Ibid., p. 42)。もう
  ひとつのグループは、世紀から世紀へとますます異常な速度でもって発展す
  る。「やがてこの部分と世界の残りの部分とのあいだに、実際的知識と権力
  の差異がきわめて大きくなって、均衡の破れをひき起こす。ヨーロッパはそ
  れ自身の外に駆りたてられて、土地の征服へ出かける。文明は原始的侵略を
  あらためておこなう」(Ibid.)。
    こうしてヨーロッパ文明による原始的侵略のいけにえとなったのが、わ
  れわれアジア・アフリカの諸民族である。二十世紀前半のヨーロッパ最高の
  知性によって代弁されたヨーロッパの優越は、客観的に正当化されうるもの
  だろうか。ヨーロッパ人にとって歴史的事実の記述と思われることが、われ
  われにとっては征服の理念の表明と思われる。
    もしヨーロッパ精神が真に普遍的な永遠の真理ならば、「われわれ文明
  は、いまや、われわれが死すべきものであることを知っている」(Variete,
  p. 11)という告白は、矛盾ではなかろうか。第一次世界大戦後の事態が
  「精神の危機」をもたらしたとするならば、歴史によって真理がさばかれる
  というのか。それこそは、ヨーロッパ精神の優越の根拠であったはずの理性
  の放棄ではなかろうか。
    だが「精神の危機」をよく読んでみると、ヴァレリーは決して絶望して
  いるのではないことに気づく。かれはいまなおヨーロッパ精神の優越を確信
  しているのだ。「要するに、地球上には、人間的な観点において、あらゆる
  他の地域からふかく区別される一地域が存在する。権力の秩序において、ま
  た精確な認識の秩序において、ヨーロッパは今日なお、地球上の他の部分よ
  ちもはるかに重きをなしている。いやわたしの思い違いだ。優っているの
  は、ヨーロッパではない。恐るべきアメリカを創造した『ヨーロッパ精神』
  である」(pp. 55-6)。これが「精神の危機」の最後に近い部分で述べられ
  たヴァレリーの結論である。かつてアメリカによる占領を経験したわれわれ
  は、この結論を深刻な思いで受けとめざるをえない。
    それではいったい、ヴァレリーは何を憂えて「精神の危機」とよんでい
  るのか。もし無秩序と混乱が問題であるなら、ヨーロッパはそもそもそれら
  を条件として生まれたのではなかったか。ヴァレリー自身言っている、「ヨ
  ーロッパなるものは、ある人間的な多様性と、特にめぐまれた一局所によっ
  て形づくられた一種の組織であり、結局、特別波乱に富み生き生きとした歴
  史によって仕立て上げられたものである」(Variete, p. 45)。そのうえか
  れは、「幸福な国民には精神がない」と「精神の政治学」のなかで言ったで
  はないか("La Politique de l'Esprit," Variete III, p. 224)。
    そうすると残るところは、すでに見た「文化の拡散」La diffusion de
  la culture による退落と、「精神の政治学」における「事物の粗雑な簡易
  化」les simplifications grossieres des choses (Variete III, 
  p. 227)による頽廃である。ところでヴァレリーは、文化の拡散に対する
  処方箋を明確に書いた。すなわち、水中に散ったぶどう酒をふたたび再生さ
  せるカナの奇跡をおこなう者、すなわち「天才」genieこそは、「精神の危
  機」に英雄的に立ち向かう者である(Variete, p. 32)。そして「天才」
  が、「事物の粗雑な簡易化」に対抗する者であることも、たしかであろう。
    こうしてみると、ヴァレリーが「精神の危機」を問題にしながら、なぜ
  最後までヨーロッパ精神の優越について語ったかが明らかにわかる。かれが
  「精神の危機」の最後のところで述べたことは、このことだったのだ。すな
  わち、「『ヨーロッパ精神』の支配するところにはいたるところに、要求の
  最大限、仕事の最大限、資本の最大限、収益の最大限、野心の最大限、権力
  の最大限、外的自然の変改の最大限、関係と交換の最大限があらわれるの
  を、ひとは見る。こうした最大限の全体が 『ヨーロッパ』である。----
  他方、この形成とこの驚くべき不平等との諸条件は、明らかに個人の質に、
  Homo Europoeus(ヨーロッパ人)の平均的質に由来する」(Variete, 
  p. 56)。そしてかかる最大限の質をそなえた個人こそは、「天才」でなく
  して何であろう。つまり、典型的な意味で「ヨーロッパ人」Homo 
  Europoeus とよばれうる者は、ヴァレリーにとって、「天才」のことでは
  ないのだろうか。その受肉した偶像が、たとえば「テスト氏」Monsieur 
  Teste なのだ。
    ところでヨーロッパの「精神の危機」は、いまもなお現実にあるのだろ
  うか。そして典型的ヨーロッパ人としての「天才」に、わたしはめぐりあう
  ことができるのだろうか。さらに何よりも、「精神の危機」と「天才」は、
  非ヨーロッパ人であるわたしにとって、どのような意義をもつものなのか。
                            (続く)







わが詩的巡礼 (3)

97/02/12 22:09


(長文注意)

     わが詩的巡礼 (3) / 佐藤 三夫
      ----ヴァレリーとニーチェを先達として

     4. すべての価値の価値転換の試み
    実際、非ヨーロッパ人であるわたしにとって、ヴァレリーの言葉は、ヨ
  ーロッパ人の理解するのとは異なった意義をもって受けとられる。
    もしヨーロッパ文明というものが死すべきものであるとするならば、そ
  の後に残るものは非ヨーロッパ的なるもの、たとえばアジア・アフリカ的な
  るものであろう。またもしヨーロッパの優越が文化の拡散によって平等化さ
  れるとするならば、その拡散のおよぶところはアジア・アフリカであろう
  し、したがってこの平等化はアジア・アフリカ化を意味するであろう。
  「ヨーロッパ精神は全的に拡散しうるか」と問いながらヴァレリーは、「ヨ
  ーロッパの頭格喪失deminutio capitis を予見させる地球開発実施の現象、
  技術の平等化の現象、および民主的現象は、運命の絶対的決定として受けと
  られなければならないのか」(Variete, p. 33)と言っている。アジア・ア
  フリカは現に何らかの仕方で、地球開発、技術の平等化、民主化を、ヨーロ
  ッパ文化の拡散の結果として受けているのであるが、それは結局ヨーロッパ
  の非ヨーロッパ化、つまりアジア・アフリカ化を意味していることになろ
  う。それゆえ、われわれはいままさにアジアの一角にいながらにして、ヨー
  ロッパの危機に立ち合っているのである。
    ところでヨーロッパ文化の拡散が、ヨーロッパの没落を結果するとして
  も、それは同時に世界の没落をも意味するのだろうか。逆に言えば、ヨーロ
  ッパの文化的独占による不平等な優越こそが、世界の繁栄を意味するのだろ
  うか。ヨーロッパの優越によって「原始的侵略」を受けるアジア・アフリカ
  の側からすれば、「ヨーロッパ文化は、われわれを奴隷として鎖につなぎ、
  その生命をも奪うことが正当化されうるほどに、真理なのか」と問わざるを
  えないであろう。
    ヨーロッパの近代哲学を、もっとも典型的な仕方で基礎づけたインマヌ
  エル・カントは、学問的認識は事実においてあたえられているとして、ただ
  「いかにしてそれが可能であるか」という権利問題だけを、かれの哲学にお
  いてあつかった。だがいまや、ヨーロッパ的認識の理念が、事実においても
  問題にされなければならない状況に立ちいたっているのではなかろうか。そ
  れはもともと原理的な問題であるのだが、ヨーロッパ文化の拡散の段階にな
  って、拡散されるアジア・アフリカ側との交渉を通じて、問いなおされざる
  をえない状況に直面したのだといえよう。
    ヨーロッパ的認識の真理性は、事実においてあたえれているのだろうか
  という問いは、ヴァレリーさえも思いつかなかったほど、深刻なヨーロッパ
  精神の危機をあらわにするものではなかろうか。たとえば、ヨーロッパ精神
  の優越という考えは、ひとつの価値への信仰に根ざしているのだとは考えら
  れないだろうか。ヨーロッパ文化の拡散の結果、この価値が相対的に退落
  し、そこからかかる価値への信仰がうすらいだことを、ヴァレリーは「精神
  の危機」とよんだのではなかろうか。かれはテスト氏のような「天才」をも
  ってかかる価値をふたたび高揚させ、その結果、その価値信仰を復活させよ
  うと望んだのではないか。ところがそもそも、真理と信じて崇拝していたそ
  の価値が、仮象ではないかと問われうることを、かれは思ってもみなかっ
  た。もしその価値が仮象にすぎなければ、価値の転換がありうるのだ。その
  ときヨーロッパ精神の優越への信仰は絶望的に没落する。ニヒリズムがこの
  信仰にとってかわるだろう。そしてそこにこそよりふかい意味で「精神の危
  機」があらわになるだろう。
    このような「精神の危機」を、つまりはニヒリズムをかいま見たヨーロ
  ッパ人に、フリートリッヒ・ウィルヘウルム・ニーチェがいた。かれもまた
  普仏戦争によるヨーロッパ文化の危機を体験した。かれの晩年の理論的主著
  『権力への意志』は、副題として「すべての価値の価値転換の試み」と記さ
  れ、その第一の書は「ヨーロッパのニヒリズム」と題されている。かれは言
  っている、「ニヒリズムが戸口に立っている。----困苦はそれ自身ではニヒ
  リズム(すなわち、価値、意味、願望のラディカルな拒否)をうみだすこと
  はけっしてできない。----そうではなくして、ひとつのまったく特定の解釈
  のうちに、キリスト教的・道徳的解釈のうちに、ニヒリズムはひそんでいる
  のである」(Friedrich Nietzsche:  Der Wille zur Macht---Versuch
  einer Umwertung aller Werte, Stuttgart, Alfred Kroener Verlag,
  1964, S. 7)。
    ここでキリスト教的・道徳的解釈が問題であるのは、最高価値にもとづ
  いたある特定の価値解釈が、それによって体系化されてきたからである。さ
  らに、キリスト教が問題であるのは、「二千年の長きにわたってキリスト教
  徒であったことに対して、われわれが償いをしなければならない時がやって
  くる」(Ibid., S. 24)からである。そしてキリスト教的価値判断は社会主
  義体系や実証主義体系にまで残存しているからである。もしすべての価値判
  断が仮象にすぎないならば、理想も真なる世界も虚妄にすぎない。「認識へ
  のわれわれの欲望、われわれの意志そのものが、恐ろしいデカダンスの徴候
  である」(Ibid., S. 55)。「進歩。----われわれは欺かれてはならない。
  ----『人類』は前進しない。----人間は動物に対していかなる進歩でもな
  い」(Ibid., S. 65)。
    「事物の根底はきわめて道徳的となっているので、人間的理性は正しい
  という前提は----ひとつの誠実さや、愚直な男のとる前提であり、神的真実
  性への信仰の影響である」(Ibid., S. 330)。「『これこれのことはこうで
  あるとわたしは信じる』という価値評価が、『真理』の本質にほかならな
  い」(Ibid., S. 348)。このように、真理が生の条件となっている価値への
  信仰に帰せられるやいなや、ヴァレリー的なヨーロッパ精神の優越は仮象に
  すぎないものとなる。
    ニーチェが「すべての価値の価値転換」と言ったとしても、それはたと
  えばキリスト教的・道徳的価値判断に対して、何らか他の価値判断をもって
  おきかえることを意味しない。むしろ、すべての価値判断を超え出て、「善
  悪の彼岸」Jenseits von Gut und Boeseに立ち、生存の条件として価値を
  創造するとともに破壊し、自己を肯定し祝福して永遠に回帰する権力への意
  志こそは、「世界そのもの」であるとされる(Ibid., S. 697)。この世界を
  ニーチェは、ディオニューソス的世界dionysische Welt とよぶ。それはヨ
  ーロッパ的世界であるよりも、むしろすぐれてアジア的なものである
  (Ibid., S. 684)。
    このようにしてわれわれはいまや、ヴァレリーとは対極的に、ニーチェ
  とともにアジア的世界の優越について語ることができるのだろうか。それも
  またひとつの価値判断ではないのだろうか。もしそうならばわれわれはどこ
  へ行けばよいのだろうか。つまり、「善悪の彼岸」である新世界は、どこに
  見いだされうるのか。
                            (続く)





わが詩的巡礼 (4)

97/02/14 01:15


(長文注意)

     わが詩的巡礼 (4) / 佐藤 三夫
      ----ヴァレリーとニーチェを先達として

     5. ディオニューソスの指す南方への道
    「善悪の彼岸」であるディオニューソス的世界がすぐれてアジア的なも
  のであるとしながらも、ニーチェ自身が世界のへそとみなして立つところは
  アジアではなく、実にギリシャである。『悲劇の誕生』においては、驚くべ
  きことに、「ディオニューソス的ギリシャ人をディオニューソス的野蛮人か
  ら引き離す巨大な裂け目」(F. Nietsche:  Die Geburt der Tragoedie--
  --, Stuttgart, Alfret Kroener, 1964, S. 54)について語り、野蛮人の
  祝祭を淫楽と残酷とのいまわしい混合物たる「魔女の秘酒」Hexentrank
  と称している。
    このような野蛮人の祝祭がギリシャ化されるには、アポロン神による
  ディオニューソスとの和議が必要であった。こうしてディオニューソスが
  アポロンに媒介された結果、「人間を虎や猿に退化させるバビロンのサカ
  イエンの祭儀とくらべて、ギリシャ人のディオニューソス的オルギアの中
  には、世界救済の祭典また光明化の祝日という意義」(Ibid., S. 55)が
  認められるようになった。
    『権力への意志』においては、ディオニューソス的なもののアポロン
  化は、ギリシャ人の魂の内面的闘争の問題として内在化される。「ディオ
  ニューソス的ギリシャ人こそ、アポロン的となることを必要としたのであ
  る」とかれは言う。すなわち、「恐るべきもの、多様なもの、不確かなも
  の、驚くべきものへのその意志を、節度への、単純さへの、規則と概念に
  秩序づけることへの意志でくじくことを必要としたのである。節度なきも
  の、荒れ果てたもの、アジア的なものが、その根底にある。ギリシャ人の
  勇敢さは、そのアジア主義との闘争にある」(Der Wille zur Macht, S. 
  684)。そして美も、論理も、慣習の自然さも、ギリシャ人にとっては贈
  られたものではなくして、意欲され、戦いとられたものなのである。つま
  り、「それはギリシャ人の勝利なのである」。
    ヨーロッパ人にとってはニーチェはあまりにディオニューソス的と見
  えるかもしれないが、われわれアジア人にとっては、アジア主義との闘争
  を勇敢なこととほめたたえるかれは、あまりにアポロン的に思われる。結
  局のところニーチェは、デルポイの神殿の祭司のように、それら二柱の神
  に供物を捧げているのだ。かれは共同体的実体がいかにして個体的意識に
  現象することが可能かということを、悲劇の誕生の問題という仕方で解明
  しようとした。かの二柱の神の弁証法としての悲劇的密儀秘祭が誕生した
  ところこそは、ニーチェにとって世界のへそ石のあるところであり、つま
  りはギリシャであった。このギリシャに対して、アジアや西ヨーロッパは
  どのような意義を担ったものとみなされるのか。
    「ギリシャ人は、かれらの偉大な時代においては、そのディオニュー
  ソス的衝動と政治的衝動との異常な強烈さのもとにあった」と『悲劇の誕
  生』は告げている(S. 166)。そして「ある民族にとってオルギア主義か
  ら行きつく道は一つしかない、インド的仏教への道である。仏教は、一般
  にその無への憧憬に耐えるようになるために、空間、時間および個体を超
  え出ることをともなうあの希有なエクスタティックな状態を必要とする。
  ----同様に必然的に、ある民族は、政治的衝動を無制限に通用させること
  から、極端な世俗化の軌道におちいる。その世俗化のもっとも大規模な、
  だがまたもっとも恐るべき表現が、ローマ帝国である」(SS. 165-6)。
    ところがギリシャ人は、ニーチェによれば、エクスタティックな瞑想
  によっても、また世俗的権力や世俗的名誉への渇望によっても消耗される
  ことなく、鼓舞すると同時に観想的な気分にもする高貴な酒のような、す
  ばらしい混合物を手に入れた。それが「全民族生活を刺激し浄化し解放す
  る悲劇の威力」だという。
    もしこうしたニーチェの見解を受けいれるならば、アジアの仏教文化
  圏の最果てにいるわれわれにとって、対極的な文化の拠点はローマであ
  り、われわれの文化的伝統とローマ的文化の伝統とを総合する文化の中心
  は、ギリシャということになるのだろうか。だがわれわれがアジアの仏教
  文化圏の最果てにいるというまさにそのことが、ローマ的文化との均衡な
  いしは総合をはかるためにも、われわれをしてギリシャよりもむしろロー
  マへおもむかしめる。なぜなら、片側へまがった棒を正すには、反対側へ
  まげてみることが必要だというではないか。そうしてはじめてわれわれ
  は、ギリシャ文化の正しい意義をも理解しうるであろう。
    バーゼル大学の教壇を退いた後のニーチェは、ヴェネツィアを愛し、
  ローマでルー・フォン・サロメに恋し、ジェノヴァで『ツァラトゥスト
  ラ』を構想し、トリノに倒れた後は自分をディオニューソスと称してつ
  いに狂気からさめなかったことを、ひとは知っている。ティッレーノの
  海のほとりのイタリアは、スイスとともに、ニーチェの後半生の主要な
  舞台であった。ニーチェがディオニューソスの祭司として聖なる狂気
  Hieromania につかれてさまよったイタリアの地を、われわれの巡礼の
  道標に選ぶことは、ディオニューソスの信徒であるアジア人にふさわしい
  ことであろう。
    それにしてもこのディオニューソス的予言者がわれわれに、最後に行
  きつくべき道として指し示したところを傾聴すべきではなかろうか。「南
  方を自己の中に再発見し、晴朗な光かがやく神秘な南方の空を自分の上に
  張りめぐらせ。魂の南方的健康と隠された力強さをふたたびかちとれ。一
  歩一歩より広範なものとなり、より超国家的、よりヨーロッパ的、より超
  ヨーロッパ的、より東洋的、最後によりギリシャ的となれ、----なぜな
  ら、ギリシャ的なものは、すべての東洋的なものの最初の偉大な結合と総
  合であり、まさにそのことでもってヨーロッパ精神の始まり、われわれの
  『新世界』の発見であったのだから。かかる命令のもとで生きる者はだれ
  か、この者にいつの日か起こりうることを知る者はだれか。おそらくまさ
  に----それこそは新しき日だ!」(Der Wille zur Macht, S. 686)。
                            (続く)







わが詩的巡礼 (5)

97/02/15 00:34


(長文注意)

     わが詩的巡礼 (5) / 佐藤 三夫
      ----ヴァレリーとニーチェを先達として

     6. 孤独な超人
    すべてのディオニューソスの徒、それゆえ詩人は、偉大なディオニュー
  ソス的予言者ニーチェに向かって、次のような疑問を発する正当な権利をも
  っているのではなかろうか。みずからディオニューソスと名のったわれらの
  先達よ、知恵の過剰に倦いて山上よりわれわれのもとに没落したツァラトゥ
  ストラよ、あなたはわれわれに「新しい世界」への道をかいま見させた。あ
  なたが「わたしはあなたがたに超人を教える。人間とは克服されるべきある
  ものである。----超人とは大地の意義である。----わが兄弟たちよ、わた
  しはあなたがたに切願する、大地に忠実であれと」(Also Sprach
   Zarathustra, Stuttgart, Philipp Reclam Jum., 1964, S. 6)と叫んだ
  とき、われわれはあなたのもとにはせ参じた。あなたが「神は死んだ。悪魔
  も地獄も存在しないのだ」と言ったとき、われわれはあなたに耳をかたむけ
  た。「創造する者が求めるのは伴侶だ。屍ではない。また畜群でも信者でも
  ない。創造する者が求めるのは、新しい価値を新しい板の上に書きしるす共
  に創造する者だ」(Ibid., S. 17)と言ったとき、われわれはあなたと手を
  握った。だがあなたがツァラトゥストラの孤独について語ったとき、わが耳
  を疑った。「偉大な魂たちに大地はいまなお開かれている。ただひとりの孤
  独者そしてただふたりの孤独者のために、なお多くの座席が空いている」
  (Ibid, S. 44)と言われたとき、われわれはある驚きを感じた。そして
  「逃れよわが友よ、君の孤独のなかへ」(Ibidem)と呼びかけられたとき、
  われわれはほとんどあなたのもとから逃れずにいられないほど戦慄した。
  「わが兄弟よ、もし君がひとつの徳をもっていて、それが君自身の徳である
  ならば、君はそれをだれとも共有することはないだろう」(Ibid., S. 29)
  という言葉を、あなたがディオニューソスの徒に向かって語るとは信じがた
  いことだ。
    孤独な個性の超人ツァラトゥストラよ、個体化の原理がアポロンである
  ことを、あなたは『悲劇の誕生』で告げなかっただろうか。いかに善悪の彼
  岸に立つ立法者となろうとも孤独な超人がディオニューソスではありえない
  ことを、ギリシャ文献学者であるあなたが知らぬはずはあるまい、ニーチェ
  教授よ。あなたがみずからディオニューソスと名のった手紙をしたためたの
  は、発狂した後のことには違いないが。
    超人がディオニューソスの「祭司」であることはありうる。たとえばオ
  ルペウスのように。だが孤独な超人と化したディオニューソスという卑小化
  は、大地を冒涜する。そのことをわれわれに教えたのは、あなたの『悲劇の
  誕生』ではなかったか、錯乱した祭司ニーチェよ。
    あなたはこう説いた。ディオニューソス的な魔力のもとでは、「いまや
  世界調和の福音に接して、各人はその隣人と結合し、和解し、融合している
  と感じるのみではなく、隣人と一つのものと感じるのだ。歌いながら、踊り
  ながら、人間はより高い共同体の成員として現れる」(S. 52)。またギリ
  シャ人を生存の苦悩から救済した悲劇は、サテュロス・コーラスから発生し
  たのであり、「ギリシャの文化人はサテュロス・コーラスを眼前にして、自
  分自身が揚棄されるのを感じたのだ、とわたしは思う。そして国家や社会、
  一般に人間と人間とのあいだの間隙が強大な統一感情に屈して、自然の心髄
  に連れもどされるということ、これこそがディオニューソス的悲劇のもっと
  も直接的な作用なのである」(S. 80)。さらに、「このコーラスはその幻
  像のなかに、その主にして師であるディオニューソスを見る。----コーラ
  スは自然の最高の、すなわちディオニューソス的表現であり、そのために、
  自然のように、感激のうちに神託と知恵の言葉を語る。共に悩むものとして
  かれは同時に、世界の心髄から真理を告げる賢者である」(S. 88)。
    ディオニューソス的なものが何よりも「共同体的なもの」であることを
  知るために、これ以上引用する必要があるだろうか。そしてディオニュー
  ソスとはディテュランボスの君と言われるように、高揚したサテュロス・コ
  ーラスそのものではないだろうか。
    実際ニーチェによれば、「われわれはギリシャ悲劇をディオニューソス
  的コーラスとして理解しなければならない」(S. 87)。「根源的には悲劇
  はただ『コーラス』であって『ドラマ』ではない」(S. 89)。そしてディ
  オニューソスのアポロン的現象化を通じてコーラスからドラマへ移行し、悲
  劇の主人公が仮面をつけて舞台に登場してくる。だが「舞台場面ならびに役
  者の演技は、結局またもともと単に『幻像』Vision として考えられていた
  にすぎないのであって、唯一の『現実』Realitaetはまさにコーラスであ
  る」(S. 88)。
    超人はディオニューソスの仮面をつけて舞台に上がる俳優のごときもの
  である。かれはコーラスに媒介されながらなおディオニューソスの単なる
  「幻像」にすぎず、コーラスが消え去ってひとり孤独にとどまれば、もはや
  人間喜劇の主人公にすぎないものとなる。
    このように、超人はディオニューソスたりえないが、ディオニューソス
  の祭司となることはかれの使命である。すなわち、かれは散会したコーラス
  をふたたび呼び集め、それを指揮する先達とならねばならない。もしコーラ
  スがふたたびディテュランボスを演じれば、超人はディテュランボスのなか
  に昇華して、同じ輪踊りをする一成員にすぎないものとなる。そのときディ
  オニューソスがそのディテュランボスの輪踊りのなかに出現する。
    つまり、共同体が個体化の過程で、それ自身を現象化し受肉した「共同
  体の祭司」としての超人を生み、超人はたえず八つ裂きにされつつ没落する
  共同体の運命のなかで孤独に耐え、共同体の高揚せる復活を実現するために
  殉じることは、永遠に回帰する世界史の課題であり、まったくディオニュー
  ソス的な悲劇の主題である。
    超人は孤独を欲するのではなく、孤独を余儀なくされるのだ。責めはか
  れの意志にではなく、かれの宿命にある。世俗化によって共同体が八つ裂き
  にされたがゆえに、かれはコーラスを失ない、孤独に耐えてひとりティタン
  の群れと闘って、共同体を救い出さねばならないのだ。それゆえ、「逃れよ
  わが友よ、君の孤独のなかへ」と呼びかけたツァラトゥストラは、自分の宿
  命と闘うことを回避させようとするティタンの仲間なのだろうか。それとも
  没落の過程で錯乱して、かれもまたかよわい末人der letzte Mensch と化
  したのだろうか。
                            (続く)






わが詩的巡礼 (6)

97/02/16 02:31


(長文注意)

     わが詩的巡礼 (6) / 佐藤 三夫
      ----ヴァレリーとニーチェを先達として

     7. 没落と上昇の道
    「人間において偉大なことは、かれがひとつの橋であって、いかなる目
  的でもないということである」とツァラトゥストラは語る(S. 8)。だがこ
  の橋は人間をどこへ導くのか。天空のかなたではなく、ディオニューソスの
  故郷である大地へである。ところでもしディオニューソスの故郷がアジアで
  もあるのなら、つまり本源的共同体がアジア的であるのなら、そしてディオ
  ニューソス的祭儀から行きつく道がインド的仏教への道であるのなら、この
  大地への没落をきわめるために、われわれがアジアの外におもむく必要はま
  ったくないのではないか。なぜならわれわれは初めから没落しているのだか
  ら。
    真実のところわれわれは没落して大地にのめりこんだまま、春が来ても
  沼の下に眠っている。われわれはディオニューソスとともに泥酔したまま、
  屍のように眠りこけてきた。われわれは自分の足で立ちあがることを忘れて
  しまった。いや足のあることさえ忘れてしまって大地の塵そのものと化し
  た。ときおり風が吹くと軽々と空に舞いあがるが、自分の力で大地から天空
  に向かって立ちあがるわけではない。そのわれわれの中に大理石の柱が一本
  でも打ちこまれると、われわれは恐れをなして地を這ってささやきあう。わ
  れわれが寝ぐらとして慣れ親しんできた大地が破壊されてしまうのでなかろ
  うかと。もしこの大地にアポロン神殿が打ちたてられたら、それによっても
  しわれわれが天空に向かって自分の足で立ちあがらねばならないことが示さ
  れたなら、酔いつぶれているわれわれはどこに枕するところを求めればよい
  のか。
    没落して秩序を失なった共同体はカオスである。たしかに秩序が固定す
  ることは生存にとって老化である。そのとき生存を生かしめるためには、生
  存を没落せしめなければならない。老いた神は殺されなければならない。
  「われらのうちなる古き人キリストとともに十字架につけられたり」(「ロ
  マ書」6-6)、また「愚かなる者よ、なんじの播くところのものまず死なず
  ば生きず」(「コリント前書」15-36)と言われているように。こうしてニ
  ーチェは神の死を宣告した。頽廃した秩序はいまや無秩序たらしめられ、世
  界の価値的意味は無意味とされた。生存はそのつど目的的に秩序づけられる
  ことによってしか生存しえない。だが死は生存をすべての目的的秩序から解
  放する。「死にし者は罪から脱るるなり」(「ロマ書」6-7)とある。死の
  みが可能とするこの自由は、同時にまた生存にとっての自由の喪失でもあ
  る。アナーキーなカオスは、すべての可能性をひらくとともに、すべての可
  能性を沈黙せしめる。そこには超人もひとも獣もない。死の平等が支配して
  いる。これが生存の没落の結果である。
    いまやディオニューソスは八つ裂きにされ、キリストは十字架にかけら
  れた。悲劇の断末魔とデウス・エクス・マキナ(機械仕掛の神)の告げる未
  来とのあいだには、恐るべき暗き淵がよこたわっているのだ。いったいいか
  なる奇跡の業が、死せる神を復活せしめるのか。生存の没落か。否、生存の
  上昇こそが問題なのだ。春呼びの恵み姫たちは輪踊りをし、眠れるディオニ
  ューソスを冥界からひき出さねばならない。さもなければ、牛飢えの季節は
  生きとし生けるものを根だやしにしてしまうだろう。高揚せるコーラス共同
  体のディテュランボスは、没落の運動であるとともに上昇の運動でもある。
  信徒の群れは、いけにえの牡牛を八つ裂きにして神殺しをするとともに、そ
  の生肉をくらい血をすすって一つの神に化身する。足白き巫女たちは高く跳
  びはねてディオニューソスの到来を告げる。
    生まれたばかりの幼い神は聖なる乳母たちとともに大地からより高くよ
  り高く跳びはねる。「足白き巫女たちよ、オリュンポスの峰よりも高く跳び
  はねよ」とギリシャの祭りでは歌われた。その跳びはねるかなたには英知的
  天空がある。母なる大地から英知的天空をめざして跳びはねる舞踏そのもの
  が、いまや新しい目的秩序の世界つまりコスモスを誕生せしめるのだ。没落
  はカオスをもたらした。だが上昇はコスモスを生む。大地から生まれたディ
  オニューソスは、英知的天空をめざして成長することによって、やがて太陽
  神アポロンとなるであろう。デルポイの神殿では、冬の一時期ディオニュー
  ソスが主神となり、他の時期にはアポロンが主神となる。こうして神の死と
  生が永遠に回帰される。これが生存の運命なのだ。
    ディテュランボス共同体におけるカリスマは、やがてコーラスの指揮者
  に凝固して、かれを超人たらしめるであろう。こうしてサトゥルニア・レグ
  ナは英雄時代へと移行するであろう。この個体化は生存の上昇からもたらさ
  れる。コーラスは観客となり指揮者のみが歌いかつ踊るようになる。畜群と
  孤独な超人が隔絶される。世界はふたたび没落する。
    超人は何を歌いかつ踊って表現するのか、神の死と復活、世界の没落と
  上昇、つまり永遠回帰の運動をである。ニーチェのツァラトゥストラは大地
  への没落を主題として歌った。そしてそれは共同体の分解期であったニーチ
  ェの時代にはふさわしい予言であった。かれの死より百年を経た今日、むし
  ろ大地から英知的天空をめざして英雄的に立ちあがるべきことを歌うことが
  ふさわしい。なぜなら新しい共同体の秩序が生まれつつありながら、ひとび
  とはなお大地に這いつくばって惰眠をむさぼっているからだ。没落のときは
  終わった。太陽は地平から上昇しつつある。幼な子ディオニューソスは自分
  の足で大地の上に立って、アポロンへ成熟せねばならない。
    アジアは牡牛に化身したゼウスのように、波をかきわけていってもエウ
  ローペーと結婚せねばならない。その結果カドモスがデルポイのアポロンの
  託宣にしたがってテーバイの都市を建てたように、われわれの子孫は新しい
  コスモスを建設するであろう。
    ただこれはヨーロッパ精神がアジアを征服することでも、アジアがフン
  族の王アッティラのように暴力でヨーロッパを占領するなどということでも
  ない。たとえばゲルマン民族がローマの制度と文化を取り入れて、独自の中
  世文化を築いたように、あるいは禁欲主義的プロテスタントがしだいにルネ
  サンス文化の成果を吸収して啓蒙思想を形成したように、アジアとヨーロッ
  パ、共同社会と利益社会、バッコスの巫女とアポロン、愛と知の結婚は、独
  自の新しいコスモスを生み出すであろう。われわれの子孫はただ単に、主意
  的な超人でも主知的な天才でもなくして、両者を弁証法的に揚棄した新しい
  人間類型を生み出すであろう。そしてこれまでの資本主義社会でもなけれ
  ば、これまでの社会主義社会でもない、新しい高次の社会形態とそれに相応
  した文化が展開するであろう。
    わたしはこうした新しいコスモスの礎を築くための一祭司にすぎない。
  だがその聖なる使命のために、わたしはゼウスの大鷲にまたがり、海と大陸
  を越えて永遠の都ローマへ飛んだ。わたしの使命は、新しいコスモスを誕生
  せしめる神婚の仲立ちをするために、さしあたりヨーロッパのへそ石を訪
  れ、そこからアジアのへそ石につながる秘密の道を探ることだ。もしアリア
  ドネーの導きの糸がなければ、わたしは迷宮のなかに踏み迷ったまま牛人に
  よってひき裂かれたことであろう。ヴァレリーとニーチェこそはわたしを、
  聖なるミュステーリアの戸口へと導いたのであった。そこから先わたしがた
  どったのは、オルペウスが必死に歌いつつ冥界にくだって死の女神ペルセポ
  ネーに会い、ふたたび奇跡的に地上に帰りきたあの神秘の道、ディオニュー
  ソス、アポロン、そして何よりもゼウスの加護なくしてはたどりえぬあの恐
  るべき幽冥の道であった。   
                            [終わり]






古典と現代

97/02/27 01:02




      古典と現代 / 佐藤 三夫   

     大村さん、こんばんは。   
    
    先のわたしの大村さん宛のコメントで一箇所ミス・プリがありました
  ので訂正させていただきます。真ん中から少し後の方です。
  >>この絵がルネサンスに描かれたのは、ルネサンスに展開したヒューマニ
  ズムと関連しているからです。Humanismはヨーロッパの古代解であり<<
  とありますが、これは文章を入れ換えているうちに行が消えたりしたため
  に、理解不能な文になってしまいました。この>>Humanism<< はの所の
  文章を次のように訂正させて下さいますよう。
  >>Humanismはヨーロッパの古代から今日にいたるまでの基本的な人間観
  であり、教育観であり、文化観であります<<

