翻訳(イタリア現代詩選集)

佐藤三夫氏が現代詩フォーラムに発表された「イタリア現代詩選集」の1〜75までを収めました。


イタリア現代詩選集(1)

97/02/07 02:21




       イタリア現代詩選集(1)/ 佐藤 三夫訳

    [たそがれ派(Crepuscolarismo)]                
      
    グイード・ゴッザーノ:相違 
   (Guido Gozzano:  La differenza)


  ぼくは思いまた思い返す---いったい
  川岸に鳴く鵞鳥は何を思うか
  幸せそうに見える 冬の夕暮に
  頚をのばし しゃがれた歓声をあげて

  跳びはね羽ばたきをしもぐりたわぬれる
  死ぬべき身の上を夢みたりしないし
  近いクリスマスのことも料理人の
  きらめく包丁のことも夢想しない

  ああ鵞鳥 ぼくの純真な妹よ
  死が存在せぬことを教えてくれる
  ひとは思ったことにより死ぬだけだと

  だがおまえは考えない その運命(さだめ)は
  すてきだ 料理されるのは悲しくなく
  料理されると思うのは悲しいゆえ

  ----------
  Guido Gozzano (1883-1916)









イタリア現代詩選集(2)

97/02/07 21:21




       イタリア現代詩選集(2)/ 佐藤 三夫訳

    グイード・ゴッザーノ:対話 
   (Guido Gozzano:  I Colloqui)

    I
  二十五歳!----ぼくは年をとった 年を
  とってしまった! 青春の盛りは過ぎ
  見離しという贈物だけ残した!

  過去という一巻の本 そこにぼくは
  嗚咽をおさえ 詩句と詩句との間に
  青春の青ざめた跡を認めうる

  二十五歳! ぼくは聖書的奇跡を
  瞑想し----すでにわが灰色の空に
  ゆっくりと傾く太陽を見つめる

  二十五歳----ほら死にかけた本能で
  取り乱しいらだった三十はそこだ----
  それから四十歳がすぐやってくる

  恐ろしい 敗者たちの陰うつな齡
  次いで老年 入れ歯をし髪を染めた
  身の毛のよだつ老いの齡がやってくる

  ああ 十分楽しまなかった青春
  今日ぼくは見る おまえがどんなだったか
  おまえの微笑を見る 別れの悲しい

  時にようやく評価される恋人よ
  二十五歳!----他の目標へ進むほど
  おまえが美しい物語のように

  美しかったことにぼくは気づくのだ!

    II
  だがぼくの生きられなかった美しい
  物語を ぼくに続いた者 ぼくの
  無口な弟が生きているのを見た

  泣いて笑った弟のためにぼくは
  泣き笑った かれはぼくの理想的な
  若く美しい幽霊のようだった

  一歩ごとにぼくは後ろをふり向いた
  かれに好奇の目をじっとすえて かれの
  陽気なまた憂うつな思いをうかがい

  かれはぼくの言った事柄を考え
  ぼくの孤立した苦しみを慰めて
  ぼくの生きなかった生活をば生きた

  かれはそのあまい暮らしを愛し生きる
  芸術の夢のなかでだけ美しい
  りっぱな話を語ったぼくは違う

  ぼくは生きなかった 沈黙した紙に
  おし黙ったままぼくはかれを描いた
  しばしばその暮らしに驚嘆しながら

  このぼくは生きていないのだ ただひとり
  冷ややかにわきに離れ ぼくはほほえみ

  自分自身の生きるのをながめている










イタリア現代詩選集(3)

97/02/10 00:49




       イタリア現代詩選集(3)/ 佐藤 三夫訳

    グイード・ゴッザーノ:不在 
   (Guido Gozzano:  L'assenza)

  キス そして彼女は遠ざかって行った
  さ緑のなかのながい廊下みたいな
  森の道がそこで見えなくなるところ
  その奥へと彼女は消え失せて行った

  ぼくはここにふたたび登る 今しがた
  彼女が灰色の服を着てたところ
  鉤針や小説や彼女のあらゆる
  かすかな痕跡----をぼくはふたたび見る

  ぼくはバルコニーに身をかがめる そして
  手すりの上に片ほほをもたせかける
  ぼくは悲しくない もう悲しくないさ
  彼女は今夜きっと帰ってくるのだ

  ぼくのまわりでは夏が傾いている
  そして赤いゼラニウムの花の上に
  尾のついた羽をはたはたとふるわせて
  とても大きな蝶が舞い上がっている----  

  昼の果てしない紺碧の空の色
  それは張りつめた絹の布地のようだ
  けれど広々と澄みわたった空には
  月がすでに帰ることを思っている

  池は明るく輝いている 蛙は
  黙っている けれど燃えるエメラルドの
  真っ青な燃えさしのきらめく光が
  つまりかわせみが矢のように飛んでいる----
  
  そしてぼくは悲しくはない だがぼくは
  庭をながめながら唖然としてしまう
  何に唖然とするのか 自分をかつて
  それほどに子どもだとは感じなかった----

  何に唖然とするのか 目にする物に
  花々はぼくには奇妙に思われる
  けれども薔薇たちはいつもあるだろうし
  けれどゼラニウムはいつもあるだろうし----










イタリア現代詩選集(4)

97/02/11 01:07




       イタリア現代詩選集(4)/ 佐藤 三夫訳

    [たそがれ派(Crepuscolarismo)]                
      
    セルジョ・コラッツィーニ:あわれな感傷的詩人の悲嘆 
   (Sergio Corazzini:  Desolazione del povero poeta 
    sentimentale)


     I
  きみはなぜぼくのことを詩人と言うの
  ぼくは詩人じゃない
  ぼくは泣いているちっちゃな子どもにすぎない
  見てごらん ぼくは沈黙にささげるべき涙しかもっていない
  きみはなぜぼくのことを詩人と言うの 

     II
  ぼくの悲しみはあわれなふつうの悲しみだ
  ぼくの喜びは単純なものだった
  ぼくがそれをきみに告白しなければならないとしたら
  顔が赤くなるだろうほど単純な
  今日ぼくは死ぬことを考えている

     III
  ぼくは死にたい ただ疲れたから
  ただ大聖堂のステンド・グラスの
  大きな天使たちがぼくを
  愛と苦悩でふるえさせるから
  ただぼくは今では鏡のように
  あわれな憂うつな鏡のように
  あきらめているから

  ぼくが詩人じゃないことが分かるよね
  ぼくは死にたいと思っている悲しい子どもなんだ

     IV
  ああ ぼくの悲しみに驚かないでくれたまえ
  そしてぼくに質問しないでほしい
  ぼくはこんな空しい言葉しかきみに言えないだろうから
  ああ そんなに空しいから
  ぼくは死にかけているかのように泣きだすだろう
  ぼくの涙は
  ぼくの魂のまえで七度悲しみながら
  悲しみのロザリオの祈りを唱えるような様子だろう
  けれどぼくは詩人ではないだろう
  歌ったり眠ったりするように
  たまたま祈ったりする
  やさしい物思わしげな子どもにすぎないだろう

     V
  ぼくは毎日イエスとともにするように
  沈黙して聖体拝領をする
  そして沈黙の司祭たちが物音だ
  彼らなしではぼくは神を探したり見つけたりしなかっただろうから
  
     VI
  昨夜ぼくは手で十字を切って眠った
  ぼくはすべての人間たちに忘れられた
  ちっちゃなやさしい子どもだとぼくには思われた
  初めて出会った見知らぬ者のあわれなどうしようもない餌食なのだ
  そしてぼくは売られたかった
  たたかれ 
  絶食せざるをえないようにされたかった
  絶望的に悲しく
  暗い片隅で
  ひとりぼっちで泣くことができるために

     VII
  ぼくは物事の単純な生活を愛する
  立ち去ったあらゆることのために
  どれほどの情熱が少しづつ摘み取られたかをぼくは見た
  けれどきみはぼくを理解しないでほほえみ
  ぼくが病気なんだと思う
  
     VIII
  ああ ぼくはほんとうに病気なんだ
  そして毎日少しづつ死ぬんだ
  分かるだろう 物事がそうであるように
  だからぼくは詩人じゃない
  ぼくは知っている 詩人と呼ばれるためには
  まったく別な生活を生きなければならないことを
  ああ神さま ぼくは死ぬことしか知らないんだ
  アーメン

  ---------------
  Sergio Corazzini (1886-1907)
    ローマで生まれる。家の経済事情で学校を中退しなければならなかっ
  た。結核にかかり、1907年初めにネットゥーノの療養所に入れられた。
  数カ月後にローマで死んだ。
    詩的著作:コラッツィーニのすべての詩篇は『叙情詩集』Liriche
  (Milano-Napoli:  Riccardo Ricciardi, 1922,1959)にまとめられ
  ている。
    なお前回までのグイード・ゴッザーノについては以下の通り。
  Guido Gozzano (1883-1916)
    トリノに生まれた。たいそう若い時に書き始め、その詩をさまざま
  な雑誌や新聞で公表し、異常な成功をおさめた。世界のさまざまな地方
  へいく度か旅行した。彼の慢性の結核病を軽くしようと思って、健康に
  よい風土を探し求めたがむだであった。彼はイタリアで死んだ。
    詩的著作:ゴッザーノのすべての詩篇は『ゴッザーノ詩集』Le
  poesie di Gozzano (Milano:  Garzanti, 1960) にまとめられてい
  る。









イタリア現代詩選集(5)

97/02/12 16:33




       イタリア現代詩選集(5)/ 佐藤 三夫訳

    セルジョ・コラッツィーニ:手まわしオルガンのために 
   (Sergio Corazzini:  Per organo di Barberia)


     I
  昔の忘れられた節の悲しい施し
  受け入れる者がだれもいない
  贈物の空しさ!
  ひとけない通りの
  木の葉の春!
  通り過ぎまた通り過ぎる
  貧弱な節まわし
  音楽的空の
  小鳥たちみたいだ!
  施しの反響をぼくらに求めるような
  病院の小さなアリア!

     II
  ごらん だれも聞いていない
  眠っている小さな
  田舎家のまえで単調な
  おまえの悲しみを
  流している  
  もう一度
  瀕死の人たちのように気違いじみて
  祝辞をすすり泣きながらに述べている
  おまえはあわれな
  むずかる子どものように
  執拗に
  泣きかえす
  そしてだれも聞いていない










イタリア現代詩選集(6)

97/02/13 14:48




       イタリア現代詩選集(6)/ 佐藤 三夫訳

    [未来派(Futurismo)とラ・ヴォーチェ(La Voce)]        
              
    コッラード・ゴヴォーニ:いなか 
   (Corrado Govoni:  Paesi)


  白い鐘楼の心地よい音(ね)の鐘が
  灰色の屋根の上で鳴りとどろくと
  赤いネッカチーフをした女たちが
  まあるいかまどからパンを引っぱり出す

  雪のなかで雄豚が殺されている
  血に魅せられた子どもの群れがかこんで
  目を見はって短いけれど残酷な
  断末魔の苦しむ様を待っている
  
  雄鶏が勝利のときの声を上げる
  黒いまぐさ置場から牛たちが出て
  おだやかに土手にあらわれ重々しく

  銀色の川水を飲みに降りてくる
  野原ではばら色だとか白い墓地が
  麦の緑のさなかで期待している

  ---------------
  Corrado Govoni (1884-1965)
    フェッラーラのタマラで生まれる。二十歳で最初の詩集を刊行。たそ
  がれ派の詩人たち、特にコラッツィーニから強く影響され、コラッツィー
  ニと親友になった。またミラノの未来派の運動に参加し、ミラノに居住し
  た。1928年以来ローマで暮らした。
    詩的著作:『小さなガラス壜』Le fiale (Firenze, Lumachi, 1903.
  2a ed.;  Milano, Garzanti, 1949)。『灰色と沈黙の調和』Armonia in
  grigio et in silenzio (Firenze, Lumachi, 1903)。『花火』Fuochi
  d'artificio (Paleremo, Ganguzza-Lajosa, 1905)。『流産』Gli 
  aborti (Ferrara, Taddei, 1907)。『電気的な詩』Poesie elettriche
  (Milano, Poesia, 1911.  2a ed., Ferrara, Taddei, 1919)。『春の
  開会』Inaugrazione della primavera(Firenze, La Voce, 1915.  
  2a ed., Ferrara, Taddei, 1919)。『希釈』Rarefazioni (Milano, 
  Poesia, 1915)。『詩選集』Poesie scelte (Ferrara, Taddei, 
  1919)。『夢と星々のノート』Quaderno dei sogni e delle stelle 
  (Milano, Mondadori, 1924)。『夜への祝詞』Brindisi alla notte 
  (Milano, Poesia, 1924)。『魔笛』Il flauto magico (Roma, 1932)。
  『口を閉ざした歌』Canzoni a bocca chiusa (Firenze, Vallecchi, 
  1938)。『愛の巡礼者』Pellegrino d'amore (Milano, Mondadori, 
  1941)。『アラディン』Aladino (Milano, Mondadori, 1946)。
  『イタリアは詩人たちを憎む』L'Italia odia i poeti (Roma, Pagine 
  Nuove, 1950)。『高く飛ぶ祖国』Patira d'alto volo (Siena, Maia, 
  1953)。『クローバへの祈り』Preghiera al trifoglio (Roma, Casini, 
  1953)。『壜のなかの写本』Manoscritto nella bottiglia 
  Milano, Mondadori, 1954)。
 



イタリア現代詩選集(7)

97/02/14 15:06




       イタリア現代詩選集(7)/ 佐藤 三夫訳

    コッラード・ゴヴォーニ:美しさ
   (Corrado Govoni:  Bellezze)


  小麦畑はこんなにも美しい
  ただそのなかにケシや
  エンドウの花々があるから
  そしてあなたの青ざめた顔も美しい
  ながい編み毛が重いので
  すこし後ろにかしいでいるから
 









イタリア現代詩選集(8)

97/02/16 00:03




       イタリア現代詩選集(8)/ 佐藤 三夫訳

    コッラード・ゴヴォーニ:小さなラッパ
   (Corrado Govoni:  La trombettina)


  市の魔法全部のなかで
  残ったものといえばそれはほら
  青と緑のブリキの
  あの小さなラッパ
  それをひとりの女の子が
  はだしで野原を歩きながら
  吹きならしている
  けれどその力んだ調べのなかには
  白や赤の道化師たちがいる
  けばけばしい金ぴかの楽隊がいる
  回転木馬やオルガンや照明の明かりがある
  ちょうど雨どいのしたたりのなかには
  嵐の恐怖や
  稲妻や虹の美しさが
  すべてあるように
  またヒースの葉の上で消えうせる
  ほたるのしめっぽい光のなかには
  春の驚異のすべてがあるように
 









イタリア現代詩選集(9)

97/02/17 00:25




       イタリア現代詩選集(9)/ 佐藤 三夫訳

    [未来派(Futurismo)とラ・ヴォーチェ(La Voce)]   
     
    アルド・パラッツェスキ:病気の噴水
   (Aldo Palazzeschi:  La fontana malata)


  クロッフ クロップ クロック
  クロッフェーテ 
  クロッペーテ
  クロッケーテ
  ククク----

  中庭に
  あわれな
  病気の
  噴水
  がある
  それが咳こむのを
  聞くのは
  なんと苦しいことか
  咳こみ
  咳こんで
  すこし
  黙り----
  ふたたび
  咳こむ
  わたしのあわれな
  噴水
  おまえの
  病気は
  わたしの心を
  しめつける

  黙っている
  もう一滴も
  噴き出さない
  黙っている
  なんの
  物音も
  聞こえない
  たぶん----
  たぶん
  死んだのか
  こわい
  ああ そうじゃない
  ほら
  また
  咳こむ

  クロッフ クロップ クロック
  クロッフェーテ 
  クロッペーテ
  クロッケーテ
  ククク----

  肺病が
  彼女を殺す
  ああ神よ
  あの彼女の
  果てしない
  咳こみが
  わたしに
  死ぬ思いをさせる
  すこし
  具合がいい
  だがこんなにたくさん----
  なんという泣き言
  だがアベル
  ヴィットーリア
  行っておくれ
  走っていって
  噴水を
  止めておくれ
  あの彼女の
  果てしない
  咳こみは
  わたしを殺す
  行って
  なにかしておくれ
  彼女を
  終わらせるために
  ひょっとしたら----
  ひょっとしたら
  死なせるために
  聖母よ
  イエズスよ
  もうたくさん
  もうたくさんだ
  わたしのあわれな
  噴水よ
  おまえの
  病気で
  おまえは死ぬ
  おまえは見るだろう
  おまえはわたしをも
  殺すのを

  クロッフ クロップ クロック
  クロッフェーテ 
  クロッペーテ
  クロッケーテ
  ククク----

  ---------------
  Aldo Palazzeschi (Aldo Giurlani のペンネーム。1885-1974)
    フィレンツェに生まれる。処女詩集を自費出版。未来派の運動を、その
  初期において積極的に支援。第一次世界大戦以前に、特に『ラ・ヴォー
  チェ』誌にたくさんの批評を書く。その後、ローマへ引っ越し、もっぱら小
  説や短篇物語にたずさわる。
    詩的著作:『白い馬たち』I cavalli bianchi(Firenze, 1905)。『ラ
  ンタン』Lanterna(Firenze, 1907)。『詩篇』Poemi(Firenze, 
  1908)。『放火犯』L'incendiario(Milano, Poesia, 1910)。『詩集
  (1904-1910)』Poesie(1904-1910)(Firenze, Vallecchi, 1925.
  決定版:Milano, Preda, 1930)。『欠点1905年』Difetti 1905
  (Milano, Garzanti, 1947)。『感傷的旅行』Viaggio sentimentale
  (Milano, Scheiwiller, 1955)。『青年期著作集』Opere giovanili
  (Milano, Mondadori, 1959)。









イタリア現代詩選集(10)

97/02/17 20:35




       イタリア現代詩選集(10)/ 佐藤 三夫訳

    アルド・パラッツェスキ:アーラ・マーラ・アマーラ
   (Aldo Palazzeschi:  Ara Mara Amara)


  坂を下りきったところ
  背の高い糸杉のあいだに
  小さな草地がある
  その木蔭に
  サイコロで遊びながら
  三人の老婆がじっとしている
  ちょっとの間も頭をあげず
  ただ一日たりと場所を変えない
  草の上にひざまずいて
  あの木蔭でじっと遊んでいる










イタリア現代詩選集(11)

97/02/18 14:22




       イタリア現代詩選集(11)/ 佐藤 三夫訳

    アルド・パラッツェスキ:リオ・ボ
   (Aldo Palazzeschi:  Rio Bo)


  とんがり屋根の
  ちいさな家が三軒
  緑のちっちゃな牧場
  ちっぽけな小川リオ・ボ
  見張っている糸杉
  顕微鏡的な村なんだ ほんとに
  取るに足らない村なんだけれどもね-----
  上にはいつもひとつの星があるんだ
  大きなすっばらしい星
  それがなんとなく-----
  リオ・ボの
  糸杉の先っぽに流し目をする
  恋におちた星か
  大きな町だってたぶん
  こんな星を
  もってなんかいるもんか










イタリア現代詩選集(12)

97/02/19 15:38




       イタリア現代詩選集(12)/ 佐藤 三夫訳

    アルド・パラッツェスキ:十一月
   (Aldo Palazzeschi:  Novembre)


  幾人かの若者たちと老人たちが
  ローマの暑い廃墟のなかに
  集まる
  そこにすずかけが
  さらさらと紙の音をたてて
  そのこがね色の葉を落としている
  若者たちは自分たちの気に入ることを
  老人たちに知らせる
  老人たちは聞こえないふりをする










イタリア(9)

97/02/20 12:19




     イタリア(9) / 佐藤 三夫
   
     アモルとプシケー

  (アモル)
  わたしの可愛い小鳥プシケーよ
  クローカス ヒヤシンス 葡萄のうえ
  かげろうのように飛びはねるおまえ
  わたしの胸にわく泉の精よ
  
  (プシケー)
  ああアモルアモルあなたの唇
  きらめく歯からこぼれる言葉たち
  わたしの乳房ふかく突きささって
  薔薇のよう血ぶかせるいとしい矢よ

  (アモル)
  巻き毛の羊たちが夕日を浴び
  パーンの笛にさそわれて帰ると
  糸杉のうえにきらめきはじめた
  星のようにおまえの眼はかがやく

  (プシケー)
  あなたの指がふれるとこの髪は
  小川のようにせせらいで歌うの
  あなたの息がふれるとこの肩は
  春の雪のように崩れてしまう

  (アモル)
  なぜ後ずさりするのわたしの愛
  かがんでふるえているおまえの背は
  わたしのたかぶる胸をこごえさす

  (プシケー)
  おねがいもう何もおっしゃらないで
  わたしは死んでしまいそうこのまま
  夜の小鳥の歌をきいていると

  (アモル)
  ああプシケーよ顔をあげてごらん
  したたる宝石のような涙を
  眼を耳を頬を飲みほしてあげる

  (プシケー)
  母君ウェヌスよおゆるし下さい
  ああ あなたの胸は海のいわお
  潮騒のとどろきがひびいてくる










イタリア現代詩選集(13)

97/02/20 14:18




       イタリア現代詩選集(13)/ 佐藤 三夫訳

    アルド・パラッツェスキ:パラティーノの丘
   (Aldo Palazzeschi:  Il Palatino)


  夏の焼けつくような真昼
  時間のやわらかいクッションの上に
  体がいこう
  思考は力をうしなって
  幻影をも幽霊をも呼び出せない
  そして目はやっととらえるのだ
  大地から立ちのぼり
  熱によって光のなかに溶けた
  透明な蒸気を
  太陽によって
  飲みこまれた石は
  無名の見すてられた
  墓のように白い
  そして枝の葉しげみが
  神々しい願いをこめて
  軽くふるえている
  灼熱の放棄を通じて
  感覚はただ香りだけを知覚する
  現在は悪臭をはなち
  未来とはばくぜんとした用語だ
  過去はもう臭いがしない
  何となく枯れ葉の香りがする
  過去というものは










イタリア現代詩選集(14)

97/02/22 02:26




       イタリア現代詩選集(14)/ 佐藤 三夫訳

    [未来派(Futurismo)とラ・ヴォーチェ(La Voce)]   
     
    ジョヴァンニ・パピーニ:第八の詩
   (Giovanni Papini:  Ottava poesia)


  白い帳面 一日の初め 
  書き入れてない勘定書き 第一頁----
  最後の最後まで
  帰りについて語らないようにしよう

  柔らかい木の葉の明るいみどり
  通りの歌のあたたかい香り
  嫉妬によって戴冠した
  わが偉大さへの褒賞

  かつてこの新しい朝のように
  石の二重の壁のあいだに
  体がふたたび見いだす道を
  新しい心でもって足音たかく歩んだことはない

  わたしは本能に押されて行進する わたしは
  砂漠の主人である自分のまわりを見まわす
  わたしはうつろな沈黙のなかに
  自分が確信をもって率直に話すのを聞く

  ついにそして永遠にひとりぽっちになる
  うれしく 心もかるく 口にたばこをくわえる
  真実や日常から離れて
  わたしに触れるものが何もないところへ行く

  わたしはわたしの見るあらゆるものとなる
  わたしは壁の影であり 燈火のひかりである
  わたしはわたしを消耗させる恐れなしに
  太陽を呼吸し いだく

  わたしは自分自身の愛された恋人である
  わたしは上唇を下唇でキスし 片方の手を
  もう片方の燃える手でにぎりしめる
  わたしは自分を全部所有し そのふりをしているのではない

  わたしたちはもうカップルではない----わたしは
  自己愛から生まれた一者なのだ
  わたしはだれをも求めない者であり
  自分の熱狂でかろうじて満足する者である

  空想の慰めのうちに失われて
  わたしの眼差しにとって地上には地平線はない 
  わたしの額のなかにすべて閉じ込められた
  わたしのものとなった大地があるのみだ

  波だつ意志で燃えている
  わたしの顔に天から空気の愛撫が
  愚弄された追放者に
  威厳の最後の一タッチをあたえる

  だが日の暮れに疲れ果てて寒く 
  ふたたび道の溝を見いだす時
  わたしは帰途の薄紫色の暗がりのなかに
  だれも気にとめない悲しいあわれな男である

  ---------------
  Giovanni Papini (1881-1956)
    フィレンツェに生まれる。パピーニは二十世紀イタリアの文化的知的
  歴史において特別な地位を占めている。彼の最初の著作から最後の著作に
  いたるまで、彼はいつも特異な論争的批判的な精神の形跡を示した。その
  精神は外見上しばしば破壊的であったが、実際にはつねに改良と進歩への
  欲求によって鼓吹されていた。1903年にG. プレッツォリーニといっしょ
  に『レオナルド』Leonardo誌を創始した。数年後、『王国』Il Regno誌
  の編集者となる。『ラ・ヴォーチェ』誌の創始者の一人となり、すぐ後で
  『ラチェルバ』Lacerba誌でもって未来派の運動に加わった。第一次世界
  大戦の後しばらくして、カトリック教に再改宗し、以後彼の著作はつねに
  つよい宗教的インスピレーションをもった。詩人、批評家、小説家、短編
  作家、編集者----パピーニはその生涯を通じて、イタリア文化における
  有力な動かす力であった。
    詩的著作:『詩集』Poesia in versi (Firenze, Vallecchi, 1932)。
  それは『初期の作品』Opera prima 1914-1916 と『パンとぶどう酒』
  Pane e vino 1921-1926 を含む。







イタリア現代詩選集(15)

97/02/23 17:29




       イタリア現代詩選集(15)/ 佐藤 三夫訳

    [未来派(Futurismo)とラ・ヴォーチェ(La Voce)]   
     
    クレメンテ・レーボラ:ロンバルディーアの鐘
   (Clemente Re`bora:  Campana di Lombardia)


  ロンバルディーアの鐘
  おまえの声 わたしの声
  声 声 おまえは去って行って
  哀愁をあたえない
  なんだか分らないけれども
  黙りこむかまた鳴りだすと
  天への信頼が湧いてきて
  心の痛手をいやしてくれる
  もしたずねたり答えたりする
  メロディーが胸のなかにあるならば
  もしハーモニーの穂のなかで
  きらめきながら心が心に 
  声が声に伝えられるならば----
  声 声 おまえは去って行って
  哀愁をあたえない

  ---------------
  Clemente Re`bora (1885-1957)
    ミラノに生まれる。レーボラは、深い、ほとんど神秘的な宗教的信仰
  のなかに彼のインスピレーションを見いだした近代イタリアのおそらく最
  も重要な詩人である。教師になった後しばらくして、第一次世界大戦にお
  いてイタリア軍に加わった。前線でながい時期を経た後、爆発で負傷し
  た。彼は病院に数カ月とどまって回復したけれども、なが年のあいだ神経
  の不調に悩まされた。戦後、文学活動に専念して隠遁生活を送った。彼は
  霊的問題によって深くゆり動かされて、1931年修道院に入った。1936年
  司祭に叙任された。
    詩的著作:『叙情詩断片集』Frammenti lirici (Firenze, La Voce, 
  1913)。『無名の歌』Canti anonimi (Milano, Il Convegno 
  Editoriale, 1922)。『詩集』Le poesie (1913-1947) (Firenze, 
  Vallecchi, 1947)。『病気の歌』Canti dell'infermita` (Milano, 
  Scheiwiller, 1957)。






イタリア現代詩選集(16)

97/02/24 17:41




       イタリア現代詩選集(16)/ 佐藤 三夫訳

    [未来派(Futurismo)とラ・ヴォーチェ(La Voce)]   
     
    クレメンテ・レーボラ:張りつめた想像によって
   (Clemente Re`bora:  Dall'immagine tesa)


  張りつめた想像によって
  さし迫った期待をこめて
  わたしはその瞬間を見張っている----
  そしてわたしはだれを待っているのでもない
  灯の点った影のなかに
  音の花粉を
  気づかぬようにまき散らす
  呼び鈴をうかがっている----
  そしてわたしはだれを待っているのでもない
  砂漠よりもいっそう大きな
  空間であっけにとられている
  四方の壁のうちで
  わたしはだれを待っているのでもない
  だがそれは来るに違いない
  それが見られないで開花するのに
  わたしが抵抗するとしても それは来るだろう
  わたしがそれに気づかない時に
  突然それはやって来るだろう
  それが死なせるすべてのものにとって
  それは許しのようにやって来るだろう
  彼の宝とわたしの宝とを
  わたしに確かなものとしにやって来るだろう
  わたしの労苦と彼の労苦の
  慰安としてやって来るだろう
  彼はやって来るだろう 彼のささやきが
  たぶんすでにやって来ているのだ






イタリア現代詩選集(17)

97/02/27 16:57




       イタリア現代詩選集(17)/ 佐藤 三夫訳

    [未来派(Futurismo)とラ・ヴォーチェ(La Voce)]   
     
    ピエロ・ジャイエ:夜会
   (Piero Jahier:  Serata)


     わたしは夜会へ行くために盛装した
    (叫んでいる衣服のなかにいるわたしを
   きみたちが見たがるから それは彼ではない)
         昆虫のように
    古い服の継ぎ目で呼吸していたわたしは
       夜会へ行くために盛装した

  そして----ふるえながら----暖房された控えの間から
    光のなかに 鏡とほほえみのなかに姿を現した
        ----豪華客船の
     サロンをねずみが通りぬける----

       そしてわたしは愛想のよい歓迎の
    光のなかを 鏡とほほえみのなかを泳ぎながら
       わが人生の大義を説明し弁護すべく
        ただ親しい事柄についてだけ
        話している自分を見いだした
  
     だがわたしは見た----タイミングよく----
         わたしの情熱の息が
      あなたがたの顔に対してこごえるのを
    ちょうどその時あなたがたはわたしを見ていた
       火を吐きだす竜でも見るように

  あなたがたがなぜわたしを招待したのかわたしは自問する
  だがもしわたしがいくつかの真摯な言葉を書いたからであり
        あなたがたがわたしのこの商売の
         秘密を欲するからだとしても
           七つの扉があり
        そこに帰ることのできるための
        鍵をわたしは無くしてしまった
      わたしがそれらの言葉を言ったとすれば
    それらの言葉があふれ出たということを意味する
            早く起きて
         太陽が手招きしたとき
     ヒバリが舞い上がるのを見るでしょう と

      バネのきいたクッションの上に乗って
        あなたがたが帰宅する道すがら
     わたしはただひとり自分の鍵をまた見つける

         わたしは検査された
         わたしは聴診されて
      勇敢な生活に適格だとみとめられた
  
          十回拒絶され
      わたしはふたたび始めるだろう
      そしてまさに胸の上に血の海が
      広がるようなことになったならば
      わたしの近くに来るのを待ちたまえ
      まだ近づかないようにしたまえ----

       というのもわたしはただひとり
        自分の鍵を見つけたのだ
       それであなたがたに感謝する
  わたしはあなたがたの来ることのできない所に帰ったからだ
      わたしが自分の言葉を叫ばなければ
           死ぬことが
           できない
         と確信している所に

  ---------------
  Piero Jahier (1884-1966)
    ジェノヴァに生まれる。『ヴォーチェ』のグループとともにその文学
  的経歴を始めた。第一次世界大戦の際、三年間前線で過ごした。ファッシ
  ズム政権下、彼は国有鉄道の従業員としてボローニャで暮らし、その政治
  思想のゆえに警察から厳重に監視された。後、フィレンツェに隠退。
    詩的著作:『若者』Ragazzo(Roma, La Voce, 1919)。『わたし
  と山岳兵たちとともに』Con me e con gli Alpini(Firenze, La Voce, 
  1919)。『若者と初期の詩』Ragazzo e prime poesie (Firenze, 
  Vallecchi, 1939)。






イタリア現代詩選集(18)

97/03/01 00:43




       イタリア現代詩選集(18)/ 佐藤 三夫訳

    [未来派(Futurismo)とラ・ヴォーチェ(La Voce)]   
     
    カミッロ・ズバルバロ:享楽に疲れた魂よ 黙っていたまえ
   (Camillo Sbarbaro:  Taci, anima stanca di godere)


  享楽と苦しみに疲れた魂よ
  黙っていたまえ(おまえはあきらめて
  一方から他方へと行く)  
  わたしは耳をかたむけるがおまえの声が聞えない
  あわれな青春へのなげきの
  怒りの 希望の声も
  そして倦怠の声さえも
       絶望的な無関心さで
  おまえはおし黙り 
  身体のように横たわっている
  もし心臓が停止したとしても
  息がとまったとしても----
  わが魂よ われわれは
  そんなにびっくりしないだろうよ
       むしろわれわれは歩こう
  わたしとおまえは夢遊病者のように歩こう
  そして木々は木々であり 家々は
  家々であり 通り過ぎていく女たちは
  女たちである そしてすべてはそれが
  あるところのものであり それがあるところのものにすぎない

  喜びと悲しみの変遷は
  われわれに関係ない 世界のセイレーンは
  その声を失なった そして世界は大きな
  砂漠だ
            その砂漠のなかで
  わたしは乾いた目で自分自身を見つめる

  --------------
  Camillo Sbarbaro (1888-1967)
    イタリア領リヴィエラのサンタ・マルゲリータ・リグーレに生まれる。
  同窓生たちによって調達された資金で1911年に処女詩集を出版。生涯のほ
  とんどをジェノヴァで暮らし、その地でギリシャ語を教えた。隠退以来、
  イタリア領西リヴィエラのスポトルノで暮らした。
    詩的著作:『樹脂』Resine (Genova, Caimo, 1911.  2d ed.;  
  Milano, Garzanti, 1948)。『ピアニッシモ』Pianissimo (Firenze, 
  La Voce, 1914.  2d ed.;  Venezia, Neri Pozza, 1954)。『残り』
  Rimanenza(Milano, Scheiwiller,1955)。『初物』Primizie (Milano,
  Scheiwiller, 1958)。





イタリア現代詩選集(19)

97/03/02 01:53




       イタリア現代詩選集(19)/ 佐藤 三夫訳

    [未来派(Futurismo)とラ・ヴォーチェ(La Voce)]   
     
    ディーノ・カンパーナ:秋の庭
   (Dino Campana:  Giardino autunnale)


  幽霊のような庭よ 緑の花輪の
  無言の月桂樹よ
  秋の大地よ
  さようなら!
  落日で赤くそまった
  不毛で険しい山の斜面に
  はるかな人生がしゃがれた
  騒音でがやがやと叫んでいる
  花壇を血まみれにする
  瀕死の太陽にそれは叫んでいる
  トランペットのファンファーレが
  胸をはり裂くように高まるのが聞える
  川は金色にかがやく砂のなかに消え
  白い彫像が橋の端に
  だまって頭をそむけて立っている
  そして事物はすでにもうない
  深みからやわらかく荘厳な合唱のように
  沈黙が立ちのぼり わたしのバルコニーの
  高みにあえぎながらたどりつく
  そして月桂樹の香りのなかに
  けだるくつんとくる月桂樹の香りのなかに
  日没における不滅の彫像のあいだに
  それはわたしに現われ現前している

  ---------------
  Dino Campana (1885-1932)
    トスカーナのマッラーディに生まれる。正式の学校教育へのむなしい
  試みの後、彼はヨーロッパや南アメリカ徘徊しはじめた。若い時にも精神
  不安定の徴候を示したが、年をとるにつれてそれはほとんど業病となっ
  た。イタリアや他の国々の精神病院に数度入った。スイスで一度、イタリ
  アで一度、投獄された。ナイフの研師として、消防夫として、アルゼン
  ティンの草原にいたり、外国船の乗組員として、ドアマンとして働き、ま
  た他の多くの仕事についた。カステル・プルチの精神病院で死んだ。イタ
  リアの現代詩に大きな影響をおよぼした。
    詩的著作:『オルフェウス的歌』Canti Orfici (Marradi, Ravagli,
  1941.  2d & 3d eds.;  Firenze, Vallechi, 1928, 1942)。『未発表
  作品』Inediti (Firenze, Vallecchi, 1942)。『オルフェウス的歌と
  他の著作』Canti Orfici e altri scritti (Firenze, Vallecchi, 
  1952)。




イタリア現代詩選集(20)

97/03/03 19:48




       イタリア現代詩選集(20)/ 佐藤 三夫訳

    ディーノ・カンパーナ:キマイラ
   (Dino Campana:  La chimera)


  岩のあいだにおまえの青ざめた顔が
  わたしに現れたのかどうか
  あるいは未知の距離から
  おまえの象牙色の
  ひかりかがやくひたいを垂らして
  おまえがほほえんでいたかどうか
  わたしは知らない
  ああ ジョコンダのわかき修道女よ
  あるいは消えたいく春
  おまえの神話的な青白さにかけて
  ああ女王よ うらわかき女王よ
  だがおまえの知られざる
  逸楽と悲しみの詩のために
  まがりくねった唇の輪のなかに
  血のすじで記された
  血の気なき音楽的少女
  メロディの女王
  だがその純潔無垢なかしげた頭のために
  夜の詩人であるわたしは
  天の深みのなかにきらめく星々の夜とぎをした
  おまえの甘美な神秘のためにわたしは
  おまえの静かな変転のためにわたしは----
  髪の毛の青ざめた炎が
  彼女の青白さの生ける印であったかどうか
  わたしは知らない
  それが甘美な蒸気であったかどうか
  わたしの悲しみにとって甘美なもの
  夜の顔のほほえみであったかどうか
  わたしは知らない
  わたしは白い岩のあいだに
  風の沈黙した源泉を見つめる
  また不動の大空を
  また泣いて流れる水かさの増した川を
  また冷たい丘の上に腰をかがめた人の労働の影を
  またさらに優しい空を通って流れる遠いはっきりした影を
  またさらにわたしはおまえを呼ぶ おまえを呼ぶ キマイラと





イタリア現代詩選集(21)

97/03/05 23:54




       イタリア現代詩選集(21)/ 佐藤 三夫訳

    ディーノ・カンパーナ:モンテヴィデオへの旅
   (Dino Campana:  Viaggio a Montevideo)


  わたしは船橋から
  スペインの丘陵が
  一つのメロディーのように
  黄金のたそがれのなかに
  緑とともに焦げ茶色の大地をかくしながら
  消えうせるのを見た
  青いメロディのように
  知られざる景色のただひとりの少女
  一輪のすみれが
  丘の岸の上にまだふるえているのを見た
  海の上に空色の夕べが憔悴していた
  なおときどき鳥が羽ばたきながら
  青のなかへとうすれていく金色の沈黙を
  ゆっくりと横切った----
  さまざまな色に彩られた遠いところでは
  もっとも遠い沈黙から
  金色の鳥たちが空色の夕べをわたって飛んでいた
  船はすでに盲目となり
  われらの難破したハートでもって
  闇をたたきながらわたっていく
  海の上の空色の翼が
  闇をたたきながらわたっていく
  だがある日
  スペインのものものしいご夫人がたが
  にごった天使的な眼をして
  めまいのするような重い胸をして乗船した
  その時 赤道の島の深い入り江のなかに
  夜の空よりもはるかに深くおだやかな入り江のなかに
  火の消えた火山のもっとも高い峰々の下に
  赤道のにごった風のそよぎのなかに
  まどろんでいる白い街が現われ出るのをわれわれは見た
  未知の国の多くの叫びと多くの影の後に
  鎖のガラガラいう多くの音や多くの燃えた熱気の後に
  われわれは夜の落着かない海へ向かって
  赤道の街を去った
  何日も何日もわれわれは進みに進んだ
  暑いそよ風に向かってぐったりした帆で重い
  船はゆっくりと進んでいった
  後甲板の近くに新しい種族のひとりの少女が
  青銅色をしてわれわれに現われた
  眼はひかりかがやき服は風になぶられて そして見よ
  日の暮れには野生的な
  果てしない海原の上のそこに野性的な岸が現われた
  そして人の住いや人気のない
  果てしなくひろがる草原へと
  たずなを解かれて目のくらむように走る雌馬のような
  砂丘をわたしは見た
  そしてわれわれは砂丘を避けて向きを変えると
  そこに驚くほどゆたかな河の黄色い海の上に
  新大陸の海の首都が現われた
  夕方の明かりは透明で新鮮で電気から生じるものだった
  そしてそこに 海賊の海の下の方に
  黄色い海と砂丘とのあいだに
  見捨てられた都市の高い家々が
  人気なく立っているように見えた----
  ----------
  




イタリア現代詩選集(22)

97/03/06 22:59




       イタリア現代詩選集(22)/ 佐藤 三夫訳

    ディーノ・カンパーナ:ジェノヴァの女
   (Dino Campana:  Donna genovese)


  おまえはその髪のなかにいくらかの海草を
  わたしにもってきてくれた そして遠くから
  駆けつけ情熱で重くなった風のかおりが
  おまえの日に焼けた体のなかにあった
  ----ああ おまえのすらりとした姿の
  神々しい単純さ----
  愛でも苦悩でもなくてまぼろし
  魂へ向かっておだやかに抗しがたくさまよう
  必然性の影
  そしてそれは魂を喜びへ 
  おだやかな魅惑へと溶かす
  暑い季節風が魂を無限へと
  運び去ることができるように
  世界はなんと小さいか
  おまえの両手のなかでなんと軽いことか!





イタリア現代詩選集(23)

97/03/08 00:22




       イタリア現代詩選集(23)/ 佐藤 三夫訳

    ディーノ・カンパーナ:S. A. 宛の二篇の叙情詩
   (Dino Campana:  Due liriche per S. A.)