    それから、先ほどのわたしの話は「古典」に関する大村さんの質問
  に十分答えていないのでないかと思われまして、それに関する話を続け
  させて下さい。、大村さんは「「古典が良い」と言うなら、「現代も良
  い」と言わないとバランスが取れないんじゃないかな、と私は思うんで
  す」と言っておられます。もっともな点があると思います。現代において
  も古典的な作品があればですが。つまり現代においても古典的という価値
  判断は可能かと問題があります。
    日本語で「古典」と言うと「古」いという字が使われているため、大
  村さんのような疑問が生まれると思います。しかしわたしはこの言葉を、
  たとえばフランス語の>>classique<< というような意味で使っておりま
  す。フランス語の辞書Petit Robertによると、この言葉の意味は、
  1. 模倣されるに価する。2. 教室で教えられる。3. 教育や文明の
  基礎とみなされたギリシャ・ラテンの古代に属している。4. 古代人
  の模倣者であった17世紀の偉大な著者たちに属している。ロマン
  主義に対立したもの。
  と記されております。わたしはこれらすべての意味を含んだものと
  してこの言葉を用いております。4番目の意味のところは、イタリア
  では主としてルネサンスということになるかもしれませんが。
  つまりこれらを総合すると、古典とは普遍的に典拠となしうるもの
  を指すことになるでしょう。普遍的とはたとえば国がことなろう
  が、民族が相違しようが、時代が異なろうが、階級や性別が異なろ
  うが通用しうる、ということです。
    古典主義文化は地中海地方を中心として展開されました。そし
  て古代ギリシャ・ローマから、だいたい18世紀にいたるまでヨーロ
  ッパ文化の大黒柱となりました。その流れは19世紀から今日にまで
  およんでおります。ホメロスが生まれたのが紀元前9世紀ごろと言わ
  れていますから、それ以来約3,000年近い間ヨーロッパ文化の中核を
  なしてきたわけです。この古典主義と対立する文化としてロマン主義
  文化がありますが、これは大体18世紀に展開し、19世紀に支配的と
  なった文化で、主としてイギリスやドイツなどのゲルマン系の民族に
  おいて強い影響力をもった文化です。
    日本が明治に開国した折りに欧米の文物を輸入しましたが、その
  輸入されたほとんど大部分がこのロマン主義文化だったのです。この
  ロマン主義文化は古典主義文化のアンティテーゼ的な性格をもってい
  ます。およそ2,500年から3,000年近くヨーロッパ文化を支配した古
  典主義文化こそ固有の意味でヨーロッパ文化と言えるのでしょうが、
  それへのアンティテーゼとしてのロマン主義文化は、反ヨーロッパ的
  文化とさえ言えるのでないでしょうか。実際、19世紀にはヨーロッパ
  殊にフランスにオリエンタリズムが展開し、日本の浮世絵などがもて
  はやされたりしました。このようなことは古典主義文化には考えられ
  ないことでした。つまり現実に非ヨーロッパ化、反ヨーロッパ化が、
  北ヨーロッパを中心として展開されたのです。
    文化が古典主義からロマン主義へ変わるのと期を一にして、それ
  までヨーロッパのはずれの田舎とみなされていた大西洋沿岸が歴史の
  表舞台に登場し、資本主義的経済体制が北ヨーロッパ、殊にイギリス
  を中心として展開しました。そして日本が開国した時、ヨーロッパは
  高度資本主義時代に入っておりました。日本はそうした非ヨーロッパ
  化したヨーロッパを、本来のヨーロッパの在り方とみなして模倣した
  のです。この先入観念は固定化されて今日におよんでおります。それ
  ゆえ多くの日本人は、ヨーロッパの国々の文化をロマンティックなも
  のだという幻想を今もって抱いているのでないでしょうか。これは根
  本的な錯覚です。
    明治の時にヨーロッパから輸入した文学の影響のもとに新体詩
  ができましたが、その傾向はロマン主義でした。そして古典主義文
  学の影響は、つまり固有の意味でのヨーロッパ文学の影響は今日に
  いたるまで、日本文学にはほとんど無縁なものとして省みられませ
  んでした。
    ヨーロッパでは19世紀末からしだいにロマン主義への批判が展
  開し始めました。文学史ではボードレールなどはロマン主義者の中
  に入れられておりますが、彼は古典の影響も強く受け、古典主義復
  興の先駆的文学運動であったパルナシアン派(高踏派)の運動にも
  加わりました。マラルメがいかに古典主義的であるかは彼の主著
  『半獣神の午後』L'Apre`-Midi d'un faune を開けば歴然たること
  でしょう。そしてポール・ヴァレリーは言うまでもありません。ロ
  マン主義やその半身である自然主義に対して決定的に批判的態度を
  とったのが超現実主義者たちでした。日本の『詩と詩論』はその流
  れの中にあるのです。しかし第二次大戦の後、日本の詩壇はふたた
  びロマン主義や自然主義の中に埋没して今日にいたっているのでは
  ないかとわたしは懸念しております。わたしが古典尊重を説く理由
  の一端は、こうした日本の現代詩の在り方への批判がこめられてお
  ります。新しい時代が今まさに開かれようとしている時に、日本の
  詩人たちは新しい文化がいかにあるべきかという問題に正面から取
  り組んで、予言者として社会の灯台となることなく、社会に閉ざさ
  れた特殊部落をつくって、ただ好事家の手慰みをやっているのでな
  いだろうかと、不安な気持ちでいるのです。
    もう一度ルネサンスが必要なのでないでしょうか。詩人はその
  文化革新運動の先頭に立つべきではないでしょうか。そうしたメッ
  セージをその作品を通じて社会へ投げかけるべきではないでしょう
  か。そうした場合、どのような新しい文化のヴィジョンが可能で
  しょうか。今までの歴史の転換期には、きまって、すぐ前の社会の
  文化体制に対しては批判的に、そしてそれを飛び越えた以前の文化
  体制が新しい展望のモデルとして採用されてきました。とするなら
  ばわれわれの場合、すぐ前の社会の文化体制がロマン主義的・自然
  主義的なものであるなら、それに対する批判的態度を取ることによ
  って、それを飛び越えた以前の社会の文化モデル、つまり古典主義
  的文化モデルこそは、きわめて参照される価値のあるモデルの一つ
  でないかとわたしには思われるのです。その具体的な詩作品の一つ
  が、このフォーラムの1番会議室にわたしが初めて投稿した「プロ
  メテウスと鷲」という詩劇でした。まだどなたからもその作品につ
  いてのコメントをいただいておりませんが。まあ気長に少しずつ作
  品とエッセーを通じて、わたしのメッセージを発表していきたいと
  思っておりますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。
    それから「イタリア」という作品群は、わたしが初めてローマ
  大学へ留学した折り、現地での生活のなかで制作したものです。未
  成熟のところが多々あると思いますが、当地での実感の上で制作さ
  れただけに、懐かしい思い出がこめられております。
    たいへん長く書きましたが、大村さんのお話が面白かったもの
  ですからついつられて話し込んでしまいました。また愉快で有意義
  なお話を聞かせて下さいますよう。





ロマン主義と前衛詩

97/03/05 00:27





     ロマン主義と前衛詩 / 佐藤 三夫

    フランチェスコ・パオロ・メンモの『パラッツェスキを読むことへの
  招待』(Francesco Paolo Memmo:  Invito alla Lettura di 
  Palazzeschi, Milano, 1976)の中に、未来派の創始者マリネッティ
  が、アルド・パラッツェスキについて述べた文章が引用されている。「パ
  ラッツェスキは、墓地、病院、修道院、死んだ街の路地というような、人
  間的悲しみを示すあらゆる地帯に入りこむ。だがラマルティーヌ、レオパ
  ルディ、ボードレール、ヴェルレーヌ、ローデンバッハ、メーテルリンク
  という、これらの場所のあらゆる聖なる守護者たちに、皮肉に笑って別れ
  を告げた後にそうするのだ。パラッツェスキの才能は、愛、死、理想的女
  性崇拝、神秘主義等のロマン主義のあらゆる聖なる動機を打ち倒す残酷な
  破壊的風刺を根底にもっている」。
    メンモの言うように、パラッツェスキとマリネッティの間には出発点
  においてしか共通するものがなかったにせよ、その出発点が「19世紀的・
  ロマン主義的な文学的偶像とブルジョワ的なイデオロギーおよび制度を打
  ち倒すという激しい意志」であったということは、注目されるべきであろ
  う。
    わが国の近代詩は、島崎藤村以来決定的にロマン主義的傾向によって
  支配されてきた。『詩と詩論』以来のいわゆる前衛詩は、ロマン主義と自
  然主義への批判の上に展開された。春山行夫、北川冬彦、安西冬衛、瀧口
  武士、竹中郁、上田敏雄、北園克衛、西脇順三郎、瀧口修造、山中散生、
  近藤東、村野四郎、左川ちか、安藤一郎等々がそうした前衛詩の担い手で
  あった。しかし戦争が前衛詩を解体させてしまった。北園克衛でさえその
  『郷土詩論』(昭森社、昭和19年)において、「大東和主義」と「民族
  主義的理念にもとづく文化の再建」を理想として掲げ、「愛国詩運動」と
  して「郷土詩」を標榜した。敗戦とともに北園はそうした前非を悔いたの
  か、E. E. カミングスなどの影響もあって、かたくなに主知主義的傾向へ
  向かい、ロマン主義的情緒や生理的心情吐露をいっさい廃して、独特な硬
  質のイメジの構成による詩をめざした。さらには、西脇順三郎の「旅人帰
  らず」のような詩に対してまで、そのロマン主義的後退を非難した。しか
  し戦前戦後を通じて、主知的な古典主義的傾向を貫き通そうとした代表的
  詩人は、西脇順三郎であったと思われる。
    戦後の日本の詩において、『新日本文学』系の詩人たちはロマン主義
  的・自然主義的傾向に傾いた。『荒地』派はその名前をT. S. エリオット
  から借りたにもかかわらず、詩の実体はエリオットの主知的・古典主義的
  傾向とは離反したロマン主義的なものであった。>>Vou<< という雑誌を
  安藤一郎などが始めて、『詩と詩論』以来のモダニズムを吸収しようと企
  てた。しかし『詩と詩論』のような文化革命を意図したものとは異なり、
  かなり軽薄なオシャレな装飾的な言語遊戯的な詩に堕していった。
    北川冬彦は『詩と詩論』において「新散文詩運動」を主張したところ
  から春山行夫と意見を相違して、やがて独立して『詩と現実』誌を創刊し
  たが、また『時間』をも発行した。戦後になって北川は『時間』を復刊し
  て、ネオリアリズムをその主張とした。彼自身の詩はともかくとして、そ
  の同人たちの多くはネオリアリズムのあいまいな定義のもとに、たぶんに
  自然主義的な詩を書いた。その中にあって藤富保男は独特な抽象的詩を展
  開し、異色な存在であったが、やがて『時間』を離れた。
    『列島』は左翼系の詩人たちがよりどころとしたが、『新日本文学』
  系の詩人たちと関根弘のように未来派や超現実主義をも取りこもうとする
  一派とに分れていた。しかし大方はロマン主義的・自然主義的傾向をつよ
  くもっていた。『日本未来派』はイタリアの未来派から名前だけ借りなが
  ら、実質は異なったものであるが、その名前の前衛性からしてロマン主義
  的・自然主義的流れを超克したであろうか。最近の諸派は、英独仏などの
  新傾向を取り入れた流れがあってもうわべだけで、モダニズムをさらに
  浅薄化した支離滅裂の言語遊戯の詩か、ロマン主義的・自然主義的傾向の
  詩かに大別される。
    こうして結局、わが国においてはパラッツェスキ、あるいは超現実
  主義者たちが行なったようなブルジョワ的なロマン主義への決別なるもの
  は、今もってなされていない。試みにその辺にころがっている詩集や詩の
  雑誌を手あたりしだいに広げてみるとよい。うんざりするほどロマン主義
  的気分にひたった、行分けしただけの「散文」に満ちみちている。
    もともと古典主義的詩への反動からロマン主義的詩が展開した。そし
  てロマン主義への反動は、20世紀のヨーロッパ文学において、古典主義
  への回帰をもたらした。すでに19世紀のなかばごろに起こったパルナシ
  アン(高踏派)の運動から、マラルメ、ヴァレリーなどにおいて、後に
  はエリュアールやアラゴンやコクトーなどにおいてさえ、またT. S.エリ
  オットやT. E. ヒュームなどにおいて----。またウンガレッティによる
  ペトラルカの再評価はその典型的な例であろう。あるいはクワジーモド
  によるギリシャの古典詩の翻訳を見るがいい。つまり前衛詩と古典詩と
  が調和的に一致したのだ。
    20世紀の詩のこうした重大な転換を、日本の今日の詩人たちはど
  う受けとめているのだろう。おそらく受けとめるべき基盤をもってい
  ないのではなかろうか。なぜなら彼らは、ヨーロッパの古典詩の伝統に
  ついて何も知らないのだから。それどころか、日本の古典的短歌や俳句
  についてさえ知らないのだから。かれらは古典詩への反逆を前衛と思い
  こんだ。だがまさにその傾向こそはロマン主義にほかならないのだ。
    パラッツェスキは代表的な反戦詩人だった。民族主義はロマン主義
  の特徴なのだ。コスモポリタンであったペトラルカが、星々や山河や海
  に感嘆するよりも、「わたし」自身をかえりみるべきことを覚ったとき
  から、ルネサンスの叙情詩が展開した。そのようにパラッツェスキも、
  個人主義者であるとともにコスモポリタンであった。詩的共同世界はユ
  ートピアであって、俗世間的な共同体から解脱しない限り到達できな
  い。ダンテやペトラルカ、そしてパラッツェスキが故郷喪失者であった
  ことは偶然であろうか。しかし「わたし」に沈潜して、わたしの心情
  吐露だけで終わる詩法はロマン主義の詩法である。古典主義にあって
  は、「わたし」に沈潜しても、「わたし」の底を突き破って「わたし」
  を超越し、普遍的な永遠の故郷、つまりプラトンの言うウシアを求める
  のだ。このウシアは、詩的共同体にほかならない。そして詩的共同体は
  民族共同体などとは本質的に異なって、むしろコスモポリタン的なもの
  である。こうして20世紀にふたたび展開し始めた古典主義は、コスモ
  ポリタン的前衛詩となったのである。

---------------
  上記のエッセーは、『詩学』昭和58年(1983年)2月号(第38巻第
  2号)所収の「シニカル時評----ロマン主義と前衛詩」の文章に筆を
  加え、修正したものである。






詩人またはオルフェウス

97/03/22 01:37





     詩人またはオルフェウス / 佐藤 三夫


    詩人とは本来いかなるものかということへの問いは、間接的に詩の本質
  をあらわにすることになる。詩人の本源的な在り方としては、われわれはい
  くつかの神話形象を思い浮かべる。たとえば詩神ディオニューソス(バッコ
  ス)、あるいはアポローン、あるいはムーサイ(詩の女神たち)、そしてオ
  ルフェウスなど。しかし歴史上、ディオニューソスとオルフェウスとは関連
  して語られてきた。ヘロドトスの『歴史』(II, 81)によれば、オルフェウ
  ス教とバッコス教とピュタゴラス派の戒律には一致したものがあるという。
  エルヴィン・ローデはその『プシュケー』の中で、「ギリシャのオルフィッ
  ク教徒たちが実際、生命と死の主ディオニューソス崇拝をしたという事実
  は、それらの真っただ中に起源をもった残存する神学的詩によって明らかに
  示されている。オルフェウス教派の創立者としてのオルフェウス自身は、ま
  たディオニューソス的入社式-秘儀の創立者でもあったと実際言われてい
  る」と述べている(Erwin Rohde:  Psyche, translated by W. B. Hills, 
  New York, Harper & Row, 1966, vol. II, p. 335)。そこでここではオ
  ルフェウスを中心に、詩人の在り方と関連させて見てみたい。
    ディオニューソス崇拝はもともとトラキアの農民の祭から由来した。と
  ころがローデによれば、「アテネがオルフィック教の中心である」。そこか
  らもともと農民の祭のディオニューソス崇拝がギリシャに入ることによって
  都市化してオルフェウス教となったと推測される。ディオニューソス崇拝の
  核心は、ニーチェが『悲劇の誕生』で問題にしたように、合唱舞踏の共同体
  であった。ディオニューソス崇拝が都市化してオルフェウス教となるととも
  に、この共同体にある分裂が起こったことが考えられる。その過程をニー
  チェは、ギリシャ悲劇の展開過程において共同体が分解し、祭の祭司が舞台
  の上で仮面をかぶった俳優として登場し、コーラス共同体は舞台のわき役へ
  退いてゆく過程として示した。つまり共同体が分解して個人が析出されてき
  たのである。それとともに宗教的祭式は芸術へとしだいに変化してゆく。そ
  してオルフェウス教やピュタゴラス派は都市の商人層などを中核として広ま
  っていったことが考えられる。そのようなものとしてオルフェウス教はワッ
  トマーが言うように当時における一種の宗教改革だったのかもしれない(
  J. R. Watmough:  Orphism, Cambridge, 1934, p. 21)。
    オルフェウスのギリシャ語における語源は、一つには「影」を意味する
  語につながると言われている。また「オルフォス」とか「オルファノス」と
  いうことからは、「見捨てられた人」また「孤独な人」(ラテン語のorbus)
  を意味すると言われている。そうしてみると、ディオニューソスが共同体
  の象徴であったのに対し、オルフェウスは共同体から見捨てられて孤独と
  なったディオニューソスの祭司とでも言えようか。つまりはアルチュール
  ・ランボーの詩の名前を借りれば、「洪水以後」の詩人の象徴とも言えよ
  う。W. K. C. ガスリーの『オルフェウスとギリシャ宗教』によれば、「オ
  ルフェウスは、その起源が何であったにせよ、人間的預言者にして教師と
  して歴史に現われる」(W. K. C. Guthrie:  Orpheus and Greek 
  Religion, New York, 1966)。孤独となった「人間的預言者にして教
  師」、これが個人としての詩人の在り方でなかろうか。彼が何を預言し教
  えるのか。それはふたたび「洪水」がやってくること。そのようにして
  ディオニューソス神、つまりは共同体が復活すること。
    オルフェウスの地獄へ降りてゆく伝説はひろく知られている。そこで
  は、オルフェウスが竪琴をひきながらうたう歌は、魔術的な力をもってい
  るものとされている。その歌は病気をいやし、獣や人間を魅惑し、そのよ
  うにしてアポロンやディオニューソスの嫉妬をかうことになる。ところが
  詩人はその妻エウリディケーを失い、神々の特別の恩恵によって、生きた
  ままで地獄に妻を探しにゆくことが許された。だがある定めにうっかりし
  たがわなかったので、彼は妻を連れ帰ることができずに、ただひとり黄泉
  の国から上って来なければならなかった。
    なるほど洪水以後の詩人が竪琴を手にして歩く世界は、夜と奈落であ
  る。世俗の光に彼を照らして見るならば、彼は影法師にすぎない。そこで
  は彼は、地位や財産はおろか、生命を維持することさえ保障されない法外
  者である。時として土着の民から飛礫を投げ打たれる浮浪者であり、乞食
  であり、道化師であり、傀儡師であり、呪術師であり、巫女であり、遊女
  であり、芸人であり、マタギであり、香具師であり、行商人であり、狂人
  等々であり、つまりは「見捨てられた者」である。この世の光に照らして
  みると、彼がその言葉によって作り上げた世界は、金紙の太陽、はりこの
  虎、でく人形等々の寄せ集めよりももっとはかない虚妄の世界である。そ
  れゆえ彼はこの世からたたき出されて、やむなく夜と奈落の世界へ入って
  ゆく。彼はそこで彼の失われた生命を復活させるほかない。そして彼にと
  って失われた世界をも。
    だがひとたび夜がきて、世俗の舞台が裏返されると、彼はたちまち豪
  奢な想像の宮殿に住まう王者となる。彼は地獄の獣たちを涙にむせばせ、
  死の女神をとりこにする。そこでは、彼のくちびるをもれる言葉はすべて
  宝石のように輝く物となる。彼が息を吹きこむと、塵は小さな渦を巻いて
  立ち上がり、新聞紙は踊り、立木は頭をふりながら黒い血を吐きだす。そ
  してついには、この世の裏側で天国と地獄とが結婚するところまでゆく。
  彼がこの世において奪われた生命と世界をこのようにして復活するとして
  も、それはこの世を陰画によって写しだす仕方においてである。つまり、
  彼の言葉はすべてを逆さに写す魔法の鏡だ。隠れたものは現われ、罪人
  は許されて天国を得、病人は癒されてとびはね、貧者は満ちたりて歌い、
  虐げられた者は王者となる。詩人は現実の世界から疎外された者たちにユ
  ートピアをあたえる。彼はつねに被抑圧者の味方であり、彼らに楽園の地
  図を描いてみせる。このようにして彼は、この世全体の審判者となり、ま
  た新しい世界を創造する神の代理人の役割を引き受ける。だが彼がふたた
  びこの世俗の世界に立ちもどるとき、彼は何ものも連れ帰ることが許され
  ない。彼の手に親しげであったものはもはや何もなく、彼の姿は依然とし
  て影法師のままである。
    詩人は、この世の支配者を擁護する世俗化した宗教のもとでは、いつ
  も涜神のかどで告発されてきた。民衆を宗教の阿片によって手なづけよう
  とする為政者にとって、詩人はつねに法と道徳の敵とみなされる。なぜな
  ら、政治家の利用する神話が彼の望む現実の秩序を擁護するためにあるの
  に、詩人の創りだす神話はそれを破壊することになるから。プラトンがそ
  の国家の中からホメロスとオルフェウスの徒、つまり詩人を追放したの
  も、同じ告訴状のもとにであった。その意味では詩人と世俗的政治家とは
  対立概念である。
    詩人の語る言葉が何らかの政治的党派に利するとしても、それは表面
  的なことにすぎない。詩人は世俗的な人間の言葉を語っているのではない
  からである。詩人は世俗的な人間の利害関係からあらかじめ締め出されて
  いるからである。それゆえ、詩人の言葉の秩序は、世俗の人がとりきめた
  利害伝達の秩序を超え出ることになる。むしろ世俗的な言葉の秩序の破綻
  から、詩人は聖なる世界創造の言葉に立ちもどる。
    もっとも世俗的な言葉も、慣習的な秩序のままでは意思伝達が困難と
  なるような時代がある。それは危機の時代である。相容れない利害関係に
  ある人間間の対立が一般化するような時代である。そのとき現存の秩序を
  擁護することしかできない哲学の論理は挫折する。なぜなら、普遍的な秩
  序は現実の世界のどこにももはやないからである。そしてそのとき、あら
  かじめ利害関係の外におかれた詩人の言葉が、アリアドネの糸のように人
  間をみちびくものとして見なおされる。詩人は歴史の預言者とし立ち現れ
  る。
    詩人は果たして人間にのみ語る者であろうか。だがオルフェウスの歌
  は冥府の獣や岩をも涙させた。中世のオルフェウスと言われたアシジのフ
  ランチェスコは、狼や小鳥たちに説教した。その弟子の聖アントニオは魚
  たちに説教した。詩人がすべての人間的秩序、さらにすべての存在するも
  のの秩序の外に見捨てられた影法師であればこそ、彼は存在するもののす
  べてを、つまりは世界を、その存在そのものにおいて語ることができる。
  それゆえ、詩人のみが、存在・世界・人間について、その本来あるがまま
  の姿において語ることができるのだ。ただし詩人はたとえ自己を語る場合
  でも、いわゆるナルシストとして語るのではなく、オルフェウスの徒とし
  て語る。なぜなら、彼は自分の言葉を語るのではなく、存在の声を、世界
  の声を語らされるのだから。彼はシューリンクスの笛のように、おのれを
  むなしくしたときにのみ、真に歌うべき詩を歌わせられるのだ。詩人とい
  う一管の笛を通して歌うのはディオニューソスであって、詩人個人ではな
  い。それゆえ、まことに「ナルキススの杖をもつ者は多けれど、オルフェ
  ウスの徒は少ない」。詩人がしたがうのは人間の声にではなく、ただ存在
  の声にである。
    ちょうどダンテがウェルギリウスにみちびかれたように、詩人は深夜
  存在の声にみちびかれ、人間の臭いのするすべての衣服をぬぎすてて、魂
  の墓場である肉体からも抜け出して、影法師となり、生きたままこの世か
  ら奈落へとただひとりさまよってゆく。彼の竪琴にあわせて歌うこだま
  が、鏡にさざ波をたてさせる。そしてはるか冥府の底に眠るディオニュー
  ソスを目覚めさせて地上へ連れもどそうと、詩人は死と復活の秘義の歌を
  うたう。

                           佐藤 三夫






「詩とは何か」の問題へのアプローチ

97/04/09 03:01




    「詩とは何か」の問題へのアプローチ / 佐藤 三夫


    Dr.Jacoさんがこの部屋の#00145の発言において、「「詩」
  とは何かのご意見募集!」ということを提案なさったので、これから折り
  に触れてわたし自身の考えを披歴しようかと思うが、今回はその前提条件
  についてだけごく簡単に触れておきたい。
    「詩とは何か」という問題を、詩作の経験が浅く、詩に関する読書の
  経験も浅い人が語るとしたら、彼個人の詩もどきについての独断に満ちた
  思いつき的発言を出ることはむずかしいであろう。つまりその発言は錯誤
  に満ちた偏見を出るものではないであろう。われわれが単なる個人的主観
  的印象を越えてその問題について発言しようとするならば、先ず「詩」と
  して普遍的に承認されてきた古典的作品を数多く読むことから始めるのが
  最も妥当な方法ではなかろうか。その場合、日本においては詩の歴史は、
  短歌や俳諧や漢詩を除いて、わずかに100年しかないことを、それも西洋
  の詩の模倣から始めたことを、深く考慮しなければならないだろう。とこ
  ろが西洋においては、ホメーロスの時から数えても詩の歴史は約2500年
  におよんでいるのである。この2500年の歴史の中で泡のように消えていっ
  た作品は数限りなくあったろうが、その中で普遍的に詩としての価値を認め
  られた作品が詩の古典である限りは、詩の古典を味読せずに「詩とは何か」
  の問題について発言するなどということは、まったくばかげたことではなか
  ろうか。
    しかし詩の古典の若干を読んだとしても、文化的伝統のほとんどまった
  く異なった西洋の作品の理解は、やはり独断と偏見に陥る危険性をたぶんに
  もっているであろう。そこで第二の方法として、西洋における文学研究の第
  一人者による詩論を数多く読んでみることが必要であろう。「数多く」と言
  うのは、「賢者は一冊の書物の人間を恐れる」と諺にも言うように、毛沢東
  語録さえ読めば文化人になれるとかいうたぐいの「鰯の頭も信心」という盲
  信者にならないためである。西洋の詩の古典をたくさん読むという第一の方
  法は、個人個人が自分の責任においてしない限り致し方ない。しかし第二の
  方法については、第三者によっても紹介の形である程度おこなうことは可能
  であろう。そこでこれから折りに触れてわたしは紹介を試みようかと思うの
  であるが、これも私自身の判断を媒介してのことであるので、できるなら原
  典にあたって読んでいただきたい。便宜上翻訳のあるものは、翻訳を通じて
  紹介しようかと思う。また時には8番会議室「白の庭園」に、わたしの翻訳
  を掲載しようかとも思う。また他の方々も同様な試みをされてはいかがであ
  ろうか。たがいに啓発し合って有意義な結果を得られるのであろう。
    今夜のところは予告だけということで、次回から掲載する予定である。






J. M. マリー『小説と詩の文体』

97/04/10 23:49


 (長文注意)


     J. M. マリー『小説と詩の文体』について / 佐藤 三夫

    (1)ロマン主義者マリー
    わたしがJ. M. マリーの名前を最初に知ったのは、T. S. エリオットの
  「批評の機能」The function of criticism というエッセーを読んだ時で
  ある。エリオットの言うには、「古典主義とロマン主義についてのマリー氏
  の定式化にわたしは同意することができない。その相違はむしろわたしに
  は、完全なものと断片的なもの、成熟と未成熟、秩序あるものと混沌とした
  ものとの相違であるように思われる。しかしマリー氏がまさに示すことは、
  文学に対し、またあらゆるものに対して少なくとも二つの態度があるのであ
  って、諸君はその両方の態度をとることはできない、ということである」
  (T. S. Eliot:  Selected Essays, London, Farber and Farber Limited, 
  third enlarged edition, 1951, p. 26)。
    そこでマリーが選んだ態度はロマン主義であった。さらにマリーの主張
  するところによると、「カトリック教の教義は、個人の外に疑問視されない
  精神的権威の原理を擁護する。それはまた文学における古典主義の原理であ
  る。----イギリスの作家、イギリスの聖職者、イギリスの政治家は、その
  祖先からいかなる規則をも受け継がない。彼らはただ次のことだけを受け継
  いでいる。すなわち、彼らは最後の手段として内心の声にたよらなければな
  らないという考えである」(Ibid., pp. 26-27)。
    カトリック教の教義が古典主義的であるのならば、「最後の手段として
  内心の声にたよらなければならない」というイギリス人の考え方はプロテス
  タント的であろう。この宗教をも巻き込んだ文学的様式の分類には、ある程
  度客観的根拠がある。実際、古典主義文学が栄えたのはイタリアやフランス
  のようなラテン系のカトリック教国においてであり、ロマン主義文学の中心
  はゲルマン系のプロテスタント国においてであった。こうしたことはすでに
  19世紀初めにスタール夫人がその『北方文学』De la litterature du nord
  において、先駆的に明らかに論じたところである。
    わたしがこれから批判的に紹介しようと思うJ. M. マリーの『小説と詩
  の文体』(J. Middleton Murry:  The Problem of Style, Oxford 
  University Press, 1925.  両角克夫訳、ダヴィッド社、昭和32年。表題
  は両角氏の訳にしたがう)における両角氏の「訳者の言葉」によれば、「マ
  リーの立場は、宗教的なものを混じた新しいロマン主義であった」(同訳
  書、p. 226)。マリーの文体論を検討してみると、まさにこのプロテスタン
  ト的ロマン主義の典型的特徴をそなえているように思われる。

    (2)読者無視の文体論
    マリーによれば、「文体」という言葉には三つの異なった意味がある。
  「個人の特異性としての文体、表現技巧としての文体、文学上の最上の成果
  としての文体、の三つである」(訳、p.18)。
    第一の意味については、「<文体>は著者を判別する基本となる表現上
  の個人的特異性を意味する。----人の書いたものをそれと分かるようにす
  るものは何でもその人の文体の中に含まれている」(訳、p. 13-14)。結
  果的にみると、これはきわめて平凡な事実を記述したように見える。しかし
  著者がその文体を形成するには必ず学習の過程があるはずであろう。つまり
  彼は多くの文章の学習を経た上で、ある特定の文体を形成していったのであ
  る。それゆえ、クインティリアヌスがその『修辞学提要』Institutio 
  oratoriaeを児童の教育の仕方についての議論から始めたのは妥当であっ
  た。そして児童が学習した多くの文章、あるいはさらに多くの文体は社会的
  現象であって、彼はそうした社会的文脈の中で徐々に表現上の特異性を形成
  していったのであろう。マリーにはこうした「表現上の個人的特異性」の背
  景にある社会的文脈への視点が欠けているように思われる。それゆえ「個人
  的特異性」のみが孤立して問題にされることになる。そしてそのこと自体、
  プロテスタント的ロマン主義の特徴と言えるのでなかろうか。
    第二の表現技術を意味する<文体>に関して彼は、「それは一連の観念
  を明確に表現する力のことである。この意味での文体は、本来知的な観念の
  説明に適応されうるのみであろう。----小説家や詩人は、(哲学者やエッ
  セイストと違って)観念は全く持っていないのであって、知覚、直観、感情
  的信念を持っているのである。次に、彼らが真の知覚をもっているという唯
  一の確証は、それらの知覚内容が、その特徴そのままに、我々に伝達される
  という事実である。そのような場合には、その文体の良し悪しを云うのは間
  違いやすいことであり、その小説またはその詩は固有の長所を持っているの
  である」(訳、pp. 15-16)と言っている。
    そして「守らなくてはならぬある種の一般的規則があることは確かであ
  り、すなわち曖昧であってはならず、破格をさけ、文法的にかなり正しいも
  のでなくてはならぬ。----だからといって文法や作文においていかに正確を
  期しても、それは表現の技巧という点においてすらも、明確な文体を作るた
  めには不充分であることは確かである」(pp. 16-17)と言っている。つま
  り彼は第二の意味での<文体>には批判的な態度をとっている。
    「文体とは外からつけ加えた装飾であるという考え方はたしかにヨーロ
  ッパのさまざまの修辞学の伝統の中ではじまった」(p. 21)と彼は言う。
  彼によると、文体が独立したものだとすると、それは装飾にほかならない。
  「しかし大家たちの時折の言辞は、次の点で意味深い。それらは皆同じ方向
  を指している。すなわち文体の直接的な性質のみを強調し、技術的または技
  巧的な要素を全く無視している。----大家たちの教訓は真に一致している。
  感じ、見よ、そうすればその他は諸君のものになるであろうと、彼らは異口
  同音に言っているのだ」(pp. 26-27)。
    これは要するに作家個人の感情的体験を重視する立場からの修辞学批判
  である。ここにもまたプロテスタント的ロマン主義の特徴を典型的に認める
  ことができるであろう。すなわち、文学作品を作者個人の主観的感情の面か
  らだけ捉えて、読者への配慮の面が無視されているのである。修辞学
  rhetoricaが弁論術oratoriaから派生したことは周知のことであろう。弁
  論術は聴衆を説得する術であろう。それゆえキケロはその『ヘレンニウス宛
  修辞学』Rhetorica ad Herenniumにおいてまず聞き手auditorへの配慮の
  問題から議論を展開している。「われわれは教化しやすい、好意ある、注意
  ぶかい聞き手をもちたいゆえに、どのようにしてそれぞれの状態がもたらさ
  れうるかを明らかにしよう」(Cicero:  Ad C. Herennium De Ratione 
  Dicendi (Rhetorica ad Herennium), The Loeb Classical Library,
  1977, p. 13)。
    聴衆を優れた仕方で説得するためには、弁論家はただ自分の思想や感情
  を吐露するだけでは不十分である。言い換えれば、自分の思想や感情を聴衆
  が納得する仕方で語る必要があるだろう。もし弁論家が自分の思想や感情を
  吐露するだけでこと足りるならば、修辞学は必要ないであろう。ところがも
  し聴衆の納得を得たいならば、聴衆の理解と同情を得るために、弁論家は聴
  衆の共感を得られる語り方を学ばなければならないであろう。そのとき修辞
  学の学習が必要となる。つまり、修辞学は話し手と聞き手との橋渡しをする
  役割を担う機能をはたすであろう。
    もしそうであれば、小説家や詩人が自分の知覚内容をその特徴のままに
  読者に伝達すればよいとするマリーの文体論は、片手落ちではなかろうか。
  その場合、読者の共感はまったく視野に入れられてないからである。つま
  り、読者なしでも小説家や詩人の仕事が成り立つかのようである。キケロの
  時代ならば、弁論家は目の前に聴衆を置いて語った。それゆえ、弁論家の言
  葉に聴衆が耳を傾けなければ、彼の仕事はその場で挫折した。中世の吟遊詩
  人たちにしても同様である。ルネサンス時代になっても、たとえばシェイク
  スピアの演劇は観客によって支持されて初めて成功した。そしてラテン系の
  国々においては、近代や現代になっても、それぞれの街々にあるアカデミア
  やサロンにおいて、聴衆の目前で詩が朗唱されてきた。それゆえ、これらの
  場合においては、詩人は修辞学を学ばずに詩をつくることは、剣術を学ばず
  に決闘に臨むようなものであった。
    いったい詩人はいつから修辞学を学ばずに詩をつくるようになったのだ
  ろうか。恐らくグーテンベルクによって印刷術が発明されてからでなかろう
  か。その時以後、詩人は自分の生きた声によって目前の聴衆に自分の思想や
  感情を伝達するのではなく、孤独な部屋で紙に文字を記し、その草稿を出版
  社にもちこんで、印刷されて書店で売られるようになった。詩人は読者との
  直接の交渉をもつことがなくなり、詩をつくることは孤独な密室の作業とな
  った。このようにして詩人はしだいに読者のことを忘れて、自分の思想や感
  情だけを吐露することに専念するようになったのでなかろうか。
    しかもグーテンベルクのころから、全ヨーロッパに宗教改革の嵐が吹き
  まくった。マルティン・ルターはカトリック教会に対して絶縁状を貼りだし
  て、「われここに立つ」と言って、わがうちなる神のみにすがることを宣言
  した。CATHOLICUSとは普遍的という意味であるが、この時から普遍的信条
  にそむくことをモットーとするプロテスタントが大量に出現した。彼らはこ
  の悪魔の支配する世に逆らって生きるために、ひたすら「祈りかつ働け」と
  いうことをモットーとして、禁欲主義的個人主義的生き方をつらぬこうとし
  た。そこから近代の資本主義の精神が涵養されたとマックス・ウェバーは述
  べている。グーテンベルクとプロテスタンティズムと資本主義の精神、これ
  らが三位一体的に作用して、詩人は自分固有の信条を吐露するだけの孤独な
  作業に没頭するようになったのでないか。この時、修辞学はもはや余計で無
  用なものとなった。
    しかしこうして永遠に修辞学は滅んだのだろうか。今日コンピュータ通
  信は国際的なネットワークにおいて展開されたが、そこにおいては詩人が
  ボード上に作品を登録すれば、ただちに読者の反響が返ってくる。ごく近
  い将来、コンピュータ通信は肉声を通じて交互に伝達をおこなうであろ
  う。歴史はくりかえす。詩人はふたたび聴衆の目前で詠うことをよぎなく
  されるであろう。そのようにして修辞学はふたたび詩人と読者を結ぶ掛け
  橋の役割をはたすであろう。修辞学無用論を説くマリーの文体論は、もは
  や時代遅れとなりつつあるのではなかろうか。
    さらに第三の意味における文体、絶対的な意味における文体は、「個
  人的なものと普遍的なものとの完全な融合」という限りにおいて、一見し
  たところ古典主義的な文体論と共通しているかに見える。しかしこれこそ
  は決定的にロマン主義的であることは、彼が挙げている具体的な例を見れ
  ば分かる。彼はマーローの次の詩句を引用している(p. 17)。
    「キリストの血が空に流れる場所を見よ」
    「美しきヘレンよ、口づけもて我れを不死ならしめよ
    彼女の唇は私の魂を吸い出す。我が魂の翔けてゆくところを見よ」。
  マリーは、「シェイクスピアでさえ、こんなふうに書くことはできなかっ
  たであろう」(p. 17)と言う。彼は「絶対的な文体とは、普遍的な意味
  を個人的な独自な表現の中に完全に顕現させることである」と言うが、上
  に引用されたマーローの詩句がなぜ「普遍的な意味を個人的な独自な表現
  の中に完全に顕現」させたものなのか、何の説明もなされていない。言う
  なれば、マーローのそれらの詩句が絶対的な文体の典型だというのは、マ
  リーの直観によるものであろう。だがそれはマリー個人だけに限定された
  直観にすぎないのであって、普遍性をもちえないということは決してない
  のであろうか。それは、「神の聖霊がわたしに下って、語りたもうた」と
  称して体をぶるぶるふるわせるプロテスタンティズムの一派の信徒の発言
  とどこか共通するものを感じさせる。彼は個人的神秘体験を普遍化して、
  それを絶対的文体と称しているのでないだろうか。
                           (続く)





RE:J. M. マリー『小説と詩の文体』

97/04/13 02:20


 (長文注意)