  わたしは街の人気ない通りであなたを愛した
  そこでは足の歩みはものうく運ばれる
  そこでは夕方降る雨のようにやさしい平安が
  満たされることのない悔いることのない心を
  青ざめた空の上のはるかなスミレの
  あいまいな春へと向ける
       * * *
  一瞬にして
  薔薇はしぼんでしまい
  花弁は落ちた
  わたしは薔薇を忘れることができなかったので
  わたしたちはいっしょに探した
  そして薔薇を見つけた
  それらは彼女の薔薇であり わたしの薔薇だった
  この旅をわたしたちは愛と呼んだ
  わたしたちの血と涙でわたしたちは薔薇をつくった
  その薔薇は朝の太陽に一瞬かがやいた
  太陽の下いばらの間でわたしたちは薔薇をしぼませた
  その薔薇はわたしたちの薔薇ではなかった
  わたしの薔薇でも彼女の薔薇でもなかった
  
  追伸 そしてこのようにしてわたしたちは薔薇を忘れた





イタリア現代詩選集(24)

97/03/11 02:06




       イタリア現代詩選集(24)/ 佐藤 三夫訳

    ディーノ・カンパーナ:ガラス窓
   (Dino Campana:  L'invetriata)


  夏の煙った夕方が
  高いガラス窓から薄明かりを影のなかへそそぎ
  わたしの心のなかに燃える印をのこす
  だがだれが(川の上のテラスに燈火がともる)だれがともしたのか
  橋の聖母像にだれが だれが燈火をともしたのか----
  部屋のなかは腐れた臭いがする
  部屋のなかにはやつれた赤い傷がある
  星々は真珠母のボタンであり 夕方はビロードの服を着る
  そして愚かな夕方がふるえている 夕方は愚かでありふるえている
  だが夕方の心のなかには
  いつもやつれた赤い傷がある




イタリア現代詩選集(25)

97/03/11 22:09




       イタリア現代詩選集(25)/ 佐藤 三夫訳

    [伝統と実験]

    ウンベルト・サーバ:山羊
   (Unberto Saba:  La capra)


  わたしは山羊に話かけた
  かの女は草原にひとりぼっちで
  つながれていた 草に飽き
  雨にぬれそぼって鳴いていた

  その相もかわらぬ鳴き声は
  わたしの悲しみと兄弟みたいだった
  そしてわたしは答えた 初めはふざけて
  次いで悲しみは終わることなく
  ある声をもち 変わることがないから
  この声がひとりぼっちの山羊のなかで
  うめくのをわたしは聞いていた

  セム族の顔つきをした山羊のなかに
  他のあらゆるわざわい 他のあらゆる生き物が
  嘆いているのを聞いていた




イタリア現代詩選集(26)

97/03/13 14:14




       イタリア現代詩選集(26)/ 佐藤 三夫訳

    ウンベルト・サーバ:「果物 野菜」
   (Unberto Saba:  <>)


  野菜 果物 すてきな季節のいろどり
  あまい生の果肉が 食べたくなるように
  あらわになっているいくつかのかご

  すねをむき出した少年が
  もったいぶって入ってくる
  とすっ飛んで逃げていく

  みすぼらしい店
  が暗くなり 母
  のように年をとる

  外ではかれが太陽のなかを
  自分の影とつれだって
  足どり軽く遠ざかっていく

  ---------------
  Umberto Saba (1883-1957)
    トリエステに生まれる。二十世紀の最も重要なイタリアの詩人たちの
  ひとりと広く見なされているけれども、サーバはこの国の知的生活に決し
  てほんとうに関与してはいなかった。1918年にイタリアと再統合されな
  かった彼の郷里の都市において、彼はイタリア文学の周辺部にとどまり、
  支配的な流行の外にあった。彼の詩はひじょうに個人主義的で、一般的な
  類型とはいちじるしく異なっている。
    詩的著作:『詩集』Poesie (Firenze, Casa Editrice Italiana, 
  1911)。『わたしの眼でもって』Coi miei occhi(Firenze, La Voce,
  1912)。『とるにたらないとりとめのない事柄』Cose leggere e 
  vaganti(Trieste, Libreria Antica e Moderna, 1920)。『カンツォ
  ニエーレ』Canzoniere(Trieste, Libreria Antica e Moderna, 1921)。
  『プレリュードとカンツォネッタ』Preludio e Canzonetta (Torino, 
  Primo Tempo, 1922)。『自伝、牢獄』Autobiografia, I prigioni 
  (Torino, Primo Tempo, 1924)。『絵と歌』Figure e Canti(Milano,
  Treves, 1928)。『警告と他の詩篇』Ammonizioni e altre poesie
   (Trieste, 自費出版 , 1933)。『言葉』Parole(Lanciano, Carabba,
  1934)。『最近の事柄』Ultime cose (Lugano, 1944)。『カンツォ
  ニエーレ』Il Canzoniere (Torino, Einaudi, 1945)。『地中海の女た
  ち』Mediterranee (Milano, Mondadori, 1946)。『小鳥たち』Uccelli
  (Trieste, Zibaldone, 1950)。『カンツォニエーレ』Il Canzoniere
  (Milano, Garzanti, 1951)。『まるで物語のように』Quasi un 
  racconto(Milano, Mondadori, 1951)。







イタリア現代詩選集(27)

97/03/15 22:06




       イタリア現代詩選集(27)/ 佐藤 三夫訳

    ウンベルト・サーバ:「ユリシーズ」
   (Unberto Saba:  Ulisse)


  わたしは青春時代にダルマチアの
  海岸沿いに航海した
  波の面すれすれにいくつかの小島が現われていた
  その小島の上にたまに小鳥が
  餌をねらって舞い降りた
  その島は海草でおおわれ滑りやすく
  太陽にエメラルドのように美しく輝いていた
  満ち潮や夜がそれらの島を消し去るとき
  暗礁を避けるために帆船は風下から
  もっと沖へ向かってそれて走った
  今日わたしの王国はあのだれも住まぬ島だ
  港は他の者たちのためにその明かりを点す
  飼いならされることのない精神と
  人生への悲しみにみちた愛が
  わたしをふたたび沖へ押しやる






イタリア現代詩選集(28)

97/03/19 14:26




       イタリア現代詩選集(28)/ 佐藤 三夫訳

    ウンベルト・サーバ:「女」
   (Unberto Saba:  Donna)


  おまえの若かったころ
  薮いちごのとげのように
  おまえは刺した
  足もまた
  おまえの武器だった
  ああ野蛮な武器

  おまえは手に入れるのが
  むずかしい女だった

  まだ
  若い まだおまえは
  美しい 齡を示すしわ
  悲しみの傷跡がぼくたちの
  心を結んで一つにする そして
  ぼくが指に巻きつける真黒な
  髪の下にある小さな白い
  とがった悪魔的な耳を
  ぼくはもう恐れない




詩と詩でないもの

97/03/19 23:59




        詩と詩でないもの

                    ベネデット・クローチェ著
                          佐藤 三夫訳

    詩を詩でないものから識別することは、精神のひとつの自発的な働きで
  ある。そのことは、かかる働きが努力を要しないとか、ながい教育を求めな
  いとかいうことを意味しない。時折り、きわめて美しい詩を前にして、一種
  の不感症が証されることがある。時には、われわれと詩との間にわれわれの
  想像力が介入して、美が存在しないのに存在するかのようにわれわれに錯覚
  させることもある。かかる存在しない美は、美とは無関係な感動の記憶であ
  る。また、詩が詩でないものと混ぜこぜになって提示されたがゆえに、詩を
  見つけ出すことが困難なこともある。だが認識の自発性は、その必然性の前
  提である。ある詩が聞き取られるや、それを詩と判別せずにいたなどという
  ことは、われわれには不可能と思われる。
    時には、確実に詩を認識するある印が求められることがある。だがこの
  印はある外的な、詩とは異なったものではありえないのであるから、詩とは
  いかなるものであるかを定義する哲学者の言葉が、その定義となるであろ
  う。しかしながらこの定義そのものは、趣味の高い快楽の中にあり、現実に
  証明される、基本的な認識の自発性を前提する。詩とはいかなるものである
  かを、直接的な方途を通じて知らない者には、定義はいかなる助けともなら
  ないのである。哲学者は、詩は真理であるという人間精神の中に萌芽として
  ある思想を確認する。美学の変遷において試みられた異なった様々な理論
  は、それらすべてを反駁するこの理論を、消し去ることはできない。だが困
  難は、もしこのことの中にないとすれば、詩は部分的な真理であり、完成さ
  れることを必要とする想像における真理であるということを、認めなければ
  ならないことの中にある。ところで、詩がそれに完成をあたえる思考をつね
  に後に従えているということを、ひとが見ないとは奇妙なことである。この
  思考は、人類がつねに行なってきた精神労働において、詩のかたわらで働い
  ているのが見いだされうるし、時には愚かしくも否定されたり嘲笑されたり
  した。すなわち、この思考とは批判であり、批判は萌芽の仕方で詩のかたわ
  らに生じる。詩は確かに批判ではない。だが人間の精神は自己を自己自身に
  おいて区別するに際して、ばらばらに裁ち切られるということはない。そし
  て精神は区別したものを全体において結合する。すなわち、ゲーテの言った
  ように、先ず区別し、それから結合する。その排他的王国と思われる想像の
  同じ世界が、批判と、現実の世界における哲学、すなわち歴史を通じて、再
  び現われる。
    詩は言語であると言われる。しかもその言語とは、しばしば漠然として
  いて混乱しており、また間違ってさえもいる言いまわしであるが、言語の本
  性を、純粋な言語の本性を、「真の」言語と同様に妥当する「純粋な」言葉
  がここでもつ意味において、明らかにすることによって確認すべき言語であ
  る。なぜなら、言語は、世界の創造の「光あれ」fiat luxであるから。そし
  て長い伝統とヴィーコのおごそかな哲学的主張が言語を歌と一致させてい
  る。しかも言語が美的な価値として現存しているがゆえにのみ、言語に生の
  他の諸関係に対する競争を求めることが許される。通常、言語は実用的な理
  由のために生まれ、それから詩的言語へと高められるのだと言われている。
  だが現実には、その過程はまさに逆である。実用的言語はまったく陰喩で、
  また詩であった言葉で、編まれたものである。
    この点で、ある言明を行なうことが必要である。すなわち、話の便宜の
  ためにわたしが詩に関して述べていることは、すべての芸術に拡張して適用
  されるということである。そしてすべての芸術はそれなりの仕方で語るので
  ある。各芸術の多様性や特異性の偏見から生まれる混乱や誤謬を取り除くこ
  とによって、ひとが認識しうるように。そしてわたしの言い方でつづけよ
  う。
    言語は、すなわち詩的必要を歌でもって満足させるべき純粋に詩的なそ
  して直接的な表現は、人々の間で伝達の手段となり、こうして詩から散文と
  なるのである。そして命令や祈り、お世辞や脅迫、娯楽や遊び、雄弁や自分
  の存在についての告白、また同様に、教訓的と言われる形における学問の伝
  達が、発音される。そこから、詩のかたわらに「文学」が形成される。そし
  て文学は、詩のさまざまな「種類」のひとつではなくして、詩の茎の上に生
  じ、人々が摘みとって用いる花である。
    ここから、特にある意思表示において、詩と詩でないものとが容易に混
  同されることになる。こうした意思表示において、明敏な目をもつものだけ
  が、自分の前にあるものの真の本性について、欺かれるがままにはならない
  のであるが。なるほど、ひとは詩のある標識すなわち韻文をもっていること
  を、何度も考えた。だがこの区別の標識はかなり早く(すでにアリストテレ
  スの『詩学』において)批判され、質科的にとらえられたあらゆる標識のよ
  うに不十分なことを示された。こうした指標においては、外部から見ること
  によって、詩と散文とは依然として識別できないのである。カルドゥッチは
  かつてへり下って、詩は「散文よりも足を一歩高くあげることを望む」と
  言った。だがその同じカルドゥッチはよく知っていた。そして別な時にかれ
  は次のように言った、詩とは「宇宙を一瞬にして抱擁し、同情する」能力で
  ある、と。
    われわれの言ったように、詩的なものと詩的でないものとを識別するこ
  とが難しい著作は、人が、自分について、さまざまな感動について、自分の
  人生の変遷について語りながら、ひきつける雄弁へと高まり、ときには詩に
  触れるような著作である。したがって感激した読者は、まったく詩的な世界
  の中に生きているという錯覚をもつ。だが一種の疑いが、これらの著作を取
  り囲む。その疑いは、これらの著作をすぐさま偉大な詩のかたわらに置くこ
  とを禁じるのだ。これらの著作に対して、詩における男らしい気質と女らし
  い気質との間の区別がたてられた。この区別は、男性の文学的制作と比較し
  て、女性の文学的制作において気づかれる相違を経験的に示すためには、何
  かしら役立つところもある。だがかかる区別には、絶対性もなければ、現実
  的な堅固さもない。今世紀の初めに多くの注意を喚起した著者ヴァイニンガ
  ーもまた、男性と女性の精神的相違に沿って理論を立てたかれの本『性と性
  格』において、結局、女男や男女というものがありうるのであり、かれの理
  論がプラトン的観念をうちたてるものとして価値があると結論している。
    創造的な詩を心情吐露の文学から、男らしい文体を女らしい文体から、
  区別する唯一の基準は、「古典的」という概念である。それも、ロマン的な
  ものの対抗者としての古典主義という浅薄な仕方に解されたものとしてでは
  なく、ロマン的なものをそれ自身の中に含む---なぜならそれで身を養って
  いるゆえに---ようなものとしての「古典的」という概念である。ソフォク
  レースと同様に、マルゲリータの場面のゲーテは古典的である。ホメーロス
  と同様に、マクベスやジュリアス・シーザーのシェイクスピアは古典的であ
  る。ウェルギリウスと同様に、ダンテは、フランチェスカの愛ゆえの永罰を
  物語るとき、あるいは地獄のその火の寝床よりもかれを苦しめるファリナー
  タの祖国に対する果てしない情熱を物語るとき、古典的である。
    本源的言語あるいは神的言語と幾度となく詩が言われてきたように、詩
  は実際には、人間の深い永遠の言語である。そして、時として、その声が新
  しい詩人たちにおいて再び鳴りひびくことがないように思われる時には、人
  類は、何世紀にもわたって彼女のために語った者たちの方へ、むさぼるよう
  に身を向けるのである。

  ----------
  [使用テクスト]Benedetto Croce:  "Poesia e non poesia", Indagini su
  Hegel e Schiarimenti Filosofici, 2 edizione, Bari, Laterza, 1967.
   かつてFPOEMの「詩人の広場」において、「詩と詩でないもの」をめぐ
  って議論がされましたが、その折りその議論の手がかりになる参考資料の一
  つとなりうるかと考えて、このクローチェの論文を掲載しました。いまこの
  「現代詩フォーラム」が創設されて、その9番会議室「藍の書斎」において
  現代詩とは何かが議論されている折りに、ふたたび「いったい詩とは何か」
  をその本質において考え直すことは必要なことでないかと思われます。実
  際、古代ギリシャのアリストテレス以来、今日の記号論に至るまで、詩学と
  いう学問の伝統がヨーロッパには厳然とあるわけですから、これを無視して
  思い付きだけで「詩と詩でないもの」について断定を下すことは、虚妄な議
  論とならざるをえないように思われます。
    ベネデット・クローチェ(1866-1952)は、20世紀前半のイタリアの
  代表的な哲学者でありますが、特に美学の革新者として中心的な役割を果た
  しました。ジャンバッティスタ・ヴィーコやヘーゲルの哲学を批判的に継承
  しましたが、その影響はこの論文においても見られるところだと思います。
  わたし自身はクローチェの全面的な信奉者というわけではありませんが、ヨ
  ーロッパ詩学の正統な伝統を踏まえたこの碩学の論文の中には、学ぶべき多
  くの論点があると思います。

                           佐藤 三夫





イタリア現代詩選集(29)

97/03/21 00:58




       イタリア現代詩選集(29)/ 佐藤 三夫訳

    ウンベルト・サーバ:「われたガラス」
   (Umberto Saba:  Il vetro rotto)


  何もかもおまえに逆らって動いている
  悪天候 消えるあかり 突風でゆれる
  古い家 受けたわざわいのために
  おまえには懐かしい家 裏切られた
  希望 そこで味わったいくらかの幸せ
  生き残るということは
  物事に服従することの
  拒否のようにおまえには思われる

  そして窓ガラスの砕けることのなかに
  宣告が下される

  ---------------
  訂正:イタリア現代詩選集(27)と(28)において、>>Unberto Saba<<
  と綴りましたが、>>Umberto Saba<< に訂正いたします(n→m)。





イタリア現代詩選集(30)

97/03/21 16:30




       イタリア現代詩選集(30)/ 佐藤 三夫訳

    ウンベルト・サーバ:「若木」
   (Umberto Saba:  L'arboscello)


  今日天気は雨もよう
  昼が夕方みたいで
  春が秋みたいだ
  そしてしっかりしている
  ----だがそうは見えない----
  若木を大風が荒らす
  その若木はそのあまりに若い歳のために
  植物のあいだで背のあまりに高い少年みたいだ
  おまえはそれを見る おまえは
  つよい北風によって散らされる
  あのすべての無垢な花々に
  たぶん同情する
  夏の果物
  冬のあまいジャムが
  あの花々とともに草のあいだに落ちてしまう
  そしておまえの広く大きな母性が
  そのことを嘆き悲しむ





イタリア現代詩選集(31)

97/03/22 15:09




       イタリア現代詩選集(31)/ 佐藤 三夫訳

    ウンベルト・サーバ:「幸福」
   (Umberto Saba:  Felicita`)


  重荷を欲しがる青春は
  すすんで荷に肩を差しだす
  だがそれを支えられない がっかりして嘆き悲しむ

  放浪 逃避 詩
  夕暮れに親しく味わう不思議 夕暮れに
  空気は清く澄み 歩みは
  軽くなる
  今日は昨日よりましだ
  まだ幸福ではないとしても

  ぼくらは一日その顔の良い面を
  身にまとうだろう 何かがその無益な悲しみを
  煙のように溶かすのを見るだろう
  



イタリア現代詩選集(32)

97/03/24 01:02




       イタリア現代詩選集(32)/ 佐藤 三夫訳

    ウンベルト・サーバ:「灰」
   (Umberto Saba:  Ceneri)


  死んだものごとの 失われた災いの
  言葉で言い表せない触れ合いの
  無言のため息の灰

  わたしがくよくよと思い悩みながら
  眠りの敷居に近づいている時に
  おまえたちからの炎が盛んに
  わたしをつつみこむ

  そして赤ん坊と母親がもつ
  あの情熱的でやさしいきずなでもって
  眠りとおまえたち灰に
  わたしは融合する

  通り道で待ち伏せている苦悩を
  わたしは取り除く 天国への道を登る
  祝福された者のようにわたしは階段を登り 
  かつて別な時に時折ノックした
  戸口のところで足を止める
  時はいっきょに潰え去った

  わたしはあのころの衣服と魂でもって
  自分が稲妻の光に照らされたように感じる
  めくるめく喜びに心がはち切れそうになる
  終わりはどうなるか
  
  だがわたしは叫ばない
  わたしはだまって
  広大な帝国へ向かって影から離れ去る





イタリア現代詩選集(33)

97/03/26 10:08




       イタリア現代詩選集(33)/ 佐藤 三夫訳

    [伝統と実験]

    ヴィンチェンツォ・カルダレッリ:夏期
   (Vincenzo Cardarelli:  Estiva)


  寝そべった夏
  濃密な気候の
  大いなる朝の
  物音のしないあかつきの
  (水槽の中でのようにわれわれは目覚める)
  同一の星形の日々の季節
  暗くなったり危機的な状態になったりして
  悲しむことのもっとも少ない季節
  広々とした空間の幸福
  いかなるこの世的な約束も
  おまえの空からあふれ出る
  太陽のたしかさほどに
  わたしの心に平和をあたえることはありえない
  とてつもなく大きな安らぎの中に
  倒れ伏す極端な季節
  おまえはもっとも広大な夢に黄金をあたえる
  一日の限界を越えて
  時間を伸ばそうと
  光をもたらす季節
  そして前進する秩序の中に
  永遠のたゆたいのカデンツァのようなものを
  時々入れるように思われる

  ---------------
  Vincenzo Cardarelli (Nazareno Caldarelli のペンネーム)
  (1887-1960)
    コルネート・タルクイニア(ローマ)に生まれる。十代にローマ
  へ引っ越す。多くの職業を遍歴した後、ジャーナリストとなった。1911
  年にフィレンツェに引っ越し、1919年にローマへもどる。同じ年ローマ
  で、『ラ・ロンダ』誌を創刊。この雑誌は、第一次世界大戦につづく時期
  において、最も重要なイタリアの雑誌の一つであった。1949年から死去
  するまで、週刊誌『ラ・フィエラ・レッテラリア』の編集責任者となる。
    詩的著作:『序詩』Prologhi (Milano, S. E. L., 1916)。『垂直に
  沈む太陽』Il sole a picco (Bologna, L'Italiano, 1928)。『序詩、旅、
  寓話』Prologhi, viaggi e favole (Lanciano, Caraba, 1929)。『詩
  集』Poesie (Roma, Novissima, 1936)。




イタリア現代詩選集(34)

97/04/01 02:04




       イタリア現代詩選集(34)/ 佐藤 三夫訳

    ヴィンチェンツォ・カルダレッリ:うら若い女
   (Vincenzo Cardarelli:  Adolescente)


  うら若いおとめよ おまえの上には
  聖なる影があるように見える
  衣服を脱いだおまえの肉ほど
  神秘的で
  愛らしく独特なものはない
  だがおまえは用心ぶかい衣服のなかに
  自分を閉じ込めてしまい
  その優雅さでもって
  遠くに住まう
  そこではだれがおまえに到りつくのか
  おまえは知らない
  それはたしかにわたしではない
  もしおまえが格式ばった距離をへだてて
  解けた髪をして
  棒のように体をまっすぐにして
  通って行くのをわたしが見るならば
  わたしは目まいに見舞われる
  おまえは入り込めない滑らかな生き物だ
  それを満たすことをほとんど拒みえない
  肉の暗い悦びが
  その呼吸においておまえをしめつける
  おまえの顔の上に炎となって
  燃えひろがる血のなかで
  つばめの黒い目のなかでのように
  宇宙がわらう
  おまえのひとみは
  そのなかにある太陽で燃やされる
  おまえの口は閉ざされる
  おまえの白い両手は
  触れ合うことの恥ずべき汗を知らない
  そしてわたしは思うのだ おまえの体が
  気難しくてあこがれながら
  どのように男の心のなかに
  愛をあきらめさせるかを

  だが泉の口よ
  だれかがおまえの花を散らすだろう
  それを知らないだれかが
  海綿採りの漁師が
  この珍しい真珠を手に入れるだろう
  おまえを探さなかったことが
  おまえがだれか知らないことが
  嫉妬ぶかい神を怒らせるような
  念の入った意識でもって
  おまえを味わうことのできないことが
  彼には恩恵であり幸運であろう
  ああそうだ 動物は
  おまえに触れる前には死なないことに
  じゅうぶん気づいていないだろう
  そしてすべてはこんなふうだ
  おまえもまた自分がだれか知らないのだ
  おまえは自分を取られるにまかすだろう
  だがそのゲームがどんなふうに行われるかを見るために
  ちょっとばかりいっしょに笑うために
  
  現実に触れて炎が
  光のなかに消えるように
  おまえの約束する秘跡は
  無のなかに溶けてしまう
  尽きることのないかくも大きな悦びが
  過ぎ去ってしまうだろう
  けっしてそれと分からぬ気まぐれのために
  おまえの気に入る最初の者とともに
  おまえは自分をあたえ 自分を失なうだろう
  時はそれを支持する戯れを愛し
  ぐずぐずしている用心ぶかい望みを愛さない
  このようにして青春は
  世界を転倒させる
  そして賢人は育ったことを悔やむ
  少年にすぎない




イタリア現代詩選集(35)

97/04/02 01:59




       イタリア現代詩選集(35)/ 佐藤 三夫訳

    ヴィンチェンツォ・カルダレッリ:ガヴィナーナの夕べ
   (Vincenzo Cardarelli:  Sera di Gavinana)


  見よ夕方になるとトスカーナの
  アペニン山脈の上に雨がやむ
  木々の間にもつれた蜘蛛の巣のように
  ここかしこに千切れた雲が
  谷へ下ってくると
  山々はスミレ色に染まる
  昼間あくせく苦労し 不信心から自分自身のうちに
  ねじ曲がっている者にとって
  この時は甘美な散策の時だ
  日が落ちて休息の時がさし迫るのが感じられると
  この下の村々からせわしなく
  ゆかいな騒がしい話し声ががやがやとやってくる
  それに鼓動が
  山々にまたがる白い
  大通りを走るトラックの乾いた
  甲高い振動が混じる
  そして夕方には
  こおろぎや教会の鐘の音や泉
  すべてのものが
  合奏しお祈りをし
  妨げるもののない空気のなかでふるえる
  だが他の光のないこの時間には
  アペニン山脈よ
  おまえの広い山腹のマントは
  何ものにもまして何とひかり輝くことか
  曲がりくねって登っていくおまえの草地の上に
  この透明な緑が
  にわか雨に太陽があざむかれる合間合間に
  ふたたびぱっときらめき
  風に色を変え
  不安な道々わたしを魅了するので
  散策するわたしの魂を
  やさしく黙らせる




イタリア現代詩選集(36)

97/04/03 00:45




       イタリア現代詩選集(36)/ 佐藤 三夫訳

    ヴィンチェンツォ・カルダレッリ:リグーリア
   (Vincenzo Cardarelli:  Liguria)


  リグーリアはすてきな土地だ
  燃えるように熱い岩やきれいな粘土が
  日なたでぶどうの葉で活気づく
  オリーヴの木はとても大きい 春には
  はかないミモザの花がどこにでも咲く
  海からは隠れている
  あの深い谷に添って
  ばらの野原や井戸や
  区分けされた土地の間をのぼって行く
  舗装された道に添って
  農園や壁でかこったぶどう畑のへりを通って  
  影と太陽が交互にいれかわる
  あの乾いた土地に太陽は
  蛇のように石の上を這う
  日によって海は
  花ざかりの庭となる
  風が頼りをはこんでくる
  北西の風が吹きそよぐと
  ふたたびヴィーナスが生まれる
  進水されようとしている船のような
  ああリグーリアの教会よ
  ああ 風と波にひらかれた
  リグーリアの墓地よ
  夕方 しおれる花にも似て
  大いなる光が衰えていって死ぬ時
  ばら色の悲しみが君らをいろどる

  



イタリア現代詩選集(37)

97/04/04 01:24




       イタリア現代詩選集(37)/ 佐藤 三夫訳

    [伝統と実験]

    ルイジ・バルトリーニ:収容所の詩
   (Luigi Bartolini:  Rima del confino)


  おれは川沿いに一晩中走った
  今にも夜明けになるのではないかとか
  また(おれの沈黙と涙のほかには)
  ひとりもいっしょに来ないと嘆きながら
  そして祈った あらゆる怒りがやんで
  このおれの影が夜のために消え失せ
  おれを探索していた警官どもが
  血といけにえを他所(よそ)に求めるようにと

  ---------------
  Luigi Baratolini (1892-1963)
    アンコーナのクプラモンターナに生まれる。詩人、作家、画家、
  エッチング版画家。だがあらゆる分野においてきわめて個人主義的な
  苦悩の芸術家だった。かなり若い時から書き始めた。その自主独立の
  性格のために、ファッシスト政府と悶着を起こし、1933年に数カ月
  間、収容所へ送られた。後年、ローマに住む。
    詩的著作:『まくら』Il guanciale (Torino, Gobetti, 1924)。
  『詩集』Poesie (Roma, Modernissima, 1939)。『アンナ・シュ
  ティクラーに捧げる詩』Poesie ad Anna Stikler (Venezia, Il 
  Cavallino, 1941)。『詩と風刺』Poesie e Satire (Roma, 
  Documento, 1944)。『叙情詩と論争』Liriche e polemiche 
  (Pisa, Nistri-Lischi, 1948)。『惑星』Pianete (Firenze, 
  Vallechi, 1953)。『小間壁の間の影』 Ombra fra le metope
  (Milano, Scheiwiller, 1953)。『アニータとルチアーナのための
  詩』Poesie per Anita e Luciana (Milano, Scheiwiller, 1953)。
  『夢よさらば』Addio ai sogni (Milano, Scheiwiller, 1954)。
  『父に捧げる、および他の詩篇』Al padre ed altri versi (Milano, 
  Miano, 1959)。『詩集1960』Poesie 1960 (Ancona, Bucciardi,
  1960)。




イタリア現代詩選集(38)

97/04/05 00:21




       イタリア現代詩選集(38)/ 佐藤 三夫訳


    ルイジ・バルトリーニ:さまざまな色
   (Luigi Bartolini:  Colori)


  黒 おまえは黒い地獄 その暗い扉だ
  おまえは三途の川のアーチ門 夕方の影 夜の吐息
  われわれを最後におおう陰気な棺覆い
  黒 死をほどこす者の色

  赤 ああおまえはすべての色のうちもっとも若い色だ
  おまえのために悲哀は消え去り逃げ出す
  かぐわしい花冠の色 燃えた唇の色であるおまえは
  感覚の魂である ああ現世的な色よ

  青 天国をあらわにする温和で純粋な色
  天使たちの足跡 海の寝台 おまえの気高さは
  (ハインリッヒ・フォン・オフターディンゲンに親しい紋章の)
  白百合の星々のなかに晴れやかにほほえむ

  緑 朝の野原の平和の色
  緑の希望よ わたしはおまえの上でいこいたい
  もう一度おまえの光と影のなかにさまよいたい
  森の暗い緑 もろこしの明るい緑

  スミレ色 時間の推移 無限の誘惑
  夜明けと日没という二重の生活を共にする
  ローマの モンテ・マリオから来る雲の色
  距離の色 静められた騒ぎの色

  黄色 陽気さ 不誠実 東洋の色
  黄金の刺繍のある肩掛け ハレムの女奴隷の衣装 日光
  チューリップの間の実った小麦の満ちあふれた広がり
  だがおまえの人生はみじかい ああ休みなき色よ

  白 おまえは孤独な親しい色だ
  動かない顔の背後におまえはみんな隠す スフィンクスの色 
  おまえの翼によって隠されたわれらの最後の運命を 
  おまえは黙ったまま不可解にもすでに知っている
  



モンターレ:芸術としての詩

97/04/28 03:01




        芸術としての詩

                    エウジェーニオ・モンターレ著
                          佐藤 三夫訳

    文学批評家たちの側から、あるいはふつうの会話において通常なされる
  使用法では、詩と芸術という二つの用語は完全に一致しており、同義語であ
  る。「バルザックの芸術、ボードレールの芸術」とクローチェは書く。そし
  て彼がバルザックやボードレールの詩のことを言っていることは、話の脈絡
  からして何の疑いも残されない。常識は、最も複雑な問題のひとつを都合よ
  く闇に葬っておく、このような無差別に味方する。だが、それ以上見たいと
  思う、あるいはもっとよく見たいと思う不満な精神の持主が、時としていな
  いわけではない。しかしどんな結果がえられるか。『ジョルナーレ・ディタ
  ーリア』(11月7日)の最近の記事において、ジューリオ・ベルトーニは、
  デ・サンクティスが詩と芸術との間に行なった古い区別を明らかに焼きなお
  しして、次のように主張している、「詩の作品は必ずしもまた芸術作品であ
  るわけではない。そして詩の作品のすべてが、初めから終わりまで、芸術作
  品であるわけではない。『神曲』は、論理的な面においても構造的な面にお
  いても、すべて詩であるが、すべて芸術作品というわけではない。ブレヒト
  は詩人である。偉大なオードや、ソネットや、『墓地』や『三美神』におけ
  るフォスコロは芸術家である」。これらの例からして、ベルトーニにとって
  変貌の契機(そして彼はそれをやや後には全文学において言う)が、いかに
  芸術的な契機であって、詩的な契機ではないかが分かる。それゆえ、詩にく
  らべて芸術は、「マイナス」に対する「プラス」のようなものであろう。今
  、この点についてデ・サンクティスがそれをまったく別な仕方で考えていた
  ことを思い出すために、本だなから『イタリア文学史』を引き出す必要はな
  い。デ・サンクティスにとって、もし従属関係があるとするならば、芸術が
  詩に従属しているということである。彼にとってモンティは芸術家であって
  、詩人ではない。『三美神』のフォスコロの中には、芸術家は生きているが
  、「詩人」は死んだ。ここにおいて、また他の多くの箇所において、デ・サ
  ンクティスは芸術ということによって、職人の熟練を意味し、文体について
  の注意ぶかい意識を意味している。すなわち彼は、その言葉の最もふつうの
  語義に従っているのである。そして、ダンテはつねに詩人であって、時々芸
  術家となると言うことによって、何を言おうとしているのか。常識では、詩
  的変貌(デ・サンクティスにとっての詩、ベルトーニにとっての芸術)がひ
  らめきえないところでさえも、巨大な作家、職人(芸術家?)は生きるので
  ある。そして『神曲』がすべて詩というわけではないし、単に詩だけという
  わけではないことが本当であるとしても、ダンテ的な「機械」が詩とは呼ば
  れえないし、詩の技術から区別されえないことは、同様に確かである。ここ
  において伝統的な意見は、デ・サンクティスはそれを受け入れるのだが、用
  語のあらゆる変革に抵抗する。要するに、デ・サンクティスにとって、詩と
  芸術とが彼において同義語である場合を別にして、芸術は、必ずしもきわめ
  て明瞭であるわけではないが、単に詩の一契機であるにすぎない。詩のない
  芸術は存在しうるが、まったく芸術を欠いた詩は存在しえない。そして詩が
  輝くときには、詩はもはや芸術に帰しえない。すなわち、ある新しい要素が
  活動し始めたのである。詩人フォスコロは堕落しながらも、依然として芸術
  家として生きうる。単に芸術家にすぎないモンティは、彼を詩へ導く飛躍を
  なしえない。そしてその場合、ベルトーニがその用語を置きかえて、デ・サ
  ンクティスに言及してもむだであろう。だがともかく、芸術批評家たちが(
  ある類似の集中的な置きかえでもって、だがもっとかなり小さな危険を賭し
  て)最も価値のある芸術家たちの特殊な積極性を詩に帰せしめ、このように
  して、書かれた詩に意義ふかい敬意を表わそうと努めているときに、ベルト
  ーニがデ・サンクティスを自分のものとしたことは学ぶべきものがある。 
      このためひとは次のような奇妙な事実に立ち会うのである。すなわ
ち、
  一方では狭い意味における文学批評家あるいは芸術批評家が、芸術批評家は
  詩について語り、文学批評家は芸術について語りながら、多分統一を望むた
  めに、境界を越え出る傾向があるのに、他方ではいく人かの哲学的、体系的
  な精神の持主が、彼らには同一のレッテルの下にあまりに活気をなくしたよ
  うに思われるある現実を、「異なったもの」の中に分別しようとして、ます
  ます区別する気になっている。後者の人々の中最も生き生きとしている者は
  、つねにクローチェである。彼は、詩でないものの圏内においてのみならず
  、また詩そのものの圏内においても区別を行なった(詩人の精神的複雑さに
  応じて、大衆的詩と「芸術の」詩。詩と文学的詩)。われわれはローペ・デ
  ・ヴェーガが大衆的詩人として考えられるのを見たし、モンティが文学的詩
  人として救いのしるしを見いだすのを見た----。だがクローチェはこのこと
  においてデ・サンクティスをつづける。すなわち、ある詩人の詩と彼の超詩
  (「芸術」)との間の区別をするということは、決して彼の頭には浮かばな
  いであろう(1)。
    われわれは最初から出なおそう。この覚書の目的は、ベルトーニと論争
  することではなくして、彼によって提案された意味において芸術と詩の関係
  を措定することによって、遭遇するようになる困難について自覚することで
  あった。そこから、技術としての芸術、詩としての芸術と真にして固有の芸
  術、より大いなる芸術という、芸術という言葉の三重の使用法(文学的な座
  において)が帰結するであろう。いかなる帰結かを想像することはたやすい
  。最も小さな帰結は、われわれの最近の「芸術的」散文家たちがみな----詩
  人たちの段階へと退いたのが見られるであろうことである。だが、古い文学
  観(たとえ理論的疑いを生じさせるとしても)あるいは無差別で弾力的な芸
  術観(まさに「芸術的な」散文について語ることを得しめる芸術観)が、常
  識を、良識を、かなりよりよく考慮することが明らかだと思われるために、
  例をあげてみせる必要は多分ないであろう。
    当座の結論、あるいはもっと控え目に言えばひとつの注釈は、次のよう
  なものであるかもしれない。すなわち、詩を芸術の一般的な枠の中に入れる
  ことは、かなり最近の試みである。それはなしとげられなければならなかっ
  たし、少なからざる便宜をもたらすであろう。だがそれは依然として、重大
  な理論的および実践的困難をひき起こす試みである。ひとは古い偏見を打ち
  倒しはしたけれども、それらの奥底に生きていた(経験的な?)大いなる要
  請を打ち倒しはしなかった。ある意味において、詩はひとつの芸術である。
  それは、その結果が極度に予測することができず豊かであることのために、
  他の諸芸術に劣らず自由な、そして多分いっそう深い、一つの芸術である。
  だが他方、詩は言葉を用いる。そして言葉は、歴史的色彩やきわめて速く変
  わるひびきを取り除くことができない。このため詩は、他の諸芸術よりはる
  かにいっそう、老いやすいように思われる。最高のあいまいさのもとではあ
  るけれども、もしそれが別な仕方で再構成され解釈されるように助力される
  ならば、詩は老いながらも生きながらえる。もちろん、いわゆる芸術につい
  ても、こうしたことは言われうる、だがかなりいっそう狭い意味において。
  諸芸術は、あるいっそう客観的なものをもっており、ある仕方でいっそう時
  間に対して耐久力がある。あるいは芸術は多分いっそう御しやすい。ひとは
  こう示唆するであろう。すなわち、芸術においては意味はほどなく「言いわ
  け」となり、特売となる。詩においては、このような過程はいっそう遅々と
  しており、つねにきわめて大きな残部を残す。こうしたことからして(時間
  的な意味では、詩にとっても芸術にとっても永遠はないと、依然として理解
  されながらも)、われわれにとって部分的に生きながらえている古代の詩人
  たちが、なぜ彼らの元々の意味を取り去られて、みな実際よりもいくらか小
  さいようにわれわれに思われるのか、ところが古代の芸術家たちはみな本当
  の姿よりもいくらか偉大なようにわれわれに見えるのか、という理由をわれ
  われは納得しうるのである。詩は、「きわめて特殊なもの」と普遍的なもの
  とを和解させることを必要とするのだが、この均衡の二つの項のひとつが、
  ずれ落ちる危険によって長い間待ち伏せられている。そして詩の高貴でさだ
  かならぬ運命は、ますます芸術の条件へ、この言葉が要請する絶対的な純粋
  さへ、向かっていくように思われるであろう。だが詩は依然として、つねに
  、しかも不可能な課題ということを十分意識して、ある異なった芸術、世々
  の人々が別な名前をあたえてきたある独特の芸術である。その名前を尊重す
  ることは、今日の場合におけるように、それを変えることがただある同語反
  復か、ある退歩をひき起こす場合には、たしかに歴史的敬愛の空しいためら
  いを表わすものではないであろう。

  原注(1)ここでは、芸術と人生とが区別されている面の上を、あらゆる仕
  方で動きまわる批評家たちと哲学者たちについて、語られる。それに反し、
  人生としての文学、芸術としての人生という新しい定式を提案する人々にと
  って、現在の話は常識がない恐れがある。  

  使用テクスト:Eugenio Montale:  Sulla Poesia, a cura di Giorgio 
  Zampa, Arnoldo Mondadori Editore, 1976, pp. 101-104.
  訳者注:著者エウジェニオ・モンターレ(1896-1981)は、現代イタリア
  の代表的詩人であり、1975年にノーベル賞を獲得した。作品として、Ossi 
  di seppia (1925)、Le occasioni (1939)、La bufera e altro (1956)、
  Satura (1971) 等がある。





イタリア現代詩選集(39)

97/04/28 23:36




       イタリア現代詩選集(39)/ 佐藤 三夫訳

    [伝統と実験]

    カルロ・ベトッキ:妹に捧げる
   (Carlo Betocchi:  Alla sorella)


  ふるえている松葉 そして無防備な
  心をもった幼年期の太陽が
  田舎を通じて消えうせた
  小さくなり それからなくなった 一匹の蝶が

  今日ミルトの木の上を飛んでいる 子供のころがもどり、
  その小さなスカートが輪になって踊っている
  ああ 軽やかな青空が
  山々の頂で飲んだ雪のようだ

  おまえのやつれたその顔 おまえのその苦しみ
  母であること そして暗がりのなかで
  その影のヒヤシンスのかおり
  おまえがまなざしをかわすことが ぼくの悲しみを

  たすけるのだ ぼくらはもう二度と
  幸せにならないと思うかい ぼくは
  このみじかい人生の岸辺で
  とぎれない海を見ている ぼくはすでに緑の

  波を 夜明けを見ている そしてその悲しみを
  失なった島を また沈まぬ太陽に燃える
  その高いいただきを見る
  ぼくは枝々の間に 身を隠しているみたいに

  おまえの愛するこらえた涙を見る
  ぼくは地上の夕方のやせた畑の上に
  光かがやいて漠とした無数の小鳥たちが
  まっくろに群がっているのを見るのだ


  ---------------
  Carlo Betocchi (1899-)
    トリノに生まれる。フィレンツェで学び、土地測量技師として卒
  業。第一次世界大戦に従軍。それ以来、フィレンツェ、ボローニャ、
  ローマ、および北イタリアの多くの土地で暮らした。後年はフィレンツェ
  で暮らす。多くの文学雑誌の寄稿者となる。
    詩的著作:『現実は夢に勝る』Realta` vince il sogno (Firenze:  
  Frontespizio, 1932), 『他の詩』Altre poesie (Firenze, Vallecchi,
  1939). 『 散文と詩の消息』 Notizie di prosa e poesia (Firenze, 
  Vallecchi, 1947). 『平野にかかる橋』Un ponte nella pianura
   (Milano, Schwarz, 1953);  『詩集』Poesie (Firenze, Vallecchi, 
  1953)。





イタリア現代詩選集(40)

97/04/29 22:59




       イタリア現代詩選集(40)/ 佐藤 三夫訳

    カルロ・ベトッキ:あるおだやかな冬の午後
   (Carlo Betocchi:  Un dolce pomeriggio d'inverno)

   「人間の永遠の体は想像力だ」  ウィリアム・ブレイク
  
   あるおだやかな冬の午後 おだやかと言うのは
   ひかりが夜明けでも夕暮れでもなく
   ある不動のものとなったから
   わたしの思いはたくさんの蝶のように
   世界の外の彼方で生きている
   薔薇でいっぱいの庭のなかに消えうせた

   わたしの思いはあわれな蝶のように
   菜園の上を黄色や白の数しれず飛ぶ
   春のふつうの蝶のように
   軽々とうつくしく飛び去った
   そしてわたしのうっとりした目のあとを追い
   ますます高く疲れも知らず飛んでいった

   その間にすべての形あるものは蝶となった 
   わたしのまわりに静止しているものはもはやなかった
   来世からのふるえる明かりがわたしの逃れたあの谷を
   満たし わたしを「あなた」へとみちびく天使が
   その永遠の声で歌った




イタリア現代詩選集(41)

97/05/02 00:29




       イタリア現代詩選集(41)/ 佐藤 三夫訳

    チェーザレ・パヴェーセ:夏
   (Cesare Pavese:  Estate)

   低い壁のあいだに その大地を
   ゆっくりと焼くひかりと枯れ草のある
   明るい庭がある それは海のおもむきのあるひかりだ
   きみはあの草を呼吸する きみは髪にさわり
   その記憶をふりはらう

   わたしの知っている草の上にどすんという音がして
   たくさんのあまい果物が落ちるのをわたしは見た
   そのようにきみもまた血がさわいで身ぶるいする
   空気の驚異がきみのまわりに起こったかのように
   きみは頭を動かす 驚異はきみなのだ
   おなじ調子がきみの目のなかに  
   そしてあつい記憶のなかにある

   きみは耳をかたむける 
   きみの聞く言葉はほとんどきみに触れない
   きみのおだやかな顔にはきみの背で
   海のひかりを装っている明るい思いがある
   きみの顔にはどすんという音をたてて心臓をしめつける
   沈黙がある その沈黙は古い苦悩を
   今しがた落ちた果物の汁のようにしたたらす

  ---------------
  Cesare Pavese (1908-1950)
    トリノのサント・ステーファノ・ベルボに生まれた。長年私立の
  夜学校で英語の教師をしていたが、彼の最大の活動は、殊にアメリカ
  の作家たちの翻訳であった。30年代初めにおいて彼ほどアメリカ文学
  をイタリアへ紹介した者はいなかったと言われている。メルヴィルの
  Moby Dick の翻訳は傑作とされている。その政治的活動のために、フ
  ァシスト警察によって数回投獄監禁された。戦後、深い精神的苦悩に
  さいなまれ、最後はトリノのホテルの一室で自殺をとげた。
    詩的著作:『彼女は働き疲れ』Lavorare stanca (Firenze,
  Solaria, 1936, 2nd ed.; Torino, Einaudi, 1951).  『死は来たりて
  見守らん』Verra` la morte e avra` i tuoi occhi(Torino, Einaudi,
  1951).