     J. M. マリー『小説と詩の文体』について / 佐藤 三夫

    (3)感情的なあまりに感情的な
    マリーは前回取り上げた文体の問題を要約して、「真の文体の根源は、
  それぞれの作家の固有の情的知的経験の在り方に求めるべきである----。
  非常に簡単に言えば、文体の真の特異性とは作家が言語を自分の経験様式に
  適合させることに成功した場合の結果であり、誤れる特異性とは言語が経験
  様式に対して生きた連関を失った場合に生じたものである」(p. 39)と言
  っている。
    次いで彼はこの「根源的感情」の概念を検討する。彼は「私は<感情>
  と<経験様式>とをあたかも同意語であるかのように用いている」(p. 41)
  ことを告白している。「たいていの人は、根源的な感情は叙情詩の発生にお
  いて第一の要因であったことに同意するであろう。詩人の存在に深刻な動揺
  があって、そのきっかけは現実世界における一つのものかあるいは事象--
  --であったりするであろう。この動揺する感情に対して詩人は表現を与
  えるのであり、その感情は単純なほとばしりを阻止されて、リズムと韻律
  との規則によって、感情的な反作用以上のものに高められるのである。動
  揺した存在に対する自覚的な抑制を重ねて主張する結果としてたいへん良
  い詩ができるとすれば、その詩のそれぞれの言葉は、論理的な意味におい
  てのみならずその暗示力においても、絶対的にその根源的な感情につらな
  るものであろうし、さらにその詩のリズムは調和的であろう」(p. 40)。
    この文章には、ある矛盾の弁証法的な展開が示されている。先ず動揺
  する感情が登場する。次いでその感情は何ものかによって阻止され、自覚
  的な抑制をよぎなくされて、リズムと韻律の規則にしたがう。最後に、そ
  の結果、単なる「感情的な反作用」以上のものに高められ、結局根源的な
  感情につらなる良い詩ができる。この弁証法の初めと終わりは確かに「感
  情」である。しかしその初めの「動揺する感情」を自覚的に抑制させるも
  のは何か。
    「動揺する感情」が自発的にリズムと韻律の規則を選び取るのだろう
  か。「動揺する感情」は自発的spontaneousにはただそのままのありよう
  を吐露するだけであろう。少なくとも「自覚的な抑制」は、「動揺する感
  情」とは質を異にした要因であろう。だからこそ「抑制」なのであろう。
  このように「自覚的な抑制」を感情に強い、リズムと韻律の規則を選ばし
  め、感情と対立する要因とは何か。それこそは知性ではなかろうか。つま
  り、「動揺する感情」は知性に媒介されて「単純なほとばしりを阻止」さ
  れ、それ自身にふさわしいリズムと韻律を選び取られ、「自覚的な抑制」
  を課せられることによって単なる「感情的な反作用」以上のものに高めら
  れ、その結果根源的な感情につらなる良い詩ができるのでなかろうか。ア
  ランによれば、「真の詩人はその律動を常に感情にもとづいて規制する。
  しかしそれは時としていわれるように、律動が屈従し、または歪曲される
  ような風にではない。全く反対に、詩型が絶えず動物的な動きに抵抗す
  る。かくしてあたかも荒波を見事に乗切る船のように、常に理知に支配さ
  れつつ、感動と律動とは同時に相互を肯定しつつ、共々に成長するのであ
  る」(桑原武夫訳、『芸術論集』岩波書店、昭和16年、p. 139)。実際
  この知性の媒介なしでは船は感情の荒波の中で難破してしまうであろう。
    しかしマリーはこの感情の弁証法において媒介項としての「知性」に
  ついては何も語らない。それどころか彼は詩作過程における知性の役割に
  ついてはつねに否定的な態度をとろうとする。彼は言う、「創造的な作家
  は、どんなに思索しても、彼の人生に対する態度は主として感情的であ
  り、彼の思想は、推論的であるよりもはるかに、感情を喚起した事物に象
  徴される、説明しつくせない感情を帯びている。感情をともなった彼の溌
  剌とした多くの知覚から、全体としての人生の本質に関する感覚が生じて
  くるのだ。人間界に滲透しているだいじな特質に対するこの感覚、この強
  調こそ、マシュー・アーノルドがその有名な、最高級の詩を判別する標準
  としての<人生の批評>において、明白にしようと努めたあの普遍性を
  ば、大作家の作品に与えているところのものである。----しかし、それが
  半ば比喩的なのを忘れてはならぬ。すなわち、偉大な創造的作家は、人生
  を批評しないのであり、それは批評は主として知的な活動だからである」
  (p. 44)。
    それではいったい、「普遍的な意味を個人的な独自な表現の中に完全に
  顕現」せしめるあの絶対的な文体を生み出させる「全体としての人生の本質
  に関する感覚」はいかにして形成されるのか。「大作家は実際上人生に対し
  て結論は下さないが、人生の本質を見分ける。彼の感情は互に補強しながら
  自らの中に徐々に感情の習慣を形成するのである。ある種の事物と事件は作
  家に特殊な重みと意味を印象づける。この感情の偏向または傾向が、私があ
  えて作家の<経験様式>と呼んだところのものである。過去の感情のこの奇
  妙な集積によってこそ、作家はその円熟期において、特殊なものに普遍的な
  ものの重みと力を付与することができる」(p. 45)。
    マリーはこうした彼の主張を裏付けるために、彼にとって「いつも無限
  に貴重に思われてきた」ワーズワスの次の一節を引用している、「すべての
  立派な詩は強力な感情が自発的に溢れ出たものである。だが、これが正しい
  としても、何らかの価値をもちうる詩は、どんな主題をとるにしても、『普
  通以上に有機的な感受性』をもちながらも、永く深く考えた人だけが作り
  出したものである。というのは我々の持続的な感情の輻輳は、たしかに
  『我々の過去のすべての感情の型』である我々の思想によって修飾され方
  向づけられるからであり、我々がこれらの一般的な感情の型を見くらべる
  ことによって人間にとって真に重要なものを発見するごとく、この行為の
  反復と持続によって我々の感情は大切な主題と結びつく」(p. 46)ので
  ある、と。
    この過度の感情の強調はすべてのロマン主義者の固有の特徴である。
  しかしこのワーズワスの金言にしてさえ、「これらの一般的な感情の型を
  見くらべる」作業は、感情自身によって可能なのであろうか、むしろそれ
  は知性によってのみ可能なのでなかろうか、と反論されえよう。そして
  「永く深く考える」ことは知性を媒介せずには不可能であろう、と。
    マリーは「推論的思考の役割は全体として小さいものである」(p.46)
  と言うが、たとえばポール・ヴァレリーはその『文学』Litterature の
  中で、「一篇の詩作品は、「知性」の祝祭であるはずだ」と言い、「相当
  正確な計算なしには、作品に価値はなく----作品は成立しない。りっぱな
  一篇の詩作品(poeme)をなすには、多くの正確な推理を必要とする」と
  言った。
    ワーズワスの影響を深く受けながら、マリーとは異なって知性の役割
  を重視した詩人にしてすぐれた詩論家としてハーバート・リードがいる。
  彼は次のように言っている、「芸術はすべて一種の直観または透視力のい
  となみから発生するものであるが、そうした「直観」または透視力は、意
  識的に客観化されたときにのみ完全に存在するものであるから、知識と同
  一視さるべきものなのである」(『文学批評論、増野正衛訳、みすず書
  房、1985年、p. 38)。そしてまた「詩は言葉の音調に依存するのみなら
  ず、より以上に言葉が呼びさます知的な反響にも依存するものなのであ
  る」(同上、p. 39)。
    ジャンバッティスタ・ヴィーコもその『現代の諸研究の方法』De 
  nostri temporis studiorum ratione の中で、詩作において知性が役立
  つことを説いている。彼によれば、詩人は想像力と記憶力が豊かな者たち
  なので、それらの精神的能力がしっかりと固まった後批判的学問 critica 
  が教えられたならば、詩的な事柄において寄与するところがある。「なぜ
  なら詩人は、イデアの、すなわち普遍的な真理をめざすからである」(
  Giambattista Vico:  Le orazioni inaugurali, il De Italorum 
  sapientia e le polemiche, Bari, 1968, p. 96)。また「今日たいそう
  称揚されている目的、すなわちイデアにおける真理、あるいは類的な真理
  も、詩的な事柄において特に有益であるとわたしは思う。実際、わたしは
  詩人たちが虚偽を特に喜ぶという意見をもっていない。それどころか、詩
  人たちも哲学者たちと同様に、その職務によって真理を得ようと努めると
  わたしはあえて主張するであろう。すなわち詩人は、哲学者が厳格に教え
  る事柄を、楽しませながら教えるのである。両者ともに義務を教え、両者
  ともに人間の習俗を描き、両者ともに人々を美徳へと駆り立て、悪徳から
  遠ざけるのである」(Ibid., p. 97)。
    さて、わたしの考えでは、詩が単なる感嘆詞の連続でなく、言葉の結
  合からなる限り、単なる感情の所産ではなく、知性に媒介された感情の表
  現であろう。知性が骨組となって感情を支え、構造化する。そのことによ
  って感情は深まり、劇的な律動をもつ。たとえば西洋の音楽と日本の音楽
  、あるいは西洋画と日本画とを比較すると、西洋の芸術に比して日本の芸
  術がかなり平板で浅薄な感を受ける。日本の伝統音楽には対位法というも
  のはないし、日本画には遠近法がない。対位法や遠近法などは、単なる感
  情の所産ではなく、きわめて知的な造形法であろう。日本の近代詩にして
  も西洋の詩と比較するとまったく単調で浅薄な感情の吐露と感じられるの
  は、知的彫琢がなされないがためではなかろうか。知性が脆弱であるがゆ
  えに感情も底が浅くなる。三味線や琴の演奏とオーケストラの演奏とでは
  感動の深味も豊かさも甚だしく異なるであろう。そして明治以後、西洋の
  ロマン主義が主要な文化的潮流として日本に移入されて、ますます日本の
  芸術は線のか細い、頼りないものとなり、今や瀕死の床にあるようにさえ
  感じられる。芸術の復興を期待するならば、感情だけに耽溺して満足せず
  に、感情を知性によって彫琢することを学ばなければならないのでないだ
  ろうか。そしてロマン主義を克服する道を模索しなければならないのでな
  いだろうか。
    マリーはボードレールの言葉を借りて、「作家の選ぶ筋は「生の深い
  意味が全面的にその姿を啓示するもの」となるであろう。この句における
  生とは作家の経験の世界を意味し、<その深い意味>とは彼の精神の上に
  最も正確で深い印象を不断に与えて来た事物や事件における共通要素であ
  る感情的特質を言う」(p. 48)のであると言っている。しかし作家の経
  験の世界は感情だけでなりたっているわけではない。たとえばジャン=ポ
  ール・サルトルがその『文学とは何か』で、作家がフランスの抑圧下のア
  ルジェリアについて書く代わりに、スイスのブルジョワの切手収集家につ
  いて書くとすれば、彼はそのことに関して責任を負わなければならないと
  言った時、この責任は単なる感情的経験の問題だけにとどまるものではな
  いだろう。
    しかもマリーは、リアリズムとロマン主義との間に本質的な相違が
  ないとしながら、「最大なる作家の多くは----私としてほとんどすべて
  の大作家と言いたかったほどだが----現実主義的でもありまたロマン主
  義的でもある。シェイクスピアがそうであったしチョーサアがそうであ
  った」(pp. 49-50)と言う時、わたしは驚きを禁じえない。シェイク
  スピアやチョーサーの時代にはリアリズムもロマン主義もなかった。
  シェイクスピアのソネットはペトラルカ風の古典主義の伝統を受け継い
  だものであるし、彼はまた当時翻訳されたプルタルコスの『ギリシャ人
  とローマ人との対比列伝』から決定的に影響を受けてその代表的な悲劇
  作品を書いた。それらはいずれもルネサンス・ヒューマニズムの影響に
  よるものであり、そしてルネサンスの文化はまさに典型的な古典主義文
  化であった。
                         (続く)

                           佐藤 三夫





RE:J. M. マリー『小説と詩の文体』

97/04/15 03:13




     J. M. マリー『小説と詩の文体』について / 佐藤 三夫

    (4)詩と散文との区別の問題
    「文体の真の個性は、我々がそれを必然的なものと感じ一貫した全体的
  な経験につらなるものと見ることができるかどうかによってためされる。も
  しこの関連が感知されるなら、文体のその特異性は必要だったのであり、ま
  た我々に感じられるあの根源的感情にはこうした表現だけが必要であったと
  いう確信がともなうであろう」(p. 73)。
    マリーは、彼自身の文体論の中核をなすこの考えに照らして、詩と散文
  との間の区別を問題にしようとする。しかしわれわれがすでに見たように、
  「表現上の個人的特異性」の背景にある社会的文脈を欠いた読者無視の文体
  論においては、作者は自分の思想や感情を吐露することに専念しさえすれば
  よいのであるから、文体の様式は何であってもよいということになるであろ
  う。実際、マリーは言っている、「文体に関するかかる考えは、散文と詩と
  の間に本質的な区別は何もないことを前提とすることはかなり明白である。
  包括的で一貫した経験様式が散文あるいは韻文どちらの形で完全に表現され
  るかは主として偶然的な事情によるものであろう」(p. 74)。
    それにもかかわらず、彼はこの「偶然的な事情」に、彼の主張の本旨に
  矛盾する留保条件をつけなければならなかった。作家が散文か韻文かを選択
  するのに、「たしかに、その時代の流行が多分最も重要な因子であろう。エ
  リザベス時代が劇の時代だったごとく、19世紀は小説の時代だった。一般文
  化のあるレベルにおいては、経済的社会的条件のある種の結合にともない、
  (これは探究に充分値いするであろうが)ある種の文芸形式が課せられる」
  (p. 74)。しかしなぜエリザベス朝時代には劇が流行し、19世紀には小説
  が流行したのか、その経済的社会的条件は何だったのか、などの「探究に充
  分値いする」問題を解明するための努力は、マリーにはまったく見られな
  い。おそらく彼はこれもまた偶然のせいにするのであろうか。
    ジャンバッティスタ・ヴィーコは、エジプト人に従って世界史を三つの
  時代、すなわち神々の時代、英雄の時代、人間の時代に区分しているが、そ
  の各々の時代に応じて三種の言語があるとしている。すなわち、「第一に、
  異教の人々が新たに文明に目覚めた、家族(国家)時代の言語。それは、彼
  らが表現しようと欲した観念と自然的関連をもつ記号もしくは物体によると
  ころの沈黙語であったことが知られる。第二に、英雄の功業、もしくは直喩
  ・比喩・心象・隠喩および自然描写を介して語られた言語。これが、英雄た
  ちが支配していた時代に語られていた英雄語の大部分をなすものである。第
  三に、民衆に適したことばによって語られる人間語。民衆がこの言語の絶対
  的支配者であり、民主共和国や君主国家における主要言語である」(Vico:
  La Scienza Nuova Seconda, a cura di Fausto Nicolini, Bari, 1953, 
  p. 27.  清水幾太郎・米山喜晟訳『新しい学』中央公論社、昭和50年、
  p. 69)。そして「この第一の言語は象形語、すなわち神聖語または秘密語
  で、無言の所作によって語られ、論議よりも宗教に適している。第二は象徴
  語で、これが英雄語であった。最後が、書簡語すなわち俗語で、日常生活の
  上で実用に役立つ」(Ibid., p. 27.  訳、p. 70)。
    ヴィーコによれば、「太古、異教の人々はまぎれもなく生まれつきの詩
  人で、詩的象徴(語)をもって語った。----この象徴(語)とは、一種の空
  想類型であったことが知られる」(Ibid., p. 28.  訳、p. 71)。そして沈
黙
  語と英雄語との後に続いて、最後に「自然必然的文明行程を経て、アッシリ
  ア、シリア、フェニキア、エジプト、ギリシャ、ラテンに見られるごとく、
  言語は英雄詩から始まって、イアンボス詩に移り、最後に散文として固定す
  る。これによって古代詩人の歴史に明確な説明があたえられる。----スペ
  イン語、フランス語、イタリア語の初期作家たちはなぜ韻文で書いたのか説
  明してくれる」(Ibid., p. 29.  訳、p. 72)。
    ヴィーコは18世紀の文献学Filologiaと法学研究に基づいて言語と社会
  との関係について述べた。しかし今日の社会科学の観点から見るならば、韻
  文が社会の規範的文学として機能していたのは、市民革命前後に及んでいる
  ことが知られる。つまり市民社会、ことに資本主義社会の展開とともに、
  社会学者のテンニエスのいわゆる共同体社会Gemeinschaftが解体し、利
  益社会Gesellschaftが一般的に展開したが、この社会の変動にともなって
  韻文文学が散文文学に支配権を譲り渡していったと思われる。そして産業
  革命が終わり、高度資本主義が展開するようになる19世紀なかば前後に、
  自由詩や散文詩が書き始められる。こうして見ると、韻文詩における韻律
  はすぐれて共同体的な共感に基づき、共同体の崩壊とともに共同体的韻律
  が崩れて、韻律は個人的な自由放任にゆだねられていくようになったこと
  が知られる。市民革命の元をたどれば宗教改革であり、それゆえふたたび
  宗教改革と資本主義の精神の展開は、詩の文体の変革の誘因であったと言
  えよう。
    こうして作家の経験様式が散文か韻文かいずれかの形で表現されるの
  は、偶然の事情によるとか、時代の流行によるなどというマリーの主張そ
  のものが、実は特定の社会の文化に根差したものであって、決して普遍的
  に真理であるわけではない。作家の経験が散文と詩を問わず、「欲しいま
  まに(たるんだたずなで)表現される」laxis effertur habenis という
  ことは、詩の散文への解体である。詩においては「なんでもあり」などと
  いうことは、固有の意味でのLaissez-faire 的な資本主義が19世紀にし
  か存在しなかったように、20世紀においてはもはや時代遅れである。なぜ
  なら、20世紀においては社会構造はすでに修正資本主義段階に入ってお
  り、厚生経済や環境保全や後進国援助問題を無視しては資本主義そのもの
  が成り立ちゆかなくなったからである。つまり、ふたたび共同体的問題が
  全世界的規模で顧慮すべき必須の問題として浮上してきたからである。そ
  れゆえ共同体にふさわしい詩の文体がふたたび復興を期待されているであ
  ろう。「我々が英語のみでなくヨーロッパ文学の過去百年間を顧みるなら
  ば、この百年来の創作の大部分は散文であったし、時代の傾向は決定的に
  散文に向かっていることはかなり明白だと思える」(p. 100)というマリ
  ーの言葉は、今から一世紀前ならばともかく、今日ではもはや通用しない
  と言うべきではなかろうか。
    第二次世界大戦後、詩の世界でこうした共同体的問題への関心をいち
  早く示したのは、たとえばいわゆるヒッピーたちであった。そしてフォー
  クソングが世界中に流行した。今日のロックにもバッコス的共同体のオル
  ギアへの賛仰が垣間見られるのでなかろうか。資本主義によって魂の奥底
  まで荒廃したアメリカやヨーロッパにも、こうして今や確実に共同体復興
  の運動が芸術家たちによって試みられている。それを詩の文体で表わせば
  どうなるか。散文は株式市況を報告するのにはふさわしいかもしれないけ
  れど、愛を表現するには互いに共感できる共通の韻律をもった言葉がふさ
  わしい。詩はもともと共同体固有の表現様式だったのだ。それゆえ、散文
  詩は単なる印象的散文にすぎないし、固有の意味では詩でないのだ。まし
  て小説を詩で書くなどというのは、小説についても詩についても何も知ら
  ない似非詩人のすることだ。
    ハーバート・リードは詩と散文との相違を本質的な相違だと断言し、
  「心が表現の必要に迫られて、あるいは詩を、あるいは散文をというふう
  に、二つの道のいずれかを選ぶ、というようなことではない。詩を生み出
  す特殊な心の状態にとっては、あれかこれかを選び取るゆとりなどはない
  のだ。それは詩的な表現を求めるか、それとも表現せずにおくかの、いず
  れかでしかない。散文的表現のいとなみが介入しうるまでには、異なった
  心的態度をふくむ全く程度の低い緊張状態との置き換えがなされなければ
  ならぬのである」(『文芸批評論』増野訳、pp. 35-36)と言っている。
    もっともマリーにしても、散文と詩とを彼なりに区別しており、詩
  的散文に対してはきわめて批判的である。「散文の特色はそれが批判的な
  ることであり、それは詩がもちえない長所である。もし、もっているとす
  れば、それは詩ではなくして韻文で書かれた散文なのである。批判に訴え
  る場合には伝達方式は散文であり、その訴えが絶対的な簡潔さでなされ従
  ってその動きが速やかに確実に結論に導く場合には、人を納得させる表現
  力以上にさらに美的な喜びを与えるであろう。----散文がどれだけ詩的な
  ものに近づくかによって散文を評価するといったよくある習慣は反駁する
  だけの価値のあるものである」(p. 98)。また「散文が詩的であればあ
  るほど、散文は美しくなるという異端的な考えが普及しており、それは
  悪趣味であるばかりでなく、散文を詩的にしようとする努力ほど散文の
  文体の形成にとって事実危険なものはないから、その異端的な考えは遺
  憾であり抵抗すべきものである。----あの洗練された散文が必然的に詩
  的であり、感情に訴える場合には本質的なものとなるイメージとリズム
  の働きによって散文が感情に直接訴えるとする考えは異端である」(p.
  99)と言っている。
    ところでわたしは思うのだが、マリーは彼の文体論の初めにおい
  て、「小説家や詩人は、小説家または詩人として実際上、観念は全くも
  っていないのであって、知覚、直観、感情的信念を持っているのであ
  る」(p. 15)と言い、真の文体の根源を作家の感情としての経験様式の
  うちに置いていたのでなかったろうか。ところが「批判」とは知性固有
  の機能ではなかろうか。そして散文作家の批判とはいかなるのであるの
  かについて、ジャン=ポール・サルトルはきわめて鋭く明らかにした。
  「わたしは、語ることにおいて、状況を変えようというわたしの企図そ
  のものを通じて、状況を暴露する。わたしは、それを変えるために、それ
  をわたし自身および他の人々に対して暴露する。----今やわたしは、い
  う言葉の一つ一つで状況を処理し、世界のなかでわたし自身を束縛す
  る。また同時に、未来へ向かって状況を超えながら、その表面にいくらか
  浮かび出る。このように散文家とは或る種の二次的な行為の型をえらんだ
  人間である。その行為は暴露による行為とでも名づけられるものであろ
  う。----われわれは次のように結論することができる。作家は、世界と
  人間とを他の人間に対して暴露することをえらんだのであり、それは、
  裸にされた対象を前にして、人々が全責任をとるためだと」(Jean-
  Paul Sartre:  Situations,  II, Paris, Gallimard, 1948, pp. 73-
  74.  加藤周一・白井健三郎訳『文学とは何か』人文書院、昭和27年、
  pp. 21-23)。
    こうして結局、マリーは詩についての定義もいささか的はずれであ
  ったが、散文の定義においてはなおさらパラドクシカルであったので
  なかろうか。しかしそれは彼に代表されるすべてのロマン主義者に同様
  に指摘しうる問題であろう。作家がその可能的経験を詩で書こうと散文
  で書こうと自由だと言うならば、もはや彼は詩人としても散文家として
  も失格なのだということを知るべきであろう。
    わたしはマリーの『小説と詩の文体』の本の半分の章までを論じた
  が、後の半分は以上述べた繰り返しとなるので割愛することにする。そ
  してすでに彼の文体論の本質については十分論じたと思っている。他の
  問題については、他の機会に必要に応じて触れていきたいと思う。
                         (終わり)
  




現代への絶望と古典復興

97/05/22 00:46




     現代への絶望と古典復興 / 佐藤 三夫


    ペトラルカは後世の人々に宛てた書簡の中で、自分が古代を知ること
  に専念したのは現代がつねに好ましくなかったからだと言ったが、わたし
  にはその言葉の意味が痛いほどよく分かる。わたしもまた古典に関心をも
  ったのは現代への絶望からだった。レオパルディやニーチェにしてもそう
  であったのではなかろうか。かつてある詩人が、わたしの編集する『ユー
  トピア』誌の詩は奇妙に明るすぎるが、詩人はもっと絶望の呻きや叫びで
  満ちている現実を歌うべきではないかと批評したことがあったが、そうし
  たことを歌えるほど彼は現実に絶望していないのだと言えないだろうか。
    窮乏のどん底で貨幣論を書かねばならなかったマルクスは、資本主義
  社会の外に立ってそれを全体的に批判する視点を獲得することができた。
  絶望がニーチェをして消極的ニヒリズムから積極的ニヒリズムへ跳躍させ
  、あらゆる価値の価値転換の試みを企てさせた。そして現代を忘れて他の
  時代に生まれ変わることを願ったペトラルカは、ルネサンスにおける古典
  復興の運動の先駆者となった。わたしがルネサンスに関心を抱くようにな
  ったのは、近代文化がもたらした「人間の悲惨」に絶望したからに他なら
  ない。
    レオパルディでさえもわたしには、何か自分の絶望に酔っているよう
  な気がしてならない。人間疎外を問題にしたマルクスでさえも、唯物論を
  となえるほど資本主義的産業文化に毒されていた。ニーチェにしてさえな
  おあまりにロマン主義的な、それゆえルター以来のあまりに近代文化的な
  残渣を曳きずっていないだろうか。
    もしウェーバーやトレルチの言うように、資本主義の精神がプロテス
  タンティズムの申し子であるとしたら、わたしはルターを許すことができ
  ない。近代における人間の悲惨の大いなる責めを、彼は負わねばならない
  だろう。もし近代哲学がデカルトに始まったのなら、わたしは彼を許すこ
  とができない。彼以来今日にいたるまで「われ思う」の主観主義的独断論
  と価値の無政府主義を生んだ責めを、彼は負わねばならない。ああ、真・
  善・美を分断して、趣味判断はひとによって異なるとした哀れな美的感受
  性の持ち主カントよ。永遠の、普遍的な、客観的な、美の形式を否定した
  ロマン主義は、美そのものを呪って醜悪な地獄に堕ちた。そして芸術をフ
  ァシズム的政治のプロパガンダとした責めは、ロマン主義者たちにある。
  謳歌された民族主義のおかげで、サルトルが「大戦の終末」の中で言った
  ように、人類は今や日々世界戦争の危機に臨んでいる。理性なき感情礼賛
  は人間を野獣の檻に閉じこめ、目的なき歴史主義は人間を絶望の地獄へみ
  ちびいている。
    だがわたしはロマン的なものをまったく否定するわけではない。むし
  ろ浅薄な伝統主義に陥った単なる古典主義を退ける。ただロマン主義を批
  判するだけである。わたしはマテリアルなものをまったく無視するわけで
  はない。むしろ単なる形式主義を嘲笑する。ただマテリアリズムを批判す
  るだけである。つまりはこうだ。ロマン的なものと古典的なものとの総合
  、ディオニューソス的なものとアポロン的なものとの、感情と理性との、
  内容と形式との総合が問題である。ルネサンスはこの矛盾の調和的総合を
  めざした。だが近代はあまりにロマン主義に毒された。正道へもどるため
  には、反対の極すなわち古典主義へ曲げることが方便として必要であるか
  もしれない。
    絶望は超越の条件だ。中途半端な妥協は創造を無に帰してしまう。飛
  び上がれ詩人たちよ、神々のように。たとえ死すべき土の衣をまとってい
  ようとも。あたかも内容を形式にまで昇華することが、感情を理性の秩序
  にまで高揚させることが、創造の目的であるかのように。だがわたしは天
  使主義者ではないし、人間が神と完全に一致するのはイエス・キリストの
  他にないことを知っている。つまり人間は天使や神のように純粋形相では
  なく、死すべき質料を負った実体形相からなることを知っている。それゆ
  え人間の業もそれを超え出ることができないことをも。それにもかかわら
  ず人間は神にならい、天使にならうべきではなかろうか。キリスト教徒に
  とってキリストにならうことがつとめであるように。古代の英雄たちが死
  すべき肉を負いながら、永遠の神々にならおうとつとめたように----。
  その業が神々の世界に触れるならば悲劇的なものとなるだろう。もしそれ
  が人の世にとどまるなら、アリストテレスの定義したように、喜劇となる
  だろう。
    それゆえに絶望が世からの超越の条件だ。あれやこれやの特定の事柄
  や特定の状況に絶望するのではなく、この世全体に対して徹底的に絶望し
  抜くことが問題だ。この積極的ニヒリズムの上に古典的創造が花ひらくだ
  ろう。そして創造の外には無があるのみだ。神が言葉によって世界を創造
  したように、われわれ詩人は言葉の小宇宙をつくる。詩人は神の使徒だか
  ら、神にならうのだ。









定型詩と伝統の問題 (1)

97/06/08 19:44


(長文注意)


     定型詩と伝統の問題 (1) / 佐藤 三夫


    わが国の近代詩が西洋の詩の模倣によって出発して以来、われわれは西
  洋における詩の流行変遷に対して実に敏感に反応してきた、たとえその反応
  がつねに末梢神経的であり、歪曲されたものでしかないとしても。しかしわ
  れわれは西洋の詩の枝葉を見て、その根や幹を等閑に付してきたと言えない
  であろうか。いく世紀ものながい伝統を通して鍛えられてきた言語芸術を、
  われわれはその伝統を無視して安易にその皮相のみを受けいれてきたのでは
  ないであろうか。しかもわれわれは言語の決定的相違を飛びこえて、詩の意
  味や思想のみを問題にしてきたのではなかろうか。しかしかかることこそは
  詩において許されえない撞着的理解である。しかもわが国の近代詩をして、
  散文と詩との混同、詩の観念のあいまいさ、狂気じみた言語の混乱、散文へ
  の隷従という道を歩ませたことなのである。
    実際、現代詩は散文芸術に圧迫されて瀕死の状態にある。だれもがかか
  る危機を理解していながら、超克すべき唯一の道を忘れている。それは「詩
  は言葉でつくる」ということの徹底的な自覚であり、またそのことからすべ
  ての言語芸術が必然的にもつ伝統への反省である。今日の詩人はすべてかか
  る詩の運命に対して責任がある。もしそれに対して沈黙している詩人が一人
  でもいるとしたら、彼は詩の滅亡を肯定した自己矛盾的な存在か、さもなけ
  れば詩人でさえもないであろう。わたしはかかる責任を負っている詩人の一
  人として、詩についての最も根本的な問題提起を試みて、詩の再建のための
  協力と批判とを得たいと思う。さしあたりそのために、西洋の詩と伝統の問
  題、日本の詩と伝統の問題、定型詩の具体的諸問題等々について、簡単にで
  はあるが論じてみようと思う。

     I. 西洋における詩と伝統の問題
    ヨーロッパにおける詩と言えば、ギリシャ以来つねに定型詩を指してい
  た。自由詩や散文詩はそのまったくの傍系にすぎない。そのことはわざわざ
  アリストテレスの『詩学』を引きあいに出さなくとも、周知のことと思う。
  自由詩や散文詩の理想は、つねに、定型と韻律を取り除いてもなお、定型詩
  におけるのと同じようなポエジーを読者に感じさせうるようにするというこ
  とであった。そのことは、ボードレールの散文詩集の序文においても読みと
  れることである。詩はもともと吟遊詩人たちによって歌われてきた。古代ギ
  リシャにおいて、中世のヨーロッパにおいて、吟遊詩人たちは他のすべての
  芸術の母体となった。ホメロスの詩、『薔薇物語』はいわばその集大成のご
  ときものである。
    「歌われる詩」、それがヨーロッパにおける詩の一般的観念なのである
  。それはたとえば、武勲詩のようなものでさえも歌われるべきものであった
  。大きな歴史的事件が叙事詩によって歌われ、そして歌われるために誇張さ
  れた表現を用いるようになった。そしてついに叙事詩が「物語(ファーブル
  )によって支えられ、虚構(フィクション)によって生きる」ものであるこ
  とが覚られるや、年代記としての散文の歴史が叙事詩やロマンから区別され
  るにいたった。つまり、ここにおいて決定的に散文は事実を伝えるのに最も
  適当した表現であり、詩は虚構を歌うものであることが自覚されたのである
  。われわれは詩と散文とがそれぞれの表現機能を自覚するにいたったこの歴
  史的事実を見過ごすことはできない。それは一個人の偶然的で不確定な発見
  でも主張でもなく、まさに「歴史的な経験」の所産なのである。
    芸術は人類の共有財産なのであって、ある作品が美として感じられるた
  めには、まず共通の経験の基盤が成立していなければならない。この基盤を
  欠くとき、その作品は美的評価の圏外におかれ、孤立した無意味なものとな
  る。詩と散文との表現機能が、少数の個人の一時的きまぐれ的な好き嫌いの
  感情によって定められたのではなく、歴史的経験という普遍性をもって決定
  されたことは、そのかぎり以後、詩と散文との基本的な条件を普遍的な仕方
  で規定することになった。
    詩の内容、あるいはポエジーが虚構によるものであることは、詩が「歌
  うもの」であることによって結果したのである。それゆえ、詩において最も
  根本的なことは、「歌うこと」である。この歌う形式を効果あらしめるため
  に、さまざまな定型の形式が模索され、歴史的に生みだされた。もし詩の一
  定の形式がととのわないで、詩が散文と区別のつかない仕方で表現されたと
  するならば、われわれはどのようにして詩についての一般的観念を得ること
  ができようか。おそらく何ものも得られないであろう。そして事実それが日
  本の現代詩の状況なのである。
    もし単なる「虚構」のみを表現するのならば、散文は詩と同様に、ある
  いははるかに豊かで緻密に、それを表現することができるかもしれない。わ
  れわれはその例を一般に小説において見いだしうるのである。『ガルガンチ
  ュワ物語』とか、ポーやユイスマンやリラダンやカフカの小説などと二三の
  例をひろっても、ひとは十分そのことを理解しうると思う。それゆえ、詩が
  もし「虚構」のみに頼ったなら自滅する。サルトルが『文学とは何か』の中
  で、散文家が言葉を利用する人間であるのに対し、詩人は言葉の外にあり、
  世界の外観の記号(シーニュ)として言葉を利用することを拒絶し、言葉の
  中にそれらの外観の中の一つのイマージュを見ると言ったのは、けっして彼
  個人の勝手な独断ではない。彼は詩と散文との機能について、彼の属してい
  るヨーロッパの伝統の歴史的経験に基づいて語っているのである。
    このようにしてヨーロッパにおいては、詩はもともと「歌うもの」であ
  るということによって、必然的にしかも一般的に、定型詩を意味することに
  なった。それに対して自由詩や散文詩は、つねに定型詩を典型とし、理想と
  し、あるいは裏返された意味でそうしてきたのであるから、それらはどこま
  でも定型詩の変態でしかないと言いうる。ヨーロッパの詩人たちがそれらを
  書くとき、つねにそのことを意識して書いているということを知らなければ
  ならないであろう。
    ひとはホイットマンを引きあいに出して反論するかもしれない。しかし
  結局のところ同じことである。ただホイットマンは、尊敬すべき文化の伝統
  もなく、自国語を愛することも少ないアメリカから、実にアメリカ的なデモ
  クラシーの思想を安易にたずさえて登場した。ヨーロッパのように忍耐づよ
  い闘争の何世紀かを通して初めて得られた自由、つねに専制と暴力のために
  おびやかされつづけている自由の貴重さに、さほどに深い体験をもたぬアメ
  リカは、みずから自由の女神のごとく思いなしながら、ほとんど自由の意味
  を理解していないのでないかと思われる。サルトルがアメリカを訪問した際
  、何よりもそこにおいて支配的なコンフォルミスム(大勢順応主義)に驚い
  たことは、十分理由のあることである。レッセ・フェール(自由放任)によ
  る生存競争において、民衆は自己防衛の一手段としてしばしばコンフォルミ
  スムへの安易な道を選ぶ(今日の日本の民衆もまたそうでないか)。ともか
  くホイットマンは、芸術的価値の何たるかも知らずに、粗野で低劣な自由詩
  を書いて芸術を大安売りした。この文化ナベ式の芸術の大衆化は、安手のブ
  ルジョア趣味とぴったりしたので、芸術に無縁な俗物たちが、競ってこの金
  ぴかのメッキ芸術で箔をつけようとした。このようにしてホイットマンは、
  世界中の俗物たちにもてはやされ、俗物たちの思想感情の代弁者であるかの
  ようにまで聖化された。わたしはかつて都内のある質屋の看板広告に、「な
  んでもOK、ホイットマン式」とあるのを見たことがある。

    だがヨーロッパでは、ホイットマンの流行は十年とつづかなかったと言
  われている。ヨーロッパの俗物たちの趣味はもう少し洗練されていたためで
  あろう。もっともアメリカにもエドガー・アラン・ポウの名は不滅の光を放
  っている。彼はおそらく詩神の使徒であるのか、あるいはオルフェウスの再
  生を思わせる。しかし地上に降り立ったオルフェウスは、あたかも殉教者の
  ような受難を受けなければならなかった。そのようにして彼は、芸術の高貴
  な純粋性を守り、その不滅性を証したのであった。彼の詩論を読む者は、彼
  がいかに確固として詩の本質を捉えていたかに目をみはらされる。彼はまず
  長編叙事詩が、詩の価値において、自己矛盾的なものであることを明らかに
  している。われわれがすでに見たように、叙事詩自体は、歴史的に、虚構と
  記録という相反する機能において分裂せざるを得なかった。詩は自己の芸術
  性を純粋にするためにますます虚構へと高まり、記録は散文において最も適
  合せる舞台をかちえた。これと関連することではあるが、次にポウは教訓詩
  の説をしりぞけた。詩の目的は真実を求めることにあるのでも、道徳的価値
  を宣伝することにあるのでもないとする。そこにはロマン主義的な価値観が
  多少とも垣間見られるが。彼は人間の心を、「純粋知性」と「趣味」と「道
  徳感」とに区別し、知性は真実と関係し、趣味はわれわれに美なるものを知
  らしめ、道徳感は義務を顧慮せしめるとみなす。そして芸術はもっぱら趣味
  にのみ依存するのであって、趣味においてその魅力を顕示するをもって足れ
  りとする。このような考えは、カントに由来しているのであろうが、しかし
  カントのように単に美の鑑賞のみを問題としたのではなかった。
                           (つづく)
    (FCVERSEとFPOEMに同時掲載)