ウンガレッティ「詩について」

97/05/12 02:43




        詩について
         ----ラジオのインタビュー(1950年)

                  ジュゼッペ・ウンガレッティ著
                          佐藤 三夫訳

    「ウンガレッティさん、芸術的表現と社会的活動との間で均衡をとるこ
  とが是非とも必要だと主張する作家たちに関して、あなたのお考えをお聞き
  したい。」
    作家をつくるのは外面的な事実ではない。自分の作品を通じて、そのよ
  うな事実を判断するのは作家なのだ。もし真の作家なら、そのような事実に
  よって決定されるようなことは決してありえないだろう。なるほど、生来、
  あらゆる人間、そして作家は、歴史の中にいるし、歴史の外にいるわけでは
  ない。だがもしある作家が自分の作品の中にそれを、つまり歴史を表現する
  ことができず、歴史に自分の人格の刻印をあたえることができないとするな
  らば、彼は二流の作家だ。歴史が彼を重んじないだろう。
    ある作家、ある詩人は、わたしの考えでは、つねにアンガジェ(社会に
  かかわっている)しているのだ。すなわち、社会構造が、それがどんな組織
  のものであろうと、つねに腐敗させ枯渇させる傾向をもっている道徳生活の
  源泉を、人間にふたたび見出させることにかかわっているのだ。
    「作家のメッセージは、どのように具体化されるのか。人間の苦しみを
  詩的な想像において解釈し変形する場合には。あるいは社会的闘争に、人々
  の間に人が参加する場合には。」
    第一に、まさにわたしが先の答えの終わりで語ったように、もし詩人が
  必然的に歴史の中にいるのならば、彼を取り囲んでいる人間の苦しみに気づ
  かないわけにいかない。そして----彼に固有の道を通じて、しかも彼に命
  じられうるのでない道を通じて----自分を表現する場合に、詩の本質その
  ものの中にある解放の意味を、自分自身の活動にあたえるように当然なるで
  あろう。
    ところでわたしは、レオパルディの「ティマンドロとエレアンドロの対
  話」の確かに最も美しい章句を引用したい。それは最高の詩人の最も深い思
  想の一つである。レオパルディはある箇所でエレアンドロに次のように言わ
  せている、「もし何らかの道徳的な本が有益でありうるとするならば、詩的
  な本が最も有益であろうとわたしは思う。広義において詩的な本とわたしは
  言っているのだ。すなわち、想像力を働かすように予定されている本のこと
  だ。しかも詩で書かれた本に劣らず、散文で書かれた本も含めて言ってい
  る。それを読んでじっと考えて、半時間の間は卑しい考えを認めたり下劣な
  行動をしたりすることを止めさせるような、そうした高貴な感情を読者の心
  に残さない詩など、今ではわたしはほとんど尊敬しないのである」と。レオ
  パルディのこの考えを参照することによってひとは、解放ということによっ
  て何を言わんとしているかを正確に理解するであろう。
    作家は戦うべきかあるいは論争すべきかどうかというあなたの質問の第
  二の部分には、答えはすでに言ったことの中に含まれている。実際、作家
  は、プロパガンダをなすべきではなく、ただ心の中から彼に生まれてくるこ
  とを表現すべきである。
    「それではあなたの詩の定義は何であるか。」
    詩は定義されうるかどうかわたしは知らない。詩は定義しえないものだ
  とわたしは信じるし、またそう公言する。そしてわれわれにとってより大切
  なこと、われわれの感情やわれわれの考えにおいてわれわれをいっそう不安
  にし動揺させること、われわれの生存の理由そのものにいっそう深く属して
  いることが、その最も人間的な真理においてわれわれに現われるときに、詩
  はわれわれの言葉の諸契機において表出されるものだとわたしは信じるし、
  またそう公言する。だがそれは、人間の力を越えるように思われる振動にお
  いて表出されるのだ。そして詩は、伝承によっても勉強によっても決して獲
  得されはしないであろう、たとえ詩がその何れかによって養われるとして
  も。それゆえ、詩はそれが通常考えられているように、ひとつの賜物であ
  る。あるいはむしろそれは、一瞬の恩寵の成果である。だがその恩寵には辛
  抱づよい、絶望的な請願が、特に古い文化の言葉において、必要である。そ
  れゆえ、詩の様式は無限であり、過去の、今日の、そして将来の、詩人の数
  だけあるのだ。
    塹壕の悲劇において、死に直面して、生の真理以外考えるべきことがな
  かったときになされた、わたしの最初の経験以来ずっと、わたしにはこれら
  のことがよく分かっていた。そしてわたしは、わたしの詩の探求と発見にお
  いて、次のことを教えるように努めた。すなわち、あらゆる詩は、それ固有
  の独創性を自由に解放すべきである。だが同時に、あらゆる詩はそのような
  ものであるために、人間存在に無関係なように見えることをつねに阻止する
  であろうあの匿名の性格をももっているべきだ、ということを覚えていなけ
  ればならない、と。あらゆる真の詩は、特異であり独特であることと、無名
  (没個性的)であり普遍的であることとの対立を奇跡的に解決するものであ
  る。
    「あなたの意見では、今日の詩はどんな方向に向かっているか。」
    どこにおいても詩は今日同一の進化の運動に従っている、とわたしは思
  う。だがあらゆる国語はそれ固有の天才を尊敬すべきである。われわれはく
  り返して言おう、ある持続期間をもつためには、あらゆる詩は存在の神秘の
  中で、新しい、普遍的な、本来的な存在の神秘の中で吐露されなければなら
  ないし、時間・空間の制約を越えてその自由をすでに取り返していなければ
  ならない。たとえ、人間が歴史の中に浸けられているという事実から、詩が
  切り離されえないとしても。そしてある国語は、その結果として、中断され
  えない歴史的老化の印を刻み、われわれの血とわれわれの意識の中に、その
  絶えざる可動性において、またその絶えざる多様性において、生きているの
  だという事実から、詩が切り離されえないとしても。
    「それでは詩はそれ自身の中に革命的価値をもっているか。」
    あらゆる新しい作品は、もしそれが議論の余地のない価値をもっている
  とするならば、世界の中に革命をもたらす。それゆえそれは、明るみに出な
  がらそれ自身の中に暗闇の一部をもっている。そして公衆によってすぐに理
  解されるということは決してない。伝説や注釈がその作品を親しみやすいも
  のとしたときには、それはいっそうよく理解されるだろう。あらゆる新しい
  作品は、ある教え、ある普及、ある神話的後光を要請する。だが純粋芸術家
  を別にして、大多数の人々によってできるだけ早く理解されるよう求めない
  ことは、馬鹿げているだろう。ある読者のことを、大多数の読者たちのこと
  を考えずに書くことは、馬鹿げているだろう。公衆と芸術家との間に離縁な
  ど決してなかった。困難は他の部類のことだ。
    「それでは結論的に言って、詩の永続的な努力はいかなるものか。」
    詩はつねに、人間の人格の完全性、自律性、尊厳を再確認する。もし詩
  がいつかその戦いに打ち勝つにいたったならば、もしそれがついに人間の魂
  を救うにいたったならば、もしいつか諸信条の一致において、精神の優位が
  あらゆる社会の基本的な規則としてすべての人々によって認められたとする
  ならば、詩はその戦いに打ち勝ったであろう。そしてつねにきわめて悲劇的
  に人類を分割した道徳的困難は、ついに解決されるであろう。

    (使用テクスト:Giuseppe Ungaretti:  Vita d'un Uomo, Saggi e 
  interventi, a cura di Mario Diacono e Luciano Rebay, Arnoldo
  Mondadori Editore, 1974, pp. 768-771).
  [佐藤注]ジュゼッペ・ウンガレッティ:1888年にエジプトのアレクサ
  ンドリアに生まれる。1970年にミラノで死去。イタリアの詩派「錬金術
  派」Ermetismoの創始者。1912年パリへ移住し、アポリネール、ブルト
  ン、ドラン、ブラック、ピカソなどと交友する。1915-18年、第一次世
  界大戦に歩兵として従軍。塹壕生活が彼にとって決定的な経験となり、
  作家としての使命を自覚する。そして塹壕の中で書き留めた『埋もれ
  た港』Il porto sepoltoを1916年に刊行。1919年、『難破の愉快』
  Allegria di naufragiを刊行。1933年、『時の感覚』Sentimento 
  del tempo。1936年、ブラジルのサン・パオロ大学でイタリア文学
  を教えることを引き受ける。1939年、その地で息子のアントニエッ
  トが死去。その悲劇的経験から『悲しみ』Il dolore(1947年刊行)
  という叙情詩が生まれた。1942年、イタリアへ帰り、ローマ大学で
  近現代イタリア文学を教授。1950年『約束の地』La terra 
  promessa、1952年『叫びと風景』Un grido e paesaggi、1960年
  『老人の手帳』Il taccuino del vecchioを刊行。彼はまたラシーヌ、
  シェイクスピア、ゴンゴラ、ブレイク、マラルメなど数多くの詩の翻
  訳を行なった。



イタリア現代詩選集(42)

97/05/19 03:00




       イタリア現代詩選集(42)/ 佐藤 三夫訳

    チェーザレ・パヴェーセ:大地と死
   (Cesare Pavese:  La terra e la morte)

   おまえは彫り刻んだ石の顔をしており
   かたくなな大地の血をもっている
   おまえは海からやって来た女だ
   おまえは海のように
   すべてを受け入れ探り
   おまえから退ける
   おまえは心のなかに
   沈黙をもち
   飲みこんだ言葉をもつ
   おまえは暗い
   おまえにとって夜明けは沈黙だ

   そしておまえは大地の
   さまざまな声のようだ----井戸のなかに
   手おけを投げ込む音
   火の歌
   りんごの落ちる音
   戸口であきらめた
   こもった言葉
   赤ん坊の叫び----けっして
   通り過ぎない物事
   おまえは変わらない おまえは暗い

   おまえは土の床で封じこめた
   ぶどう酒の穴蔵だ
   そこにはだしの子どもが
   かつて入ったが
   そのことをいつまでも思い起こす
   そうした穴蔵だ
   そこに夜明けがひらかれた
   昔の中庭のように

   ----------
   ----------
   ----------

   そしてささやく夕べや 家々や
   川ぞいの小道や
   それらの場所の
   赤いよごれた明かりや
   和らげられ言わずにいる悲しみを
   愛していた臆病なわたしたちは----
   そのとき生きている鎖から
   両手を引き離し
   押し黙った だがわたしたちの心臓は
   血ではげしく動悸した
   それはもはや甘美なものではなかった
   もはや川にそった小道に
   身をゆだねることではなかった----
   ----もはや奴隷ではない わたしたちは知ったのだ
   わたしたちは独りぽっちで生きていることを

   おまえは大地であり死だ
   おまえの季節は闇で沈黙だ
   生きているものでおまえほど
   夜明けから遠いものはいない

   おまえが目ざめるように見えるとき
   おまえはただ悲しみだ
   おまえはそれを目に浮かべ血のなかにもつ
   だがおまえはそれを感じない
   おまえは石ころのように
   かたくなな大地のように生きる
   そしておまえは自分で気づかぬ
   夢や しぐさや すすり泣きを
   身にまとっている
   湖の水のような悲しみが
   ふるえていておまえを取り巻いている
   それらは水の上の輪だ
   おまえはそれらが消え失せるにまかせる
   おまえは大地であり死だ




イタリア現代詩選集(43)

97/05/20 02:03





       イタリア現代詩選集(43)/ 佐藤 三夫訳

    [伝統と実験]

    アッティリオ・ベルトルッチ:愛
   (Attilio Bertolucci:  Amore)


  雛菊の花冠をかぶった月が
  きみの弱々しい美しい目のなかでほほえんでいる
  銀のノロジカが
  天の林間の草地で遊んでいる

  花々は血でよごれている----
  この夜のなか暗い海を
  帆をかけて行く船のように
  ああ はるかはるか遠いひとよ---- 

  だがケシの花々の乾いた美しい旋律の
  時間がすぐにやってくるだろう
  そしてきみはすでに
  女にもどっているだろう 

  ---------------
  Attilio Bertolucci (1911-)
    サン・ラッザロ(パルマ)に生まれた。ボローニャ大学文学部
  卒業。1952年までパルマに住んで、後ローマへ移り住む。長年、
  美術史を教え、美術批評家であった。『パラゴーネ』誌を編集。
    詩的著作:『天狼星』Sirio (Parma, Minardi, 1929)。『11
  月の火』Fuochi in novembre (Parma, Minardi, 1934)。『イン
  ドの小屋』La capanna indiana (Firenze, Sansoni, 1955)。
  『冬の旅』Viaggio d'inverno (Milano, Gazanti, 1971)。




イタリア現代詩選集(44)

97/05/23 23:50





       イタリア現代詩選集(44)/ 佐藤 三夫訳

    アッティリオ・ベルトルッチ:十月の夜
   (Attilio Bertolucci:  La notte d'ottobre)


  十月の悲しい女友達 無邪気なフクロウよ
  おまえの孤独な歌がわたしを目覚めさせた
  蜂のように夢の群れなす夜だった
   
  それらの夢は炎の髪と
  ブロンドのひげをゆすぶって
  ぶんぶんうなっていた
  だが彼らの目は赤く悲しげだった

  おまえは真っ青な空の下で
  東洋の女囚のように
  憂うつに歌っていた----
  わたしは自分の心臓が鼓動するのを聞いていた


イタリア現代詩選集(45)

97/05/30 16:15





       イタリア現代詩選集(45)/ 佐藤 三夫訳

    アッティリオ・ベルトルッチ:冬
   (Attilio Bertolucci:  Inverno)


  冬 かぼそい夢が
  枕の上でしぼんでしまう
  夜明けの明かりのなかで
  消え失せる平原の
  霧のなかのはるか遠い庭
  子どものころの記憶の中でのような声が
  田舎へと遠ざかっていく
  凍てつく寒さの囚われ人
  灰色の空の下 裸木の中の
  やさしく澄んだ目をしたニンフたち
  小鳥たちの群れが飛び上がるあいだ
  小川をわたる猟師たち

  おとぎ話的沈黙の中で
  白でおおわれた
  もてなしのよいように見える
  家がそこの奥にある  

  そして窓ガラスを通して
  暖炉の中にゆらめいている
  赤い炎が見える
  汽車が着く
  日曜日である クリスマスなのか
  雪は軽やかに舞って
  もう大地に落ちてこない





イタリア現代詩選集(46)

97/06/01 15:36





       イタリア現代詩選集(46)/ 佐藤 三夫訳

    [伝統と実験]

    サンドロ・ペンナ:ヴェネツィアの小さな広場
   (Sandro Penna:  La veneta piazzetta  )


  古くて物悲しい
  ヴェネツィアの小さな広場が
  海の香りを集めている
  そして鳩たちの飛翔
  だが記憶の中に残っているのは
  ----そして光そのものを魅惑するのは----
  若い自転車乗りの飛翔
  彼は友人の方をふりむいて
  メロディアスな風のようにささやく
  「ひとりで行くのかい」

  ---------------
  Sandro Penna (1906-)
     ペルージャに生まれる。生きるためにさまざまな職業を転々としたが、
  詩人以外に本腰を入れた職業をもたなかった。しばらくミラノにいたが、後
  ローマに住む。
    詩的著作:『詩集』Poesie (Firenze, Parenti, 1938)。『メモ』
  Appunti (Milano, La Meridiana, 1950)。『生きる奇妙な喜び』Una 
  strana gioia di vivere (Milano, Scheiwiller, 1956)。『詩集』
  Poesie (Milano, Garzanti, 1957)。『十字架と歓喜』Croce e delizia
  (Milano, Longanesi, 1958)。





イタリア現代詩選集(47)

97/07/09 16:12





       イタリア現代詩選集(47)/ 佐藤 三夫訳

    サンドロ・ペンナ:海沿いの孤独な松たちは
   (Sandro Penna:  I pini solitari lungo il mare)


  荒涼とした海沿いの孤独な松たちは
  わたしの愛のことを知らない
  風が彼らをめざめさせ あまい
  雨が彼らにくちづけし 遠い
  雷鳴が彼らを眠らせる
  だが孤独な松たちはわたしの愛のことを
  けっして知らないだろう
  わたしの喜びのことをけっして

  大地の愛 理解されない
  満ちあふれる喜び
  ああおまえは遠く
  どこへ連れていくのか! いつか
  孤独な松たちは
  ----雨が彼らをねぶり太陽が彼らを眠らせる----
  愛といっしょにわたしの死が
  踊るのをけっして見ないだろう





イタリア現代詩選集(48)

97/07/11 17:18





       イタリア現代詩選集(48)/ 佐藤 三夫訳

    サンドロ・ペンナ:わたしの愛は人目をしのぶ愛
   (Sandro Penna:  Il mio amore e` furtivo)


  まるで貧しい者の愛のように
  わたしの愛は人目をしのぶ愛
  だれでもそれを盗むことができる
  そうするにまかせるほかないだろう

  沈黙している川よ それだから
  わたしの甘美な丘よ それだから
  わたしはそれをただただ単純に
  愛とだけ呼ぶわけにいかないのだ  

  けれどもおまえ こがね色の丘よ
  またおまえ けだるく流れる川よ
  おまえたちは知っているわが愛が
  ほんとうに大きな愛であるのを

  愛を失なうおぞましい危険は
  今のところはまだないのだろうか
  だが友よ おまえたちは知っている   
  それはわが心のうちにひそむと

  ああ いつも幸せなおまえたちは
  わたしが涙するのを見るだろう
  今泣いている涙などではなく
  この幸せの涙などではなく






イタリア現代詩選集(49)

97/07/12 15:28





       イタリア現代詩選集(49)/ 佐藤 三夫訳

    サンドロ・ペンナ:暗い谷のうえの9月の月は
   (Sandro Penna:  La luna di settembre su la buia valle)


  暗い谷のうえの9月の月は
  農夫たちの歌を眠たくさせる
  歌のある抑揚は強調する 
  静寂のなか けものがゆっくりと
  呼吸をするように 月がのぼれば
  谷は錨をあげて出港する

  ほかのだれかもここで息している
  彼も沈黙したやさしいけもの
  だが人生のすったもんだがまた
  むかしの生活をくりかえさせる

  これほど生き生きしていることなど
  わたしにはもうけっしてないだろう






イタリア現代詩選集(50)

97/07/14 20:26





       イタリア現代詩選集(50)/ 佐藤 三夫訳

    サンドロ・ペンナ:橋の上をわたりつつ
   (Sandro Penna:  Pssando sopra un ponte)


  夕暮れに高い橋の
  上をわたっていきつつ
  地平を見ると おまえは
  かき消えていくみたいだ

  だが野はまだほんとうの
  物ばかりで満ちており
  青い天のすべてより
  ほんの一日ばかりの
  祝日のほうがましだ





マリネッティ「未来派の創立と宣言」

97/07/30 00:34




       F. T. マリネッティ「未来派の創立と宣言」
                    佐藤 三夫訳
     1909年2月20日、パリの『フィガロ』紙によって公表された。

    われわれの魂のように星をちりばめた、穴のあいた真鍮の丸屋根のある
  回教寺院の燈火の下で、----わたしとわたしの友人たちは----一晩中眠ら
  ずにいた。なぜなら、その丸屋根はわれわれの魂のように、電灯の芯の閉じ
  た輝きによって照らされていたからである。われわれは、われわれの先祖か
  ら受け継いだ無気力を、東洋の豪奢な絨毯の上に長い時間踏みにじっていた
  。論理の限界を前にして議論しながら、そしてたくさんの紙を狂気にかられ
  て書いたもので真っ黒にしながら。
    とてつもない誇りがわたしたちの胸をふくらませていた。なぜなら、そ
  の時間、誇らしい態度であるかのように、あるいは前衛の歩哨であるかのよ
  うに、われわれだけが、彼らの天の野営キャンプから見え隠れする敵の星々
  の軍隊に向かい合って、目覚めて起立しているように感じられたからである
  。ただ、大きな船の地獄のようなかまの前で動きまわる火夫とともに。ただ
  、気ちがいじみて走っていく機関車の真っ赤に焼けた胴体のなかを探しまわ
  る黒いまぼろしとともに。ただ、街の壁にそってあぶなげに羽ばたいてじた
  ばたしている酔っぱらいとともに。
    多彩な光をかがやかせながら、がたがたゆれて通っていく2階建ての巨
  大な市内電車のおそろしい騒音を聞いて、わたしたちは突然どきっとした。
  それはまるで、氾濫したポー河が祭りの村を突然はげしくゆさぶり、根こそ
  ぎして、洪水の瀧をまっさかさまに落ち、その渦をわたって、海へまでひき
  ずっていくようなありさまだった。
    それからいっそう深い静寂がやってきた。老いた運河の祈りの弱まって
  いくつぶやきや、しめった野菜のひげ根の上の死にかけた宮殿の骨のきしみ
  に耳をかたむけている間、われわれは突然窓の下で飢えた自動車が吠えるの
  を聞いた。
    「さあ行こう」とわたしは言った。「さあ行こう、友人たちよ! 出発
  しよう! ついに神話と神秘的理想は克服されるのだ。われわれは今、ケン
  タウロスの誕生に立ちあっているのだ。そしてすぐにわれわれは最初の天使
  たちが飛び立つのを見るだろう!----そのちょうつがいと掛けがねをためす
  ために、人生の扉を揺り動かすことが必要だろう!----出発しよう! ほら
  、大地の上には曙光が見える! 千年にわたるわれらの闇のなかに初めて防
  御する太陽の赤い剣のかがやきに匹敵するものはない!----
    われわれは、その熱く燃える胸にやさしく触れてみるために、鼻息を荒
  くしている3匹の野獣に近づいた。わたしは棺のなかの死体のように、自分
  の車にじっと身を置いた。だがわたしはすぐに、肝ったまをおびやかしてい
  たギロチンの刃であるハンドルの下でよみがえった。
    狂気の怒り狂った箒が、われわれをわれわれ自身からはぎ取り、奔流の
  床のようにけわしく深い道を通ってわれわれを追い出した。窓ガラスの後ろ
  のこわれたランプがあちこちと、われわれのはかない目の当てにならない数
  学をさげすんで、われわれに教え示した。
    わたしは叫んだ、「嗅覚だ、嗅覚だけで野獣には十分なんだ!」
    そして若い獅子のようなわれわれは、青白い十字架の斑点のある黒い毛
  皮の「死」を追跡した。死は、すみれ色の、生き生きとしてわなないている
  広大な空へ向かって、逃げ去った。
    しかしながらわれわれは、その崇高な姿を雲にまで高める理想的な愛人
  をもっていなかった。またビザンティンの指輪のようにねじれたわれわれの
  遺体を捧げるべき残酷な女王ももっていなかった! 死にたいと願うために
  は、われわれのあまりに重い勇気からついに自分を解放したいと望むのでな
  ければ、何ものもない!
    そしてわれわれは焼けつくようなタイヤの下に、家の戸口で身をまるめ
  ている番犬を、アイロンの下のカラーのように踏みつぶしながら、走ってい
  った。飼いならされた死は、愛想よくわたしに手を差し伸べるために、あた
  ふたとわたしを追い越した。そして時々、両あごをきしる音をさせて、地面
  に横たわり、あらゆる水たまりから、ビロードのようにやわらかい愛撫する
  ようなまなざしをわたしに送ってくる。
    恐ろしい殻からのように知恵からぬけ出よう。そして誇りの胡椒のかか
  った果実のように、巨大な口と風のパイとの間に身を投げよう!----絶望
  のためではなくて、ただ不条理の深い穴を埋めるために、未知な人の意のま
  まになろう!
    わたしがやっとこれらの言葉を発音したばかりのとき、自分のしっぽを
  噛もうとする犬と同じ気ちがいじみた酩酊でもって、突然わたしは自分自身
  の方へ向き直った。見よ、突然、自転車に乗った二人がわたしの方にやって
  きた。彼らは、両者ともに説得力があるけれども、たがいに矛盾している二
  つの議論のように、わたしの前でためらうことによって、わたしに非をはた
  らいた。彼らの愚かなジレンマは、わたしの土地の上で議論した。----ああ
  、何とわずらわしいことか!----わたしは手みじかに断ち切った。そしてう
  んざりしてわたしは、自転車とともに堀のなかへもんどりうって突進した。
    ほとんど泥水でいっぱいの、ああ、母なる堀よ! 美しい工場の堀! 
  わたしは、おまえの強壮にする泥をむさぼるように味わった! その泥はわ
  たしに、わたしのスーダン人の乳母の聖なる黒い乳房を思い出させた。---
  -わたし----きたなくて臭い雑巾----がひっくり返った車の下から立ち上が
  ったとき、喜びで灼熱した鐵がここちよく心臓をよこぎるのを感じた!
    釣り道具を身におびた漁師たちや通風病みの自然科学者たちがおおぜい
  、すでに奇跡のまわりで騒ぎを起こしていた。忍耐づよくまた細心の注意を
  はらって、この人々は、砂洲に乗り上げた大きな鮫に似たわたしの自動車を
  引き上げるために、高い足場と巨大な金網を用意した。車は堀からゆっくり
  と姿を見せ、センスのいいその重い車体とそのここちよくやわらかい詰め物
  を、うろこのように底に捨て去った。
    人々はわたしの美しい鮫は死んだと思っていたが、それを生き返らせる
  にはわたしの愛撫で十分だった。そして見よ、それはよみがえった。見よ、
  それはその強力なひれでふたたび走っている!
    今や、金くそと無益な汗と空の煤の混ぜ合わさった工場の泥でおおわれ
  た顔つきをして、打撲傷を負い、腕に包帯をしてはいるが恐れを知らないわ
  れわれは、大地の「生きている」すべての人々にわれわれの最初の意志を宣
  言した。

  [使用テクスト]F. T. Marinetti:  Teoria e Invenzione Futurista, a
  cura di Luciano De Maria, Milano, Arnoldo Mondadori Editore, 
  1968, pp. 7-10.