定型詩と伝統の問題 (2)

97/06/09 17:54


(長文注意)


     定型詩と伝統の問題 (2) / 佐藤 三夫

     (I. 西洋における詩と伝統の問題----つづき)

    ポウにおいて問題なのは、自然における美を再現することではなく、み
  ずから美の創造者たるための詩人の努力である。彼の言葉を用いるならば、
  「天上の『美』に到達せんとする狂おしき努力」である。詩人はかかる努力
  を言葉の全的な機能を発現することによって試みる。したがってその機能が
  もたらす言葉の重要な効果の一つである音楽的リズムについて、彼はいかに
  してそれを見すごすことができようか。ポウは言う、「『音楽』は、律格(
  ミーター)、節奏(リズム)、押韻(ライム)といったいろいろの方式にお
  いて、『詩』にはきわめて大きな重要さをもつから、これを拒否することは
  賢明とは言えないし、きわめて重要な付加物であるから、その援助を断る人
  は、単に馬鹿だというほかない。----おそらく、『音楽』においてこそ、
  『詩的情緒』に満たされたとき、魂が苦しんでつかもうとする大目的----
  天上の『美』の創造に最も近づくのである。まことに、ここにこの荘厳なる
  目的が、時折実際に到達されることがありうる。かくして、一般通有の意味
  における『音楽』と『詩』との結合において、『詩的』発展の最も広範な領
  域があることは、ほとんど疑いをいれない」と。そして彼は、吟遊詩人たち
  がその点においてかつてもっていた利益に触れている。このようにして彼は
  、「言葉の『詩』を、『美の節奏的創造』と定義しよう」と宣言する。
    しかしこのことこそは、彼が、古来のヨーロッパの伝統をその最もすぐ
  れた面において継承するものであることを、みずから宣言したことにほかな
  らない。そのことにおいて彼は、自己の芸術および芸術論の客観的普遍的保
  証を、すぐれた仕方で獲得するのである。彼の芸術が、かえって後にヨーロ
  ッパにおいてそのすぐれた継承者を輩出せしめるにいたったことは、十分積
  極的な根拠のあることである。実際、ボードレール以後におけるフランスの
  詩の流れは、ポウの影響を除いて考えられるであろうか。もちろん、その影
  響の内容をなしているものは、決して一個人ポウの案出したものではない。
  むしろそれまでのヨーロッパの全遺産が、ポウという濾過器を通して、何ら
  かすぐれた純粋の形で、そこにふくまれていたのだと言われるべきであろ
  う。それゆえ、ボードレールなどのフランスの詩人たち(殊にサンボリスト
  たち)が、そうしたヨーロッパの遺産を継承するに際して、ポウという触媒
  を通じて触発されたのだと言ってもよいであろう。
    なるほどフランスにもダダイスムやシュルレアリスムのようなあだ花が
  咲いた。しかしいつまで栄えたであろうか。芸術家が夢を芸術的に表現する
  ことと、芸術家自身が眠りこんでしまうこととは断じて混同されえない。オ
  ートマティスムが芸術であるならば、気違い病院は芸術家で充満しているこ
  とになる。いくら芸術がカタルシスだからといって、無秩序なカタルシスは
  美を生まない。嘔吐と美とは別なものだ。つまるところかかる運動は、第一
  次世界大戦前後の病的社会が生んだスキャンダルの一つにすぎなかった。ポ
  ール・エリュアールが歩んだ道は、醜怪な悪夢にではなく、クリスタルのよ
  うな朝空に向かってであった。そしてルイ・アラゴンは、アンドレ・ジード
  の言ったように、とうとうフランスの伝統の下に帰ってきた。きわめて美し
  い古典的な韻律をたずさえて。
    彼がなぜ最も純正な定型詩を愛するにいたったのだろうか。それは彼が
  真に自由を愛したからだと思われる。真の自由とはそうしたものだ。ポール
  ・ヴァレリーが、ラ・フォンテーヌの「アドニス」について述べているとこ
  ろで、みずからに外的な規律を課する自由の偉大な姿をみごとに浮き彫りし
  ている。「巧緻な詩(定型詩)は深い懐疑家の芸術である。かかる詩はわれ
  われの観念と感覚との総体に関して異常な自由を仮定する」。定型詩のみが
  真に人間に自由の価値を知らせてくれる詩形である。それは芸術に無縁な俗
  物たちのあずかり知らぬところである。ジャン・コクトーのような、その生
  涯をほとんどスキャンダルで彩った詩人でさえも、言語の混乱には組しなか
  った。彼はみずから綱渡り師をもって任じていた。夢と言葉との出会いを彼
  は神秘な韻律の罠で受けとめようとした。彼はつねに綱をふみはずすことが
  なかった。それゆえ、ヴァレリーが彼を地の塩と言ったのには十分な理由が
  あった。
    問題をさらに高次の段階において展開するために、先にあげたヴァレリ
  ーのエッセーのうち、いささかながくなるが重要な一節を引用しよう。「今
  日ではあらゆる強制力とあらゆる偽りの必然性とから離れてしまったこれら
  の古来の法則の厳正さは、もはや、表現の一絶対世界をきわめて簡単に決定
  すること以外の効力をもってはいない。これは、少なくとも、わたしがそれ
  らに見いだす新しい意義である。われわれは自然----言葉を意味する----
  を、自然の諸規則以外のある規則、必然的ではないが、しかしわれわれのも
  のであるある規則にしたがわせることに決したのである。さらに、われわれ
  は、この決断を推し進めて、新たに規則を創りだすことさえ肯んじない。わ
  れわれは規則をあるがままに受けいれるのである」。
    ひとはおそらくこれを読んで、ただちにある類似をもった他の意見を思
  い浮かべるであろう。それは言うまでもなく、T. S. エリオットの伝統論で
  ある。彼は言っている、「たまたま起こることは、詩人がその瞬間に、ある
  がままの自己を、もっと価値のある何ものかに絶えず屈従させることである
  。芸術家の進歩とは絶えざる自己犠牲であり、絶えざる個性の消滅である」
  と。
    ヴァレリーは、かかる「古来の法則」を受けいれることを、将棋をさす
  ひとたちが協定されたルールにしたがうことにおいてのみ、その遊戯に情熱
  を賭けることができるということと比較している。それはスポーツの場合に
  おいても同様であろう。それらの予め定められたルールは、自己がその仕事
  に着手することを決意すると同時に、自己の才能と努力によって克服される
  べき貴重な障碍として眼前に現われる。もしかかる障碍がなかったならば、
  だれがそのようなことに情熱を賭け得よう。なぜならかかる障碍こそは、そ
  の仕事において普遍的客観的に要求された条件として、当事者の才能と努力
  の成果を普遍的客観的に立証するものなのであるから。
    すべての芸術的表現がそれの受容者を予想している以上、表現をする芸
  術家とそれの受容者との間にはある共通の基盤がなければならない。ポウの
  言うように、芸術がもっぱら趣味の感情に依存しているとするならば、これ
  こそは、いささか捉えどころのないものではあるが、根本的な連帯的与件で
  あろう。ところでかかる感情の傾向は、ユングの心理学説をまつまでもなく
  、個人的なものではありながら、人類の歴史によって(あるいはそれを自然
  の歴史へと拡大してもいいが)、きわめて決定的な方向づけが刻印されてい
  る。それをさらに狭く言えば、エリオットの言うような伝統の問題となる。
  つまりわれわれの趣味感情の傾向は、伝統によって大きく支配されていると
  言われうる。それゆえ芸術家は、彼自身および読者が、無意識的にであって
  も大きく支配されているかかる伝統を、自己の芸術が何らかの仕方で受けい
  れるべき条件とみなすことを拒絶するならば、彼は読者との間の共通の基盤
  をみずからしりぞけることになるであろう。すなわち、彼の芸術が単なるス
  ノビスムで終わらないためには、伝統そのものに深く根ざし、これを発展さ
  せるものとならなければならない。
    しかし芸術的表現の場合において、かかる趣味感情に最も普遍的客観的
  に働きかけるものは何であろうか。何よりもまず表現の「形式」であろう。
  実際、表現内容よりも表現形式のほうが、はるかに普遍的客観的な、したが
  って個人的偏差の少ない理解と評価との共通尺度を期待しうる。表現内容は
  作品の個性的な面を指し示すが、形式はこれに反して非個性的普遍的な面を
  表わす。形式は歴史を通じて淘汰され伝統となってゆくものである。たとえ
  ば、アレクサンドランを生みだした伝統は、個人的天才の力をはるかに超え
  ている。そしてこの伝統に自己を捧げることによって、多くの天才が自己の
  個性を生かし得た。しかもそのことによって彼らは、この伝統そのものを豊
  かにし、確固なものとしていった。
    つまり詩人は、非個性的普遍的形式を通じて個性的ポエジーを読者にふ
  きこむのだ。もし形式の窓を閉ざすならば、詩人はもはや普遍的共感を期待
  しえない孤立したモナドとなる。彼の仕事は日記帳の片隅に記すべき単なる
  自慰的作業となるか、絶望的な無償の行為となる。ところがもし彼がある定
  型を受けいれるとするならば、そのことによって彼は、その定型を生みだし
  た伝統を受けいれることになる。このようにして彼は、自己の名をその伝統
  の流れの中に刻むのだ。今度はその流れが、たとえその中にあって微小なも
  のにすぎないとしても、彼を運んでくれる。わたしは、芸術家が過去を模倣
  すればよいと言っているのではない。それはエリオットも断固として拒否し
  ている態度である。伝統は、芸術家が自己の個性的な超越をなすための条件
  でしかない。しかしもし彼がこの条件を無視するならば、彼の超越は挫折す
  るほかないのである。
                           (つづく)
    (FCVERSEとFPOEMに同時掲載)











定型詩と伝統の問題 (3)

97/06/12 02:18


(長文注意)


     定型詩と伝統の問題 (3) / 佐藤 三夫

     2. 日本における詩と伝統の問題

    明治時代にいわゆる新体詩が、西洋の詩の模倣から始められて以来、そ
  れ以前のわが国の伝統的詩歌、漢詩、短歌、俳句、今様歌などとは異なった
  形式が展開されるようになった。『藤村詩抄』における藤村の自序には、
  「遂に、新しき詩歌の時は来たりぬ。----新しきうたびとの群の多くは、
  ただ穆実(ぼくじつ)なる青年なりき。----青春のいのちはかれらの口唇
  にあふれ、感激の涙はかれらの頬をつたひしなり。こころみに思へ、清新横
  溢なる思潮は幾多の青年をして殆ど寝食を忘れしめたるを。また思へ、近代
  の悲哀と煩悶とは幾多の青年をして狂せしめたるを。われも拙き身を忘れて
  、この新しきうたびとの声に和しぬ」と記されている。この文章が書かれた
  のが明治37年(1904年)であり、今日まで100年に満たない。つまり日本
  の近代詩の歴史はわずか1世紀にすぎないのである。
    しかしながら上の藤村の文章に見られるように、詩の形式のみならず、
  詩想に関しても、それ以前のわが国における詩歌とは異なった新しさが求め
  られた。しかし藤村の文章そのものが示しているように、その「清新横溢な
  る思潮」とは、西洋におけるロマン主義の思潮にほかならなかった。つまり
  西洋における伝統的詩歌を支えた古典主義の思潮ではなかった。T. S. エリ
  オットがミドルトン・マリーについて論評した中で、「古典主義とロマン主
  義に対するマリー氏の定式化にわたしは同意することができない。その相違
  はわたしにはむしろ、完全なものと断片的なもの、成熟と未成熟、秩序ある
  ものと混とんとしたものとの間の相違であるように思われる」(The 
  Function of Criticism)と言っているが、エリオットの意味するところに
  したがうならば、ロマン主義は詩の形式に関して未成熟で混とんとしたもの
  と言えるであろう。実際、自由詩や散文詩はロマン主義から生まれた。
    それゆえ、藤村が『藤村詩抄』の自序の中で、「新しきうたびとの群の
  多くは、ただ穆実なる青年なりき。その芸術は幼稚なりき、不完全なりき、
  されどまた偽りも飾りもなかりき」と言ったのは、まさにロマン主義の詩観
  の表明にほかならないと言えよう。ここで言われていることは、詩の形式と
  しては幼稚で不完全であるけれども、詩想としては偽りも飾りもない真実の
  ものだということであろう。そこには、フランス語で言うポエムとポエジー
  との分離が意識されている。ポエジーをポエムに推敲を通じて仕上げること
  が古典主義的な意味での詩作である。この推敲を通じて作品を完成へとみち
  びく技法がいわゆる詩法art poetiqueである。ロマン主義の詩はいわば詩
  法なくしてつくられた詩作品であろう。それゆえ、ポール・ヴァレリーは
  その『文学論』の中で、「古典とロマンティクとの間の相違はきわめて簡単
  である。つまりそれは、ある一つの職がそれを覚えた人と知らない人との間
  に設ける相違である。自分の芸術を会得した一人のロマン的作家は古典作家
  になる。この理由があるので、ロマン主義は----高踏派になって終わった
  のである」と言っている。
    しかし日本では残念ながらロマン主義はむしろ自然主義の方向へ向かい
  、詩法はホイットマン的な「何でもOK」という混とんに堕して、ついに高踏
  派へと到らなかった。強いて高踏派的な傾向の詩人を挙げるならば、せいぜ
  い上田敏と北原白秋ということになろうか。上田敏はその『海潮音』におい
  て高踏派と象徴派の詩を翻訳したが、その「序」において、「近代の仏詩は
  高踏派の名篇に於て発展の極に達し、彫心鏤骨の技巧実に燦爛の美を恣にす
  、今茲に一転機を生ぜずんばあらざるなり。マラルメ、ヴェルレーヌの名家
  之に観る所ありて、清新の機運を促成し、終に象徴を唱え、自由詩形を説け
  り。訳者は今の日本詩壇に対て、専ら之に則れと云ふ者にあらず、素性の然
  らしむる所か、訳者の同情は寧ろ高踏派の上にあり」と言っている。
    上田敏は早くより新体詩に対し批判的であった。明治32年1月の『帝
  国文学』所載の「文芸世運の連関」において、「新体詩といふもの、これは
  学に篤き若き人のすさびなれば、其辞の色多く、情の反て簡なるはもとより
  ながら、余に世態と隔離したる歌なり。恋愛が絶好の詩材なること吾等常に
  認むるものなれど、今の世の恋歌よりも古今などのそれ遥に人情にかなひ、
  幽遠なる其委曲と熱烈なる其景慕とを述べたるものならずや。----今の新
  体詩はさはいへど何時の世の姿にもあらで、若き人のすなる戯と見れば、真
  面目にすぎ、健なる男の歌としては、其恋の辞など余りに穉げなりといはむ
  か」と言っている。
    上田には「典雅沈静の美術」というエッセーがある。このエッセーこそ
  わが国においておそらく初めて本格的に古典主義美学を主張したものである
  と思われる。「おもふに、現代の文化には二つの欠点あり。即ち美を愛し学
  を好む心盛ならざると、典雅沈思の美術に対する高尚の趣味なき事なり。此
  二点は関係薄きが如くにして却て親密なる交渉を有し、共に古典研究に冷淡
  なる結果なれども又其源因ともいひつ可し」。彼はルネサンスの風雅を称賛
  しながら、「謙遜、学を勤め古人の跡を履みて大思想と相交はる事を得ば、
  個人としての品性、趣味を高め、又美術を養成することを得可く、終には人
  類が進化に若干の寄進をなす事もある可し。吾等は是に於て典雅沈静の美術
  に対して、充分の尊敬崇拝を盡さゞるべからず。----然らば典雅なる美術と
  はいかなるものぞ。----典雅は『クラシカル』の訳語にして羅甸語の
  classicusより来り、原の義は羅馬最高級の市民にて或る定額以上の歳入を
  有する者なり。されば近世普通の意味に於ては、幾代の賞歎に因て神聖にせ
  られ、民俗の好尚を指導支配する最高の古代美術を指せるも敢て誤にあらず
  。羅甸語の原義を転用して文学美術の境に移したるは、蓋し紀元二世紀の羅
  馬の文士アウルス、ゲリウス(近115-165)が、真価ありて俗を脱きたる
  詩文の大家をかく呼べるを以て嚆矢となす可きか。吾等は先づ典雅といふ字
  を広義に解釈して、美術に於ける最高秀美の作品」となすとし、典雅なる美
  術は「美術発展の完全したるものにして、渾成天工の如く、吾等の感覚を通
  して万物の機微を察せしむ」と言っている。そして「典雅なる美術は常に清
  新活動して、幾度繰返さるヽとも陳腐冷素となるの患」ないとして、明治の
  文壇に望む所として、「第一に美を愛し学を好む精神を盛んにして、大言壮
  語徒らに思想の高卑を説き、声調外形を重ぜざる門外漢の批評を斥くるとと
  もに、典雅沈静なる美術を標準として、アリストテレエスの所謂深沈の趣味
  を盛んにせむ事なり」と結んでいる。
    北原白秋を高踏派に数えることを奇異に感ずる人もあろうかと思う。し
  かし彼の詩語の音調に対する厳しい律し方は、まさに高踏派的とよびうるの
  でなかろうか。彼が斉藤茂吉と短歌を競い合ったことはよく知られている。
  また上田敏が白秋の『思ひ出』を「日本古来の歌謡の伝統と新様の仏蘭西芸
  術に亙る総合的詩集であるとし、而もその感覚解放の新官能的詩風を極力推
  賞された」(伊藤信吉『現代詩の鑑賞』引用)というのも、分からないでは
  ない。日本語の美しさを白秋ほど厳しく繊細に追及した詩人は稀であった。
    上田敏によって紹介された象徴派の詩は、蒲原有明などによって具体化
  されようとした。しかしわたしは、有明によって日本の近代詩は間違った方
  向へ向かったのでないかと感じている。つまり、有明は上田敏によって紹介
  された象徴派の詩を誤って理解したのでないかと思われる。彼は詩想(ポエ
  ジー)の象徴性を重視しようとして、象徴派における言葉の音楽性の美しさ
  の追及をないがしろにしたのでなかろうか。たとえばポール・ヴェルレーヌ
  は「詩法」Art poetiqueにおいて、「何よりも音楽を」"De la musique
  avant toute choseと歌っていたではないか。いや有明なりに音調を重視
  したつもりであったのかもしれないが、彼が象徴的表現を行なおうとしてあ
  まりに多用した漢語と、不自然な言葉の連関が、日本語の美しさを破壊して
  、醜悪な調べに堕落させてしまったのでなかろうか。日本の古来の詩歌や随
  筆や小説類の言葉遣いとくらべて、しかも明治以来のそれらとくらべても、
  有明の言葉遣いは不自然というべきでなかろうか。そうした不自然な表現を
  彼はかえって高尚な象徴的表現と錯覚したのでなかろうか。
    もっと悪いことには、彼以後の亜流たちが、こうした悪しくゆがんだ日
  本語をいっそうはなはだしい方向へ押し流したことである。その最たるのが
  、象徴派の詩の新たな翻訳者たちである。それらの翻訳者らは造語につぐ造
  語をもってし、その醜悪な日本語をもって新たな日本語を創造するなどと豪
  語しさえした。こうしてもはや他のだれにも通用しない個人的用語で飾り立
  てた翻訳詩を、さも深遠であるかのごとく吹聴したことから、翻訳詩は健全
  な読者層から見放される運命をたどることになった。それらの翻訳詩はお世
  辞にも芸術作品とは呼びえないしろものである。
    もっともすべての翻訳者が愚劣であったわけではない。永井荷風の『珊
  瑚集』は上田敏につぐ輝かしい業績であるに違いない。堀口大学の数多くの
  訳詩も日本の近代詩にゆたかな養分をあたえた。しかし散文と異なって詩の
  翻訳はたいへん難しい問題をはらんでいる。芸術の国際化は造形芸術ならば
  かなり成功するかもしれないが、詩の場合にはある国語固有の音感と視覚と
  意味などが絡まりあって他の国語への翻訳の障害となる。ベルグソンは『形
  而上学入門』の中で、「ギリシャ語を知らない人にホメロスの詩の一句がわ
  たしにあたえる単純な印象を伝えようとすれば、まずその句を翻訳し、次に
  わたしの翻訳を注釈し、次にわたしの注釈を敷延し説明に説明を重ねてわた
  しはしだいに表現しようと思っているものに近づいて行くが、いつまで経っ
  てもそれに到達はしない」と言っている。
    たとえば上田敏の名訳とされているポール・ヴェルレーヌのChanson 
  d'automneの訳詩「落葉」は、なるほど訳詩自体が芸術的鑑賞に耐えうるす
  ぐれたものであるが、原詩から受ける感動とはかなり異なったものである。
  原詩は4、4、3という音節の切り方をし、aabccbという脚韻構成を
  もって、舌にからみつくように滑ってゆく。そのもの憂い退廃的なリズムの
  中に、カトリック教会の鐘の音がひびき、背徳者であるおのれの過去を悔や
  みながら、枯葉の飛び散らう冷たい敷石の上を、墓場へでも行くようにうな
  だれて去って行く孤独なヴェルレーヌの影が、落日とともに街に沈んで行く
  。だが上田敏の翻訳の中には、そうしたヴェルレーヌの深刻な魂のなやみ
  (おそらく彼が影響を受けたと思われる「秋の歌」Chant d'automneの作
  者ボードレールのなやみと共通したなやみ)はあまり感じられず、もっと軽
  く気まぐれな感傷のようなひびきに感じられる。まず詩における音楽的構成
  の相違から、すでに詩的イメジの変質をもたらしている。そしてヴェルレー
  ヌの詩の最後の言葉 "Feuille morte." は、上田訳では「落葉かな。」と詠
  嘆的に流れているが、ヴェルレーヌの "morte" という言葉は文字通り、行
  く末の「死」を告げているようである。しかもその死は、彼の過去の罪ゆえ
  に、ことによると地獄であるかもしれない。
                           (つづく)
    (FCVERSEとFPOEMに同時掲載)





定型詩と伝統の問題 (4)

97/06/13 17:11


(長文注意)


     定型詩と伝統の問題 (4) / 佐藤 三夫

     (2. 日本における詩と伝統の問題----つづき)

    上田敏は『海潮音』の多くの詩を定型で訳したが、後の『牧羊神』の詩
  はむしろ多く口語自由詩で訳した。原詩の形式をそのまま訳詩に移し換え
  ることができないために、翻訳者はどうしても原詩の形式よりも内容の方に
  いっそう大きな関心を向けがちである。そのため、詩作品(ポエム)から詩
  想(ポエジー)を抽象して、その意味だけを追及しようとする傾向がある。
  古典文学に心を寄せ、高踏派に同情をいだいたにもかかわらず、上田敏は翻
  訳者の宿命とも言うべきそうした傾向をまぬがれることができなかった。し
  かし短歌俳句的な世界、つまりおよそ四畳半的な身の回りか郷里の野山ぐら
  いしか詩の題材とならなかったわが国のそれまでの詩の狭隘な世界に、上田
  敏の翻訳によっていまやまったく異なった歴史と自然と人情の世界が多面的
  に紹介されたことは、わが国の詩人たちの想像力を大きく発展させる機縁と
  なった。
    ところで『牧羊神』の最初に、彼自身の作品が載っているが、巻頭の「
  牧羊神」という詩は、おそらくわが国における最初の古典主義的作品であろ
  う。マラルメの『半獣神の午後』の影響か、またルネサンスから17世紀ころ
  までに流行したアルカディア運動の影響か分からないが、西洋の古典主義詩
  派で好んで用いられた題材である。ただし小唄的な妙に軽っぽい言い回しが
  時折混入して、感興をさまさせるところのあるのが残念であるが。
    新体詩以来のロマン派の傾向は、すでに見たように詩法への関心の薄い
  分いっそう詩想への関心を強くもった。そこへ怒涛のように自然主義と民衆
  詩派が展開し、ホイットマン式の「何でもOK」の自由詩を流行させた。今や
  詩の形式は無視されて、詩の内容だけが問題とされるにいたった。詩の形式
  がアナーキーになるとともに、詩は特別な文学的才能をもたない者でも、つ
  まりだれでも書きうるものとみなされるようになった。こうして詩は大衆化
  されたが、その結果詩はもはや本来の詩ではなくなった。なぜなら、形式が
  無視されたとき詩と散文とは何によって区別されうるのか。すなわち、詩は
  行を分けただけの散文となり、ついでまったく散文形式で書かれるようにな
  った。
    社会の大衆化は民主主義化を意味するであろうか。大衆の実態は実は小
  市民であって、「小市民は階級ではない。じっさい小市民はたんなる大衆で
  あって、----この大衆のなかでは、大衆心理学で語られるような感情的モメ
  ントが、じじつ力をもっている。だが、だからこそこの種の一枚岩の大衆は
  、耳を澄ましたプロレタリアートの中心メンバーたちのもつ集団的理性とは
  まさしく正反対のものを形成している」とヴァルター・ベンヤミンはその
  「複製時代における芸術作品」の中で言っている。このような大衆はたちま
  ちファッシズムのえじきになるのみならず、熱狂的にそれを支持する基盤と
  さえなってゆくのだ。そして彼らの思想は自覚的であるなしにかかわらずア
  ナーキー的であり、気の向くままに「何でもOK」である。
    しかしこうした詩におけるアナーキズムを徹底的に推し進めたのは、昭
  和初期に展開した『詩と詩論』であった。春山行夫や北川冬彦らを中心とし
  て、西洋のモダニズムの運動、殊に超現実主義やダダイズムを模倣追随する
  試みがなされた。彼らは超現実主義における無意識的自動筆記の手法を取り
  入れさえした。こうして詩のあらゆる形式的約束は打ち捨てられ、詩想もま
  た古典的詩歌の叙情を排して戯画化しようとした。洋の東西を問わず、こう
  した傾向は、近代化の、それゆえ文学的にはロマン主義の行き詰まった退廃
  形態にほかならない。
    超現実主義が詩の革命を主張しても、それは社会の革命とは無縁である
  。そして革命の歌、労働歌、労働者の団結の歌は、ほとんどみな定型詩で歌
  われているが、それらの歌は共同体の共通のリズムを要請するからである。
  超現実主義者は一般に小ブルジョアジーであるゆえ、個々ばらばらなその在
  り様からアナーキーな形式が好みに合うのだろう。実際サルトルが『文学と
  は何か』で言っているように、超現実主義者たちはプロレタリアートの中に
  いかなる読者ももっていないのであり、彼らの大衆は教養のあるブルジョア
  ジーの中にいるからだ。しかし日本の超現実主義者たちは、フランスのアラ
  ゴンたちのように共産党と手を結んだりはしない。春山は超現実主義をフォ
  ルマリスムとしてのみ受け入れるのだと言っている。問題なのは、社会的現
  実ではなく、ポエジーなのだ。『詩と詩論』はあらゆる詩の形式からポエジ
  ーを解放した。しかしそうして形式から裸になったポエジーとは何か。
    北川冬彦は『詩と詩論』第3冊に「詩(ポエジー)の進化」というエッ
  セーを書いている。彼は「詩は、幾多のエヴォリューションにエヴォリュー
  ションを重ねて来てゐる」として、詩はまず「人間のもろもろの実際的要求
  が生んだ効用的特質」をふり落とし、ついで「ロジイク」と「意味」をふり
  落とし、さらに「論理的形式」を捨て、「如何なる物も、詩(ポエジー)の
  対象となり得ないものはない」とし、シュルレアリスムが夢を現実よりも真
  の経験であると考え、さらに「夢を現実の中に建設せんとする詩の出現!」
  と言う。しかし「夢を現実の中に建設」するという考えは何とも古風な考え
  ではなかろうか。「そして、それが所謂散文詩と類似せる形式の故を以て散
  文詩と同一視されはしない。されてはならない。散文詩とは、韻文精神を以
  てかヽれてゐるものなるがゆゑに。新散文詩!新散文詩! 詩的精神は、も
  はや韻文精神を遺棄すべき段階にまで発達して来てゐる」と彼は言う。
    しかし「夢を現実の中に建設」することがユートピア社会の建設でもな
  ければ、社会革命でもなく、単に「新散文詩」に帰着することであるのだろ
  うか。彼の現実観はあいまいなように思われる。ところが北川のこの新散文
  詩運動のあいまいさを、春山行夫は『詩と詩論』第10冊の「新散文詩運動の
  精算」というエッセーにおいて批判している。すなわち「『新散文詩運動』
  といふ用語を定義したのは、北川冬彦氏である。そしてそれによると僕もそ
  の運動の一員となってゐる。しかしながら僕には、『新散文詩運動』とは何
  を目的とし、いかなる方法論を持つか、これが甚だ疑問である。と同時にこ
  の運動に就ての僕の不満がある」と言っている。春山によれば、北川はその
  新散文詩運動をただ「新散文詩を書く」という運動ではないとして、「一度
  び『新散文詩運動』の洗礼を受けると、詩人は甦りあらゆる詩の形式を駆使
  する能力を賦与される。彼は散文詩の形式を使用するだらう。彼はシナリオ
  の形式を借りるだらう。彼はキュビズムの形式をとるだらう。彼は韻文詩の
  形式を再び起用するだらう。彼は戯曲の形式を導入するだらう」と述べてい
  る。
    そして春山は自分の立場を「ポエジイ運動」と規定して、結論的に次の
  ように述べている、「a、「ポエジイ運動が、若し北川冬彦氏の言の如く、
  単に一面的な「新散文詩運動」のみであるとしたら、今日のポエジイはすべ
  て散文文学に征服されてしまはねばならないであらう。b、さもなくは、一
  方散文の本格小説と他方「新韻文詩運動」とを同時に包含する何等かの見地
  を「新散文詩運動」が持つことができるであらうか。c、「新散文詩運動」
  は「新現実派」といふ方向を示した。この新現実とはいかなる現実を指すか
  。これは「新散文詩運動」と「ポエジイ運動」を区別する重要な鍵である。
  d、新現実派が「散文文学」の目的とする「現実」を散文の詩(ポエム)に
  適用することは、「詩」を単に「小説」の断片とするにすぎない。e、若し
  これを「ポエジイ運動」の目的とする「現実」とするならば、それは根抵的
  に「新散文詩運動」と決別せねばならない」。
    結局、両者は決別することになった。しかしそうした春山自身のポエジ
  ー運動もまたあいまいそのものである。形式を離れたポエジーは、肉体から
  離脱した霊魂のように、中空に何ものとも分からずにただよわざるをえなく
  なるのでなかろうか。特定の形式を得たポエムとならない単なるポエジーは
  実際のところ何ものでもない。それは真昼の夢よりはかない幻にすぎない。
  ところがポエムの形をとった春山のポエジーは、ナンセンスな印象的散文以
  上の何ものでもなかった。たとえば彼の「POESIE」と題した作品(『詩と
  詩論』第10冊所収)を見るといい。
   「花を花を花を花を花を僕は買はねばならない
    僕がインクで弓を書く僕の椅子に踊子が座る
    であらうしかしひとは観念を換へないであら
    うひとはすべてその故郷では花甘藍を置換へ
    ないで鉄道広告の偽善を信じないであらう
    僕がそれを知って旅行してゐる時颱風は蝶
    を知らないでそれを吹き飛ばすであらうか
    (以下略)」
    このような詩行が23行もつづいているが、これが超現実主義的詩だと
  主張されると吹きださざるをえない。まず冒頭の「花を」という語を五つも
  並べることにいかなる審美的意義があるのだろうか。「たくさんの花を」と
  いうことか、それとも他の何ものでもない「花」を買うことを強調したいの
  か。いずれにせよ同語反復を5回も繰返すというのは表現法として愚劣でし
  かない。それとも無意識的自動筆記をしたとするには、全体として主語や目
  的語や動詞が日本語固有の文法の規則にのっとっていて、実にコンヴェンシ
  ョナルに言葉が展開している。「花を食はねばならない」というのなら多少
  奇異な言葉の取合せを感じないでもないが、「花を僕は買はねばならない」
  というと、まったく小市民的いじましさがにじみ出てしまう。
    2行目、「僕がインクで弓を書く」は、「インク---弓---書く」とい
  うように、「インク」と「書く」との間に「弓」という語がはさまってある
  にもかかわらず、「インク---書く」というコンヴェンショナルな語の結び
  つきがなされる。しかも「インク---書く」だから次に「僕の椅子に踊子が
  座る」と来る。「インク---書く---椅子---座る」という観念連合はまった
  くコンヴェンショナルな日常性の中に読者を送りこむ。ここには超現実的な
  ものは何もない。そのような言葉の羅列を23行も読まされると、読者はつ
  くづくと倦怠感におそわれてくる。これは詩ではなくして拙劣な散文以外の
  ものではない。想像力の飛躍もなく、日常的陳腐な漫談にすぎない。
    われわれがすでに見たように、もともと韻文の形式が詩的表現の虚構性
  をつくりだしていったのだ。韻文形式が廃棄されるとき、想像力の翼の緊張
  を維持することは困難になる。散文は日常的事実の無感動な記述に適合した
  表現様式である。それゆえ、それは新聞などジャーナリズムに奉仕するか、
  科学的記述に採用される。小説のような虚構の作品においてさえも、読者に
  虚構性を強く感じさせるような作品は失敗作とみなされる。それゆえ、自然
  主義や写実主義の手法をとる小説が最も成功することになる。これに反して
  詩は初めから虚構的表現様式である。
    アリストテレスがその『詩学』の中で「詩人の仕事は、すでに起こった
  ことを語ることではなく、起こりうることを、すなわち、ありそうな仕方で
  、あるいは必然的な仕方で起こる可能性のあることを、語ることである」と
  言ったのは、このことを指していると思われる。詩人はvirtualな対象を表
  現するのであって、その想像力によってrealな、あるいはまたfactualな世
  界を超え出るのである。そして詩人がvirtualな対象を表現しながらも、そ
  の表現にある実体性をあたえるのは韻文形式を採用するからである。詩人の
  想像力が個性的であっても、韻文形式は初めから読者との間に共通の感動の
  基盤を設けているからである。
    島崎藤村や日本高踏派あるいは象徴派とも呼ばれるべき詩人たちによる
  定型詩の可能性の探求が、漸く端緒についたばかりのところに、爆発的な自
  由詩あるいは散文詩運動によってその芽がつみとられてしまったことは、い
  くら嘆いても足りないことである。なぜならそのとき以来、日本の近代詩は
  、日本の近代小説の婢になり下がってしまったからである。つまり自由詩運
  動あるいは散文詩運動の詩人たちが考えたことは、詩におけるよりもはるか
  に散文の方がよく表現しうるために、そうならざるをえなかったのである。
  詩の独自性が失われるとき、詩は散文に追随し、散文に吸収されるほかない
  。行分けした印象的散文は、詩としての固有の価値を失った散文の一形態に
  すぎない。
                           (つづく)
    (FCVERSEとFPOEMに同時掲載)







定型詩と伝統の問題 (5)

97/06/17 00:14


(長文注意)


     定型詩と伝統の問題 (5) / 佐藤 三夫

     (2. 日本における詩と伝統の問題----つづき)