マリネッティ「未来派の宣言」

97/08/04 00:01


(長文注意)


       F. T. マリネッティ「未来派の宣言」
       (F. T. Marinetti:  Manifesto del Futurismo)
                    佐藤 三夫訳     

  1. われわれは危険への愛、エネルギーや無鉄砲への習慣を歌いたい。
  2. 勇気、大胆、反乱は、われわれの詩の本質的な要素であろう。
  3. 文学は今日まで、もの思わしげな不動や、恍惚や、睡眠をほめたたえ
  た。われわれは攻撃的な運動、熱にうかされた不眠、駆け足、決死の跳躍、
  、平手打ちとげんこつをほめたたえたい。
  4. われわれは、世界の壮麗さが速さの美という新しい美で豊かにされたと
  主張する。爆発する息を吐く蛇に似たふといパイプで飾られたそのボンネッ
  トとともに走る自動車----。機関銃弾の上を走るように思われる吠える自動
  車は、サモトラキの勝利よりも美しい。
  5. われわれは、車を運転する人間を賛美したい。その理想的な槍は、それ
  もまたその軌道の回路の上を疾駆している地球を横断する。
  6. 詩人は、原初の諸要素の熱狂的な熱烈さを増加させるために、熱意と努
  力と鷹揚さをもって、力をつくすことが必要である。
  7. もはや闘争のなかにしか美はない。攻撃的な性格をもたないいかなる作
  品も、傑作ではありえない。詩は、人間の前にひれふすように強いるために
  、未知の力に対するはげしい攻撃として理解されなければならない。
  8. われわれは諸世紀の最先端にいるのだ!----もしわれわれが不可能な事
  の神秘的な扉を突き破りたいと欲するならば、なぜ背を向けて身を守ろうと
  しなければならないのか。時間や空間は昨日死んだ。われわれはすでに絶対
  者のなかで生きているのだ。なぜなら、われわれはすでに遍在する永遠の速
  さを創造したからだ。
  9. われわれは戦争を賛美したい。それは世界の唯一の健康法なのだ。われ
  われは軍国主義、愛国主義、無政府主義者たちの破壊的な身ぶり、着手する
  りっぱな思想、女性の軽蔑を賛美したい。
  10. われわれは、博物館、図書館、あらゆる種類のアカデミーを破壊した
  い。道徳主義やフェミニズムに対して、また御都合主義的なあるいは功利
  的な卑劣さに対して戦いたい。
  11. われわれは、労働によって、快楽によって、あるいは暴動によって
  扇動された大群衆を歌うだろう。すなわち、現代のさまざまな首都におけ
  る革命の多彩で多声な潮(うしお)を歌うだろう。暴力的な電気的月によ
  って燃やされた兵器庫と造船所の夜のふるえる熱気を歌うだろう。煙りを
  吐く蛇をむさぼり食うどんらんな駅を。それらの煙りのねじれた糸を通じ
  て雲につりさがった工場を。ナイフのきらめきでもって太陽にかがやく川
  を飛び越える巨大なスポーツマンに似た橋を。水平線の臭跡を追う冒険好
  きの汽船を。パイプのたずなをつけた巨大な鋼鉄の馬のように、線路の上
  をひづめでかきながらひた走るひろい胸をした機関車を。またそのプロペ
  ラが旗のように風にひるがえり、熱狂した群衆のように拍手喝さいするか
  に思える飛行機の横滑りする飛行を歌うだろう。

    われわれが抗しがたい扇動的な暴力のこのわれわれの宣言を、世界に
  向かって投げつけるのは、イタリアからである。この宣言でもってわれわ
  れは今日、「未来派」を創立する。なぜイタリアからかと言えば、われわ
  れは、この国を、教授たちや、考古学者たちや、おしゃべりな物知りぶっ
  たやからや、古物愛好家たちの悪臭をはなつ壊疽から解放したいからだ。
    すでにあまりにながい間イタリアは、古物商の市場であった。われわ
  れは、無数の墓場でそれをおおっている無数の博物館からイタリアを解放
  したい。
    博物館とは、つまり墓場だ!----知られないたくさんの遺骸の忌まわ
  しい雑居のために、それらは真に墓場と同じものだ。博物館、それは嫌わ
  れ者か無名な奴らのそばにいつまでも惰眠をむさぼる貧民寮だ! 博物館
  、それは争いあった壁にそって、色や線で打ちのめされて残酷に虐殺され
  ていく画家や彫刻家たちの不条理な屠殺場だ!
    ひとが死者たちの日に共同墓地へ行くように、一年に一度、巡礼をし
  に博物館へ行くことは、----認めよう。年に一度、ジョコンダの前に花束
  をささげることは、認めよう----。だが、ひとがわれわれの悲しみを、わ
  れわれのもろい勇気を、われわれの病的な不安を、毎日博物館へ散歩に連
  れて行くことを、わたしは許さない。なぜひとは毒を盛られたがるのか。
  なぜ腐れたがるのか。
    古い絵のなかにひとが見ることのできるのは、彼の夢を全面的に表現
  したいという欲求に対立した、乗り越えられない障壁を打ち破ろうと努め
  た芸術家の苦しい身のよじれ以外のいったい何であろうか。----古い絵に
  見とれることは、創造と行動のはげしいほとばしりのなかに、われわれの
  感受性を遠く投射するかわりに、葬式の壷のなかへその感受性を注ぐにひ
  としい。
    それゆえ、きみたちはその最良の力のすべてを、過去のこの永遠の無
  益な感嘆のなかに浪費したいのか。きみたちはその過去から力つき、衰弱
  し、踏みにじられて出ていく。
    まことにわたしはきみたちに言明する、博物館や図書館やアカデミー
  (空しい努力の墓場、十字架にかけられた夢の受難、挫折した飛躍の記録
  簿)に毎日通うことは、ある若者たちに対する両親の長びいた保護が、彼
  らの才能や彼らの野心的な意志を害するのと同じくらい、芸術家たちにと
  っては有害である。死にかけている者や、病人や、囚人たちにとっては、
  感嘆すべき過去はおそらく彼らの不幸へのなぐさめであろう。なぜなら、
  彼らにとって未来は閉ざされているからだ----。だがわれら若くして強
  い未来主義者は、もはや過去について知りたいと思わない!
    それゆえ、指の黒焦げになった陽気な放火犯人たちよ来たれ! 見
  よ彼らを! 見よ彼らを! さあ、図書館の本棚に火をつけろ!----
  博物館を水びたしにするために運河の流れをそらせ!----ああ、古く
  輝かしいキャンバスが次々と引き裂かれ、色あせて水の上に押し流され
  て浮かぶのを見るのは喜ばしいことだ!----つるはしを、斧を、ハンマ
  ーをにぎって、打ち壊せ! 崇拝された諸都市を無慈悲に打ち壊せ!

    われわれのなかで最も年長な者は30歳だ。それゆえ、われわれの仕事
  をなしとげるためには、まだ少なくとも10年はわれわれに残っている。わ
  れわれが40歳になるとき、われわれよりももっと若く、もっと有能な他の
  者たちよ、われわれを無益な写本のように、どうぞ屑篭のなかに投げ入れ
  よ。----われわれはそれを望む!
    われわれの後を継ぐ者たちがわれわれに反対してやってくるだろう。
  彼らの最初の歌の軽快なリズムにのって踊りながら、それゆえ略奪者たち
  の手をさしのべて、アカデミーの扉のところで、すでに図書館の地下墓地
  に行くことを約束されている、腐敗したわれわれの精神のよい臭いを、犬
  のように嗅ぎ分けながら、遠くから、あらゆる側からやってくるだろう。
    だがわれわれはそこにはいないだろう。----彼らは最後にわれわれを
  ----冬のある晩----ひらかれた田園のなか、単調な雨のぽたんぽたんとし
  たたる悲しい屋根の下に見いだすだろう。そしてわれわれが自分たちのふる
  えている飛行機のそばにしゃがんでいるのを見いだすだろう。またわれわれ
  が粗末な火に手をかざしてあたためようとしているのを見いだすだろう。そ
  の火は、われわれの今日の書物から生まれ、われわれの幻影が宙に舞って燃
  え上がったものだ。
    彼らは、不安と軽蔑のためにあえぎながら、われわれのまわりで騒ぎた
  てるだろう。そして彼らはみな、われわれの傲慢で不屈の大胆さに激怒して
  、ますます仮借ない憎しみにかられて、われわれを殺そうと襲いかかるだろ
  う。それというのも、彼らの心はわれわれに対する愛と感嘆で酔い痴れるだ
  ろうから。
    強く健全な不正が彼らの目のなかに光をはなって爆発するだろう。---
  -実際、芸術は暴力、残酷さ、不正でしかありえない。
    われわれのなかで最も年長な者は30歳だ。それにもかかわらず、われわ
  れはすでに、宝を、力の、愛の、大胆さの、狡猾さの、荒々しい意志の無数
  の宝を浪費した。われわれはそれらを、辛抱しきれずに、大急ぎで、数えも
  せず、けっしてためらいもせず、けっして休むことなく、息をきらして投げ
  捨てた----。われわれを見よ! われわれはまだ消耗していない! われ
  われの心はいかなる疲労をも感じない! なぜなら、われわれの心は火で、
  憎しみで、速さで養われているからだ。きみたちはそのことに唖然とするだ
  ろうか。----それは論理的なことだ! なぜなら、きみたちは生きたという
  記憶さえないのだから。世界の頂に突っ立って、われわれはもう一度、星々
  にわれらの挑戦を投げつける!
    きみたちはわれわれに異議をとなえるのか。----たくさんだ! たくさ
  んだ! われわれはそんな異議など知っている----。われわれは分かった!
  われわれのりっぱな、うそっぱちの知性は、われわれがわれわれの祖先の要
  約であり、その延長であるとわれわれに断言する。----たぶんそうだろう!
  たとえそうだとしても!----だがそれがどうしたというのか。われわれは聞
  き分けるつもりはない!----こんな破廉恥な言葉をわれわれにくりかえす者
  に災いあれ!----
    昂然と頭をあげよ! 
    世界の頂に突っ立って、われわれはもう一度、星々にわれらの挑戦を投
  げつける!----

  [使用テクスト]F. T. Marinetti:  Teoria e Invenzione Futurista, a
  cura di Luciano De Maria, Milano, Arnoldo Mondadori Editore, 
  1968, pp. 10-14.



マリネッティ「未来派文学の技術的宣言」

97/08/06 18:36


(長文注意)


       F. T. マリネッティ「未来派文学の技術的宣言」
       (F. T. Marinetti:  Manifesto tecnico 
        della letteratura futurista)
                    佐藤 三夫訳     

    飛行機で、ガソリンのシリンダーの上にすわり、操縦士の頭によって腹
  をあたためられて、わたしはホメーロスから受け継いだ古い統語法の笑うべ
  きむなしさを感じた。ぜひとも言葉を解放して、ラテン時代の牢獄から外に
  引きだしてやらなければならない! こいつは当然、あらゆる阿呆のように
  、一つの用心ぶかい頭、一つの腹、二本の脚、ふたつの扁平足をもってい
  る。だが二つの翼はもっていないだろう。歩くために、一瞬走ってほとんど
  すぐにあえいで立ち止まってしまうために、かろうじて必要なもの!
    以上は、ミラノの活力ある煙突の上200メートルを飛んでいる間、旋回
  するプロペラがわたしに言ったことだ。そしてプロペラは次のようにつけ加
  えて言った。
  1. 「それらが芽生えるように、行きあたりばったりに名詞を配列すること
  によって、統語法を破壊しなければならない」。
  2. 「動詞は不定法で用いられなければならない」。動詞が弾力的に名詞に
  適合するためであり、観察したり想像したりする書き手の自我に、動詞を従
  属させないためである。不定法の動詞のみが、生活の連続性の感覚と、その
  連続性を知覚する直観の弾力性をあたえうる。
  3. 「形容詞は廃止されるべきだ」。裸の名詞がその本質的な色彩を保持せ
  んがためだ。形容詞はそれ自身のうちに微妙なニュアンスの性格をもつので
  、われわれの力動的な見方では考えられない。なぜならそれは、休息を、沈
  思黙考を想定するからだ。
  4. 「副詞は廃止されなければならない」。副詞は、ある言葉が他の言葉に
  結びつけられる古い締め金なのだ。副詞は文節にわずらわしい調子の統一を
  保持する。
  5. 「あらゆる名詞はその二重性をもつべきだ」。すなわち、名詞は、類推
  によってそれに結びつけられる名詞によって、接続詞なしで続けられるべき
  だ。たとえば、男-魚雷艇、女-湾、群衆-引き波、広場-漏斗、扉-活栓。
    飛行機の速さはわれわれの世界認識を倍加させたので、類推による知覚
  は人間にとってますます自然なものとなる。それゆえ、「のように」「のよ
  うな」「このように」「に似た」を削除することが必要だ。さらによくする
  には、唯一の本質的な言葉を介して短縮法でイメジをあたえることによって
  、対象を、それが呼び起こすイメジと直接融合することが必要である。
  6. 「句読点をも廃止すること」。形容詞や副詞や接続詞が削除されること
  によって、点や丸の不条理な休止なしに、おのずから創造されるある生きた
  文体のさまざまな連続性において、句読点は当然排棄される。ある動きを強
  調し、それらの方向を指示するためには、+ー×:= > <などの数学的記号
  や、音楽的記号が用いられるだろう。
  7. 書き手はこれまで、直接的類推に身をまかせていた。たとえば、彼らは
  動物を人間に、あるいは他の動物にたとえた。こうしたことは、ほとんど、
  一種の写真にひとしい。(彼らはたとえば、フォックステリアをひじょうに
  小さな純血種(サラブレッド)にたとえた。他のもっと進んだ者たちは、ふ
  るえているその同じフォックステリアを、小さなモールス信号の機械にたと
  えるかもしれない。わたしはそれをむしろ、沸騰する湯にたとえる。こうし
  たたとえには、「ますます広範になる類推の漸次的変化」がある。そこには
  、きわめて遠いにしても、ますます深くて堅固な諸関係がある)。
    類推は、外見上は異なっていて敵対的な、隔たった事物を結びつける深
  い愛にほかならない。類推を通じてのみ、あるオーケストラ的な、同時に多
  彩な、多声的な、多形的な文体が素材の生命を抱擁することができる。
    わたしの「トリポリの戦い」という作品において、わたしは銃剣の逆立
  った塹壕をオーケストラに、機関銃を妖婦にたとえた。わたしはアフリカの
  戦闘のみじかいエピソードのなかに、宇宙の大部分を直観的に挿入したので
  ある。
    ヴォルテールの言ったように、イメジはつましく選びとるべき、また摘
  みとるべき花ではない。イメジは詩の血液そのものを構成しているのだ。詩
  は新しいイメジのとぎれることのない一続きであるべきだ。そうしたイメジ
  のない詩は、貧血症と萎黄(いおう)病にほかならない。
    イメジが広範な諸関係をふくめばふくむほど、それだけながくそれらの
  驚きの力を保持する。読者の驚きをつましく使うことが必要だと人々は言う
  。むしろ時代の宿命的な侵食に注意しよう。それは傑作の表現的価値のみな
  らず、その驚きの力をも破壊する。あまりにしばしば熱狂したわれわれの古
  い耳は、おそらくすでにベートーヴェンやワグナーを破壊しなかっただろう
  か。それゆえ、言語が紋切り型のイメジについて、色あせた隠喩について、
  ふくんでいるすべてのものを、すなわちほとんどすべてを、言語において廃
  止することが必要だ。
                           (つづく)




RE:マリネッティ「未来派文学の技術的宣言

97/08/08 02:13


(長文注意)


       F. T. マリネッティ「未来派文学の技術的宣言」(2)
                    佐藤 三夫訳     

  8. 「イメジの等級は存在しない」。高貴なあるいは粗野なあるいは俗なイ
  メジ、異様なあるいは自然なイメジというような等級は存在しない。イメジ
  を知覚する直観には、えこひいきも加担する党派もない。それゆえ、類推的
  文体は、素材すべての、またその強烈な生命すべての絶対的な主人である。
  9. ある対象の連続的な運動をあたえるためには、その対象が喚起する「類
  推の連鎖」、そのおのおのが凝縮され、ある本質的な言葉のなかに集められ
  たもの、をあたえることが必要である。
    以下は、まだ伝統的な統語法によって覆いかくされ、重苦しくされてい
  るが、ある類推の連鎖を表現した一例である。
  「ああ、そうだとも。小さな機関銃よ、きみは魅力的で不吉で、目に見えぬ
  百馬力の車を飛ばす女神のような女だ。いらだちを爆発させて吠える女。あ
  あ、きっともうすぐきみは、こなごなに打ち砕く破滅か勝利へむかって死の
  輪のなかで跳びはねるだろう!----きみは、わたしが優雅と色彩にみちた牧
  歌をきみにつくることを望むだろう。きみのお好きなように。----きみはわ
  たしにとって、差し出された護民官に似ている。その雄弁な、疲れをしらな
  い言葉は、輪をなして感動した聴衆の心を打つ。----きみはこの瞬間、この
  かたくなな夜のあまりに固い頭骸骨にまるく穴をあける全能のドリルだ。--
  --きみはまた、圧延機、電気仕掛けの旋盤であり、また他の何だろうか。最
  後の星々の金属的な点を少しずつ燃やし、彫刻し、融合する大きな酸水素溶
  接機だ!----」。(「トリポリの戦闘」)
    ある場合には、それらが飛ぶことで一群の樹木すべてを砕き折る鎖でつ
  ながれたボールのように、イメジを二つずつ結びつけることが必要だろう。
    素材におけるもっとはかない、もっと捉えがたいすべてのものを包みこ
  み、摘みとるためには、諸現象の神秘的な海のなかに投げられるであろう
  「イメジか類推の目のつまった網」を形づくることが必要である。伝統的な
  花綱模様の形を除いて、わたしの「未来主義者マファルカ」の以下の文章は
  、そのようなイメジの目の細かい網の一例である。
  「消えた青春のにがい甘美さのすべてが、彼ののどをのぼっていった。ちょ
  うど、船たちが立ち去るのが見られるテラスの手すりに顔をだした教師たち
  の方へと、児童たちの陽気な叫びが学校の中庭からのぼっていくように」。
    以下には、さらにイメジの三つの網がある。
  「密生したオリーヴの木の下、ブメリアーナの井戸のまわりに、砂のなかに
  のんびりとしゃがみこんだ三匹のラクダが、古い石の樋のように、満足げに
  うがいしていた。彼らのつばのピチャピチャする音を、町に飲み水をあたえ
  る蒸気ポンプの規則的なボシャンという音に混ぜ合わせながら。日没の赤い
  指揮棒が熱狂で燃えあがらせるヴァイオリンの弓、入り組んだ銃剣の間の、
  まがりくねった狭い通路から、また音の鳴りひびく穴倉から、塹壕の深いオ
  ーケストラにおける未来派的なきしる音と不協和音。----
    それはオーケストラの日没-指揮者だ。彼は大きな身ぶりで、木々のな
  かの鳥たちの散らばったフルートや、虫たちの悲しげなハープや、石のギシ
  ギシきしむ音を集める。彼こそは、天の前舞台に腕をひろげて起立したすべ
  ての黄金の星々をして、音を弱めた楽器のオーケストラの上にひろがる声で
  歌わせるために、打ち当たる飯ごうと小銃のティンパニを一挙にとめる。そ
  して見よ、舞台に貴婦人が登場する。----実際、ひろく襟から首を露出した
  砂漠は、気前のいい夜の揺れる宝石の下に紅おしろいを一面にぬって、溶け
  た曲線を描くその広大な胸を見せびらかす」。(「トリポリの戦闘」)
  10. あらゆる種類の秩序は、宿命的に、用心ぶかく慎重な知性の所産なの
  で、「最大限の無秩序」に配置することによって、イメジを編成することが
  必要である。
  11. 「文学において<<自我>>を破壊すること」。すなわち、すべての心理
  学を破壊すること。図書館や博物館によって完全に腐らされた人間は、論理
  学や恐ろしい知恵にしたがわされているので、もはやいかなる利益をも絶対
  に提供しない。それゆえ、文学においてそのような人間を廃止して、直観の
  直撃でそれの本質が捉えられるような物質でもって、ついに彼にとって変え
  なければならない。だがそのようなものを、物理学者も化学者もけっしてつ
  くることはできないだろう。
    自由な対象や気まぐれな動機を通じて、金属や、石や、木等々の呼吸や
  、感受性や、本能を不意に捉えること。今や疲れはてた人間の心理を、「物
  質の叙情的妄執」と取り換えること。
    人間の感情を物質に貸しあたえることのないように注意したまえ。むし
  ろその異なった指導的衝動を、その圧縮力や、膨張力や、凝集力や、解体力
  を、その大量の分子の群れを、あるいはその電子の渦を、推断せよ。人間化
  された物質の劇をもたらすことが問題ではない。それ自身としてわれわれの
  関心を引くのは、鋼板の固さである。すなわち、たとえば、臼砲の貫通に対
  抗するその分子やその電子の不可解で非人間的な同盟である。一片の鉄や木
  の熱は、今やわれわれにとって、女の微笑や涙よりももっと情熱をかきたて
  る。
    われわれは、文学のなかに、新しい本能的動物であるモーターの生命を
  あたえたい。それを構成するさまざまな力の本能をわれわれが知ったとき、
  われわれはそれの一般的な本能を知るであろう。
    ある未来派の詩人にとって、機械仕掛けのピアノの鍵盤の動きほど興味
  あるものはない。映画は人間の介入なしで分割されたり、再編成されたりす
  る、ある対象の踊りをわれわれに提供する。それはまた、その足が海から出
  たり、飛び込み台の上ではげしくはずむ、泳ぎ手の後退の跳躍をもわれわれ
  に提供する。最後にそれは、時速200キロメートルでの人間の空の旅を、わ
  れわれに提供する。それらはひとしく、知性の法則の外の、物質の運動であ
  り、それゆえいっそう有意義な本質の運動である。
    これまで無視された次の三つの要素を、文学のなかに導入することが必
  要である。
  1. 「騒音」(諸対象の活力の現われ)。
  2. 「重さ」(諸対象の飛行能力)。
  3. 「臭い」(諸対象のまき散らす能力)。
    たとえば、犬が知覚する臭いの風景を描こうと努めること。モーターに
  耳を傾けること。そして彼らの話を再現すること。
    物質は、うわの空の、冷たい、自分自身のことをあまりに心配している
  、知恵の偏見で満ち、人間的妄執で満ちた「自我」によっていつも観想され
  た。
                           (つづく)


RE:マリネッティ「未来派文学の技術的宣言

97/08/09 23:35


(長文注意)


       F. T. マリネッティ「未来派文学の技術的宣言」(3)
                    佐藤 三夫訳     

    人間は、より大いなる熱情、より大いなる運動、自己自身のより大いな
  る細分への感嘆すべき飛躍の連続を所有する物質を、その若い喜びであるい
  はその古い悲しみでけがそうとする。物質は悲しくもなければ、うれしくも
  ない。それは本質として、勇気や、意志や、絶対的な力をもっている。それ
  は、伝統的な、重い、狭い、地面にはいつくばった、ただ知的にすぎないが
  ゆえに腕もなく翼もない、統語法から解放されることのできる預言者的詩人
  に、すべて属している。ただ非統語法的な、そして脈絡のない言葉を用いる
  詩人のみが、物質の本質に貫入することができ、物質をわれわれから区別す
  る根ぶかい敵意を破壊することができるだろう。
    今までわれわれに仕えたラテン語式の総合文は、尊大で近視眼的な知性
  が、物質の多様で神秘的な生命をそれでもって飼いならそうと努めたもった
  いぶったジェスチャーであった。それゆえラテン語式の総合文は挫折した。
    それらの非論理的な誕生にしたがって言葉と言葉がたがいに結合された
  という生命の深い直観は、「物質の直観的心理学」の一般的方針をわれわれ
  にあたえるだろう。その心理学は、ある飛行機の高所からわたしの精神に啓
  示された。もはや正面からでも背後からでもなく、垂直に、すなわち鳥瞰的
  に、新しい観点から対象を見ることによって、古い論理的束縛と、昔からの
  見方の垂線を粉砕することができた。
    未来派の詩人たちよ、これまでわたしを愛し、わたしにしたがってきた
  きみたちみんなは、わたしのように、イメジの熱狂的な構成者であり、類推
  の勇敢な探究者であった。だがきみたちの隠喩の狭い網は、残念ながら、論
  理のおもりによってあまりに重苦しくされた。わたしはきみたちに、それら
  を軽くすることを勧める。それというのも、きみたちの広大になった身ぶり
  が隠喩の網を遠く投げて、もっと広大な海の上に広げられることができるた
  めである。
    われわれは、わたしが「脈絡のない想像力」と呼ぶものを、いっしょに
  発明するだろう。われわれはいつか、第二段階の言葉づかいの不断の結果以
  外のものをもはやあたえないために、われわれの類推の第一段階の言葉づか
  いすべてをあえて削除するであろうとき、なおいっそう本質的な芸術に到達
  するだろう。このために、理解されることをあきらめることが必要だろう。
  理解されることは、必要ではない。われわれはさらに、伝統的なまた知的な
  統語法によって未来派的感受性の断片を表現したとき、理解されることなし
  ですませた。
    統語法は、宇宙の膨大な色彩や、音楽性や、造形性や、建築性を知らせ
  るために、詩人たちに役立った一種の抽象的な暗号表であった。統語法は、
  一種の通訳、あるいは単調なガイドであった。文学が宇宙のなかに直接入っ
  て、宇宙と一体をなすためには、こうした仲介者を除去することが必要であ
  る。
    議論の余地なく、わたしの作品は、その類推の恐ろしい力のために、他
  のすべての作品からはっきりと区別される。そのイメジの無尽蔵の豊かさは
  、ほとんどその論理的句読法の無秩序にひとしい。それは、この世の最も気
  ちがいじみた速さで疾駆した100馬力の総合である、最初の未来派宣言に始
  まる。
    われわれが地表から離れることができて以来、飽き飽きしている四つの
  いらだった車輪を、なぜまだ使っているのか。言葉の解放、想像力の広げた
  翼、ひと目で捉えた大地の類推的総合、そして本質的な言葉のなかにすべて
  完全に収集すること。
    ひとびとはわれわれに向かって叫ぶ、「きみたちの文学は美しくないだ
  ろう! 調和のとれた揺曳(ようえい)による、また心を安らかにする抑揚
  による言葉の交響楽を、われわれはもはやもたないだろう!」。言いたいこ
  とはよく分かった! 何という巡り合わせだ! われわれは反対に、あらゆ
  る醜い音を、われわれをとりまくはげしい生活を表現するあらゆる叫びを利
  用する。「われわれは文学のなかに<<醜いもの>>を勇敢につくろう。そして
  荘厳なものをいたるところで殺害しよう」。さあ! わたしの言うことを聞
  く際に、偉大な聖職者のような様子をとるな! 毎日、「芸術の祭壇」の上
  につばをかけることが必要だ。われわれは自由な直観の境界のない領土に入
  ろう。自由詩の後には、最後に「自由な言葉」があるのだ!
    こうしたことのなかに、絶対的なものや体系的なものは何もない。天才
  は、はげしい突風や、泥まみれの奔流をもっている。彼は時折、分析的で説
  明的な緩慢さを課する。突然自分の感受性を更新できない者はいない。死ん
  だ細胞は、生きた細胞に入り交じる。芸術は、自分を破壊し、自分をまき散
  らす要求であり、世界に洪水を起こす英雄主義の大いなる散水器である。細
  菌は----そのことを忘れるな----胃腸の健康に必要である。また身体の外
  に、時間と空間の無限のなかに広がる「われわれの血管の森のこの延長とし
  ての芸術」の生命力に必要な一種の細菌もある。
    未来派の詩人たちよ! わたしはきみたちに図書館と博物館を憎むこと
  を教えた。それは、ラテン民族の特徴的なたまものである神的な直観をきみ
  たちのうちに呼びさますことによって、きみたちが「知性を憎む」ことを準
  備するためである。直観によって、われわれは自分たちの人間的な肉をモー
  ターの金属から区別する外面上いかんともしがたい敵対関係に打ち勝つだろ
  う。
    動物的王国の後に、見よ、機械的王国が始まる。科学者たちは物質につ
  いて物理-化学的反応しか認識しえないが、物質の認識と友情でもってわれ
  われは、「変化しうる諸部分の機械的人間」の創造を準備する。われわれは
  それを死の観念から、それゆえ論理的知性の至高の定義である死そのものか
  ら、解放するであろう。
                           (おわり)




マリネッティ「月の光を殺そう」(1)

97/08/14 15:34


(長文注意)


       F. T. マリネッティ「月の光を殺そう」(1)
          1909年4月
                    佐藤 三夫訳     

          1.
    偉大な扇動的詩人たち、未来派のわが兄弟たちよ!----パオロ・ブッ
  ツィ、パラッツェスキ、カヴァッキオーリ、ゴヴォーニ、アルトマーレ、フ
  ォルゴレ、ボッチョーニ、カッラ、ルッソ、バッラ、セヴェリーニ、プラテ
  ッラ、ダルバ、マッツァよ! 中風から抜け出、痛風を踏みにじり、世界の
  頂上ゴリサンカルの斜面に大いなる軍用軌道を敷こう!
    われわれはみな、正確な軽快な足取りで都市から出よう。その足取りは
  克服すべき障害をどこにでも求めて、踊るのを欲しているように思われた。
  われわれのまわりや、われわれのハートのなかには、ぶどう酒色の雲間によ
  ろめいていたヨーロッパの古い太陽の限りない酩酊がある----。その太陽は
  、その大いなる灼熱の真っ赤なたいまつでわれわれの顔をたたき、際限なく
  自分をすべて吐き出しながら張り裂けて死んだ。
    攻撃的な火薬の渦。「理想」のガラス窓に対する硫黄と炭酸カリウムと
  珪酸塩との目をくらます融合!----まもなくかがやくのを見るであろう新し
  い太陽球の融合!
    「臆病者たち!」と、われわれの下に群がった中風病みの住人たちの方
  へむかって、わたしは叫んだ。われわれは、われわれの将来の大砲のために
  すでにそなえている、いらだった臼砲のばく大な堆積だ。
    「臆病者たち! 憶病者たち!----なぜおまえたちは、生皮をはがれた
  猫たちのような金切り声をあげるのか。----たぶん、われわれがおまえたち
  のあばら屋に火をつけるのを恐れているのか。----そんなことはまだしない
  。けれども次の冬にはわれわれは暖まらなければならないだろう!----今の
  ところはわれわれは、すべての伝統を腐った橋のように空中へ跳ね飛ばすこ
  とで満足する!----戦争だって? まさしくそうだ。戦争はわれわれの唯一
  の希望であり、われわれの生きる理由であり、われわれの唯一の意志だ!--
  --そうだ、戦争だ! あまりにゆっくりと死ぬおまえたちに対して! また
  われわれの行く道を妨げるすべての死人たちに対して!----」。
    「そうだ、われわれの神経は戦争を要請し、女性を軽蔑する。なぜなら
  われわれは、出発の朝、彼女たちが両腕でわれわれの膝にすがって懇願する
  のを恐れるからだ!----女性たちや、家にこもっている者たちや、障害者た
  ちや、病人たちや、賢明な助言者たちのすべては、いったい何を要望するの
  か。彼らのいたましい苦悩によって、身ぶるいする眠りによって、重苦しい
  悪夢によって壊された、彼らのおぼつかない生活よりも、われわれは変死す
  る方を選ぶ。そしてそうした死を、猛獣としての人間にふさわしい唯一の死
  として賛美する」。
    「われわれは、自分の息子たちが陽気に彼らの気まぐれにしたがい、老
  人たちに残虐にさからい、時代によって聖別されているすべてのものを愚弄
  することを望む!」
    「こうしたことはきみたちを憤慨させるか。----きみたちは口笛を吹い
  てわたしをやじるか。----声を張り上げよ!----わたしには悪口が聞こえな
  かった! もっと強く! 何? 野心的だって?----たしかに! われわれ
  は野心家だ。なぜならわれわれは、きみたちの悪臭をはなつ毛皮に身をすり
  つけてへつらいたくないからだ。ああ、ひどい臭いの羊の群れよ! 大地の
  古い道に運河をひらいた泥まみれの人々よ!----だが正確な言葉は「野心的
  」ではない。われわれはむしろお祭り騒ぎをしている若い砲兵たちだ!----
  そしてきみたちは、是が非でも、われわれの大砲の騒音になれてもらわねば
  ならない! 何だって? われわれが気ちがいだって? 万歳! それこそ
  ついにわたしの待ち受けていた言葉なんだ!----ああ! ああ! すてきな
  言葉をよくぞ見つけてくれた!----きみたちはこの純金の言葉を慎重に受け
  とって、それをきみたちの貯蔵庫のうちでもっとも大切な貯蔵庫のなかに隠
  すために、すぐさま行列を組んで帰りたまえ! 指の間とくちびるの上のそ
  の言葉とともに、きみたちは後もう20世紀も生きることができるだろう--
  --。わたしに関しては、わたしはきみたちに告げる、世界は知恵で腐ってい
  ると!----」。
    「このためにわれわれは今日、方法的な、そして日常的な英雄主義を、
  心がその収益のすべてをそのためにあたえる絶望の趣味を、熱狂への習慣を
  、めまいへの無頓着を教える----」。
    「われわれは、理想の白い動かぬ目の下の闇につつまれた死への飛び込
  みを教える----。そしてわれわれ自身、戦いの怒り狂った裁縫師に身をゆだ
  ねることによって、模範を示すだろう。彼女は、日なたで人目をひく美しい
  緋色の制服をわれわれの背に縫いつけた後、発射された弾によってブラシを
  かけられたわれわれの髪の毛に炎を塗るだろう----。このようにしてまさに
  、ある夏の夜の酷暑が、すべるように飛ぶ螢たちのかがやきで戦場を塗るの
  だ」。
    「人々は彼らの神経を無鉄砲な傲慢さで毎日帯電させることが必要だ!
  ----人々は、ばくちのいかさま師たちの動きをさぐることなく、またルー
  レットの均衡を点検することなく、太陽の波乱に富んだ明かりによってはぐ
  くまれた、戦争の広大な遊戯テーブルの上に身をかがめることによって、彼
  らの人生を一挙に賭けてみることが必要だ。必要なのだ、分かるか。----
  魂が敵に対して、自爆船のように身体を炎のなかに投げることが必要なのだ
  ! もしそれが実在しなかったならば、創作しなければならない永遠の敵に
  対して----」。
    「あそこを見てみたまえ、戦闘において整列した何百万というあの麦の
  穂を----。鋭い銃剣をもった敏捷な兵士たちであるあの穂は、パンの力を賛
  美する。そのパンは血に変わり、天の頂までまっすぐにほとばしり出る。き
  みたちの知っているように、血は、鉄と火でもって動脈の牢獄から解放され
  なければ、価値もかがやきももたない! そしてわれわれは、血はいかに流
  されるべきかを、大地で武装したすべての兵士たちに教えるだろう。だが先
  ず、虫みたいなきみたちのあふれている大きな兵舎を掃除しなければならな
  い!----少し時間がかかるだろう----。そうしている間に、南京虫どもよ
  、きみたちは今夜のところ、不潔な伝統的寝床にまたもどることができる。
  だがわれわれはもはやそんな寝床で眠りたいとは思わない!」
    彼らに背を向けている間、わたしは自分の背中の痛みから、わたしの言
  葉の果てしない黒い網のなかに、あの死にかけた人々をあまりにながい間引
  きずっていたのを感じた。彼らは、夕方がわたしの正面の岩礁へと押し動か
  していた最後の光の波のもとに、積み上げた魚のようにぴちぴちとおかしな
  風に跳びはねていた。
                           (つづく)




RE:マリネッティ「月の光を殺そう」(1)

97/08/19 00:26


(長文注意)


       F. T. マリネッティ「月の光を殺そう」(2)
                    佐藤 三夫訳     

    パラリジ(「中風」の意)の街は、そのごみごみした場所の阿鼻叫喚や
  、その切断された円柱の無力な傲慢さや、あわれな彫像を産むその尊大な丸
  屋根や、ビュッフェに提供された幼稚な砦の上のそのたばこの煙りの気まぐ
  れとともに、----われわれの速いステップのリズムで踊りながら、われわ
  れに背をむけて姿を消す。
    わたしの前に、まだ数キロメートル隔たっているものの、優雅な丘の背
  の上に高い精神病院がとつぜん姿をあらわした。それは子馬のように小走り
  に駆けてくるように思われた。
    「兄弟たちよ」とわたしは言った。「未来派の偉大な軌道の建設に着手
  する前に、最後に休もう!」
    われわれは、みな銀河のはかり知れない狂気につつまれて、生きている
  者たちの宮殿の陰で寝た。そして時間と空間の大きな四角いハンマーの騒音
  はすぐに沈黙した----。だがパオロ・プッツィは眠ることができなかった。
  なぜなら、彼の疲れきった体は、あらゆる側からわれわれに襲いかかる有毒
  な星々に刺されて、たえずぴくぴく痙攣したから。
    「兄弟!」と彼はささやいた。「ぼくの意志の真紅のばらの上にぶんぶ
  ん飛びまわっているあの蜂たちを、ぼくから遠く追い払ってくれないか!」
    それから彼は、幻想で満ちあふれた宮殿の空想的な影のなかでふたたび
  眠りについた。そしてその宮殿から、永遠の歓喜のあやして寝かせるような
  ゆったりとした旋律が昇っていった。
    エンリコ・カヴァッキオーリは、居眠りして夢みながら大声で寝言を言
  った。
    「ぼくは20歳のぼくの体が若返るのを感じる!----ぼくはますます子
  供っぽい足取りで、ぼくの揺りかごの方へ帰っていく。すぐに、ぼくの母の
  腹のなかへふたたび入るだろう!----それゆえ、すべてがぼくには正当だ!
  ----ぼくはこわすべき貴重なおもちゃが欲しい----。踏みつぶすべき都市
  、ひっくり返すべき人間の雑踏!----風を飼いならし、それらを革ひもで
  つないでおきたい!----やわらかい、ひげの生えた巻雲を追いまわすため
  に、一群の風、流動する猟犬が欲しい」。
    わたしの眠っている兄弟たちの呼吸は、浜辺の上でのある力づよい海の
  眠りを装っていた。だがあかつきのくみつくせない感激は、すでに山々から
  あふれていた。夜はたいそう豊かに香りと英雄的活力をいたるところにそそ
  いでいた。精神錯乱の潮によってとつぜんかきたてられたパオロ・ブッツィ
  は、悪夢の苦悶におけるように、身をよじった。
    「きみたちには大地のすすり泣きが聞こえるか----。 大地は光を恐れ
  て死にかけている!----あまりに多くの太陽が彼女の青ざめたまくら元に身
  をかがめた! 彼女を眠らせることが必要だ!----もう一度! いつまでも
  !----泣いている彼女の目と口をおおうために、ぼくに雲を、たくさんの雲
  をあたえよ!」
    これらの言葉に太陽は、地平の端から、そのゆらめきと火の飛ぶ赤い色
  をわれわれに差し出した。
    「立て、パオロ!」とわたしは叫んだ。「あの車輪をつかめ!----わた
  しはきみを世界の操縦者と宣言する!----だが、ああ、われわれは未来派の
  軌道の偉大な仕事に十分もちこたえられないだろう! われわれの心はまだ
  けがれたがらくたでいっぱいだ! クジャクの尾とか、華やかな風見の鶏と
  か、香水をふりかけたきざなハンケチとか----。そしてわれわれはまだわれ
  われの脳から、知恵のあわれな蟻を追い払っていない----。われわれには狂
  人たちが必要だ!----彼らを解放しに行こう!」
    われわれは不吉な谷間に沿って進みながら、太陽の喜びでひたされた壁
  に近づいた。その谷間には、三十羽の金属製の鶴が、湯気をたてている洗濯
  物、論理のあらゆるよごれからすでに洗われたあの純粋なものの無益な洗濯
  物でいっぱいのトロッコをきしらせながらもちあげていた。
    二人の精神病医が高層建物の戸口に断固として現われた。わたしは自動
  車のまばゆいライトしか手にもっていなかった。そしてそのかがやく真鍮の
  取っ手でもって、わたしは彼らに死を教え込んだ。
    あけ広げた扉から、シャツだけの、半裸の男女の狂人たちが、大地のし
  わだらけの顔を若返らせ、ふたたび色づかせようと、いく千となく奔流のよ
  うにほとばしり出た。
    ある者たちはすぐさま、象牙の棒のように、かがやく鐘楼をわしづかみ
  しようと欲した。他の者たちは、輪になって丸屋根と遊びはじめた----。
  女たちは、彼女たちのはるかな雲の毛髪を、ある星座のするどい歯先でとか
  していた。
    「ああ、狂人たちよ、われらの最愛の兄弟たち、わたしについてきたま
  え!----われわえはすべての山々の頂きに、海までも、軌道を建設するだろ
  う! きみたちはどれほどいるのか。----三千人か。----十分ではない!
  その上、倦怠やたいくつがきみたちのみごとな飛躍をまもなく中断するだろ
  う----。首都の扉のところに陣取った檻の野獣たちに助言を求めに駆けつけ
  よう。彼らは最も生き生きとした者たち、最も根なし草的な者たち、最も植
  物的でない者たちだ! 進め!----ポダグラ(「痛風」の意)へ! ポダグ
  ラへ!----」。
    そしてわれわれはある巨大な柵の恐るべき一斉射撃に、出発した。
    狂気の軍隊は、巨大な連通管の間の液体の容易な不可避の勢いでもって
  、平野から平野へと突進し、谷々をふるいにかけ、山頂にすばやく登った。
  番人たちを酔わせ、殺し、あるいは踏みにじった後、身ぶりをする潮は、檻
  の泥まみれの広大な廊下になだれこんだ。踊る羊毛でいっぱいのその檻は、
  野蛮な尿の蒸気のなかで波うっており、狂人たちの腕のなかのカナリアのか
  ごよりも軽くゆれ動いていた。
    ライオンたちの王国は首都をよみがえらせた。たてがみの反乱とレヴァ
  ーで湾曲したしりのかさばった努力が、建物の正面を彫り刻んだ。彼らの奔
  流の力が、舗装道路をうがって、爆発した円天井によって道を同様なトンネ
  ルに変えてしまった。ポダグラの住民たちの結核的成育はすべて、家のなか
  のかまどで焼かれてできたものだ。その家々は、泣き叫ぶ枝々で満ちており
  、屋根をはちの巣状に穴だらけにした恐怖のはげしいあられの下でふるえて
  いた。
    あらあらしい突進と道化のしぐさでもって、狂人たちは、彼らのことを
  感じていない美しい無関心なライオンたちにまたがっていた。それらの風変
  わりな騎士たちは、しょっちゅう彼らを大地に投げ出した尾のしずかな打撃
  に歓喜した----。とつぜん、野獣たちが、もう動けない壁の前で立ち止まり
  、狂人たちは沈黙した。
    「老人たちは死んだ!----若者たちは逃げた!----その方がましだ!
  ----早く! 避雷針や彫像は引き抜かれるがいい!----黄金でいっぱいの
  金庫を略奪しよう!----笏と金!----すべての貴金属は、偉大なる軍事的
  軌道のために溶かされるであろう!----
    われわれは身ぶりで話す男の狂人たちや髪の毛のみだれた女の狂人たち
  とともに、騎士たちが裸でまたがったライオンや虎や豹とともに、外に突進
  した。酔いが騎士たちをこわばらせ、ねじまげ、熱狂的に陽気にした。
    ポダグラはもはや、泡立つ渦の赤ぶどう酒で満ちたとてつもなく大きな
  醸造用の桶でしかなかった。そのぶどう酒は扉からはげしくしたたってい
  た。その扉のもとにあるはね橋は音のよくひびく、ふるえている漏斗(じょ
  うご)であった----。
    われわれはヨーロッパの廃虚を横断し、アジアに入り、ポダグラとパ
  ラリジ(「中風」の意)の恐れられた蛮族の群れをはるかに遠くまき散ら
  した。あたかも種をまく人々が、大きな円を描くような身ぶりで種をまく
  ように。
                           (つづく)