    詩の機能と散文の機能とが混錯して考えられていることは、日本の近代
  文学の悪しき特徴である。日本の近代小説において、バルザックの小説に見
  られるような徹底した散文精神が確立されなかったことは、日本の近代詩が
  確固とした定型詩の様式を確立しなかったからだと言うことも、一面におい
  て可能であるように思われる。なぜなら、定型詩の伝統のみがポエジーにつ
  いての一般的観念を成立させるのであり、それによって初めて本格的な散文
  精神が自覚されるのであるから。それゆえ、日本の近代小説の低迷を救うた
  めにも、定型詩運動が詩の正統の確立をめざして一般的に展開されなければ
  ならないのである。
    実際、日本の現代詩の混乱と貧困は、詩についての一般的観念の喪失に
  起因している。そのような状況をもたらした責任の一端は、『詩と詩論』な
  どによる散文詩運動にあるであろう。しかし『詩と詩論』はそれまでになか
  った国際的な都市的文化を詩想(ポエジー)に盛った点において、新しい詩
  の展望をひらいた。春山行夫、北川冬彦、滝口武士、滝口修三、山中散生、
  飯島正、上田敏雄、西脇順三郎、北園克衛、村野四郎、安藤一郎、等々は、
  当時における前衛的な西洋文学を学ぶなかで詩と詩論を展開した。そのこと
  から彼らは主知主義的な立場を貫こうとし、そうした立場をいわゆる「現代
  詩」の基本的な立場とみなそうとした。それゆえ彼らは自然発生的な感傷主
  義を批判の対象とした。
    春山行夫はその「無詩学時代の批評的決算」というエッセーにおいて、
  自然主義文学時代のポエジーを次の四つに分類し、それらを無詩学的なもの
  として批判した。すなわち、「一 デカタニスム(Decadenisme) 北原
  白秋、岩野泡鳴より佐藤惣之助に到る 二 感傷派(Sentimentalisme)
  A 室生犀星、萩原朔太郎等のSentimentalisme + Decadenisme  B
   生田春月氏 etc, etc,  Sentimentalisme 三、 民衆詩派 富田砕花
  、福田正夫、百田宗治、白鳥省吾諸氏 四、 人生派」(表記は原文のま
  ま)。春山はこうして、自然主義文学を「最も文学に縁遠い感傷主義」と規
  定した。そして彼にとって文学とはポエジーのことであった。
    『詩と詩論』の流れにそった詩人たちが散文詩に傾斜しながら、小説な
  どの散文文学と区別して詩の独自性を確立しようとして、どのような戦術を
  取ったかは興味深いものがある。たとえば西脇順三郎は「超現実主義詩論」
  というエッセーにおいて、「人間の存在の現実それ自身はつまらない。この
  根本的な偉大なつまらなさを感ずることが詩的動機である。詩とはこのつま
  らない現実を一種独特の興味(不思議な快感)をもって意識さす一つの方法
  である。俗にこれを芸術といふ」と言っている。こうした考えは彼の終生に
  おける詩観であった。
    彼はフランシス・ベイコンを引用しながら、「詩とは現実の人生に不満
  を感じ、現実の人生を以前よりは理智に満足を与へる様な形体に変化せんと
  する人間の希望である。この詩的精神は現今のsurrealismeの先祖とも見做
  さるヽRimbaudによく説明されてゐる。彼の詩は事物の存在がない、併し
  単に希望ばかりある処から出て来る」と言う。しかしランボーの詩は無意識
  だとか夢だとか言う者もいるが、それは大きな誤解であり、「然し詩は夢で
  はない。全然有意識の心像の連結である。詩はespritで考へることであると
  言はれてゐる」と。こうして結局、習慣を破るようなできるだけ無縁な表現
  をエスプリによって結合することによって、快感を得られるような表現を構
  成することが詩作の課題となる。
    北川冬彦は詩を動物精気が知性に吸収された状態だとし、村野四郎はド
  イツのノイエ・ザッハリッヒカイトやエズラー・パウンドなどのイマジズム
  の影響を強く受けた。イマジズムの源流は日本の俳句にあるそうだが、俳句
  におけるイメジの造形法としての取合せや去り嫌いなどの方法が注目された
  のであろう。イマジズムの影響は村野のみならず、『詩と詩論』一派にひろ
  く見られる。安藤一郎はジョン・キーツを崇拝していた。そして生理的な詩
  を嫌った。わたしはある詩会で彼が、「女性の詩には必ずどこかに生理的な
  表現がある」と批判的な意味で言っていたのを聞いたことがある。こうして
  『詩と詩論』の詩人たちは基本的に主知主義的立場をよりどころとした。
    しかしながら戦争がすべてを灰にしてしまった。西脇順三郎は「詩の世
  界について」(『斜塔の迷信について』所収)の中で、「第二次大戦の新し
  い詩というのは第一次のものに比較すれば殆ど何も意味しないように思われ
  る----。ヨーロッパ文学ではとにかく詩という表現形式は衰微した。文学と
  いえば、主として小説か又は人生哲学的思想のエッセイである」と言ってい
  るが、日本の場合も状況は同じである。戦後は、左翼詩人の一部の者たちや
  、『荒地』などのサークルによって詩の混乱は深められた。荒廃の気分やイ
  デオロギーだけでは新しい詩は生まれない。現代の混乱した社会に秩序をあ
  たえるための詩の形式への模索を試みる者はほとんどいなかった。混乱した
  社会は、感情と知性と意志の混乱によって人々が秩序ある結合をもてない状
  態を示しているにもかかわらず、詩人は感情と知性と意志を言葉によって秩
  序づけようとする努力を怠り、かえって混乱した言葉によって社会の混迷を
  深めた。そして今日においてさえなおその責めを負おうとしないのだ。こう
  して詩人たちは社会からますます見放され、健全な社会人はだれも現代詩を
  顧みようとはしなくなった。
    われわれはわれわれの主題からして、マチネ・ポエティク運動の挫折に
  ついて触れないわけにはいかない。『マチネ・ポエティク詩集』の序文をな
  している「詩の革命」の中に、このグループの詩的精神が表明され、また
  "notes" の中に彼らの方法論上の諸問題が述べられているのであるが、それ
  らの中にすでにこの派の運動が挫折するいくつかの要因が秘められている。
  なるほど、「現代の絶望的に安易な日本語の無政府状態を、矯め鍛へて、新
  しい詩人の宇宙の表現手段とするためには、厳密な定型詩の確立より以外に
  道はない」ということについては異論の余地がない。そして「日本の伝統的
  な叙情詩の中に可能性のまヽで眠ってゐた、普遍的な形式を発見し、意識的
  な抵抗として自らに課する時、時は始めて現代的意味を獲得する」というこ
  とは、われわれの考えとかなり一致する。
    しかし「従って現代文学の再建にとって第一歩は創造的主体の確立であ
  ると云ふ時、我々も亦、マラルメから始めなければならないと云ふ意味であ
  る」と言われるとき、また「と同時に、他面、同人の詩作のうちには、直接
  、語彙とイデーの展開法とを新古今的叙情に借りる作品が見られる如く、わ
  れわれの中世の持つ、最も洗練され最も完成した一詩風、謂はば、拾遺愚草
  の象徴主義は却ってわれわれのうちにこそ、その復活と再生を見出すべく、
  またそのことによって、われわれは、遠く確かな日本の伝統の根につながる
  ことを信ずるものである」と言われるとき、ひとはなぜ彼らの作品において
  ポエジーが貧困であり、しかも新しい必然性をもった日本語をうち建てられ
  なかったかを知るのである。
    その挫折のまず第一は、彼らがフランス象徴派のイデーと方法とを直
  輸入し、それらをわれわれの伝統そのものによって批判的に対決することを
  怠ったために、作品は日本の詩としての必然性を欠いた消化不良の排泄物の
  ごときものとなったということである。かかる姿勢は彼らのその後の文学活
  動全体に災いをおよぼし、いたずらに西欧の作家や批評家の受け売りに堕さ
  しめた。その第二は、このように伝統と状況とのまったく相違したフランス
  象徴派のイデーと方法を、無反省に新古今的詩風と結合することによって、
  「中世以来、専ら西欧詩人達のみの形式に役立って来た此の<<叟生児の微笑
  >>を、我国の叙情詩の第四の革命のための武器として、我々は再び東洋の手
  に奪還する」ことができると安易に夢想したことである。精神史的状況のか
  なり異なった二つの芸術的立場のイデーと方法とを、その皮相的一致点のみ
  に注目して直結させるということは、あまりに浅薄な無謀な企てというほか
  ない。
    その上、新古今集は日本の詩歌の歴史の上でさほど価値あるものとは思
  われない。正岡子規は『歌よみに与ふる書』において、万葉集および源実朝
  の歌を賞揚する反面、古今、新古今を下らぬ集と呼び、定家の歌にはろくな
  ものが無いとしている。島木赤彦も『随見録』の中で「新古今の歌は、これ
  を総括して言えば、甘え歌であるから力が弱く、力が弱いから強い叫びにも
  ならず、深い沈潜にもならない。多く因襲的既成概念に安んじて心も詞も遊
  んでゐる。詞の機智的な遊びが行はれるために軽薄感を伴ふことが多い。こ
  れが万葉と全く相反する諸点である」ときわめて適切に批判している。
    実際、『新古今集』の歌の多くは、リアリティのあるイメジに訴えるこ
  とをせず、理屈による説明にたより、語呂合わせのように千篇一律の常套句
  を用いて、陳腐きわまりない固定観念をあきもせずに並べている。その浅薄
  な比喩をもって象徴と呼ぶにはちゅうちょせざるをえない。それに比すれば
  、ボードレールの「コレスポンダンス」に歌われた象徴のイデーの方がまさ
  ってさえいる。それゆえわれわれは、新古今の中に生き生きとしたポエジー
  の躍動をほとんど感じない。むしろそれはポエジーの枯渇した作品の見本の
  ようなものでなかろうか。かかる新古今に範をとったマティネ・ポティクの
  詩人たちの作品がたどるべき運命は、おのずから明らかであろう。彼らの宣
  伝にもかかわらず、彼らの作品が、ポエジーの生命感にはりつめた美しい歌
  調をかなでないのは、無理からぬところである。
    よく日本の近代語は詩語としては不適当であると言われる。つまり西洋
  の言語に比して音楽的効果がまったく劣ると。しかし古来、洋の東西を問わ
  ず、詩歌というものはそれぞれの国語の特質を生かして歌われてきたもので
  ある。しかもその国語を彫琢し、練磨するのは詩人の責任である。日本の古
  典における言語にしても、それが芸術的な使用に耐えるように矯め鍛えられ
  るためには、多くの天才的な努力が必要とされたのである。言葉の番人とし
  ての詩人が、みずからかかる責任を放棄するならば、彼はまさに、詩人とし
  て失格であることを自認することになる。
    その上、スターリン言語学をまつまでもなく、言語は他民俗による征服
  や革命によってさえ、その枝葉末節に多少の変化を生じるのみで、その基幹
  にはほとんど変化をおよぼさないものである。それゆえわれわれの過去の言
  語遺産は、その枝葉末節の変化を別にすれば、そのほとんど多くが今日のわ
  れわれの中に生きており、また生かされうるものである。言いかえるならば
  、意識的であると無意識的であるとにかかわらず、われわれの使用する言語
  のおのおのは、かかる伝統の基盤に支えられて初めて伝達の機能に耐えてい
  るのである。それゆえ、詩人が読者にあるイメジを喚起するために用いる言
  葉は、その詩人の意図がいかに新しかろうとも、きわめて深い伝統の層を担
  っているのである。
    このようにして詩人は、この言葉を通じて実は伝統的言語芸術と内面的
  かかわりをもつにいたるのである。つまり詩人はみずからの表現を通じて伝
  統の中で批判される運命をもつ。ひとが自己を詩人として選ぶかぎりにおい
  て、彼はかかるかかわり、かかる運命をも共に選ぶことになるのであり、そ
  れから逃れることはできない。むしろ彼は、かかる歴史的民族的淘汰に耐え
  てきた伝統の基盤をしっかりと内面的に把握し、それを新しい角度から照明
  することによって形象化するならば、彼は民族の魂の歌い手としての価値を
  かちうることになろう。
    しかしわれわれはロマン主義者たちのように単なる民族主義の殻に埋没
  するならば、世界の運命への参加において大いなる過ちを犯すであろう。そ
  のことは、二度の世界大戦の経験を通して明らかであろう。そして三回目の
  世界大戦があるならば、われわれの民族のみならず、人類が死滅することは
  周知のことであろう。言葉は人間相互の間を結びつけるきずなであり、詩人
  はその言葉の番人であるとするならば、詩人は言葉を通して世界の平和のた
  めに寄与する責任がある。たとえ言語の相違があろうとも、その相違の壁を
  乗り越えて、世界の魂を結びつけるための努力がなされなければならない。
  それはいかにして可能であろうか。その可能性をひらくものは、普遍性の理
  念である。詩に関して言うならば、普遍的価値理念をめざした詩の在り方と
  して、すでに古典主義の流れが古代からある。
    異質文化の理解は、感情移入によってと同時に知性によってなされる。
  言語の形式的側面が各国語固有の歴史によって制約されているとしても、
  言語の内容的側面においてわれわれは異質文化をも努力しだいでかなり理解
  しうる。実際そうして異質文化は相互に交流され、混交され、総合されてき
  た。詩で言うならば、詩の形式はある程度それぞれの国語の伝統的制約を受
  けるであろうが、詩想(ポエジー)に関しては異質文化の所産である詩をも
  かなり深く理解しうる。こうして異質文化の所産である詩を理解しようと努
  力するならば、われわれはわれわれの文化共同体の枠の範囲内だけでは得ら
  れなかった新たな詩的経験の地平をひらくことが可能になるであろう。それ
  はわれわれ自身の詩的文化をかぎりなく豊かにしてゆくであろう。たとえば
  、芭蕉による俳諧の新風が、彼とその弟子たちによる漢籍の研究と消化に負
  うていたことは広く知られているところである。
                           (つづく)
    (FCVERSEとFPOEMに同時掲載)







定型詩と伝統の問題 (6)

97/06/21 01:26


(長文注意)


     定型詩と伝統の問題 (6) / 佐藤 三夫

     3. 定型詩試論

    正岡子規は、「歌の歌ふべきことはいふ迄もなし。古の歌を歌ひしのみ
  ならず、今の歌も歌ふなり。歌ふ者なればこそ五言六言七言などそれぞれの
  調子もあれ、歌はぬ者ならば何しに字数平仄を合すべき。然るに古の歌は歌
  ひて、今の歌は歌はずと思へるは間違なり。但歌ふ調子は古と今と異なるべ
  し、同時代にても人によりて異なるべし」と言い、また美の標準は美の感情
  にあるのであって他の事物にあるのではなく、それゆえに美は善悪の外に立
  つと述べている(『歌よみに与ふる書』)。
    またエルンスト・グローセは『芸術の始源』の中で、「詩とはある一つ
  の美的目的を達するために美的効果を有する形式において表示された内界も
  しくは外界現象の言語上の表現である。その表出は単に美的目的に従事する
  。すなわち詩人は行為を刺激せんと欲するのではなく、感情に訴えるのであ
  り、しかも感情以外の何物にも訴えるのではない。かくてこの定義は、一方
  においては、感情の詩的ならざる表出から叙情詩を区別し、他方においては
  、叙事詩や戯曲を教訓的および美辞的な表現や記述から区別する。そしてそ
  れの創作および威力の神秘もまた実にこの点に存する」と言っている。
    多少ロマン主義の影響を感ずるが、両者とも東西の相違にかかわらず、
  詩歌の本質論に関して同じ考えを述べている。ところで問題は歌う調子、お
  よびそれを支える形式にある。芸術の科学的研究を企図したグローセは、上
  述のことをあらゆる原始民族の詩歌の中に立証し、その探究を通してすくな
  くとも原始民族においては、言葉は単に旋律の支持者たるにすぎず、歌の形
  式のために歌の意味が犠牲に供されていると述べている。しかも多くの原始
  民族は、ほとんど自分の歌っている歌の意味を理解せず、韻律のために文法
  的構造ははなはだしくゆがめられている。
    「かくてわれわれは最低級の文明における叙情詩は、主として音楽的性
  質を有しており、詩的な意味はただ二次的として有しているにすぎないとい
  う結論に達せざるをえないのである」と彼は言う。このようなグローセの見
  解は、われわれが詩における基本的問題を考える場合に、きわめて有力な手
  がかりをあたえてくれる。すなわち、詩が根本的に感情に基づいて歌うもの
  であるかぎり、最も一般的に歌う人の感情に訴えるものは、歌の形式であっ
  て、歌の意味は第二次的な効果しかないということである。そのことは今日
  のロック歌手たちの歌に歓呼していっしょに歌い踊っている聴衆のことを思
  えば理解できるであろう。聴衆のほとんどは歌詞の意味を正確にとらえて歌
  っているわけではなく、歌手の歌う曲をハミングしているか、言葉ともなら
  ず叫んでいるか、そして多くは>>baby<< とか >>love<< とか >>peace<< と
  か、この種の歌で慣用的に用いられているごく単純な言葉とほとんど騒音に
  近い曲だけに酔って、黙って手足を動かすだけである。熱狂するにはそれで
  も十分なのだ。
    詩におけるイメジが言葉の音のひびきから独立して成立するという考え
  は、詩の現実的事態から遊離せる錯覚である。むしろ、詩において言葉の音
  楽的性質はイメジを規定する形式となる。サルトルは『文学とは何か』の中
  で、詩における言葉の機能を述べながら、次のように例示している、
  「Florenceは街であり、花であり、女である。それは、同時に花なる街、
  女なる街、花なる娘である。このような姿をした奇妙な対象は、川fleurの
  流動性や黄金orのやさしい鹿の子色の熱さをもち、最後に礼節decenceに
  熱中して、たえず弱まっていく無声のe により、その含みある開花をかぎり
  なく延長する」と。われわれはこのようなFlorenceの詩的イメジを、この
  言葉の音のひびきに固有なフランス語のニュアンスから離れてとらえること
  ができるであろうか。
    またたとえば、芭蕉の「古池や」の句を西洋の言葉に翻訳して、はたし
  てわれわれが原句を読んで感じる風情が西洋人にどれほど伝わりうるであろ
  うか。むしろ彼らの多くは原始的な印象詩とみなすのでなかろうか。それは
  単に思考法の相違のみによるものではない。その句がもっている語調の上の
  気品は、ほとんど他の国語の言葉によって表わしうるものではないからであ
  る。一見したところ意味内容が同じであっても、語感の相違はイメジの質を
  決定的に変えてしまう。
    また反面から考察してみるならば、心理学的に言って、イメジの構成の
  面白さを理解するためには、詩を読んでから多少の時間と努力とを要する。
  つまりそのためには、知能的屈折を必要とする。それはいわゆる詩的イメジ
  の把握が、映画などと違って、抽象的文字の理解を通じて間接的に行われる
  からである。しかし言葉の音のひびきは、直接に感覚に働きかけて、すぐさ
  ま反応を起こさせる。詩的感動は、まず言葉の音のひびきによって直接的に
  感覚的によび起こされる。ついで言葉の意味をもととして生まれたイメジの
  構成の面白さが理解され、言葉の音のひびきによる感覚的快感に加算されて
  読者の感情を動かす。そしてたとえイメジの構成に多少の破綻があっても、
  また言葉の意味がよく理解されなくとも、言葉の音楽性が詩を救ってくれる
  。そのことはグローセが原始民族における叙情詩について述べたことにおい
  ても明らかである。
    ひとがイメジの構成についていだく良否の感情は、個人的な趣味の相違
  によってかなり異なる場合がある。その読者の生い立ちからの環境、経歴、
  教養、性癖などによって相当程度左右される。しかし言葉の音のひびきがも
  たらす生理的反応は、それよりはるかに個人差のすくない、したがって一般
  的なものである。それは各国語の詩にはその国語独特の一定のリズムをもっ
  た基本的な詩形が、一般的な仕方で存在していることを見ても知られること
  である。
    たとえばフランスの詩におけるアレクサンドラン、イギリスの詩におけ
  るiambic pentameter(または五歩格無脚韻のblank verse)、日本の古
  来の詩歌における七五調というような伝統的な詩形を見てみるとよい。それ
  らの詩形の作品の朗唱によって期待しうる聞き手あるいは読者の反応の一般
  性は、それぞれの国語の範囲内にとどまるものであって、それぞれの国語の
  特性にかかわっていると考えられる。つまり国語の差異に応じて語感による
  心理的反応が異なってくる。それゆえ、日本の詩の中に、英詩独特の抑揚格
  iambusをもちこんでみても何らの意義もないし、また12音の言葉数だけを
  そろえたからといって、日本語の詩がフランス語におけるアレクサンドラン
  の効果をもちうるものでもない。そのような無謀な試みは、いたずらに日本
  語による詩歌を混乱させるだけであって、あたかもチョーサーの後サレイが
  現われるまでの間、英語の個性に則った作詩法とフランスやイタリアなどの
  作詩法とが混同されたために、英詩の混乱が現出したような事態をひき起こ
  す原因となりかねない。それゆえ、われわれが探求しなければならないのは
  、日本語の特質に即した韻律である。
    それぞれの国語の詩歌における韻律は、たとえある天才によって創始さ
  れたものであろうとも、それが一般的に受容され定着するためには、歴史的
  民族的な力によって支持され、または規定されるのでなければならない。日
  本の古来の詩歌における五七調や七五調もそのようにして決定されてきた。
  したがってこのような韻律が、歴史的民族的な淘汰を経てきたものである以
  上、そのかぎり歴史的民族的な妥当性をもったものと言わなければならない
  。つまりこのような韻律によってわれわれは、必然的に、ある普遍的な感動
  を呼び起こされる。
    現代詩人たちがこのような日本古来の韻律を敬遠する理由は、それが果
  たして現代語に適合したものであるかどうかということを除いては、有力な
  根拠がない。しかもわれわれがすでに指摘したように、現代語がそれ以前の
  語との間に、枝葉末節の変化を除いては、ほとんど本質的変化がないかぎり
  、このような古来の韻律はほとんど今日においても妥当性をもちうるものと
  言われなければならない。またもっと慎重に言うならば、たとえ現代語がそ
  れ以前の語との間に多少の差異をもってきたとしても、そこに本質的変化が
  ないかぎり、すくなくとも現代語による韻律の問題は、古来の韻律の基礎の
  上に立ってのみ検討されうることである。その上で初めて修正すべきものは
  、新しく歴史的民族的に淘汰されていくであろう。詩人はその作品を通して
  その試案を世に問わなければならない。
    それゆえにわれわれは、伝統的詩歌における韻律を検討することから始
  めなければならない。和歌や俳句や今様などの韻律を生かして、現代的なポ
  エジーを詩作品にもりこむことができないであろうか。さらに、五音と七音
  とは厳密に基本的な韻律であったのだろうか。またはもっと別な基本的な韻
  律が伝統的詩歌の中にかくされていたのではないだろうか。韻律の基本的単
  位として、五音と七音とはもっとすくない音数の単位に分解しうるか否か。
  五音と七音との音数による語感に比して、それ以外の音数によるよる語感は
  どのように異なるか、等々。わたしはここでただ、わたし自身の経験から得
  られたものをもととして、今後修正されることを必然的に予想している若干
  の試案を述べることしかできないことを許していただきたい。
    まず現代的ポエジーを伝統的韻律によって表現するということについて
  は、わたしがこれまで発表した作品、および今後発表していく作品を実例と
  して評価していただくほかない。しかしながら、T. S. エリオットの言うよ
  うに、芸術というものはけっして進歩するものではなくして、ただ芸術の素
  材がたえず変わっていくにすぎないのであるとするならば、現代的ポエジー
  をもった作品がそれだけで古典的作品よりもすぐれた価値をもっているとか
  進歩しているなどという理由にはならない。李白や杜甫や人麻呂や実朝や芭
  蕉や蕪村などに匹敵しうるような芸術的価値をもった作品を生みだすために
  は、単に新奇ということだけ取柄の小手先の趣味では問題にさえもなりえな
  い。
    今日のわが国における詩人たちの多くが、新奇ということをあたかも作
  品評価の基準であるかのようにみなしている傾向があるが、これは彼らが日
  本の詩歌の伝統に無自覚であるために、芸術的価値評価の基本的基準をもち
  合わせていない結果である。そのことが結局日本の現代詩の混乱をこのよう
  にみちびきだしてしまったのである。しかも日本の詩の形式や様式の新奇さ
  に関しては、すでに『詩と詩論』の詩人たちによって展開されつくした。今
  日の詩人たちはただそれを模倣追随しているだけではないか。新奇さがもし
  独創性をとうとぶことならば、今日の亜流詩人たちにいかなる新奇な形式や
  様式を期待すべくもないであろう。
    ポール・ヴァレリーは、「新しさとは、定義上、ものごとの滅びゆく部
  分である。新しさの危険は、それが自動的に新しくあることをやめ、まった
  くの喪失として新しくなくなることである。あたかも若さや生命のように。
  この喪失に反対しようと試みることは、それゆえ、新しさに反対してふるま
  うことである。それゆえ、芸術家として新しさを求めることは、消滅するこ
  とを求めることであるか、あるいは、新しさという名前のもとに、まったく
  別なものを求めて軽べつを買うことか、そのいずれかである」(Tel quel,
  Literature, in OEuverus II, Bibliotheque de Pleiade, Paris, 1960,
  p. 560)と言っている。
    またT. S. エリオットはその「伝統と個人的才能」の中で、「いかなる
  詩人も、いかなる芸術のいかなる芸術家も、ひとりだけでは彼の完全な意味
  をもたない。彼の意義、彼の評価は、今は亡き詩人たちや芸術家たちと彼と
  の関係の評価である。諸君は彼を単独で評価することはできない。彼を今は
  亡き人たちの間において、対照し比較するのでなければならない。わたしは
  このことを、審美的批評の一原則として言うのであって、ただ単に歴史的批
  評の一原則として言うのではない」(Tradition and the individual 
  talent, Selected Essays,  London, 1951, p. 15)と言っている。そして
  それら今は亡き厖大な詩人たちのすぐれた作品と比較対照して、自分の個人
  的才能がいかほどのものであるかを顧みてみるがいい。20世紀の詩と詩論を
  方向づけたこれら偉大な二人の詩人の言葉に、われわれは謙虚に耳を傾ける
  べきではなかろうか。
                           (つづく)
    (FCVERSEとFPOEMに同時掲載)







定型詩と伝統の問題 (7)

97/06/26 02:16


(長文注意)


     定型詩と伝統の問題 (7) / 佐藤 三夫

     (3. 定型詩試論----つづき)

    わが国における定型詩の形式に関する理論のうち、土居光知氏の「詩形
  論」は最もすぐれたものの一つであろう。土居氏は藤村の「おえふ」という
  詩を分析しながら、
    >>水静かなる 江戸川の
     ながれの岸に うまれいで
     岸の桜の 花影に
     われは処女と なりにけり<<
  「この詩は七音節と五音節とを合わせて一行としたものであって、七音節或
  は五音節は単独に行をなすものでなく、これを英詩に比較すれば「水静かな
  る江戸川の」が 'Tel me not, in mournful numbers' (Longfellow)の
  如き一行にあたるものであり、七音或は五音がこの英詩の一行にあたるもの
  でないことは誰も認める所であろう。この英詩の行もまた二音節に分れてい
  るのである」(『文学序説』再訂版、岩波書店、1978年)と述べている。つ
  まり、わが国の詩歌の七五調の詩は12音まとまって初めて単独の一行をな
  すのであって、しかも「十二音行が七五の如くに分たれて、六六と分たれる
  ことのないのは半折されるとあまりに単調になることがその主なる理由であ
  ろう」。
    しかし五音節および七音節は音律の単位ではなく、音律の上から音を区
  分すると、
     みづ しづ か なる えど がは の ー  2212、2210
     なが れの きし に うま れ いで ー  2221、2120
     きし の さく らの はな かげ に ー  2122、2210
     われ は をと めと なり に けり ー  2122、2120
  となると言う。語法の上からは「ながれ・の」「さくら・の」「をとめ・と
  」「ながれ・て」のように分たれるが、「このようによめば、調子がわるく
  少しも音律的美感を伴わない。----この事実を承認すれば音声は意味によっ
  て区分されまた総合されてゆくと共に、純音律的な要求からも区分され、ま
  た総合される傾向のあることを認めなければならぬ」。つまり、「三音の時
  には中央の音に強勢を置く時のみ一気力で発音することを得るが、両端に強
  勢を置けば二気力を必要とする」。こうして「七五音を一行とするものは八
  の音律単位、即ち、八音歩(foot or time-unit)を有するということがで
  きる」。
    しかし土居氏のこうした詩歌の音律論は伝統的なものではなく、ロマン
  主義的な立場に立ったものである。すなわち、「英詩でも十八世紀頃迄詩学
  はシラブルの数を揃える音数律論であった。しかるにコウルリジ等ロマンテ
  ィック派の詩人はアクセントの数を揃えればよいと主張し、かつ実行した。
  アクセントに音律の基礎を置くことは気力の法則を認めることであり、音歩
  の等時性を律動の基礎とすることであった。日本でも従来の歌形学はすべて
  音数律論であった。それ故私はここに「詩形論」を試みるに当り、すべての
  先輩の論議と私の見方を聯結することなく、それらの音数論から独立して、
  等時性の音歩を見出そうとしたのであった」と彼は言っている。
    しかし日本語の音律を英語のアクセントにしたがって捉えるというのは
  、言葉の文化的伝統を無視したいささかならず乱暴な議論であるように思わ
  れる。詩が元来歌われるものであるかぎり、人間の呼吸と関係があり、一呼
  吸でどれほどの音節を発声しうるかは、ある程度特定しうるかもしれない。
  しかし音の物理的時間が即そのまま詩の音律であるわけではない。土居氏の
  ようにある詩の行を読む時間を物理的に測定しても、それだけで詩の音律の
  基本的概念を規定することには、いささか飛躍があるように思われる。なぜ
  なら、詩の音律は文化的な価値の形式なのであって、その文化的価値はそれ
  ぞれの国語の文化的伝統を通じて形成されてきたものだからである。あたか
  も、黄金やダイヤモンドは重さに比例して価値を増すが、そのことは黄金や
  ダイヤモンドそれ自身に価値があるからではなく、人間の相互主観的価値意
  識の対象化によるものであるのと類似している。
    人間の自然的呼気の長さはある程度一定したものであろう。しかしその
  呼気の長さに基づいて形成された詩の音律の長さは、英詩ならば10音節、
  フランスの詩ならば12音節、イタリアの詩ならば11音節が最も伝統的な普
  遍性をもった音律とみなされているように、それぞれの国語において微妙に
  異なるのは、物理的な音の長さだけが詩の音律の決定要因ではないことを証
  拠立てている。音の物理的な長さは生理的条件のおおよその範囲を指示して
  いるにすぎない。英詩の10音節、フランス詩の12音節、イタリア詩の11音
  節を規定したのは実に文化的伝統なのである。
    わが国の伝統的詩歌における五音と七音との構成は、これをさらにすく
  ない音数の単位に分解することができなくはない。たとえば源実朝の
    時によりすぐれば民のなげきなり八大竜王雨やめたまへ
  の歌において、「雨やめたまへ」は四三の調を用いて結句を強くしめたので
  あるが、しかしこのような四三の分解音も、七音というわくの中において初
  めて生きてくるということを注意しなければならない。もしこのような五音
  、七音という基本的な音韻のわくをはずして、四音三音、あるいは二音三音
  が日本語の音韻要素であるとして、これを以てただちに作詩上に役立てよう
  としても、けっして上の歌のような効果ある音韻構成は望めないのである。
  そしてわれわれが上の歌を詠む場合にも、「雨やめたまへ」は七音を一気に
  詠んで初めてこの歌の調子を捉えうるのであり、四三に分解することは、こ
  のような七音がもたらす一つの全体的にまとまった感動の解剖学的知識を得
  るための手段でしかない。つまり、われわれが水を認識するために、それを
  水素と酸素との構成要素にまで分解することは必要であるが、しかしだから
  といって水素と酸素を混合させただけでは水は得られないのと同様である。
    これをフランスの詩におけるアレクサンドランの場合と比較するならば
  いっそうはっきりと理解しうると思う。12音節からなるアレクサンドランの
  詩句versは、第6音節の終わりに休止cesureがおかれて、二つの半句
  hemisticheに等分される。この半句はちょうど日本の詩歌における五音ま
  たは七音の区切りと似ていて、詠むためや聞くための軽い息の休止と意味上
  の軽い区切りとなっている。ところがこの半句はさらにそれぞれ二つの
  mesureに分かれ、このmesureが詩句のリズムの最低単位となる。それぞ
  れのmesureの息の長さは同じであるが、音節の数は一ないし五音節となっ
  ている。しかも個々のmesureだけでは独立した詩的イメジが形成されない
  。詩的イメジと結びついた韻律単位としてはどうしても半句が最低単位とな
  らなければならない。
    われわれが単にまったく抽象的に、韻律の問題を詩的イメジの問題から
  独立させて考察することは、すくなくとも具体的に作詩の現実的理論を究明
  するためには無意味であるというほかない。詩的イメジを形成するための最
  低の韻律単位を求めることこそ、作詩の現実的理論を具体的に展開するため
  には必要なのである。詩における音楽性の問題は、詩的イメジの問題と不可
  分な有機的結合をなしているということを、われわれはくりかえして主張
  する。「雨やめ」と「たまへ」とを分解してしまっては、たとえそれが音調
  理解のために必要な分析であるとしても、それらの分解された語句そのもの
  によっては、いかなる詩的イメジもしたがって詩的感動も形成されない。こ
  のような分析が意義をもつのは、「雨やめたまへ」の七音節によって形成さ
  れる詩的イメジを、半面において支えている音調の自己限定の究明のための
  みである。このようにして、日本の伝統的詩歌における五音七音の区切りは
  、詩的イメジを形成するための最低の韻律単位と言われうる。それ以上の分
  解は、このような詩的イメジが支えられている音調の自己限定を明らかにす
  ることを目的とした理論的見地からのみ意義のあることである。日本語の詩
  句を、単に二音と三音との音韻要素の集合とみなす論者は、詩についての内
  面的理解を欠いた非現実的抽象論者と言うほかない。
                           (つづく)
    (FCVERSEとFPOEMに同時掲載)
  






定型詩と伝統の問題 (8)

97/06/27 01:54


(長文注意)


     定型詩と伝統の問題 (8) / 佐藤 三夫

     (3. 定型詩試論----つづき)

    ところで、五音七音以外の音韻構成をもった詩句の音調は、われわれに
  いかなる感じをあたえるであろうか。このことについての分析は、われわれ
  に、五七調以外の詩についての見通しをあたえる。たとえば、先にあげた実
  朝の歌の第四句において、「八大竜王」という八音の字あまりがなされてい
  る。しかしこのような字あまりがなされているために、かえってこの歌全体
  の勢いを強め、八大竜王をあたかも叱咤するごとき気勢があふれて感じられ
  る。総体的に言って、字あまりをなした場合には、心が満ちあふれた感じが
  するように思われる。蕪村の
    夕立や筆も乾かず一千言
    牡丹切って気の衰へし夕かな
  などにおいても同様な感じを受ける。これと反対に、音数の足りない場合に
  は、何かしら不足感、欠如感がともなう。それをかえって巧みに利用したの
  が蕪村の
    をちこちをちこちと打つ砧かな
  という句である。
    こうしてみると、五音七音はやはり安定した感じをあたえる基本的な韻
  律であることが分かる。そして五音七音からはずれる場合には、それだけ詩
  句が散文的な方向に傾斜することが知られる。それゆえ、詩歌が本質的に歌
  うものであるかぎり、歌う形式としては五音七音が最も基本的な韻律単位で
  あると言わなければならない。このことは現在われわれがそのように感じる
  かぎり、現代の詩歌においてももちろん共通することである。
    しかし音楽において不協和音の巧みな導入は、かえって和音をひきたた
  せ、曲全体を単調さから救うことによって生き生きと律動させるように、伝
  統的短詩形式よりもおおむね長い近代詩においては、五音七音などの基本的
  韻律以外のものを、作品全体のバランスをはかって巧みに織り込むことは、
  詩をダイナミックに展開する上にきわめて有効である。しかしこのような非
  基本的音数の語句は、それ自身としては散文的傾向をもっているために、詩
  全体を散文的方向に傾斜させる機能をもっていることをあくまで注意した上
  で使用されなければならない。したがってそれの過度の使用は作品全体を散
  文化せしめる。
    正岡子規は『歌よみに与ふる書』の中で、短歌における字あまりの問題
  について次のように述べている、「或人は字余りとは余儀なくする者と心得
  候へども、さにあらず、字余りには凡三種あり、第一、字余りにしたるがた
  めに面白き者、第二、字余りにしたるがため悪き者、第三、字余りにすると
  もせずとも可なる者と相分れ申候」と。詩の場合においても同様であろう。
    マチネ・ポエティクなどのように無反省に西洋の詩法をわが国の作詩の
  上に直輸入しようと試みた者たちは、いたずらに音数の厳密な定型を主張し
  て、日本の伝統的な詩歌芸術において多くの成果を得てきたこうした字あま
  りの妙味を解しない。われわれが日本語で詩を書くかぎり、伝統的詩歌にお
  けるこうした成果を大いに活用すべきであると思う。しかもそれは日本固有
  の定型詩を現実的に展開するためには、きわめて意義のあることである。フ
  ランスにおいても、フェヌロン(1651-1715)のような古典主義者でさえ
  、アカデミー・フランセーズの「アカデミーは何をなすべきか」という質問
  への答えにおいて、フランスの詩作法が古典の詩作法よりもあまりに厳格で
  ありすぎて、美よりもむしろ難を求めたと嘆いており、韻をもうすこしゆる
  やかにすればもっと容易に美をめざせると言っている。
    なお最後に、わたしの個人的な試みを紹介するならば、五音七音の基本
  的韻律にこだわることなく、最初に一行の音数を十五音とか十八音とかとい
  うように定めておいて、その枠にあてはまるかぎりその内部の韻律は自由に
  書く方法がある。この方法によるとひじょうに自由に制作ができ、しかも一
  定の枠によって制約されながらもその内部は自分の思うままの表現をとりう
  るので、全体においてひじょうに複雑な構成をもった作品をつくることがで
  きる。わたしはこの方法によってすでに三冊の詩集を出し、今もこの方法を
  最も好んで用いている。この方法による定型詩は、散文化した現実社会の中
  に新しい秩序を模索する詩人の態度にふさわしく、新しい定型詩の型として
  、きわめて豊饒な将来性をもっているように思われる。
    この方法においては、内部の韻律に拘束されないために、一行が一つの
  息となる。行の内部の散文性はこの長い同音数の息の反復によってリズムを
  回復する。しかしこのような表現方法も、詳細に検討するならば、結局のと
  ころ五音七音の基本的韻律に拘束されており、一行の音数もそれの限定を受
  ける。そして最も効果的な詩句を分析してみるならば、やはり五音七音の巧
  みな構成を基礎としていることを見いだすのである。
    なお脚韻の問題について論じるにはすでに紙数が尽きたが、一言だけ触
  れておきたい。一子音、一母音の組み合わせが単調に連続する日本語では、
  脚韻の効果がとぼしく注意をひかない、という意見があるが、これはまった
  く現実にそぐわない意見である。なぜなら、西洋の言語において、語尾が子
  音であるか、母音であっても無声に近い場合がかなり多くある。ところが日
  本語においては、ラテン語やイタリア語におけるように、一語一語の声音は
  明晰に発音されるので、かえってラテン語やイタリア語以外の西洋語による
  詩の場合よりも、脚韻効果はいちじるしいはずである(わたしのローマ字定
  型詩集『可愛い悪魔』においては、すべての作品において脚韻をそろえてみ
  た)。ただ脚韻の構成方法は日本語の特質を生かした方法がさらに探求され
  るべきであろう。また英詩におけるブランク・ヴァースのように、無脚韻の
  定型詩もそれとして十分価値がある。
    いずれにせよ、詩における定型の確立は、詩における正統性の確立、し
  たがって詩についての一般的観念の確立のために必要である。それによって
  初めて詩と散文とのジャンルの境界が現実的に明確となり、詩の散文への従
  属という事態から免れて、両者相互の独立が確保される。これはわたし一個
  人の詩論の問題ではなく、日本の詩が独立したジャンルとして十分な存在理
  由を獲得するために、すべての詩人に課せられた詩の根本問題であろう。も
  しこの課題が放棄されたままであるならば、日本の詩は混乱の極において消
  え失せるであろう。そして後には、詩と称するまがいものの散文が残るだけ
  となろう。
    それゆえ、詩人は多くの実作を通じて新しい定型詩の可能性の実験的探
  究を試みるべきであろう。また一方、歴史的民族的な淘汰を経てきた伝統的
  詩歌を徹底的に再検討し、それの内面的把握と批判から出発して、新しい定
  型詩の具体的な資料に役立てなければならない。和歌や俳諧のみならず、漢
  詩、民謡、俗曲や小唄にいたるまで、われわれが伝統的詩歌の中に学ぶべき
  ものはかぎりなくある。また詩想(ポエジー)に関しては、いたずらに四畳
  半的な、あるいは鎖国的な狭い視野にとらわれることから脱して、広く世界
  に目と耳をひらき、今日の社会にふさしい課題を自分に課すべきであろう。
  それらの実践的研究の成果を、詩人は額に汗して収穫し、伝統の中に深く根
  ざした普遍的人間の声を高らかに歌うべきであろう。そうしたところから、
  詩はふたたび社会的な意義のある文化として復活し、つぎの時代まで歌いつ
  がれていくであろう。
                            (終わり)
 


RE:定型詩と伝統の問題 (8)

97/07/02 00:48




    君原 薫さん、こんばんは。

  #00252の貴コメント拝読しました。あなたのご意見はかなり正確にわ
  たしの言いたいことを把握しておられますので、感激いたしました。そ
  れは一つには、詩に対するあなたの問題意識とわたしの問題意識が、か
  なり似通っているからではないでしょうか。あなたの場合は、むしろ詩
  のかわりに音楽と言い換えてもいいかもしれませんが。
    「ロックという、その誕生からカウンターカルチャーとしての性質
  を嫌でも背負った入り口から、僕は表現という世界へ入っていった。既
  成の権威への抵抗、自由への闘い」とあなたは書いておられます。わた
  しもまたシュルレアリスムという、その誕生からカウンターカルチャー
  としての性質を背負った入り口から、詩的表現という世界へ入ったので
  した。いやわたしが18歳のころはアルチュール・ランボーでした。小林
  秀雄の翻訳を脇におき、フランス語の辞書と首っ引きで『地獄の季節』
  を読んだ記憶は今でも鮮烈です。それから片方の極にヴァレリーが立ち
  、反対側の極にブルトン、エリュアール、アラゴンがおりました。また
  わたしはサルトルの熱狂的な信奉者でもありました。大学一年のころ、
  わたしは『詩学』にサルトルの『実存主義はヒューマニズムである』の
  紹介を書きました。当時はまだ翻訳されていませんでしたので。
    しかしサルトルが『文学とは何か』のなかで、シュルレアリストた
  ちを、ブルジョアジーを批判しながらブルジョアジーに寄生するダダっ
  子にすぎないと批判しているのを読んで、いささか距離をおくようにな
  りました。もっとも後にエリュアールやアラゴンは共産党に加入しまし
  たが。わたしの青春時代は安保体制への批判が高まった時代でした。大
  学では指導教授からマルクスの『資本論』を徹底して読まされました。
  しかしわたしはサルトリアンだったものですから、かなり左傾しました
  がマルクス主義に対しては批判的でした。もっともマルクスのおかげで
  近代主義批判の考えをつちかうことができました。わたしが今日近代詩
  におけるロマン主義批判をおこなうのは、そこから来たのかもしれませ
  ん。つまり、わたしにとってロマン主義とは近代資本主義社会の文学的
  表現と思われるわけです。
    日本の詩としては、わたしは『詩と詩論』の影響を決定的に受けま
  した。そして上に述べたように、『詩と詩論』の源流をたどってフラン
  スのシュルレアリスムをも学びました。ですから、わたしの「定型詩と
  伝統」のエッセーは、わたし自身の自己批判でもあるのです。しかしシ
  ュルレアリスムから得たものもたくさんありました。それは詩想(ポエ
  ジー)をコンヴェンショナルなものから解放することです。日常性の世
  界はまさに散文的なものです。詩はこの散文的な日常性を突き破るとこ
  ろから生まれるものだということを、徹底的に学ばされました。だから
  わたしは伝統的な詩の形式を用いても、ポエジーはできるだけ非日常的
  な表現をしようと努力しています。この葛藤がポエムの面白さだと思う
  のです。
    詩の形式を破壊することは簡単です。しかしそこから何の価値が
  生まれ出るでしょうか。100メートル競争の線が引かれているからこ
  そ、その線のなかで人間の限界を超え出ようと努力して走る意義が生ま
  れてくるのでないでしょうか。もし線をはずれてやみくもに走ってみて
  も、それで得意になるのはナンセンスでないでしょうか。ボクシングに
  しても、相撲にしても、サッカーにしても、野球にしても、あらゆるス
  ポーツの面白さは、一定のルールのなかで競い合うからこそ生まれてく
  るように思われるのですが。そして君原さんがおっしゃるように、将棋
  にしてもです。
    近代のロマン主義が生みだした自由詩や散文詩は、わたしにはもう
  きわめて陳腐で発展性や創造性のないものに思われます。それらはすで
  に一世紀前に行き着くところまで行ってしまったと思うのです。たとえ
  ば、アポリネールの『カリグラム』という詩集では、雨を主題とした
  詩は雨がいろいろな曲線を描いてななめに降っているように文字で表現
  されています。そのほか今の日本の現代詩人たちが新しいつもりで書い
  ているような表現方法は書きつくされています。表現派や未来派の作品
  群を見たら、この現代になってもその足下にもおよばない自称現代詩人
  たちの表現力のない作品など見る気にもなれないでしょう。
    今は定型詩こそ最先端の前衛詩だとわたしは思っております。ほん
  とうの生産力のある現代詩はここから始まるのだと確信しています。
    君原さんの温かい、しかも御自身の経験をふまえた鋭い御批評に感
  激して、つい若かりしころのことなど思いだして熱が入ってしまいまし
  た。あなたの書かれている他のコメントも読んで、いろいろと刺激を受
  けています。またゆかいに芸術論を語り合いましょう。重ねて感謝しま
  す。

                          佐藤 三夫






『列島詩人集』の詩的炎

97/08/15 02:11


(長文注意)


      『列島詩人集』の詩的炎 / 佐藤 三夫

    どこへ行く道ともわからずただ無性に悲しく歩いていると、とつぜんベ
  ルが鳴り、壁紙を破って別な世界へはい出てきた。寝起きの悪いわたしは不
  きげんに玄関に出てみると、宅配便であった。土曜美術社から木島始篇『列
  島詩人集』が届けられたのだ。
    わたしと詩誌『列島』との関係については、以前にもここに書いたこと
  がある(#00025「木島始詩集『われたまご』をめぐって」)。わたしの
  青春時代の一時期にかかわった詩人たちの作品に、今日ふたたびめぐりあ
  ってみると、いささかならず複雑な感慨をいだかされる。もっとも『列島
  詩人集』には最近の作品もふくまれており(わたしの詩劇「プロメテウス
  と鷲」もその一つだが)、それはまたそれで時代の変遷を感じさせる。
    ぱらぱらとあてもなくページを繰っていると、しだいにある不可思議
  な流れに身をまかせているような気分になってくる。それはこの詩集をう
  ずめている詩人たちの独特のうめき声が、潮騒のようにわたしをつつみこ
  んでしまったためだ。この潮のうねりのような発声法は、シャーマニズム
  的なものでなかろうか。一つ一つの詩を声に出して朗唱してみると、ほと
  んどの詩が共通した発声法で詠まれていることに気づかされる。これはあ
  る共同体的な発声法なのでなかろうか。
    この詩集の末尾に中川敏氏が「「列島」について」という解説を書い
  ている。それによると、「戦後詩について語る際に「荒地」と「列島」が
  よく並べて挙げられる。それはこの二つのグループが強い時代意識を抱き
  つつ戦後の詩の主流に棹さしていることを自ら意識していたからであり、
  その影響力、牽引車的活動が大きなものだったからにほかならない」。ま
  た「戦後詩については、1970年前後の詩のブーム現象、軽快で躁的な言
  葉の滑走現象の出現を経て今日の大勢では、これは終ったかのように見え
  る。しかし、よくみれば、どうやらこちらも完全に終ったわけではないと
  いうのが真相であろう」。
    しかし、そこで語られているいわゆる戦後詩と、1970年代以後の詩
  では、詩の発声法にある相違があるように感じるのは、わたしだけであろ
  うか。たしかに、多少とも1970年代以後の日本の有名詩人の技法を模倣
  した詩人たちの作品は、シャーマニズム的な抑揚よりも、何かジャズ的
  なリズムをより強く感じさせるような気がする。中川氏が「軽快で躁的
  な言葉の滑走現象」と言われたのは、そのことと多少とも関係するのでな
  いだろうか。
    『列島詩人集』に共通している詩的感情は、ある種の「呪詛」のよう
  に思われた。それは単なる個人的呪いというようなものではなく、むしろ
  民族的、階級的な、つまりは共同体的な無意識にまで深く根差した抑圧者
  への呪詛であるように感じられた。それがこの詩集に共通した独特のシャ
  ーマニズム的な発声法とかかわっているのでなかろうか。
     「濤(なみ)は寄せ、はまなすも咲かぬ
     人気(ひとけ)ない浜に。
  
     濤は寄せ、たてがみをふり、牙をむき
     群なす海豹の咆哮をのせて」  (河邨文一郎「北方の眼」)
     「夜が更けきると鶏たちは幽霊になる
     赤い羽毛のピンで刺された
     豊かな胸で肋骨がうたう
     肋骨が骨を鳴らして街を歩き出す」(吉田美千雄「幽霊」)
     「アパートの四畳半で
     おふくろが変なことをはじめた
     おまえもやっと職につけたし三十年ぶりに蚕を飼うよ
     それから青菜を刻んで笊に入れた
     桑がないからねえ
     だけど卵はとっておいたのだよ
     おまえが生れた年の晩秋蚕だよ」(黒田喜夫「毒虫飼育」)
    いずれも断片的に引用したので、全体像はつかみにくいかも知れない
  が、共通するある独特の抑揚あるリズムを感じないであろうか。一種の恨
  み節----。しかし自然発生的な作品にしばしば見られるものと違って、こ
  の詩集の作品にはどれもあるきびしい響きが感じられる。
     「眼鏡は十米に一度は拭わねばならず
     下駄の鼻緒はしめなおさねばならず
     潮しぶきにかきくもらされるのは
     なにかと問わねばならず
     おれは歩いた
     たえず右頬に雨と嵐をうけて
     そしておれは知った
     おまえには
     ながい流人の悲しみがあることを」(安東次男「佐渡」)
    こうしたきびしさは、『列島』独特の持ち味である。わたしは『荒
  地』派の詩人たちの作品にこうした「きびしさ」を感じたことはない。
  それは基本的に詩的現実観の相違から来ているのでなかろうか。『荒地』
  派の詩人たちはあくまで個人的なポエジーを歌っていた。彼らが時代への
  絶望を語るときでも、孤立した個人の立場から語っていた。だが『列島』
  の詩人たちの呪詛は、共同体的な呪詛なのだ。それゆえ、ポエジーの深み
  がまるで違っている。『荒地』派の作品が末梢神経を観念的にくすぐるに
  すぎないのに、『列島』の作品には無意識の奥底をゆすぶるものがある。
    『列島詩人集』を読みすすんでいくと、その作品群に、ただシャーマ
  ニズム的な抑揚があるだけでなく、これまたきわめて独特なものである
  が、ある高度に知的な彫琢のノミのあとを見たように思った。木島始氏は
  本書の「序」のなかで、「「列島」に集まった詩人たちの多くが、組織・
  集団と個人の矛盾のただなかに引き裂かれる自己をつきつめていったとい
  う点が、他のグループとは異なるきわだった特長だとわたしには思われる
  。革命運動・党・労働運動・組合運動・社会運動・文学運動・文学芸術サ
  ークル----と個々人の覗きみることができないほど深い無意識存在----
  との絡まり、引裂きあい、心中行と離脱、断罪と沈淪と昇華」と言ってお
  られるが、こうした組織・集団と個人の矛盾が、この派の詩人たちに独特
  の仕方で深刻に知的反省を迫ったのだ。その知的自己省察の苦渋が作品を
  深めている。黒田喜夫の「除名」、井手則雄の「兵士からの手紙」、木原
  啓充の「検閲のない通信」(これは強烈だ!)、木島始の「日本共和国初
  代大統領への手紙」など挙げていけば限りがない。
    1970年代以降詩人と詩の読者たちはどうなったのだろうか。経済の
  高度成長は組織労働者をも中産階級を夢みる大衆the massesに変えてし
  まった。大衆とは孤独なものだ。孤独な単独者の無組織的集合体だ。組織
  をもたない大衆は、扇動によって無政府的な暴走をする。その行き着く先
  はファッシズムだ。マルクスは労働者のためのユートピアを労働者にあた
  えようとして、労働者を組織した。ヒットラーやムッソリーニは大衆を駆
  り立てて阿呆天国を夢みさせた。そして元来無責任な無政府主義者にすぎ
  ない大衆を煽り立て、新秩序と称して独裁者の私兵的軍事組織をでっちあ
  げた。
    株式市況を語るには散文がふさわしい。そして欲望の交換としての
  商取引には詩はうさん臭い妨害者となる。詩はもともと共同体的な歌と
  踊りから出たものだ。孤独な単独者の無組織的集合体としての大衆には
  、詩よりも散文が適合的だ。それゆえ70年代以降一時のあぶく的流行は
  あったものの、結局詩は大衆に見放されて、ごく少数の好事家たちのお
  稽古ごとに堕してしまった。詩壇はギルド化して、仲間ぼめか、小さな
  市場を奪い合って気ちがいじみた潰しあいを演じている。
    『列島詩人集』は戦後詩の偉大な記念碑を打ち立てた。それが今日
  の詩人たちにあたえる教訓は何であろうか。大いなるパーンは死んで久
  しい。人民の酔える神バッコスは冥界から復活するのだろうか。人民は
  ふたたび共同の祭りに熱狂して歌い踊るのだろうか。『列島詩人集』の
  天をも焦がすかがり火を見つめながら、それがプロメテウスが天上から
  うばった神々の火、そして新しい時代をみちびく詩的灯台の燈火のよ
  うに感じたのは、わたしの幻覚なのだろうか。






ベルニーニの彫像の破壊

97/08/20 19:53




      ベルニーニの彫像の破壊 / 佐藤 三夫
       ----未来派のヴァンダリズムと関連して

    観光でイタリアのローマを訪れた人は、パンテオンを見学した後、ナ
  ヴォーナ広場で散策された経験をおもちでないでしょうか。この広場は、
  古代ローマの皇帝ティトゥス・フラヴィウス・ドミティアヌス(AD 51-
  96)によって競技場として計画されたものです。この広場へ行くとわた
  しはいつも浅草を思いだします。そうした下町的な感じの店が夕方にな
  るとたくさん並びます。ことに夏の夜になると、ローマっ子や観光客が
  涼みがてら大勢ここに集います。そここにある人垣のなかをのぞいて見
  ると、しばしば日本人の似顔絵描きが仕事をしているのを見かけます。
  彼らは結構いいかせぎをして、豪勢な家に住んでいるという噂を聞いた
  ことがあります。
    この広場の中央には有名な三つの泉があります。なかでも有名な
  のが、ベルニーニの「四つの河の泉」です。ジャン・ロレンツォ・ベル
  ニーニ(1598-1680)は、17世紀イタリアに展開したバロック芸術の
  代表者の一人です。この「四つの河の泉」は、1648年から1651年の
  間に制作されたと言われています。ナイル河、ガンジス河、南米のリオ
  ・デ・ラ・プラタ河、ドナウ河という世界の代表的な四つの河を、四人
  の巨人たちに表現して、大理石に刻んだ大きな彫刻です。
    ところが8月19日付けの『ラ・レプッブリカ』La Repubblica紙の
  インターネットのホームページを見たところ、「ベルニーニの泉が毀損
  された」という見出しとともに、その写真が載っているのでびっくりし
  てしまいました。そのリンク先の記事を見てみると、3人のローマっ子
  が、ベルニーニの彫刻を飛び込み台代わりにして、その泉水盤のなかに
  飛び込んだというのです。そして水から外に姿を見せていたドラゴンの
  一つの尾を砕いてしまったそうです。
    観光客たちの通報でその3人の犯人たちは警官に逮捕されました。
  彼らは1年間の刑務所行きと、4百万リラを下らない罰金を徴収される
  危険を犯したことになるそうです。彼らの一人は、取り調べ官たちに
  「あまりに暑かったので水浴びをしたかったのだ」と言ったということ
  です。広場の商人たちが「四つの河の泉の海豚」と呼んでいるドラゴン
  の尾が損傷を受けたのは初めてではないそうです。
    1987年6月17日に、新しく議員に選ばれたポルノ女優のチッチョ
  リーナ(本名Ilona Staller)が組織した広場の祭りにおいて、参加者
  たちが泉の像を破損しました。こうした芸術品の破壊はしばしば起こり
  ました。たとえば、1969年11月2日にローマの聖ピエトロ大聖堂で、
  教皇ピオ6世の像が、1972年5月には同じ聖ピエトロ大聖堂でミケラ
  ンジェロの「ピエタ」が、ハンマーでこわされました。1986年8月13
  日にフィレンツェで、シニョリーア広場のネットゥーノの泉の馬の一つ
  の足が、1991年9月14日にはフィレンツェのアッカデーミア美術館で
  、ミケランジェロの「ダヴィデ」像の左足の指の一部がハンマーで損傷
  を受けました。日本でも金閣寺が焼かれたりしましたね。
    芸術品を破壊する者のことをイタリア語でVandalo (ヴァンダロ)
  と言います。この言葉はもともと、5世紀にローマを略奪してその文化
  を破壊したヴァンダル人(古代ゲルマン民族)のことを指すのですが、
  それが後に芸術や文化を野蛮に破壊する者のことを呼ぶようになりまし
  た。芸術品の破壊は伝統的文化の破壊を意味するでしょう。伝統的文化
  に何の価値も認めなければ、ただ暑いからという理由でベルニーニの泉
  水で水浴びをしてその彫像を破壊しても意に介しないでしょう。
    それどころか、わたしが今翻訳して紹介している未来派のマルティ
  ネッリなどは、積極的に図書館を焼き、美術館を水浸しにすることをそ
  の宣言のなかで提案し、推奨しております。彼は自分とその仲間のこと
  を、つまり未来派の同志のことを、PAZZI (狂人、気ちがい)と称して
  います。彼は芸術や文化の破壊が気ちがいの業だということをよくわき
  まえていました。そしてやがてマリネッティと未来派の多くの仲間たち
  は、戦争を謳歌し、ムッソリーニのファッシスタ党に加担しました。
    彼らは何よりも「新しい」ことに関心があったのです。他のすべてを
  犠牲にしても「新しい」ことを求めようとして、機械や電気がもたらすも
  のを謳歌し、スピードを礼賛し、それを妨げると思われたあらゆる過去的
  なものを破壊することに積極的な意義を感じたのです。しかし伝統を破壊
  することは、人類がこれまでながい間営々辛苦して築いてきた文化を破壊
  して野蛮になることであり、結局人類を滅亡へ追い込むことでありました。
  未来へ最もよく適応することは、過去の文化遺産をできるだけ豊かに生か
  すことだという知恵を欠いたために、世界を野蛮化することに彼らは狂奔
  したのでした。
    未来派は詩によって詩を破壊しました。これはまったく自己矛盾の
  業というほかありません。まさに気ちがい業というべきでしょう。それ
  にもかかわらずわたしがマリネッティと未来派を紹介しつづけるのは、
  彼らが反面教師だと思うからです。実際、現代詩を主張する者のなかに
  も、マリネッティと未来派についてはまったく知らないにもかかわらず
  、ほとんどまったく同じ主張をする者たちがいかに多くいることでしょ
  うか。過去の文化遺産を否定し、知性を否定し、未来と感性だけを信仰
  の対象にした新しがり屋たちは、結局野蛮なファッシストとなって、人
  類を破滅へ追い込んでいくでしょう。歴史の教訓を学ぼうとしない者た
  ちは、何度も何度も同じ過ちを繰り返すものです。その愚かさを徹底的
  に批判するために、わたしは今後とも未来派の実態を紹介しつづけてい
  きたいと思っております。わたしが未来派を紹介するからといって、わ
  たしが未来派の信奉者だと誤解しないようにお願い申し上げます。






牧人の婦女暴行

97/08/23 00:58


(長文注意)


      牧人の婦女暴行 / 佐藤 三夫
       ----未来派の女性蔑視と関連して

    イタリアのマイエッラ山で、パドヴァの女性2人が牧人によって殺
  され、1人が生き残ったというニュースが、8月22日付けの『ラ・レプッ
  ブリカ』La Repubblica紙のインターネットのホームページに出ていまし
  た。わたしはかつてパドヴァ大学に留学しましたので、何かよそごとでな
  いような気がしました。
    マイエッラ山というのは中部イタリアのアブルッツィ地方にあります
  。ローマからちょうど真東の方向にあたるでしょうか。その中の最も高い
  アマーロ山は標高2795メートルあります。わたしのもっている1974年版
  のミシュランの『イタリア』には、「マイエッラ」Maiellaの名前は出て
  いません。でも最近になって国立公園になったそうです。インターネット
  を通じて土地の観光案内を見てみると、近くのアブルッツォ国立公園より
  ももっと自然のままで野性的だそうですが、40ほどの僧庵と素朴な教会
  堂があるとのことです。野や谷はたくさんの野生の花で埋められ、森には
  いのしいもいると記されています。パドヴァのような産業都市の労働者で
  ある娘たちが、夏のヴァカンスを過ごすのにはうってつけの野性味たっぷ
  りの場所と言えるでしょう。
    ところで事件の犯人は24歳のマケドニア出身の牧人で、イタリア
  語は流ちょうに話せるそうです。殺された2人の女性はいずれも23歳で
  、そのうちの一人の妹シルヴィア・オリヴェッティが傷を負いながら助
  かりました。女性たちはモッローネ山の斜面で犯人と出会い、犯人はピ
  ストルで女性たちを脅して近くの薮へ無理につれていき、暴行しました
  。シルヴィアだけは逃げ出したのですが、ピストルで腹を打たれました。
  彼女は血だらけになりながらも山中を7時間以上も歩いて、スルモーナ
  の町にたどりつき、病院に入院しました。医者は彼女の脱出行について
  「超人的偉業」la sovrumana impresaと言ったそうです。
    ところで彼女がたどり着いたスルモーナの町は古代ローマの代表的
  叙情詩人の一人オウィディウスの生れ故郷です。『愛の歌』Amoresの
  なかで彼は、「武器とはげしい戦い」を歌おうと思ったのに、Cupidoに
  笑われ、Cupidoの矢を受けて、「ぼくは焼かれる。あいている胸を愛が
  支配する」と言って、愛の詩人となりました。まさしく戦いと愛とは正
  反対の業でありましょう。それをこともあろうに、女性の愛をピストル
  で奪おうとは、なんというけだものでしょうか。この牧人にほんの少し
  の詩心があれば、もっと優雅な出会い方があったでしょうに。
    三人の女性たちの住むパドヴァからちょうど西の方にマントヴァと
  いう古都があります。その近くのアンデスという小さな村に紀元前70
  年ウェルギリウスという古代ローマ最大の詩人が生れました。彼の詩集
  の一つに『牧歌』Bucolicaがあります。そこでは牧人たちの住む愛と詩
  の理想郷アルカディアが歌われております。つまり、そこでは牧人たち
  が詩人なのです。そこでは歌合戦はあっても、殺人はありません。彼ら
  がどんなふうに愛人と交渉をもつか、牧人たちの歌合戦(『牧歌』第3
  歌)を読むと分かります(ウェルギリウス『牧歌・農耕詩』河津千代訳、
  未来社、1981年刊、pp. 82-84 [Ecloga III, 64-73])。
  「    ダモエタス
    気ままなむすめガラテアは、ぼくに林檎を投げつけて、
    柳の木立へ逃げながら、ぼくが見つけるのを待っている。
       メナルカス
    ところがいとしのアミュンタスは、進んでぼくに会いに来る。
    ぼくの犬はいまでは彼を、狩の女神と同じくらいよく知っている。
       ダモエタス
    ぼくは愛する人のために、贈物を見つけておいた。
    おそろしく高い木の上に、鳩が巣をかけたのをこの目で見たのだ。
       メナルカス
    ぼくは森の林檎の木から、金色の実を十もいであの子にやった。
    これがせいいっぱいの贈物。あすもそれだけやるだろう。
       ダモエタス
    おお、ガラテアはいくたび、いかに、語ったことか!
    風よ、その言葉を少しだけでも、神々の耳に運んでくれ」。
    さあ、いかがでしょうか。もしこの牧人たちのように愛する者の
  心を得ようとふるまっていたならば、殺人などということが起こりう
  るでしょうか。現代のマイエッラの牧人は、女性たちの心や人格は無
  視したのでしょう。そしてただ自分の肉体的欲情のために、女性の肉
  体だけを物体のごとく征服しようとしたのでしょう。つまり徹底した
  女性蔑視のけだものでした。それにもかかわらず相手は意志や感情や
  知性をもった人間たちでしたから、ピストルという武器で、彼女たち
  を物体的従順さにおとしめようとしたのでした。自由を奪って奴隷に
  しようとしたのです。
    ピストルとは近代的武器です。近代的武器をもった野蛮人の発想
  は、この武器が創造されるにいたった一切の文化的進歩の過程、つま
  り文化的伝統の積み重ねをまったく否定して、近代的武器そのものを
  野蛮な道具に変質させてしまいます。それは手斧や、木の枝や、石の
  かたまりと同じ文化的水準の道具にすぎないでしょう。
    わたしがこの悲惨なニュースを読んだとき、すぐに今取りかかっ
  ているマリネッティと未来派の発想を連想しました。「新しがり屋」
  の彼らは、過去や現在を否定して、未来だけを価値あるものとみなし
  ました。しかし過去や現在を否定した未来とはいったい無以外の何な
  のでしょうか。未来にもし現在や過去以上の価値があるとしたら、そ
  れは過去や現在までに築かれた文化的価値の土台の上に未来が乗るか
  らではないでしょうか。その土台をはずしたら、未来など過去や現在
  よりもはるかにはるかにむなしい無となって、うさん霧消してしまう
  でしょう。なぜなら、未来とは「いまだ何ものでもないもの」なので
  すから。
    人間は過去の経験を知的に反省して、それを土台として未来を選
  択するわけでしょう。ですから、意志は知性を前提します。残るとこ
  ろは感情だけです。愛情は相手への思いやりが前提になりますから、
  知性がなければ思いやることができません。自分の欲情しか分からな
  い者に、どうして相手への思いやりなどできましょうか。知性を否定
  した感情は、利己的なけだもの的なものとなるでしょう。自分以外の
  すべてのものを手段として、自分の欲望を満足させることしか考えな
  くなるでしょう。
    マリネッティは女性や老人をさげすみました。つまり家族的なも
  のを一切否定しました。「月の光を殺そう!」とは愛情拒否のけだも
  の的叫びです。知性は文化的伝統を前提するゆえに、知性を否定して
  自分たちを「狂人」と呼んで、けだものの集団といっしょにしました
  。そして生きている自然を否定して、単なる物体としての機械を礼賛
  しました。その時彼自身生きている人間というよりは、ほとんど死体
  と同じ物体となることを選びとったのでした。彼は戦争を謳歌しまし
  たが、戦争とはどんな美名をもってしても、利己的欲望充足のために
  世界を手段化し、奴隷化し、物体化すること以外の何でしょうか。
    しかしこのような世界観や人間観からは詩は生れません。未来派
  が詩の集団だというのは逆説的意味でしか、つまり没理的な意味でし
  か通用しないでしょう。詩は古来共同体的な愛の原理から生れでたも
  のですから。未来派の作品を詩と呼ぶならば、オヴィディウスもウェ
  ルギリウスも、いや現代までの偉大な古典的詩人たちはすべて詩人で
  ないことになるでしょう。いろんな詩の流派があってよいではないか
  などという人は、無価値や反価値も価値として認めたらよいではない
  かということになります。そうすると無政府的な混とんがあるのみで
  、詩という固有の意味での文化価値は価値として意味をなさないこと
  になります。つまりそうした主張は、詩の否定論者の説と言わなけれ
  ばならないでしょう。
    ピストルをもった野蛮人に一片の相手への思いやりがあったなら
  、彼はピストルを捨てて、代わりに『牧歌』の牧人メナルカスのよう
  に、おいしそうな木の実を愛する者のために贈物として差し出すこと
  でしょう。その時二人の間に詩が生まれ、愛はきっと成就するので
  ないでしょうか。なぜなら、ギリシャのことわざにもあるように、
  「愛はすべてを生む」からです。そして賢明な女性ならば、ピストル
  を向けられるよりは、心のこもった贈物を差し出す男性の方に心が傾
  くのでないでしょうか。たとえその贈物が一篇の愛の詩であっても。
  愛されたいと思ったら、未来派型の男性にはくれぐれも御用心!











詩における価値

98/01/16 02:43





     詩における価値 / 佐藤 三夫


    詩人といえども言葉を個人的に創り出すのではなく、すでに形成され
  た言語共同体から借りてきたものを編集し直しているにすぎない。ソシュ
  ールの言うパロールにしてからが、彼のロマン主義的な想像力の所産にす
  ぎない。神がその言葉で実在的世界を創造したとするなら(神光あれと言
  えば光ありき)、詩人は詩の言葉を通じてヴァーチャルな世界を創造する
  。だが詩人の存在に先んじて伝統的に形成されてきた言葉を通じて詩的世
  界を「創造」するとなると、詩人は矛盾した作業にたずさわるような気に
  なる。つまり言葉がもっている伝統性を洗い落として、そこに独創性を組
  み込まねばならないというような。だが神ならぬ人間の悲しさ。純粋創造
  などいかに天才的な詩人といえどもありえないのだ。つまり言葉のもって
  いる伝統性の呪縛から逃れることはできないのだ。詩人のなしうる最大限
  の創造性とは、言葉の組み合わせを編集することのなかにしかありえない
  。これとても、およそ先人の言わないような組み合わせを考え出すことは
  むずかしい。俳句でしばしば類想の句が非難されることを思い起こしてみ
  るといい。
    しかし言葉の組み合わせと言っても、詩は言葉の単なるモザイクでは
  ない。現代の詩人のなかには、言葉の単なるモザイクを詩だと勘違いして
  いる者が多いが、それは「創造」ではなく「解体」だ。つまり、言葉のカ
  オスだ。詩人が創造する世界は、ギリシャ人の言った「コスモス」(秩序
  ある世界)であって、カオス(混沌)とは正反対のものだ。
    近代における詩人たちは世界に「新しい」秩序をあたえようと試みて
  きた。それが彼の創造行為(ポイエシス)だと想像した。しかし「新しい
  」秩序などありうるものなのだろうか。すでにだれかがどこかで創りだし
  た秩序を、知らずに踏襲しているだけなのではなかろうか。多くの場合そ
  うであろう。先人はすでにその秩序をより優れた仕方で創造したのに、わ
  れわれはそれをより拙い仕方でなぞっているところに違いがあるのかもし
  れない。
    フランスのあるモラリストが言ったように、すべては言い尽くされ、
  われわれは先人の落ち穂拾いしかできないのかもしれない。近代の終わり
  になって詩人たちもおそまきながらそのことに気づいたようだ。そこで
  なおかつ「新しさ」を求めようとあがいて詩をその固有の形式から解放し
  ようと試みた。つまり、詩の固有の秩序を解体し、瓦解させることしか残
  されていないことに気づいたのだ。こうしてダダイストたちは詩を破壊す
  ることをもって詩人の仕事だという自己矛盾的な不条理な課題を自分たち
  に課した。しかしこれはまさに馬鹿げた気違い沙汰であった。詩を破壊す
  ることは、詩を散文化することでなくして何であろうか。散文とは詩の反
  対概念なのだから、ダダイストは詩を破壊することによって散文家となっ
  たのだ。つまり彼は詩人であることを止めたのだ。
    ボードレールが散文詩を書いた時、散文の形式を借りても詩は書きう
  るという馬鹿げた妄想をいだいた。詩の形式を離れてもなお存在しうる詩
  とは何か。それは詩作品としてのポエムではない。詩想という意味でのポ
  エジーのことを彼は考えていたのかもしれない。その意味でならば、ポエ
  ジーはいまだ肉体をもたない幽霊のごとき存在だ。詩的散文なるものは散
  文(プローズ)ではあっても詩作品(ポエム)ではない。ボードレールの
  頭は阿片によって狂っていたに違いない。実際、彼の書いた散文詩なるも
  のは印象的散文以上のものではなかった。そしてランボーはアプサンに酔
  って散文詩を書いた。ロートレアモンはほとんど気違いだったし、ダダイ
  ストたちは狂犬の群れのごとき者たちだった。
    古代ギリシャ以来多くの古典詩人たちは、「新しさ」ではなく、「典
  型」を求めて詩をうたった。価値の基準が「典型」であって、「新しさ」
  ではなかった。「新しさ」が文化の基準となったのは近代のロマン主義と
  ともにであった。さらに遡ればフランシス・ベイコンにいたりつくか。彼
  もまたイギリスのロマン主義文化の祖の一人であろう。トマス・モアはそ
  の『ユートピア』という一つの典型的社会秩序を散文で表現した。彼の後
  に多くのユートピアンがつづき、マルクスもまたその一人だった。しかし
  モア自身のその作品はプラトンの『共和国』をモデルにしたものだった。
  できる限り典型に迫ることがルネサンスの価値観だった。
    ダンテは彼の典型的世界を詩で表現した。ミルトンもそうであったし
  、シェイクスピアも、ゲーテもそうだった。一流の詩人たちは「新しさ」
  よりは「典型」を求めて詩をうたったのだ。詩がいかなる価値基準にもと
  づいて優れた作品と言われうるのか、現代の詩人たちのほとんどは知らな
  いでいる。そして詩的価値を破壊することが、つまり詩を散文に堕さしめ
  ることが価値あることだと思っている。「この文章は散文的だ」というこ
  とは、「この文章は締まりがなく、たいくつで読む価値がない」という意
  味なのだ。
    詩は個人の感情の表現だという考えが永遠の真理であるかのように
  思いなしている人が多い。だがそうした考えはロマン主義固有の考えで、
  19世紀の詩人たちが好んだ詩観なのだ。ロマン主義は写実主義とも縁が深
  い。正岡子規の俳句や短歌における写生論は、19世紀欧米の写実主義の影
  響のもとに出たもので、ロマン主義的芸術観の流れを汲むものだ。それゆ
  え彼の俳句や短歌は個人主義的な矮小なものとなり、日本古来の共同体的
  文学のおおらかさを失ってしまった。わたしは日本の近代詩などより漢詩
  の方がよほど詩として優れていると思う。
    わたしは詩においてイメジの造形を重んじはするけれども、だからと
  言ってわたし自身イマジストではない。詩は言葉の音楽とイメジと意味の
  深さなどの総合されたものと思うからだ。そのうちのどれか一つだけを極
  端に誇張するのは危険だと思っている。いわゆる純粋詩を主張したのは、
  ロマン主義者たちであったが、彼らは詩を主として音楽性に還元しようと
  した。イメジや意味だけに還元するのも、ロマン主義の末流だと思う。詩
  はもっとおおらかで深いものではなかろうか。少なくとも古典詩はそうし
  たものであった。
    詩は近代とともにしだいに末梢神経をくすぐるだけの浅薄なものにな
  りさがった。詩人は個人的な趣味だけをうたって、「世界」をうたわなく
  なった。古代ギリシャの歴史家ヘロドトスは、ムーサイ(詩の女神たち)
  は世界のかつてあり、現にあり、あるであろうことをうたうと言ったが、
  そのように世界の運命をうたうのが本来の詩人の仕事ではなかろうか。そ
  の時詩人の個人性など何ほどの意義があろうか。ただ個人的感情もその個
  人性を打ち破るほど深まれば、共同体的感動を引き起こす。われわれがた
  とえば歌麿の叙情的短歌に感動するのも、彼の感情的表現が個人性の枠を
  打ち破って普遍性をもった「典型」にまでなりえているからだ。ギリシャ
  のサッポーの叙情詩にしてもそうだ。このように、わたしが求める詩的価
  値は「典型」であって、「新しさ」ではない。











マリネッティの詩論

99/05/03 01:51





         F. T. マリネッティ:
     「構文の破壊、脈絡のない想像、自由勝手な言葉」
                      佐藤 三夫訳    

    [未来派的感受性] 
    わたしの「未来派文学の技術的宣言」(1912年5月11日)は、本質的
  で総合的な叙情性(リリシズム)、脈絡のない想像と自由勝手な言葉を発明
  したのであるが、もっぱら詩的インスピレ−ションに関係している。
    哲学や、精密科学や、政治学や、ジャ−ナリズムや、教育や、ビジネス
  は、表現の総合的形式を探求するとしても、まだ構文や句読点を利用しなけ
  ればならないだろう。わたしは自分の考え方をきみたちに述べることができ
  るためには、すべてこうしたことを利用することをよぎなくされる。
    未来派は、偉大な科学的諸発見の結果生じた人間の感受性の完全な革新
  にもとづいている。今日、電信、電話や蓄音機、汽車、自転車、オ−トバ
  イ、自動車、大西洋横断船、飛行船、飛行機、映画、大日刊紙(世界の一日
  の総合)を使用する人々は、伝達や輸送や情報のこれらの多様な形式が彼ら
  の精神に決定的な影響をおよぼしていると思っていない。
    一人の普通の人間が、太陽や埃りや風が沈黙のうちに楽しめる閑散とし
  た広場のある小さな活気のない町から、光や身振りや叫びに満ちた大きな中
  心都市へと一日の汽車旅行で運ばれうる----。アルプス山脈の田舎の住人
  が、新聞を通じて、中国の反乱や、ロンドンやニュ−ヨ−クの婦人参政権を
  主張する女性たちや、カレル博士(ノ−ベル医学賞受賞者)や、極探検家の
  英雄的橇でもって、毎日不安にわななくことができる。何らかの地方都市の
  臆病で家にこもりがちな住人が、映画の光景でコンゴにおける猛獣狩りにつ
  いていって、危険の陶酔に身をまかせることができる。日本の相撲取りや、
  黒人ボクサ−や、尽きることのないアメリカのショ−芸人や、とても優雅な
  パリジャンヌを、軽演劇の劇場で小銭を払って鑑賞することができる。それ
  から彼は自分のブルジョア的な寝台に横になって、カル−ゾやブルツィオの
  はるか遠くの高価な声を楽しむことができる。
    当たり前になったこれらの可能性は、トリポリの空を飛んだ最初の飛行
  機を無関心に眺めていたアラブ人たちのように、何らかの新しい事実を深く
  掘り下げることがまったくできない浅薄な精神のうちには、いかなる好奇心
  をも引き起こさないのだ。これらの可能性はむしろ、われわれの可能性を同
  様に変革する鋭い観察者のためにあるのだ。なぜなら彼らは次のような有意
  義な現象を創りだしたからだ。
  (1)今日彼のもっている生活の加速、速いリズム。相反する磁力の間で速
  力によって張った綱の上での、身体的、知的、および感情的な綱渡り。同一
  の個人における多様な同時的な意識。
  (2)古い知れ渡った事柄への嫌悪。新しいものや予期しないものへの愛。
  (3)平穏な生活への嫌悪、危険への愛、そして日常的なヒロイズムへの態
  度。
  (4)彼岸の感覚の破壊、およびボノの言い回しによれば、「自分の人生を
  生きる」ことを欲する個人の高められた価値。
  (5)野心と人間的欲望の多様化と逸脱。
  (6)各人がもっている接近できずまた実現できないすべてのものについて
  の正確な認識。
  (7)男性と女性の半平等。および彼らの社会的諸権利の水準の違いをより
  少なくすること。
  (8)女性における最大の自由と性愛的容易さから、また女性的なぜいたく
  の普遍的な誇張から生じた愛(感傷主義あるいは淫欲)の軽視。説明しよう
  。今日女性は愛よりもぜいたくをいっそう愛する。親しい、腹の突き出た、
  痛風病みではあるが、支払ってくれる銀行家への訪問は、賛美された青年と
  の愛の最も熱烈な饗宴にまったく取って代わる。女性は、彼女の友人たちが
  まだもっていない最近のモデルの、並外れた化粧台の選択のなかにまったく
  愛の未知なものを見いだす。男性はぜいたくさを持ち合わせていない女性を
  愛さない。恋人はあらゆる威信を失なった。愛はその絶対的価値を失なった
  。複雑な問題だ。わたしはそれに軽く触れるだけで満足しよう。
  (9)今日、ある人民の商業的、工業的、および芸術的な連帯の英雄的理想
  化となった愛国主義の修正。
  (10)ある人民の力の血なまぐさく必要な試験となった戦争観の修正。
  (11)ビジネスの情熱、芸術、理想主義。新しい財政的感受性。
  (12)機械によって多様化された人間。新しい機械的感覚。エンジンの効
  率および訓練された力と本能との融合。
  (13)スポ−ツの情熱、芸術、および理想主義。「記録」についての考え
  方と愛。
  (14)豪華客船や大ホテル(さまざまな人種の毎年の総合)の新しい観光
  的感受性。都市に対する情熱。距離と郷愁的孤独の否定。神々しい緑の沈黙
  や不可侵な景色への嘲笑。
  (15)速度によってより小さくなった大地。世界についての新しい感覚。説
  明しよう。人々は家の感覚や、彼らがそのなかに住んでいる地域の感覚や、
  都市の感覚や、地理的地帯の感覚や、大陸の感覚を次々と征服した。今日、
  彼らは世界の感覚を所有している。彼らは自分たちの先祖をつくったものを
  知ることを平凡に必要としているけれども、世界のあらゆる部分の自分たち
  の同時代人をつくっているものを知ることを熱心に必要としている。地球の
  すべての人民と意志疎通をはかることの、個人にとっての必然的な必要性。
  自分を探索されたまた未踏査の無限の中心であり、審判者であり原動力だと
  感じることの必然的な必要性。人間的感覚の巨大化、およびわれわれと全人
  類との関係を絶えず定めることの差し迫った必要性。
  (16)曲線やらせんや曲がりくねった山道への嫌悪。直線やトンネルへの
  愛。他の都市や田舎から眺める汽車や自動車のスピ−ドによって創りだされ
  る短縮された見方や視覚的総合の習慣。緩慢さや詳細さや分析や細かい説明
  への嫌悪。スピ−ドや省略や要約への愛。「すばやく、二言で、すべてわた
  しに話してごらん」。
  (17)精神のあらゆる行使における深さと本質への愛。
    以上述べたことのなかに、われわれの絵画的ダイナミズムや、律動的な
  均衡のないわれわれの反優美な音楽や、われわれの騒音の芸術や、自由勝手
  なわれわれの言葉を生みだした新しい未来派的感受性の要素の若干がある。

    [自由勝手な言葉](Le parole in liberta`) 
    教授たちのあらゆる愚かしい定義やあらゆる混乱した字句へのこだわり
  を今やはねつけたわたしは、叙情(lirismo)は人生に陶酔し、われわれ自
  身に陶酔するきわめて貴重な能力であると、きみたちに公言する。われわれ
  を巻き込み、われわれの前を横切って妨げる人生の濁った水を葡萄酒に変え
  る能力。われわれの変わりやすい自我のきわめて特殊な色合いでもって世界
  を彩る能力。
    今、こうした叙情的能力をそなえたきみたちの一人の友人が、ある激
  しい生活圏(革命、戦争、遭難、地震、等)のなかにあり、すぐ後で、彼の
  もった印象をきみたちに話しにやってくると想定してみたまえ。このきみた
  ちの叙情的で感動した友人が本能的に何をするだろうか、きみたちには分る
  か。----
    彼は話す際における構文を乱暴に破壊することでもって始めるだろう。
  彼は文章を構成するために時を失ったりしないだろう。彼は句読点や、形容
  詩的用法を無視するだろう。言葉の彫琢やニュアンスを軽蔑するだろう。そ
  してそれらの切迫した流れにしたがって、彼の視覚的、聴覚的、嗅覚的な感
  じを、急いで息せききってきみたちの頭のなかに投げこむだろう。感動の蒸
  気の激烈さが、文章のパイプや、句読点のバルブや、形容詞的用法の規則的
  ボルトをはじき飛ばすだろう。いかなる因習的な秩序もない本質的な言葉の
  束。語り手の唯一の関心は、自分の自我のすべての振動を表現すること。
    もし叙情性をそなえたこの語り手がさらに一般的観念で密集した精神を
  もつとするならば、無意識で自分の感覚を未知の、あるいは彼によって直観
  された全宇宙と結びつけるだろう。そして彼の体験した生の正確な価値と
  規模をあたえるために、彼は世界の上に類推の広大な網を投げるだろう。こ
  のようにして彼は、電報的に生の類比的基礎をあたえるだろう。電報的にと
  いうのはすなわち、電信機が彼らの大ざっぱな話を通じて戦争の報道記者や
  特派員に課するのと同じスピ−ドでということである。こうした口数の少な
  い単刀直入な話し方の必要は、われわれを支配するスピ−ドの掟に対応して
  いるのみならず、公衆と詩人がもった多くの世紀にわたる関係にも対応して
  いるのだ。実際、公衆と詩人との間には、二人の古い親友の間に存在するの
  と同じ関係が通い合っているのだ。これらの者たちは、一言半句、一つの身
  振り、一瞥だけで説明し合えるのだ。だからこそ、詩人の想像力は自由勝手
  な本質的言葉を通じて、導きの糸なしで遠くの事物を相互に結びつけなけれ
  ばならないのだ。(続く)

  [使用テクスト]F. T. Marinetti:  Distruzione della sintassi, 
   Immaginazione senza fili, Parole in liberta`, in <>, a cura di Luciano De Maria, Milano, 
   Arnoldo Mondadori Editore, 1968.

                  佐藤 三夫(QZG14142)
            http://member.nifty.ne.jp/UTOPIA/
            「ユ−トピア」第4号近日発刊予定。






マリネッティの公開状

99/09/08 18:26





         F. T. マリネッティ:
     「未来主義者マック・デルマルル宛ての公開状」
                        佐藤 三夫訳

   親しい友よ、
   パリでとうとう君に会えなくて残念だった。何よりも先ず、われわれは
 君たちの未来派宣言を全面的に熱狂的に認めるということを君に言いたかっ
 たのだ。その宣言は、パリにおいてますます腐ったままになり、ますます懐
 古趣味的になっているすべてのものに対して、すばやく狙い定めた思想の射
 撃である。モンマルトルは、その家々やその庭やその小鳥たちやそのミミ・
 パンソンやそのざんばら髪のへぼ画家たちといっしょに、君たちの射撃のも
 とで崩壊しつつある。われわれはそれを確認してほんとうに仕合わせだ。君
 たちの未来主義者としての勇敢な率先した行動が輝かしく証明するところで
 は、未来主義は小さな教会のようなものでも、流派のようなものでもなく、
 むしろ知的エネルギ−や知的ヒロイズムの大きな運動なのだ。そこにおいて
 は個人は何ものでもない一方、破壊し一新する意志がすべてなのだ。
   未来派を、マリネッティや、ボッチョ−ニや、カッラや、ルッソロや、
 セヴェリ−ニや、ブッツィや、カンジュッロや、フォルゴレや、パラッツェ
 スキ等々の独占とみなすことは、ばかげている。それはちょうど、空中電気
 の独占を電灯に帰したり、地上の火や地震の独占をエトナ山に帰するような
 ものだ。
   赫々たる過去がイタリアを踏みつぶし、ますます果てしなく輝かしい未
 来がまさにイタリアにおいて、あまりに官能的なわれわれの空のもとで、そ
 の胸のうちに沸き立っていたので、未来派的エネルギ−は4年前に生まれ、
 組織され、水路が開かれ、われわれのうちにその原動力を見いだし、啓蒙と
 宣伝のその用具を見いださなければならなかった。
   イタリアは他のいかなる国よりも未来主義が緊急に必要だった。なぜな
 らそれは懐古趣味で死んでいたから。
   病人は自分の薬を発明した。われわれはたまたまその医者となったのだ
 。その薬はあらゆる国の病人に効き目がある。
   われわれの当面の計画は、考古学や、アカデミズムや、衒学的態度や、
 感傷主義や色情狂等々という、そのあらゆる嫌悪すべき形態のもとにあるイ
 タリアの懐古趣味に対する容赦なき戦いである。このためにわれわれは、超
 暴力的な、反教権主義的な、反社会主義的な国家主義、イタリア的血の無尽
 蔵の活力を基礎とする反伝統的な国家主義を表明する。
   われわれの未来派的国家主義は、人種を強固にするどころか、それを衰
 弱させ、それを哀れにも腐らせる祖先崇拝に対して激しく戦う。
   しかし未来派は、われわれが4年にわたる絶えざる戦いにおいて(一部
 分)実現したこの当面の計画を越えていく。
   未来派は、その全体的計画においては、前衛的雰囲気である。それは世
 界のすべての変革者たちに、あるいは知的パルティザンに属する言葉である
 。それは新奇なものへの愛であり、速力の情熱的な技術であり、古いものや
 、年老いたものや、遅いものや、博識なものや、教授ぶったものへの組織的
 な誹謗である。それはあらゆる破壊的なつるはしの耳をつんざく騒音である
 。それは世界を見る新しい仕方であり、人生を愛する新しい理由であり、科
 学的な発見や近代的機械装置の熱狂的な賛美であり、ぜひとも若さや力や独
 創性の旗を掲げるものである。それはすべての憂鬱な懐古趣味者に向かって
 吐きかける巨大なつばである。それは、死人たちや痛風病みや楽観主義者た
 ちの軍隊に対して向けられた、弾のつきることのない機関銃である。われわ
 れはそれらの人々の権威を失墜させ、彼らを大胆な若者たちやクリエイタ−
 たちに服従させたい。それはすべての尊敬された廃墟に対する爆薬である。
   未来派という言葉は、革新の最も広範な定式をふくんでいる。それは衛
 生的であると同時に刺激的であるので、疑いを単純化し、懐疑論を破壊し、
 とてつもない熱狂へとあらゆる努力を集める。
 すべての革新的精神たちは未来派の旗のもとに出会うだろう。なぜなら未来
 派は、つねに前進し、けっして退却しないことを宣言するからであり、臆病
 に差しだされたすべての橋の破壊を提案するからである。
   未来派は、すべての慢性の悲観主義に反対する人為的な楽観主義である
 。それはたえざる活力であり、永遠の生成であり、不屈の意志である。
   未来派は、さまざまな人種の意識的な復活というすばらしい定式であり
 、それゆえ、流行の法則にも、時間の消耗にも従わされない。
   こうした真理は、コスタンツィ劇場のわれわれの有名な戦いの夕べを、
 わたしにはっきりと思い浮かばせた。そのとき、ロ−マの貴族階級の多少と
 も買収された5000人の懐古趣味者たちの悪口やつぶてに対して、3時間も
 抵抗した後、彼らがなぐったり叩いたりすることに対してわれわれは飛びか
 かった。突然その晩その場でにわかに未来派となった500人のひとがわれわ
 れの周囲にいるのをわれわれは感じた。彼らはわれわれが敵たちの顔の蝶番
 をはずしていくらか作り直すのを助けてくれた。そしてもはや自衛のためで
 はなく、むしろもっぱら「未来派というこの偉大な世界的エネルギ−」の勝
 利のために勇敢に戦った。
   親愛なるデルマルルよ、わたしはわれわれの友人セヴェリ−ニとの君た
 ちの論争のことをしっかり聞いた。彼は好感のもてる男であると同時に偉大
 な未来派の画家である。われわれはそうした小さな個人的誤解をなんら重要
 視していないことを分かってもらいたい。君たちはそうした誤解を、次に出
 会うときには容易に取り除くことができるだろう。
   ただ未来派の爆発的な思想が重要なのだ。未来派の人々もまた時として
 、その思想を投げつける際に死ぬことがありうる。
                      F. T. マリネッティ

  [使用テクスト]F. T. Marinetti:  Lettera aperta al futurista
   Mac Delmarle, in <>, a cura
       di Luciano De Maria, Milano, Arnoldo Mondadori Editore, 
       1968.

                  佐藤 三夫(QZG14142)
            http://member.nifty.ne.jp/UTOPIA/





タンゴとパルツィヴァルを打倒せよ

00/02/25 15:38




         F. T. マリネッティ:
     「タンゴとパルツィヴァルを打倒せよ」
        1914年1月11日に、
     タンゴお茶の会をもよおしパルツィヴァルの上演を見る
     幾人かのコスモポリタン的女友達に回覧する
     未来派的手紙
           1914年3月18日
                        佐藤 三夫訳

   一年前、わたしはタンゴの軟弱にする毒を告発することによって『ジル
 ・ブラス』(Gil Blas)のアンケートに答えた。こうした流行性の揺れ動き
 は少しずつ全世界に拡散し、あらゆる人種をこんにゃくみたいにして腐らせ
 る恐れがある。それゆえわれわれはもう一度、流行の愚かさをののしり、ス
 ノビズムの屈従的な風潮を避けねばならないことに気づいた。
   ドゥ・ミュッセや、ユーゴや、ゴーティエの電光石火の目くばせやスペ
 イン的短剣の間にまたロマンチックな単調さ。ユイスマンには不能な「見者
 」(voyeurs)を通じて、またオスカー・ワイルドには性的倒錯者を通じて
 、ジャン・ロレーンのレストランのなかで揺れ動いている「悪の花々」、ボ
 ードレールの産業化。張り子の妖婦へのデカダンで麻痺したセンチメンタル
 なロマン主義の最後のマニア的努力。イギリス人やドイツ人のタンゴのぎご
 ちなさは、彼らの感情を伝えることのできない骨と燕尾服の機械仕掛けを切
 望しているのだろう。パリっこやイタリア人によるタンゴの剽窃。軟体動物
 のカップル。ばかみたいに飼いならされ、モルフィネ中毒におかされ、お白
 いを塗った、アルゼンチン種族の野良猫性。
   女性を所有することは彼女に対してこびへつらうことではなくて、彼女
 をつらぬくことだ。
   ---野蛮な!
   腿の間に膝だって?やれやれ、二人は愛しあっているんだ。
   ---野蛮な!
   よかろう、なるほどわれわれは野蛮だ。タンゴとその調子づいた失神を
 打倒せよ。それゆえ、口の中でたがいに見つめ合い、目のくらんだ二人の歯
 医者のようにたがいの歯を審美的に治療し合うのは、君たちにはたいそう楽
 しいことと思われるのか。引き離すのは----?不意に落ちるのは----?そ
 れゆえ、交互に発作を起こすために、どうせできはしないのだが、相手の上
 に絶望的に身を曲げることはたいそう面白く思われるのか。あるいは催眠術
 にかかった靴屋のように、自分の靴の先を見つめることが。ねえあんた35
 番という数を付けるの?君はなんてぴったりはまるんだ、ぼくの夢よ---
 -。あんたもよ----!
   マルクス王を興奮させるために彼らのもだえを遅らせるトリスタンとイ
 ゾルデ。恋の点滴器。性的あえぎの細密画。欲望で紡がれた砂糖。戸外での
 肉欲。恐るべき狂乱。アルコール中毒者たちの手や足。映画のための性交の
 無言劇。オナニーをしたワルツ。ああいやだ!皮膚の外交を打倒せよ。暴力
 的な所有の野獣性万歳。そして興奮させ強健にする筋肉的ダンスの美しい狂
 乱万歳。
   タンゴ、阿呆の深みに錨を投げた帆船の横揺れと縦揺れ。タンゴ、柔ら
 かさとぼんやりした愚かさのしみ込んだ帆船の横揺れと縦揺れ。タンゴ、タ
 ンゴ、嘔吐させるような縦揺れ。タンゴ、死んだセックスのゆっくりした辛
 抱づよい葬式。ああ、たしかに道徳や宗教や恥じらいが問題ではない。これ
 ら三つの言葉は、われわれにとっては意味がない。われわれは、健康や力や
 意志や男らしさの名において、「タンゴを打倒せよ」と叫ぶのだ。
   もしタンゴが悪であるならば「パルツィヴァル」(注)はもっと悪い。
 なぜなら、倦怠や憔悴でふらつくダンサーたちのなかに不治の音楽的神経衰
 弱を植え付けるからだ。神秘的涙のその集中豪雨や、その水たまりや、その
 洪水をともなった「パルツィヴァル」を、われわれはどのように避けるだろ
 うか。「パルツィヴァル」は人生の組織的な過小評価だ!悲しみと絶望の協
 同製造所だ。脂肪質の、便秘した老司祭の泣き言。えせ紳士のために優雅な
 後ろめたさと卑劣さの卸売りと小売り。血液の不足、腰の弱さ、ヒステリー
 、貧血と萎黄(いおう)病。人間の跪拝と野獣化と踏みつぶし。打ち負かさ
 れ傷ついた下らない音符を引きずっている。不快な主題の嘔吐のなかに酔っ
 ぱらって寝そべったオルガンのいびき。マクシム向きの深い襟ぐりのマグダ
 ラのマリアの涙と偽真珠。アンフォルタス王の傷の多声音楽的化膿。聖杯の
 騎士たちのめそめそした眠気。聖杯の使者クンドリのこっけいな悪魔崇拝
 ---。懐古趣味!懐古趣味!---もうたくさんだ!
   スノビズムの王と女王よ、生きている革新者であるわれわれ未来主義者
 に、絶対服従をすべきであることを知れ。それゆえ、50年前の革新者ワグナ
 ーの遺体を公衆の獣的発情にゆだねよ。彼の作品は今やドビュッシーやシュ
 トラウスやわれわれの未来主義者プラテッラによって追い越され、なにもの
 をも意味しない。君たちは、それが必要だった時われわれが彼を擁護するの
 を助けた。われわれは君たちに、何か生きているものを愛し擁護することを
 教えよう。さもなければ君たちはスノビズムの可愛い奴隷たちや羊を愛し擁
 護する。
   だから、君たちは君たちにとって唯一説得力のあるこの最後の議論を忘
 れている。今日ではいたるところでまた特に田舎で演じられるワグナーや「
 パルツィヴァル」を愛することは---、今日では世界中のすべての善良なブ
 ルジョワのようにタンゴお茶の会をもよおすことは、ほら、もう粋ではない
 んだ!

 (注)「アーサー王に仕えた円卓の騎士の一人。信仰の騎士はイエズスの心
 臓を突き刺した槍を奪回することができ、聖杯を征服する約束を果たすこと
 ができる。ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ(13世紀)の同名の叙
 事詩の主人公。インメルマンによって作り直され、ワグナーによってその最
 後の音楽劇において再び取り上げられた(1882)」(Novissima Enci-
 clopedia Ceschina, Dizionario storico geografico, Milano, p. 1047
 )。マリネッティはワグナーの作品を指していると思われる。

  [使用テクスト]F. T. Marinetti:  Abbasso il tango e Parsifal!,
   in <>, a cura di Luciano De
       Maria, Milano, Arnoldo Mondadori Editore, 1968.

                  佐藤 三夫(QZG14142)
            http://member.nifty.ne.jp/UTOPIA/






「未来派宣言」

00/11/29 00:04





         F. T. マリネッティ、C. R. W. ネヴィンソン
           「未来派宣言」
                        佐藤 三夫訳

   わたしはイギリスを情熱的に愛するイタリアの未来派の詩人である。わ
 たしはイギリスの芸術を病気のなかで最も重い病気である過去主義から治し
 たいと思う。それゆえわたしは、大声で、遠回しな表現でなく語り、わたし
 の友人でイギリスの未来派の画家ネヴィンソンとともに、戦いの合図を送る
 あらゆる権利をもっている。
   われわれは次のことに反対する。
 1. 伝統の崇拝。アカデミーの保守主義。イギリスの芸術家たちの商業的関
 心。純粋にまたもっぱら装飾的な意味における彼らの芸術と彼らの努力の惰
 弱さ。
 2. 気取った、控えめな、緩和された、凡庸なすべてのものを愚かにも陶然
 と礼賛するイギリスの大衆の悲観主義的な、懐疑主義的な、懐古主義的趣味
 。みすぼらしい中世的再構成。卑しい庭園都市、五月柱、モリス踊り、妖精
 物語、耽美主義、オスカー・ワイルド、ラッファエッロ前派主義者、新ルネ
 サンス前派主義者、およびパリ。
 3. イギリス人のあらゆる大胆さや独創性や発明の才を無視し軽蔑し、外国
 のあらゆる大胆さやあらゆる独創性を急いで崇拝するまずく運河を造ったス
 ノビズム。イギリスは詩においてシェイクスピアやスウィンバーンのような
 、絵画においてターナーや(印象派運動やバルビゾン派の最初の創始者であ
 った)コンスタブルのような、科学においてワットやスティーヴンソンやダ
 ーウィンのような、革新者をもったことを忘れるべきではない。
 4. ロイヤル・アカデミーの威信を無くさせ、今やそれ自身前衛的運動に粗
 野に敵対しているニュー・イングリッシュ・アート・クラブの偽革命家たち。
 5. 芸術に対する王や国家や政治家たちの無関心。
 6. 芸術は女性たちや令嬢方にとってだけ良い無益な気晴らしであり、一方
 芸術家たちは保護すべきあわれな変人であり、芸術は誰もがそれについて語
 りうる奇妙な病気であるというイギリス的考え方。
 7. 芸術に関して議論し判断する普遍的な権利。
 8. 酔っぱらって、きたならしく、だらしない身なりをして、並外れた天才
 という古いグロテスクな理想。芸術の同義語である大酒を飲むという習慣。
 ロンドンのモンマルトルであるチェルシー。ソンブレロをかぶり長い髪の毛
 をして紅を薄く塗った連中。および他の過去主義的な穢らわしい連中。
 9. 君たちに情愛が欠けていることや人生におけるさまざまな感情を補うた
 めに(君たちは間違っている)君たちの絵にしみ込ませる感傷主義。
 10. 疲労や幸せや絶望によって阻止された革新者。彼らの島や彼らのオア
 シスの中に居座った革新者。彼らはふたたび行進することを拒む。「そう、
 われわれは新しいものを欲する。だが君らの新しいものを欲するのではない
 」と言う革新者。「われわれは後期印象派を賛美し追随する。だが望んだ無
 垢さを越えてはいかない(ゴーギャン、など)これらの革新者たちは停止し
 てしまったのみならず、芸術の発展を理解しなかったことを示している。も
 しひとがぜひとも無垢なるものや、デフォルマシオンや、アルカイスムを絵
 画や彫刻において造ったならば、未来派的絵画の造型的ダイナミズムへとさ
 らに前進する前に、アカデミックなものや優美なものから乱暴に解放される
 ことが必要だからであった。
 11. 不滅妄想。傑作はその著者とともに消え去らなければならない。芸術
 における不滅は汚名である。イタリアの芸術の祖先たちは彼らの構成能力と
 彼らの不滅性でもってわれわれを臆病や模倣や剽窃の牢獄のなかに閉じこめ
 た。彼らはいつも尊敬すべき祖父たちのひじ掛け椅子に坐って現存し、われ
 われに命令する。彼らの大理石の顔はいつもわれわれ若者にとって苦悩とし
 てのしかかっている。「息子たちよ自動車を避けなさい。服を着なさい。風
 の通るところを避けなさい。雷に注意しなさい」。
  さあ、行っちまえ。----自動車万歳! 風通しのよいこと万歳! 雷万
 歳!

   われわれは次のことを望む。
 1. 強い、男性的な、反感傷主義的な芸術をもつこと。
 2. イギリスの芸術家たちは再生的楽観主義でもって、勇敢な冒険欲と英雄
 的な探検本能でもって、イギリス人種の力への崇拝と身体的および精神的勇
 気でもって、彼らの芸術を強化すべきこと。
 3. スポーツは芸術のひとつの本質的要素とみなされるべきこと。
 4. 偉大なる未来派的前衛を創造すること。この前衛のみが、アカデミーの
 伝統的保守主義によって、また大衆のいつもの無関心によって死の危険にさ
 らされているイギリスの芸術を救うことができるだろう。この前衛は興奮を
 あたえるアルコールとなり、創造的天才のための激しい刺激となり、長い労
 働を避け、浮きかすを絶えず取り除く費用や絶えずふたたび火をともす費用
 を避けるために、発明と芸術のかまどに火をともし続ける絶えざる関心とな
 るだろう。
   豊かで強力な国であるイギリスは、その芸術を確実な死から救おうと望
 むなら、もっと革命的でもっと進歩的なその芸術的前衛をぜひとも支持し、
 擁護し、賛美すべきであろう。

  [使用テクスト]F. T. Marinetti, C. R. W. Nevinson:  Manifesto 
 futurista, in <>, a cura di Luciano 
 De Maria, Milano, Arnoldo Mondadori Editore, 1968.

                  佐藤 三夫(QZG14142)
            http://member.nifty.ne.jp/UTOPIA/






マリネッティ「総合的未来派演劇」

01/03/13 00:52





         マリネッティ、セッティメッリ、コッラ
           「総合的未来派演劇」
      (非技術的-力動的-同時的-自律的-非論理的-非現実的)
         1915年1月11日-1915年2月18日
                        佐藤 三夫訳

   われわれのたいそう希求された大戦争を待ちながら、われわれ未来主義
 者は、広場や大学におけるわれわれのきわめて激しい反中立的な行動を、イ
 タリア的感受性にもとづいたわれわれの芸術的活動と交互に行なう。われわ
 れはこの活動を最大の危機の大いなる時に準備しようと思う。イタリアは、
 大胆で、きわめてがむしゃらで、弾力的で、フェンシング選手のようにす早
 く、ボクサーのように打撃に無関心で、5万人の死人をともなう勝利の知ら
 せや、大敗の知らせにも動じないでいるべきだ。イタリアは電光石火に決
 意し、あらゆる努力やあらゆる起こりうる災難に耐えるために、本や雑誌
 を必要としない。それらはただ少数派の興味をひくだけであり、また少数
 派を占めているだけだ。それらは多少とも退屈な、場所ふさぎで、スロー
 モーションであって、熱狂を冷まし、衝動を切断し、戦う人民を疑いで毒
 することしかできない。戦争、強化された未来派はわれわれに行進するこ
 とを課し、図書館や読書室のなかで朽ちるようにさせない。それゆえわれ
 われはもし演劇によってでないならば、今日イタリアの魂に戦闘的に影響
 をあたえることはできないと信じる。実際、イタリア人の90パーセントは
 劇場へ行くが、本や雑誌を読む者はわずか10パーセントである。だが未来
 派的演劇でなければならない。すなわち、過去主義的な演劇に絶対反対の
 演劇でなければならない。過去主義的な演劇はイタリアの眠気をもよおさ
 せる舞台の上で、単調で気がめいらせる行列を長引かせる。
   過去主義的な観客によってすでに捨てられた吐き気をもよおさせる形
 式である歴史的な演劇に対してこだわることなく、われわれは現代のあら
 ゆる演劇を非難する。なぜなら、まったく冗長で、分析的で、衒学的に心
 理学的で、解説的で、希薄で、小心よくよくとし、静的で、警察署のよう
 に禁制に満ち、修道院のように独房に分かれ、人の住まぬ古い家のように
 黴が生えている。つまりそれは、戦争の残酷な、抗しがたい、総合する速
 力と正反対に、平和主義的な中立主義的な演劇である。

   総合的
   すなわち、きわめて短い。数分でわずかな言葉でわずかな身振りで、
 無数の状況や感受性や観念や感覚や事実と記号を握りしめる。演劇を一新
 しようと欲した作家たち(イプセン、メーテルリンク、アンドレイェフ、
 ポール・クローデル、バーナード・ショウ)は、冗長さや小心翼々とした
 分析や予備的な饒舌を含む技術から解放されることによって、真の総合に
 到達するとは決して考えなかった。これらの著者の作品を前にして観衆は
 、舗装道路の上で倒れた馬のきわめてゆっくりとした苦しみをうかがい見
 ながら、彼らの苦しみと哀れみをゆっくり味わう怠け者たちのおしゃべり
 仲間の胸の悪くなるような態度のなかにいる。激発するしゃっくりのよう
 な拍手が、飲み下した不消化な時間のすべてからついに観衆の胃を解放す
 る。あらゆる幕は、(逆転劇、くちづけ、リボルバー、暴露的な言葉、等
 々)支配人が迎え入れるのを控えの間において辛抱づよく待たなければな
 らないのに等しい。すべてこうした過去主義的な、あるいは半未来派的な
 演劇は、少数の言葉や身振りのなかに事実や思想を総合する代わりに、多
 くの景色や広場や道路を一部屋の唯一のサラミソーセージのなかに詰め込
 んで、さまざまな経過(驚きと活力の源)を獣のように破壊する。それゆ
 え、こうした演劇はまったく静的である。
   われわれは短さのおかげで、機械的に、われわれのきわめて速くて簡
 潔な未来派的感受性と完全に調和して、絶対に新しい演劇に到達すること
 ができる。われわれの幕はまた瞬間的、すなわち数秒の間であることもあ
 りうると納得している。この本質的なまた総合的な短さでもって、演劇は
 映画との競争に耐えうるし、またその競争に打ち勝ちうるであろう。

   非技術的
   過去主義的な演劇は、ますます天才をゆがめ減らすことをよぎなくす
 る文学的形式である。その演劇においては、抒情詩や小説におけるよりも
 はるかに、「技術の要請」が支配する。すなわち、1. 観客の趣味の一部
 をなさないような、あらゆる考え方を捨てること。2. (数ページで表現
 しうる)劇場的考え方が見出だされたならば、それを薄めること、そして
 二、三、四幕に薄めること。3. われわれの関心のある人物のまわりに、
 まったく関係のない多くの人々を置くこと。すなわち、三枚目や、風変わ
 りな者たちや、他のうるさい連中。4. すべての幕の継続時間は30分と
 45分との間を揺れ動くようにすること。5. 次のことを配慮して幕を構成
 すること。a)まったく無益な7-8ページでもって始めること。b)第一幕
 では構想の10分の1を披露し、第二幕では10分の5を、第三幕では10分
 の4を披露すること。c)上昇する仕方で幕を構成すること。それゆえ、
 幕はフィナーレへの準備にすぎない。d)もし第二幕が楽しく、第三幕が
 むさぼり見るようなものであるならば、「退屈でつまらない」第一幕を顧
 慮することなくつくること。6. あらゆる本質的な台詞を変わることなく
 100もの台詞に、あるいはさらに「準備の」無意味な台詞で支えること。
 7. 入口と出口を正確に説明することには1ページも割かないこと。8.
  仕事全体に、幕に、場面に、台詞に、浅薄な軽演劇の規則を組織的に適
 用すること。たとえば、昼の幕、夕方の幕、真夜中の幕をつくること。感
 傷的な幕、苦悩に満ちた幕、崇高な幕をつくること。二人の対話を長引か
 せることをよぎなくされた時、その対話を中断するような事を起こらせる
 こと。すなわち花瓶が落ちるとか、マンドリンの演奏が流れるとか----
 。あるいは二人の人物を、坐っていることから立っていることへ、右から
 左へたえず動かすこと。そうしている間に、何か爆弾が外に爆発するよう
 にいつも思われるような仕方(たとえば、証拠を妻からもぎ取る裏切られ
 た夫)で対話を変化させること。だが実際には幕の終わりまで何も爆発し
 ない。9. 「紛糾の本当らしさ」にとてつもなく配慮すること。10. 観
 衆が、あらゆる舞台の行動のいかにとなぜを最大の完全さでもっていつも
 理解しなければならないような仕方で、またとりわけ主人公たちがどのよ
 うに終わるようになるかを最終幕で知らなければならないような仕方で、
 つくること。
   劇場におけるわれわれの総合的運動でもって、われわれは「技術」を
 破壊したいと思う。その技術は、ギリシャ人たちから今日まで、単純化さ
 れる代わりに、ますます教条的となり、馬鹿みたいに論理的、小心翼々と
 した、衒学的、息を詰まらせるものとなった。それゆえ、
 1. 1ページで十分なところに百ページも書くことは馬鹿げている。それ
 はただ、観客が習慣と子供じみた衝動のために、一連の事実から結果する
 人物の性格を見たいと思い、またその人物そのものが芸術の価値を賛美す
 るために実際に存在するという幻想をいだく必要があるためである。とこ
 ろが観衆は、著者がわずかな特徴でもってそれを指示するにとどめるなら
 ば、この価値を認めたいとは思わない。
 2. 人生そのもの(それは芸術の分野において展開されるよりも無限に妨
 げられ、規制され、予見できる行動によって構成されている)が大部分反
 演劇的であり、この部分においても無数の劇的可能性を提供する時に、演
 劇性の偏見に反抗しないのは馬鹿げている。それが価値をもつ時、すべて
 は演劇的である。
 3. 群衆の原始性を満足させることは馬鹿げている。群衆はついには、感
 じのよい人物が称賛され、感じのわるい人物が打ち負かされるのを見るの
 を欲する。
 4. 本当らしさに配慮することは馬鹿げている。(本当らしさとは馬鹿げ
 たことだ。価値や天才は本当らしさとはまったく一致しないからだ。)
 5. 人生でさえもある出来事をその原因と結果のすべてでもって全面的に
 捉えることなど決して起こらないのに、上演するすべてのことを詳細な論
 理でもって説明しようとすることは馬鹿げている。なぜなら現実は、それ
 らの間で結びつき、他のものの中にさし挟まり、混錯し、絡まり、混沌と
 した事実の断片の一斉射撃でわれわれを攻め立てながら、われわれのまわ
 りに振動しているからだ。たとえば、二人の人物の間の争いを、いつも秩
 序や論理や明晰さをもって舞台に上演することは馬鹿げている。ところが
 われわれの人生の経験では、近代人としてのわれわれの活動が電車やコー
 ヒー店や駅において一瞬の間居合わすようにした、ほとんど論争の断片だ
 けをわれわれは見いだすのだ。そしてそれらは、身振りや言葉や騒音や光
 のダイナミックで断片的な交響曲のように、われわれの精神の中に映画化
 されたままであった。
 6. クレッシェンドや準備や最後における最大の効果という指図にしたが
 うことは馬鹿げている。
 7. すべての人々(また馬鹿者でも)が執拗に勉強し実践し忍耐すること
 によって獲得することができる技術の重荷を自分の才能に負わせることは
 馬鹿げている。
 8. すべての踏査された分野の外に、全的創造の空虚へのダイナミックな
 飛躍を断念することは馬鹿げている。

   力動的、同時的
   すなわち、即興から、電光石火の直感から、暗示的で啓示的な現実か
 ら生まれたもの。われわれは、あるものが即興的であった限り(時間、分
 、秒)、そして長く準備されなかった限り(月、年、世紀)価値があると
 思う。
   われわれは、上演されるべき環境を顧慮することなく、机上で、先天
 的につくられた仕事に対してどうしようもない嫌悪をもつ。われわれの仕
 事の大部分は劇場で書かれた。劇場的環境はわれわれにとって、インスピ
 レーションの汲み尽くせない貯水池である。すなわちそれは、疲れた頭で
 稽古のマチネーにおいて金ぴかに飾られた空の劇場からにじみ出る魅惑的
 な循環的感覚であり、考えの逆説的な集合の上に構成する可能性をわれわ
 れに示唆する俳優のイントネーションであり、光のシンフォニーを通じて
 われわれにきっかけをあたえる背景の動きであり、過度の天才的短縮法に
 満ちた着想をわれわれの感受性のなかに生みだす女優の豊満さである。
   ホールの中に閉じこめられた革命であった電気や他の未来派的総合を
 観衆に課する俳優たちの英雄的集団のトップに立って、われわれはイタリ
 ア中を歩きまわった。パレルモの大劇場ガリバルディから、ミラノのダル
 ・ヴェルメまで。イタリアの諸劇場は、群衆の猛烈なマッサージで皺を伸
 ばし、地震の地響きを立てて笑った。われわれは俳優たちと親しくなった
 。それから、旅の眠れぬ夜に、トンネルや駅のリズムでわれわれの才能を
 たがいに鞭打ちながら議論をした。われわれの未来派的演劇はシェイクス
 ピアを無視するが、俳優たちの陰口を考慮する。イプセンの台詞にはうん
 ざりさせられるが、椅子席の赤や緑の反射に対しては感激する。われわれ
 は、さまざま異なった環境や時代の浸透による絶対的なダイナミズムを獲
 得する。たとえば、「愛以上に」のような劇において、重要な事実(例え
 ば博打打ちの殺害)は舞台の上では動かないが、ダイナミズムの絶対的な
 欠如でもって物語られる。「ジョリオの娘」の第一幕において、諸事実は
 時間や空間の飛躍なしで唯一の場面で動くのに、「同時性」という未来派
 的総合においては、相互に浸透し合う二つの環境があり、同時に作動した
 多くの異なった時間がある。

   自律的、非論理的、非現実的
   未来派的演劇の総合は、論理に従わされないし、写真的なものを何も
 含まないし、自律的なものとなるであろう。それは現実から気まぐれに結
 びつくべき諸要素を引き出すとしても、それ自身にしか似ないであろう。
 むしろ画家や音楽家にとってのように、色や形や音や騒音によって構成さ
 れたいっそう狭いがいっそう強烈な生活が外的世界のなかに散らばって存
 在している。このように演劇的感受性をそなえた人にとって、暴力でもっ
 て神経を襲う専門化された現実というものが存在する。それは演劇的世界
 と呼ばれるものによって構成される。
   未来派的演劇は未来派的感受性のきわめて活動的な二つの流れから生
 まれる。それらは、芸術的才能の尺度と値打ちである「バラエティ演劇」
 と「重さ」という二つの宣言において明らかにされた。それらは以下のよ
 うなものである。
 1. 現実の、速い、断片的な、優雅な、複雑な、皮肉な、屈強な、つか
 の間の、未来主義的生活に対するわれわれの熱狂的な情熱。2. われわ
 れのきわめて近代的な知的芸術観。それによれば、いかなる論理も、いか
 なる伝統も、いかなる美学も、いかなる技術も、いかなる好機も、芸術家
 の才能に押し付けることはできない。芸術家はただ、「新しさの絶対的価
 値」がもつ脳のエネルギーの総合的表現を創造することに関心をもつべき
 である。
   未来派的演劇はその観客を熱狂させることができるだろう。すなわち
 、最も悪化された根源性に刻み込まれ、予想できない仕方で組み合わされ
 た感覚の迷路を通じて彼らを放り出すことによって、観客に日常生活の単
 調さを忘れさせることができるだろう。
   未来派的演劇は毎晩、未来派的なこの年が必要とする素早い危険な大
 胆さへとわれわれの民族の精神を鍛える体操となるであろう。

   結論
 1. 過去主義的演劇がそのもとに死ぬ技術を全面的に廃止すること。 
 2. われわれの才能がうまく定義できない力において、純粋の抽象におい
 て、純粋の主知主義において、純粋の幻想において、記憶において、また
 身体的精神錯乱において、潜在意識の上でなしつつある(ありそうもない
 ことや奇抜なことや反演劇的なことに対する)すべての発見を上演するこ
 と。(たとえば、未来派によって発見された演劇的感受性の新しい鉱脈で
 あるF. T. マリネッティの最初の物象演劇"Vengono")。
 3. 観衆の感受性を探査しながら、その最も怠惰な分枝をあらゆる手段で
 目覚めさせながら、シンフォニーとすること。ステージと観衆との間に感
 覚の網を投げながら、脚光の先入見を除去すること。舞台のアクションは
 平土間席と観客に襲いかかる。
 4. 俳優たちと温かく親密になること。彼らは、あらゆるゆがんだ文化的
 努力を忌み嫌う数少ない思想家たちのなかにいる。
 5. 道化芝居や、通俗喜劇や、艶笑喜劇、喜劇や、ドラマや、悲劇を廃止
 して、その代わりに数多くの未来派演劇を創造すること。すなわち、自由
 な台詞や、同時性や、相互浸透や、活気のある小詩や、脚色された感覚や
 、対話体の笑いや、否定的な行為や、木霊する台詞や、超論理的な議論や
 、総合的な歪曲、科学的な明かり取り----。
 6. 絶え間ない接触によってわれわれと群衆との間に、格式ばらない親密
 さの流れをつくりだし、このようにしてわれわれの観衆のなかに新しい未
 来派的演劇性のダイナミックな活気を呼び覚ますようにすること。

   ここに演劇についての最初の言葉がある。(マリネッティや、セッテ
 ィメッリや、ブルーノ・コッラや、R. キーティや、バリッラ・プラテッラ
 の)われわれの最初の11の演劇的総合は、エットーレ・ベルティや、ゾン
 カーダや、ペトロリーニによって、アンコーナやボローニャやパドヴァや
 ナポリやヴェネツィアやヴェローナやフィレンツェやローマの満員の観衆
 に勝ち誇って課せられたのである。間もなくわれわれはミラノに、電気と
 機械の複雑な機構によって動かされる大きな金属の建物をもつであろう。
 それのみがわれわれの最も自由な着想を舞台の上に実現することをわれわ
 れに許すことができるだろう。

  [使用テクスト]F. T. Marinetti, Settimelli, Corra:  Il teatro 
 futurista sintetico (Atecnico-dinamico-simultaneo-autonomo
   -alogico-irreale), in <>, a cura
   di Luciano De Maria, Milano, Arnoldo Mondadori Editore, 1968.

                  佐藤 三夫(QZG14142)
            http://member.nifty.ne.jp/UTOPIA/





マリネッティ:新しいスピードの宗教・道徳

01/05/31 01:19





         F. T. マリネッティ:
     「新しいスピードの宗教・道徳」
          1916年5月11日
   『未来派イタリア』紙の第一号において公表された未来派宣言
                        佐藤 三夫訳

   われわれのたいそう希求された大戦争を待ちながら、われわれ未来主義
   わたしの最初の宣言において(1909年2月20日)においてわたしは、
 次のように宣言した。世界のすばらしさは新しい美、すなわちスピードの美
 で豊かにされた。ダイナミックな芸術の後に、新しいスピードの宗教・倫理
 がわれわれの偉大な解放戦争のこの未来派的年に生まれた。キリスト教的倫
 理は、人間の内的生活を発展させることに役立った。それはもはやそうであ
 るわけがない。なぜなら神的なものはまったく空虚になったから。
   人間は固有の歩みのリズムに一致した大きな川の等時的で調子づいたリ
 ズムを軽蔑することで始めた。人間は馬のギャロップのリズムに等しい急流
 のリズムを突き止めた。人間はスピードに増加によってその神的権威を示す
 ために、馬や象やラクダを飼いならした。最も従順な動物と同盟を結び、反
 抗的な動物をつかまえ、食用になる動物を食べた。人間はモーターのなかに
 新しい同盟者をつくるために、空間の電気と動力用燃料を盗んだ。人間は、
 動力用燃料と電気と同盟するために、金属を打ち負かし、火によって柔軟に
 した。このようにして敵対的で危険な、だが十分に飼いならされた一群の奴
 隷たちをつくったので、大地のカーヴの上をすみやかに移動させた。
   曲りくねった小道や、ゆったりと流れる川につづき、山の背やでこぼこ
 の山腹をめぐる道路など、そこには大地の法則がある。直線というものは決
 してない。いつも唐草模様のようであり、ジグザグである。スピードはつい
 に人間の生活に、「直線」という神の性格の一つをあたえる。
   その泥の粘土のもとに濁ったドナウ河は自分の命の上に顔を垂れ、好色
 で多産な肥った魚をいっぱいに閉じこめて、星座のすばやい回転によってあ
 らわにされた修道院、大地の中心的なはてしない通路におけるように、その
 山々の高くきびしい断崖のの間を呟くような音を立てて過ぎていく。この規
 則ずくめの河は、自動車が狂ったフォックステリアの吠え声を立てて全速力
 で追い越すのをいつまで許すだろうか。わたしはドナウ河が時速300キロで
 直線で流れるのを早く見たいものだ。
   スピードに対して罪を犯すすべての人々迫害し、鞭打ち、拷問にかける
 ことが必要だ。
   太陽が居を定め、身を横たえ、もはや動かなくなる過去主義的な都市の
 重大な罪深さ。太陽が今晩引退するだろうなんて誰が信じられようか。不
 可能だ。太陽がここに住居を定めた。広場はよどんだ火の湖だ。道路は怠
 惰な火の川だ。当分の間通過しない。出て行かない。太陽の洪水。その火
 を渡るためには冷却する船か氷の作業服が必要だろう。身を隠すこと。光
 の独裁制、その専制的抑圧。それは冷たさとスピードの反逆的な意見をも
 った人々を投獄する。家から外に出る身体には災いが降りかかる。頭を棍
 棒で一撃される。死人。すべての扉の上に太陽のギロチン。頭蓋骨から外
 に出る考えには災いが降りかかる。鉛の2,3,4の音の調べが鐘楼の遺
 物から彼の背に落ちてくる。家では蒸し暑さのなかで、郷愁にかられた蝿
 の怒り。腿と汗ばんだ記憶の肉離れ。日曜日の群衆とヴェネツィアの潟の
 罪深い緩慢さ。
   スピードは本質上運動しているあらゆる力の直観的総合をもつので、
 当然純粋だ。緩慢さは本質上休息しているあらゆる疲労の合理的分析をも
 つので、当然汚れている。古い善と古い悪の破壊の後にわれわれは、新し
 善としてスピードを、また新しい悪として緩慢さを創りだす。
   スピード=行動しているあらゆる勇気の総合。攻撃的で好戦的。
 緩慢さ=よどんでいるあらゆる思慮分別の分析。受動的で平和主義的。
   スピード=障害への軽視。新しいものや未踏査なものへの欲求。現代
 性、衛生。
   緩慢さ=停止、陶酔、障害物へ不動の礼賛、すでに見たものへの郷愁
 、疲労や休息の理想化。未踏査なものについての悲観主義。旅する野蛮な
 詩人や眼鏡をかけて薄汚い蓬髪の哲学者の陳腐なロマン主義。
   もし祈ることが神と通じることを意味するならば、大スピードで走る
 ことは一つの祈りである。車輪とレールの聖性。神的スピードを祈るため
 にはレールの上にひざまずくことが必要だ。ジャイロスコープ的羅針盤の
 回転するスピードの前にひざまずかなければならない。すなわち、人間に
 によって到達された最大の機械的スピードである毎分2万回転のスピード
 が問題である。驚くべき、理解しえないそれらのスピードの秘密を星々か
 ら奪い取ることが必要だ。それゆえわれわれは大いなる天界の戦いに参加
 する。われわれは目に見えない大砲から発射された星の砲弾に立ち向かう
 。われわれは毎秒241キロメートルで飛ぶグルームブリッジ1830星と競
 争し、また秒速413キロで飛ぶアークトゥルス(牛飼い座の首星)と競争
 する。目に見えない数学的な砲兵たち。星々は砲弾であると同時に砲兵で
 あるので、もっと大きな星から逃れるか、あるいはもっと小さな星を射る
 ためにスピードで戦う。われわれの聖人たちは、秒速42,000メートルの
 平均速度でわれわれの大気を貫く無数の微粒子である。われらの聖女たち
 は光であり、秒速3x10の10乗の電磁波である。
   自動車における大スピードの陶酔は、自分が唯一の神と融合したと感
 じる喜びにほかならない。スポーツマンはこの宗教の最初の洗礼志願者だ
 。自動車と飛行機の大いなるたまり場をつくるために、次に家々や諸都市
 を破壊すること。

   神的なものによって住まわれる場所:列車、食堂車(スピードのなか
 で食べること)。鉄道の駅。特にアメリカ西部の駅。そこでは、時速140
 キロメートルで疾走した列車が必要な水と郵便物の袋を(停まることなく
 )飲みながら通過する。橋々やトンネルを。パリのオペラ座を。ロンドン
 のストランド街を。自動車のサーキット。映画のフィルム。無線電信局。
 動力用電気を大気から引き出すためにアルプスの水の柱が落ちる大きな管
 。流行の素早い発明を通じて新しいものへの情熱とすでに見たものへの憎
 しみを創りだすパリの偉大なデザイナーたち。アメリカ人たちによれば、
 (ボクサーがその敵手をそれでもってノックアウトする明確な打撃である
 )パンチをもっているミラノのような超近代的で活動的な都市。戦場。機
 関銃、銃、大砲、弾丸は神的である。素早い地雷のための坑道や対敵坑道
 。それは敵がわれわれを吹っ飛ばすよりも前に敵を吹っ飛ばす。自動車の
 内燃機関やタイヤはすばらしい。自転車やオートバイはすばらしい。ガソ
 リンはすばらしい。100馬力ということが着想をあたえる宗教的恍惚。第
 3速度から第4速度へ移る喜び。音楽的な速度のうなりを立てるペダルで
 あるアクセルを押す喜び。睡眠に陥った人々が思いつかせる嫌悪感。わた
 しが夕方寝ようとして感じるしぶしぶの感じ。わたしは毎晩わたしの電燈
 に祈る。なぜならスピードがそこでは激しく働いているからだ。
   ヒロイズムはサーキットのうちで最も広いところをたどって、それ自
 身のところへ到達したスピードである。愛国主義はある国民の直接的なス
 ピードである。戦争は、ある国家の中心的原動力である軍隊の必要な試運
 転である。
   自動車や飛行機の大きなスピードは、遠いさまざまな地点を速やかに
 抱擁し比較対照すること、すなわち類比の仕事を機械的にすることを可能
 にする。たくさん旅する者は、機械的に才知を獲得し、離れた物を体系的
 に見、それらをたがいに比較することによってそれらに接近し、その深い
 魅力を発見する。大きなスピードは芸術家の類比的直観の人為的再生産で
 ある。脈絡なき想像力の遍在=スピード。創造的天才=スピード。
   能動的スピードと受動的スピード。操作するスピード(運転手)と操
 作されるスピード(自動車)。造形するスピード(執筆者、彫刻する者)
 スピード と造形されるスピード(書かれたもの、彫刻されたもの)。さ
 まざまなスピードによってもたらされたスピード(先頭と後尾の2台の機
 関車によって押されまた引かれた列車)とさまざまなスピードをもたらす
 スピード(さまざまなスピードのかなりのエンジン+動いているさまざま
 な人々、すなわち船員や機関士や乗客や給仕や料理人やプールの揺れる水
 の中で泳ぐ者+泳ぐ者によって揺れ動かされる水+走ったり吠えている多
 くの犬+跳ねている多くの蚤+多くの競馬馬の潜在的なスピード)。
   さまざまなスピードをもたらす他のスピードの例:運転手を乗せてい
 る自動車+第二の行程を走るという運転手の考えのスピード、あるいは自
 動車は第一の行程を実質的に走っているのに、走るべくして留まっている
 すべてのもの。実際、運転手はすでに見たものの倦怠を到着点で味わって
 いる。
   われわれの生活はつねにスピードをもたらすものでなければならない
 。すなわち、思考スピード+身体のスピード+身体を乗せる床のスピード
 +(貨物船か飛行機の)床を乗せる元素(水か空気)のスピード。考えを
 物質的な道路の上に置くために、考えを精神的な道路から引き離すこと。
 鉛筆のように、匂い(身体的散乱)や考え(精神的散乱)=速度の増加を
 道路の紙の上に残していくこと。スピードは重力の法則を破壊し、主観的
 なもの、それゆえ奴隷たちをもたらし、時間と空間の価値をもたらす。ど
 のキロメートルもどの時間も等しいのではなくして、スピードのある人間
 にとって、長さと持続が異なっている。
   道路に添って存在するすべてのものに、同一の速度で反対方向に走る
 ように課する列車と自動車を例にとってみよう。そして列車や自動車は、
 道路に添って存在しているすべてのもののうちに矛盾の精神、すなわち人
 生を呼び覚ます。列車のスピードは、通過した風景をして、反対の方向に
 向く二つの風景に分割することをよぎなくする。列車はどれも、それが過
 ぎて行くのを見る者の魂の郷愁的部分をそれ自身とともに運んでいく。い
 くらか遠いものや、木々や、森や、丘や、山々は、列車の反対方向に投げ
 られた事物のこうした突進を恐怖をもって見ている。それからそれらにつ 
 いて行くことを決心する。だがしぶしぶながら、またいっそうゆっくりと
 。スピードにおいてはあらゆる物体は、左右に揺れて、振り子となる傾向
 がある。
   走り走り走り飛び飛ぶこと。危険危険危険危険右左下上中外、死を嗅
 ぎ分け呼吸し飲むこと。歯車の武装革命。正確で簡潔な抒情。幾何学的な
 輝き。諸君はもっと多くの新鮮さやもっと多くの人生を味わうために、川
 や海の中で、きわめて新鮮な逆流のなかで全速力で飛ばなければならない
 。わたしが飛行士ビエロヴチックといっしょに初めて飛んだ時には、胸が
 大きな穴のようにひらくのを感じた。そこでは天の全視界が滑らかに新鮮
 に激しくオーバーフローする。ゆっくりと溶けた官能性において、太陽や
 花々における散歩よりも、狂った風の凶暴で彩られたマッサージの方を諸
 君は選ぶべきだ。増していく軽快さ。無限の快楽感。きわめて軽々としな
 やかに跳び上がって諸君はマシンから降りる。諸君は背中の重みを取り除
 いた。道路の鳥もちに打ち勝った。諸君は人間に這うことを課する法則に
 打ち勝ったのだ。
   絶えずスピードを変えることが必要だ。なぜなら、われわれの意識が
 そこに参加しているからだ。スピードは二重の展開においてその絶対的な
 美しさをもつ。なぜなら、それは次のものに対して戦うからである。1.
 地面の抵抗に対して。2.大気のさまざまな圧力に対して。3.展開によ
 って形成された空虚の引力に対して。直線におけるスピードはずっしりと
 した、おおまかな、無意識的なものである。展開におけるまた展開の後に
 おけるスピードは敏捷な、意識的なスピードである。
   自動車のサーキットにおけるスリップの驚くべきドラマ。自動車は二
 つに裂けるようになる。大砲の弾丸となり、新しい危険を恐れるために、
 傾斜地や溝や大地の中心を求める後部を重くすること。危険であり続ける
 よりもむしろすぐさま死ぬこと。否!否!否!飛ぶ者の肩か身体でもって
 乗り物の後部を溝から引き出し、それを再び真っ直ぐにする未来派的前車
 に栄光あれ。われわれの近くに、線路のないわれわれの間に、自動車が突
 進し、それ自身の上で向きを変え、ここから淡い地平の曲線へと飛び上が
 る。展開された者たちによって彼らに準備されたあらゆる障害物によって
 脅かされて飛び上がるのだ。スピードにおいて乗り越えられた二重の展開
 は生命の最高の顕示である。われわれの重みの不実な陰謀に対するわれわ
 れの自我の勝利。われわれの重みは、われわれのスピードを不動の穴のな
 かに引きずることによってそれを裏切って殺してしまおうとする。スピー
 ド=散乱+自我の濃縮。身体によってたどられたすべての空間はこの同じ
 空間のなかに濃縮される。
 
 地上のスピード: 大地-女性への愛 世界への散乱(地平的淫欲)
          =白く曲った道路を優しく愛撫する自動車傾倒熱

 空中のスピード: 大地への憎悪(垂直の神秘主義)
          無-神への自我のらせん的上昇=飛行、ひまし油の便
          通的敏捷

  激しい騒音の源である列車の車輪の素早い歯車。車輪は物質のなかに
 眠っているあらゆる騒音を大地から引き出す。列車の圧力のもとで線路
 は揺れた瞬間の振動し弾む網のなかで跳ね上がり激しく揺れる。自動車
 のたどる道路は、まるい騒音とらせん状の匂いの跡である。この100馬
 力はエトナ山の洞穴を延長する。
   自動車によってたどられた道路や線路は、地平のある点に上にそび
 え立つ理想的な柱のまわりに巻き付くために、波状の、弾力のある飛躍
 をもっている。
   夜のある首都で躍り出る光輝く氷の間を走るリムジンの暗い地のな
 かでのみ感じられる快楽。特に自分が速い物体だと感じられる快楽。わ
 たしは二つの特急列車を乗り継ぐ間しばしば駅で食事をする人間だ。わ
 たしの眼差しはすばやく壁の時計から湯気の立つ皿の上へと移る。ねじ
 -苦悩-記憶が心臓のなかをまわって貫く。それをすぐさま急いで食べる
 ことが必要だ。スピードによって創りだされた固体性-抵抗をただ信じ
 ることが必要だ。思考力と思考の複雑さ。欲望と食欲の洗練。地面の不
 十分さ。蜂蜜や香辛料や肉や遠い所の果物への飢え。すべてこうしたこ
 とは、スピードの道徳-宗教を課する。
   スピードは男の小球を女の小球から引き離す。スピードは愛を破壊
 する。愛は、家にこもりがちの心の悪徳であり、悲惨な凝固作用であり
 、血としての人間性の動脈硬化である。スピードは世界の鉄道の自動車
 の飛行機の血液循環を敏活にし、急がせる。
   ただスピードのみが、郷愁的、感傷的、平和主義的、中立的な、有
 毒な月光を殺すことができるだろう。イタリア人よ、諸君はすばやい者
 であれ、そうすれば力強く、楽観主義的で、無敵で、不滅な者となるだ
 ろう!
  [使用テクスト]F. T. Marinetti:  La nuova religione-morale
   della velocita`, manifesto futurista pubblicato nel primo
   numero del giornale "L'Italia Futurista" , in <>, a cura di Luciano De Maria, 
   Milano, Arnoldo Mondadori Editore, 1968.

                  佐藤 三夫(QZG14142)
            http://member.nifty.ne.jp/UTOPIA/






「未来派の映画」

01/07/28 14:02





     F. T. マリネッティ、ブルーノ・コッラ、E. セッティメッリ、
     アルナルド・ジンナ、G. バッラ、レーモ・キーティ
     「未来派の映画」
          1916年9月11日
   『未来派イタリア』紙の第9号において公表された未来派宣言
                        佐藤 三夫訳

   思考を維持し伝達しようとする半ば絶対的に過去主義的な本は、ず
 っと前から、司教座大聖堂や、塔や、銃眼をそなえた城壁や、博物館や
 、平和主義的理想のように、姿を消す運命にあった。家にこもりがちの
 者たちや、郷愁に取りつかれた者たちや、中立主義者たちの静態的な仲
 間である本は、革命的で好戦的な躍動の陶酔した未来派的新世代を楽し
 ませることも熱狂させることもできない。
   戦争の勃発はヨーロッパの感受性をますます鋭敏にする。われわれ
 の適切な大戦争は、われわれのすべての国民的熱望を満足させるはずで
 あろうが、イタリア民族の革新的力を100倍にする。われわれが準備し
 ている未来派的な映画は宇宙の愉快な変形であり、世界の生活の没論理
 的でつかの間の総合であるが、少年たちのための最良の学校となるだろ
 う。それは喜びと、速さと、力と、向こう見ずと、ヒロイズムの学校で
 ある。未来派的な映画は感受性を鋭くし、発展させ、創造的想像力を加
 速し、知性に同時性と遍在の驚くべき感覚をあたえるだろう。未来派的
 な映画はこのようにして雑誌(つねに衒学的)に演劇を置き換え(いつ
 も予知的)、書物(いつも退屈で重苦しい)を殺すことによって、一般
 的な革新に協力するだろう。宣伝の必要性が時々書物を公刊することを
 われわれによぎなくさせる。しかしわたしは、映画や。自由な言葉の大
 きなタブローや、光を発する動く掲示を通じて表現する方が好きだ。
   「未来派的総合的演劇」というわれわれの宣言とともに、グアルテ
 ィエロ・トゥミアーティや、エットーレ・ベルティや、アンニバーレ・
 ニンキや、ルイジ・ゾンカーダの劇団の勝ち誇った巡業とともに、80
 の演劇的総合をふくむ「未来派的総合的演劇」の2巻とともに、われわ
 れはイタリアに散文演劇の革命を始めた。それまでに他の未来派の宣言
 がバラエティ演劇を復権させ、賛美し、完成させていた。それゆえ、今
 日われわれが映画という他の演劇の領域にわれわれの活気をあたえる努
 力を移すことはもっともなことである。
   生まれて間もない映画は一見してすでに未来派的と思われうる。す
 なわち、過去を欠いており、伝統から自由であるから。実際それは、「
 言葉なき演劇」として発生し、文学的演劇の最も伝統的なすべての断片
 を受け継いだ。それゆえわれわれはもちろん、散文演劇のために言った
 り行なったすべてのことを、映画に関連させることができる。映画が今
 日まで深く過去主義的なままであったし、そうあろうとした限り、われ
 われの行動は正当であり、必要である。一方われわれは映画の中に優れ
 て未来派的芸術の可能性を見るし、ある未来派的芸術家の多くの感受性
 にいっそう適合した表現手段を見る。
   旅行や狩猟や戦争等々の面白いフィルムを除いて、きわめて過去主
 義的なさまざまな演劇は、われわれに害をあたえることしかできなかっ
 た。その短さやその多様性を通じて進展するように思われうる同じシナ
 リオが、むしろたいていは嘆かわしい使い古した分析にすぎない。映画
 の果てしない芸術的可能性はそれゆえまったく手付かずのままである。
   映画はそれ自身で芸術である。それゆえ映画は舞台を模倣すべきで
 ない。映画は本質的に視覚的であるので、むしろ絵画の発展を成し遂げ
 るべきである。すなわち、現実や、写真や、優美なものや、厳かなもの
 から、自分を引き離すべきである。反優美なものや、歪んだものや、印
 象主義的なものや、総合的なものや、力動的なものや、自由語的ものと
 なるべきである。
   現存のあらゆる芸術よりも無限に広大で機敏な新しい芸術の理想的
 道具をそれからつくるために、映画を表現手段として解放することが必
 要である。そのことを通じてのみ、最も近代的な芸術的探究のすべてが
 向かう多表現性に達しうるだろうということが確信される。未来派的映
 画は、すでにわれわれが1年前にわれわれの宣言において告げていた「
 多表現的シンフォニー」をまさに今日創造した。すなわち、芸術的天才
 の重さと尺度と値打ちである。未来派的フィルムのなかには、最も多様
 な要素が表現手段として入るだろう。すなわち、現実生活の断片から色
 のしみまで、線から自由な言葉まで、半音階的なまた彫塑的音楽から物
 体の音楽まで。それはつまりは絵画や、建築や、彫刻や、自由な言葉や
 、色彩や線や形態の音楽や、物体の寄せ集めや、混沌とした現実となる
 だろう。われわれは絵画の限界を最大限に働かせるようにする画家たち
 の探究に新しいインスピレーションを提供するだろう。われわれは絵画
 や音楽や騒音の芸術へと行進することによって、また言葉と現実的対象
 との間に橋をかけることによって、文学の限界を打ち壊す自由な言葉を
 動かすだろう。
   われわれのフィルムは次のようなものとなるだろう。
 1. 類比の二つの要素のうちの一つとして直接に現実を用いることによ
 って「映画的類比」。もしわれわれが主人公の悲しみのさまざまな局面
 のなかにそれを描く代わりに、彼の悲しみの状態を表現したいと思うな
 ならば、われわれは洞穴の多いぎざぎざのある山の光景でもって同等の
 印象をあたえるだろう。
   山や海や森や都市や群衆や軍隊やグループや飛行機は、しばしばす
 ごく表現的なわれわれの言葉となるだろう。
   例えば、われわれは常軌を逸した陽気さの感覚をあたえたい。すな
 わち、そこにすがりつこうと決心するほどに巨大な外套掛けのまわりに
 跳ねまわって飛ぶ一団の椅子を表現しよう。われわれは怒りの感情をあ
 たえたい。すなわち、われわれは黄色い球のタービンのなかで怒りのか
 たまりを砕く。死んだ中立的懐疑論のなかで自分の信念を失った英雄の
 苦悩をあたえたい。すなわち、われわれは群衆に霊感を帯びた言葉で語
 るという行為において英雄を表現するだろう。われわれはジョヴァンニ
 ・ジョリッティをいきなり外に逃げ出させる。彼は、トマトソースの中
 に彼の羽の生えた言葉を溺死させることによって、うまそうな一刺し分
 のマカロニをいきなり口に押し込む。
   われわれは、登場人物たちの脳をよぎるあらゆる像をすばやくまた
 同時にあたえることによって、対話を潤色するだろう。たとえば、おま
 えはかもしかのように美しいと自分の妻に言う男を表現するに際して、
 われわれはかもしかをあたえるだろう。もしある人物が、旅人が長い労
 苦を経た後にある山の高みから海を眺めるように、ぼくはおまえの新鮮
 で輝かしい微笑みを眺めると言うならば、われわれは旅人や、海や、山
 をあたえるだろう。
   このようにしてわれわれの登場人物たちは、あたかも彼らが話すよ
 うに、完全に理解しうるものとなるだろう。
 2. 詩篇、談話、および映画的詩。われわれはスクリーンの上でそれら
 を構成する像を通させよう。
   たとえば、ジョズエ・カルドゥッチの「愛の歌」
    あたかも狩のことを考える鷹のように
    ドイツ風の城砦のもとに君らは居を構えている----

   われわれは城砦や待ち伏せしている鷹をあたえるだろう。
    天へ高く大理石の腕を上げながら
    主に祈る教会のもとに
    ----
    森と都市との間鐘の音のひびく中にある
    暗い修道院のもとに
    まばらな木々の間で倦怠と奇妙な快活さを
    歌っている郭公のように
   われわれは哀願する女たちの中で少しずつ姿が変わる教会や高みか
 ら満足している神をあたえるだろう。修道院や郭公をあたえるだろう。
   たとえば、ジョズエ・カルドゥッチの「夏の夢」
    おまえのいつもの鳴りひびく詩のなかでホメーロスよ
    熱い時がわたしを打ち負かした
    スカマンドロスの岸で眠りながら頭を垂れていたが
    わたしの心はティレニア海に逃げていた
   われわれはアカイア人の騒ぐなかを歩きまわるカルドゥッチをあた
 えるだろう。彼は走っている馬たちをたくみに避け、ホメーロスに敬意
 を表して、スカマンドロ・ロッソの居酒屋にアイアースといっしょに飲
 みに行く。そして彼の心臓の鼓動が見られなければならない。それは上
 着から外にはみ出し、ラパッロ湾の上を巨大な赤い気球のように飛ぶの
 だ。このようにしてわれわれは、この天才の最も秘密な動きを映画にす
 るだろう。
   このようにしてわれわれは過去主義的な詩人たちの作品を滑稽化し
 、最大限大衆のために最も郷愁的に単調でめそめそした詩を、激しく刺
 激的できわめて楽しい見世物に変える。
 3. 映画化されたさまざまな時間や場所の同時性と浸透。われわれは同
 じ瞬間と枠の中で、たがいに異なった二つか三つのヴィジョンをあたえ
 るだろう。
 4. 映画化された音楽的探究(不協和音、和音、身振りや事実や色彩や
 線等々のシンフォニー)。
 5. 映画化された脚色された心の状態。
 6. 映画化された論理から解放されるための日常的な訓練。
 7. 映画化された対象のドラマ。(生命のある対象、人間化された対象
 、扮装した対象、衣服を着た対象、情熱化された対象、文明化した対象
 、踊る対象。---慣れた環境から取り去られた対象。また異常な状態に
 置かれた対象。それは対照的にその対象の驚くべき構造と非人間的な生
 命を際立たせる)。
 8. 映画化された思想や出来事や型や対象等々の陳列棚。
 9. 映画化された会議や、喧嘩や、しかめ面の結婚式や、無言劇のそれ
 ら、等々。例えば、耳にベルを長く鳴らしながら千人もの代議員たちに
 沈黙を課する大鼻。一方、憲兵の二つの髭が一本の歯を逮捕する。
 10. 映画化された人体の非現実的再構成。
 11. 映画化された不均衡のドラマ。(喉が渇きながら細い管を外に引
 き出す人間。その管はへそのへこみにまで広がり、それを一挙に乾かす
 。)
 12. 映画化された感情の潜在的なドラマと戦略的計画。
 13. 映画化された男たちや、女たちや、出来事や、考えや、音楽や、
 感情や、重さや、臭いや、物音の線的な、造形的な、色彩的な等々の等
 価物。(われわれは、不貞な妻を発見して愛人を追う夫の内的なリズム
 や身体的リズムを、黒い線の上の白い線でもってあたえるだろう---そ
 れは魂のリズムと脚のリズムである)。
 14. 映画化された動きにおける自由な言葉(叙情的な価値の一覧表-
 --人間化されたあるいは動物化された文字のドラマ---正字法的ドラ
 マ---印刷上のドラマ---幾何学的ドラマ---数的感受性、など)。
   絵画+彫刻+造形的躍動+自由な言葉+調律された物音+建築+
 総合的劇場=未来派的映画。
   このようにして宇宙をわわれのすばらしい気まぐれによって分解
 し再構成する。イタリアの創造的天才の力と世界における彼の絶対的
 支配権を100倍にするためである。

                  佐藤 三夫(QZG14142)
            http://member.nifty.ne.jp/UTOPIA/