RE:マリネッティ「月の光を殺そう」(1)

97/08/22 01:30


(長文注意)


       F. T. マリネッティ「月の光を殺そう」(3)
                    佐藤 三夫訳     

          3.
    真夜中、われわれは世界の崇高な祭壇、ペルシャ高原の上のほとんど天
  に近いところにいた。その祭壇のとほうもなく大きな階段には、人口の多い
  都市があった。軌道に沿って果てしなく並んだわれわれは、酸化バリウムや
  、アルミニウムや、マンガンのるつぼの上であえいだ。それらのるつぼは時
  々、目をくらます爆発でもって雲を恐れさせていた。そしてライオンたちの
  威風堂々としたパトロールが、輪を描いてわれわれを警備していた。ライオ
  ンたちは尾を立て、たてがみを風になびかせて、彼らのまるくて白い咆哮で
  もって黒くて深い空をうがっていた。
    だが少しずつ、月のかがやくあたたかい微笑が、引裂かれた雲間からあ
  ふれ出てきた。そして月がついに、アカシアの酔い心地にさせる乳をしたた
  らせてその姿をすべてあらわした時、狂人たちは、彼らのハートが胸から引
  き離されて、澄んだ夜の表面へと昇っていくのを感じた。
    とつぜん、きわめて高い叫び声が空気を引裂いた。さわぎはひろがって
  、みなが気づいた----。それは無垢な目をしたとても若い狂人だった。彼
  は軌道の上に即死したままであった。
    彼の遺体はすぐに引き起こされた。彼は白いあこがれの花を両手ににぎ
  っていた。その花のめしべは女性の舌のように揺れていた。いく人かの者が
  彼にふれようとしたが、まずかった。なぜなら、海の上にひろがる曙光のた
  やすさでもって、すばやく、すすり泣く野菜が、思いがけない波でさざ波だ
  った大地から奇跡的に生え出たからだ。
    草原の真っ青な波立ちから、無数の女の泳ぎ手のおぼろな髪の毛があら
  われた。彼女たちは、ため息をつきながら、彼女たちの口とぬれた目の花弁
  を開いていた。その時、うっとりと酔わせる香りの洪水のなかで、われわれ
  は、おとぎ話のような森がわれわれのまわりに広く生えるのを見た。その弓
  なりになった葉茂みは、あまりにゆっくりと吹くそよ風によってぐったり衰
  弱したように見えた。ある苦い優しさがそこに波立っていた----。ナイチン
  ゲールたちは、快楽のながいせせらぎの音をたてて、かぐわしい影を飲んで
  いた。そして時々、元気で意地悪い子どもたちのように、かくれんぼうをし
  て遊びながら、片隅でわっと笑った。あるとても甘美な眠りが狂人たちの軍
  隊をゆっくりと打ち負かした。狂人たちは恐怖で叫び始めた。
    野獣たちは彼らを救おうと急きょ突進した。虎たちは、飛び跳ねる糸巻
  き玉にくくられ、爆発的な怒りの鉤型攻撃をして、あの悦楽の森の奥がそれ
  で沸き立った目に見えない幻を攻撃した----。ついに突破口が開かれた。す
  なわち、負傷した葉茂みのとてつもない痙攣。そのながい呻き声は、山のな
  かに身をひそめていたはるかなおしゃべりの木霊たちをめざめさせた。だ
  がわれわれがみな、情愛深い最後のつるから自分たちの手足を解放しようと
  して仮借なく攻め立てていた間、われわれはとつぜん肉感的な月を感じた。
  すなわち、あたたかく美しい腿をした月が、われわれのへとへとになった背
  の上に物憂げに身をゆだねるのを感じた。
    高原の空気のようにとらえどころのない孤独のなかで、叫び声が聞こえ
  た。
    「月の光を殺そう!」
  いく人かの者たちが近くの滝へと駆けつけた。いくつかの巨大な車輪が高く
  上げられた。そしてタービンが水の速さを磁気的な痙攣へと変えた。その痙
  攣は高い電柱を伝って、光かがやきぶんぶん音を立てている球体へまで、線
  をよじ登った。
    このようにして、三百もの電気の月が、目をくらますその白亜の光線で
  もって、愛の古来の青白い女王を消し去った。
    そして軍事的軌道は建設された。最も高い山脈をたどったとほうもない
  軌道。そしてその軌道の上を、ある峰から他の峰へと鋭い叫び声の羽飾りで
  着飾ったわれらの猛烈な機関車が、敏速に突進した。機関車は、あらゆる断
  崖に身を投じ、飢えた奈落や、くりひろげられた不条理や、不可能な曲折を
  求めて、いたるところをよじ登った----。まわり中、遠くから、限りない憎
  しみが、逃亡者たちで満ちたわれらの地平線を記していた----。われわれが
  ヒンドゥスタンにおいて打倒したのは、ポダグラ(「通風」の意)やパラリ
  ジ(「中風」の意)の群れであった。

          4.
    はげしい追撃----。見よ、ガンジス河が乗り越えられた! ついにわれ
  われの胸のはげしい息吹は、われわれの前から敵対的なたくらみによって這
  いずっている雲を追い払った。そしてわれわれはインド洋の緑がかった痙攣
  を地平に垣間見た。そのインド洋に、太陽は幻想的な黄金の口輪をはめてい
  た----。その太陽は、オーマンやベンガルの湾のなかに寝そべって、大地の
  侵入を不実にも準備していた。
    白っぽい骸骨のどろで縁どられたコルモリン岬の先端に、見よ、やせ細
  った巨大なロバがいる。その灰色がかった羊皮紙のしりは、月の甘美な重み
  でへこんでいる----。文書で継ぎをあてた長ったらしい一物をもった学識あ
  るロバを見よ。彼は大昔から、水平線の霧に対する彼のぜんそく的恨みをう
  だうだと鳴きたてている。その水平線には、三隻の大きな幽霊船が、レント
  ゲン写真に撮られた背骨に似たそれらの帆柱でもって、動かずに前進する。
    すぐさま狂人たちのまたがった野獣たちの無数の群れが、報復に大洋を
  呼びだしたたてがみの渦のもとに、波の上に無数の顔を出した。そして大洋
  はその呼び声にこたえて、巨大な背を弓なりにまげ、突進する前に岬をはげ
  しく揺さぶった。彼は、しりをふり、弾力のあるその広大な土台の間に鳴り
  ひびく腹を折りたたみながら、自分の力をながく試してみた。それから、腰
  を大きく打ち当てることでもって、大洋は自分のかたまりを高く揚げること
  ができた。そして気難しい海岸線を乗り越えた----。その時、恐るべき侵入
  が始まった。
                           (つづく)




RE:マリネッティ「月の光を殺そう」(1)

97/08/26 00:43


(長文注意)


       F. T. マリネッティ「月の光を殺そう」(4)
                    佐藤 三夫訳     

          (4. つづき) 
    われわれは、ライオンたちの背中に水を浴びせながら、ころげまわり、
  崩れ落ちた大きな白い泡の玉である波、そのひずめで地を掻くような波で幅
  ひろく包囲しながら進軍した----。われわれのまわりに半円を描いてならん
  だこのライオンたちは、四方から牙や、しゅうしゅういうよだれや、水の怒
  号を長く延ばしていた。ときどき丘の高みからわれわれは、大洋が怪物のよ
  うなその輪郭をしだいにふくらませるのを見た。それはちょうど無数のひれ
  で前進する巨大なくじらのようであった。そしてわれわれがゴリサンカルの
  山腹に対して押しつぶそうとした逃げ去る諸部族の雑踏を、われわれは扇の
  ように開きながら、このようにして大洋をヒマラヤ山脈にまでみちびいた。
    ----「急ごう、わが兄弟たちよ!----それではきみたちは野獣たちが
  われわれを追い越すことを望むのか。われわれは大地の汁をポンプで汲み
  上げるわれわれの遅い歩みにもかかわらず、最前線にとどまらねばならない
  ----。これらのねばねばべたつく手や木の根を引きずるような足は呪われ
  ちまえ! ああ! われわれはぶらぶらしている哀れな木にすぎないじゃな
  いか。われわれは翼が欲しい!----だから飛行機になろう」。
    ----「真っ青になるだろう!」と狂人たちは叫んだ。「敵の目からの
  がれるために、そして空の青さに溶けこむために、真っ青に。空は、風が
  あるときには、とてつもなく大きな旗のように山頂にはためく」。
    狂人たちは、彼らの飛ぶ機械をつくるために、古代の仏塔のなかの仏
  陀の栄光から濃い青の外套を強奪した。
    われわれは帆船の黄土色の布のなかに、われわれの未来派の飛行機を
  切り抜いた。ある者たちは平衡を保つ翼をもった。そして彼らのエンジン
  でもって、けいれんした子牛を空に持ち上げる血まみれの禿鷹のように空
  に上がった。
    見よ、方向舵となる尾翼をもったわたしの複数の席のある複葉飛行機
  。100馬力、8気筒、80キログラムの飛行機----。わたしは足の間にご
  く小さな機関銃をもっている。わたしは鋼鉄のボタンを押してそれを発砲
  することができる----。
    そして敏捷な動きに酔いながら、活発に、パチパチはじけるような音
  をたてて、軽々と、飲んだり踊ったりすることへの招待の歌のように調子
  をとって、飛び立った。
    ----万歳! われわれはとうとう、狂人たちや鎖を解かれた野獣たち
  の偉大な軍隊を指揮するに値するものとなった!----万歳! われわれは
  、泡を吹く騎兵たちの包囲網をもった大洋というわれわれの後衛部隊を支
  配する!----進め、男女の狂人たち、ライオンや、虎や、豹たち! 進め
  怒涛の騎兵隊たち!----われわれの飛行機は、おまえたちにとって、だん
  だんと戦旗となり、情熱的な恋人となるだろう! 葉茂みの波打つ上を、
  腕をひろげて泳ぐ魅力的な恋人たち、あるいは、そよ風のブランコの上に
  しなやかにいつまでもゆれている恋人たち!----だが見たまえ、左の上の
  方を、あの真っ青な杼(ひ)を----。あれは南風のハンモックの上で彼ら
  の単葉機をあやしている狂人たちだ!----わたしはその間、織り機の前の
  紡績工のように坐って、空の絹のような青を織っている!----ああ! わ
  れらの下にはなんと多くの新鮮な谷が、なんと多くのけわしい山々がある
  ことか!----夕暮れにささげられる緑の丘の坂の上に散らばった薔薇色の
  羊たちのなんと多くの群れがいることか!----わが魂よ、おまえはそれら
  の群れを愛していた!----いや、いや! たくさんだ! おまえはもうそ
  のような無味乾燥なものを喜ばないだろう、もうけっして!----われわれ
  がかつてそれでもって風笛をつくった管は、この飛行機の骨組みをつくっ
  ている!----郷愁!----勝ち誇った酔い!----まもなくポダグラやパラ
  リジの住民たちのところに着いただろうに。なぜなら、われわれははげし
  い逆風にもかかわらず急速に飛んでいるから----。風速計はなんと言っ
  ているか。----われわれに逆らっている風は、時速100キロメートルの
  速さだ!----それがどうしたというのか。わたしは高原を越えるために
  、200メートル上昇する----。見よ! 見よ、蛮族の群れだ!----そこ
  に、そこに、われわれの前に、そしてすでにわれわれの足下に!----見
  てみたまえ、あの下の方を、緑の草木の積み重なった間の山頂を、逃げる
  のに夢中なあの人間の滝の騒然たるきちがい沙汰を!----この大音響は
  ?----それは木々の折れる音だ! ああ! ああ! 敵の群れは今や、
  ゴリサンカルの高い城壁に向かって追い立てられている!----そしてわ
  れわれは彼らに戦いを挑む!----聞こえるか。われわれのエンジンが拍
  手かっさいするように聞こえるか。おい、大いなるインド洋よ、報復せ
  よ!
    大洋はおごそかにわれわえにしたがい、崇拝された都市都市の壁を
  打ち倒し、名高い塔を鞍から投げ、老いた騎士たちをなりひびく武具か
  ら投げ落とした。彼らはすでに神殿の大理石の鞍からくずれ落ちていた
  のだが。
    ----ついに! ついにやった! それゆえ、見よ、われわれの前に
  ポダグラやパラリジの群がる人民がいる。彼らは山の美しい斜面をむさ
  ぼり食うけがらわしいらい病だ----。われわれは兄弟なるライオンたち
  の疾駆によって側面を防御されながら、おまえたちに向かって急速に飛
  んで行く。また大洋の威嚇的な友情を背負っている! 大洋は退却する
  のを阻止するために、近くからわれわれにしたがっている。----それは
  ただ予防措置である。なぜなら、われわれはおまえたちを恐れないから
  だ!----だがおまえたちは無数である!----そしてわれわれは、大量
  虐殺の間年をとりながら、われわれの弾薬を使い果たすことができた!
  ----わたしは射撃を加減しよう!----照準800メートル! ねらえ!
  ----撃て!----ああ! 死の玉突き遊びをする陶酔!----そしておま
  えたちはその遊びをやめさせることはできないだろう!----おまえたち
  はまた退却するのか。この高原はまもなく制圧されるだろう!----わた
  しの飛行機はその車輪で走り、そりで滑走し、ふたたび飛び上がる!--
  --わたしは風に向かって行く!----偉いぞ、狂人たち! 虐殺をつづけ
  ろ!----見てみよ! わたしは点火をやめ、すばらしい安定性を保って
  宙にうかびながらしずかに下降し、着地する。地上では格闘がいっそう
  はげしく行われる!
    「見よ、戦闘の逆上した性交を! 勇気の発情によって興奮した
  巨大な陰門、間近な勝利の恐ろしい苦悶にいっそうよく身をささげる
  ために裂けるぶかっこうな陰門! 勝利はわれわれのものだ----。わ
  たしは勝利を確信している。なぜなら、なぜなら、狂人たちはすでに
  その心を爆弾のように天へ投げているからだ!----照準100メートル
  !----ねらえ!----撃て!----われわれの血? そうだ! われわ
  れの血のすべては、大地の病んだ曙光をふたたび彩るために、どくど
  くとあふれ出ている!----そうだ、われわれは、煙りの出ているわれ
  われの腕の間でおまえをあたためることができるだろう、ああ老いぼ
  れた寒がりの哀れな太陽よ! ゴリサンカルの頂でふるえているもの
  よ----」。
                         (おわり)

  [使用テクスト]F. T. Marinetti:  Uccidiamo il Chiaro di Luna !, in
   <>, a cura di Luciano De Maria,
   Milano, Arnoldo Mondadori Editore, 1968, pp. 14-26.


イタリア現代詩選集(51)

97/09/24 23:32





       イタリア現代詩選集(51)/ 佐藤 三夫訳

    [錬金術派の詩人たち]

    ジュゼッペ・ウンガレッティ:臨終
   (Giuseppe Ungaretti:  Agonia)


  蜃気楼に向かって
  渇望したヒバリたちのように死ぬこと

  あるいは最初の葉茂みへと
  海をわたったウズラのように
  なぜならそのウズラはもう
  飛ぼうという欲望をもたないから

  でもめくらのヒワのように
  なげいて生きないこと

  ---------------
  Giuseppe Ungaretti (1888-1970)
    イタリア人の両親からエジプトのアレクサンドリアに生まれる。
  パリのコレージュ・ドゥ・フランスやソルボンヌ大学で学ぶ。パリにいる
  間にアポリネールやマックス・ジャコブなどと交友する。1914年に第一
  次世界大戦が勃発してイタリアのミラノに引っ越す。1915年、イタリア
  軍に歩兵として参加。戦争が終わるとあらためてパリへ行く。1920年パ
  リのイタリア大使館の出版局でフランスの新聞雑誌の整理にたずさわる。
  1921年ローマへ引っ越す。1931年「ガッゼッタ・デル・ポーポロ」紙
  の特派員となり、ヨーロッパを広く旅した。1936年ブラジルへ行き、サ
  ン・パオロ大学のイタリア文学の教授となる。1942年イタリアへもど
  り、ローマ大学の現代イアリア文学の教授に任命された。1949年、ロー
  マのカンピドッリオの丘で、首相の手から詩のためのローマ賞を授与され
  る。1960年日本へ旅行する。
    詩的著作:『埋もれた港』Il porto sepolto (Udine, Stabilmento
  Tipografico Friulano, 1916)。『難破の喜び』Allegria di naufragi
   (Firenze, Vallecchi, 1919)。『喜び』Allegria (Milano, Preda,
  1931)。『時の感覚』Sentimento del tempo (Firenze, Vallecchi,
  1933)。『散逸詩篇』Poesie disperse (Milano, Mondadori, 1945)。
  『苦しみ』Il dolore (Milano, Mondadori, 1947)。『約束の地』La
  terra promessa (Milano, Mondadori, 1950)。『叫びと風景』Un
  grido e paesaggi (Milano, Schwarz, 1952)。『ある男の人生』Vita
  di un uomo (Milano, Mondadori, 1958-1960)。





ウンガレッティ:記念して

97/09/27 00:35





       イタリア現代詩選集(52)/ 佐藤 三夫訳

    ジュゼッペ・ウンガレッティ:記念して
   (Giuseppe Ungaretti:  In memoria)


  かれの名前は
  モハメッド・シェアブだった

  遊牧民の族長の
  子孫で
  自殺者
  かれにはもう
  故国がなかったから

  かれはフランスを愛し
  名前を変えた

  マルセルとなった
  だがフランス人にはなれなかった
  しかもかれの部族の天幕のなかで
  くらすことは
  もうできなかった
  そこでは人々がコーヒーを味わいながら
  コーランの単調な節まわしに
  耳をかたむけるのだが

  彼はその
  自暴自棄の歌を
  声をはりあげて歌うことが
  もうできなかった

  ぼくらの住んでいた
  宿屋の女主人といっしょに
  ぼくはかれについていった
  その宿屋はパリの
  カルム街5番地
  下り坂になったところの
  色あせた小路にある

  かれはイヴリの墓地に
  ねむっている
  そこはいつも
  解体した市
  の日にある
  みたいな郊外だ

  そしてかれの生きていたことを
  まだ知っているのは
  たぶんぼくだけだ




イタリア現代詩選集(53)

97/09/29 21:40





       イタリア現代詩選集(53)/ 佐藤 三夫訳

    ジュゼッペ・ウンガレッティ:ぼくは被造物だ
   (Giuseppe Ungaretti:  Sono una creatura)


  サン・ミケーレ教会の
  この石のように
  つめたく
  堅く
  乾いて
  無感覚で
  そのようにまったく
  心を欠いている

  この石のように
  ぼくの涙は
  ひとに見えない

  ひとは生きながら
  死を
  あがなうのだ






イタリア現代詩選集(54)

97/10/31 20:38





       イタリア現代詩選集(54)/ 佐藤 三夫訳

    ジュゼッペ・ウンガレッティ:川
   (Giuseppe Ungaretti:  I fiumi)


  ショーの前か後の
  サーカスの物憂さをもつ
  このくぼみに見捨てられて
  この断ち切られた木に
  ぼくはすがりつき
  月を雲が
  しずかによぎっていくのを
  見つめている

  今朝ぼくは
  水の壷のなかに寝そべって
  遺物のように
  休息した

  流れるイゾンツォ川は
  その石ころの一つのように
  ぼくをみがいた

  ぼくは自分の四肢の骨を
  引っぱり上げて
  水の上を
  軽業師のように
  立ち去った

  ぼくは戦争でよごれた
  自分の衣服のそばに
  しゃがんで
  ベドゥイン族のように
  太陽を浴びるために
  身をかかげめた

  これがイゾンツォ川だ
  そこでぼくは自分が
  宇宙の
  御しやすい一本の繊維なんだということを
  とてもよく分かった

  ぼくの苦悩は
  自分がしっくりいっていると
  思わない時に
  やってくる

  だがぼくを浸している
  あの隠れた
  手が
  めったにない
  幸せを
  ぼくに贈る

  ぼくは自分の人生の
  さまざまな時期を
  思いかえしてみた

  それらは
  僕の川たちなのだ

  これはセルキオ川
  おそらく二千年
  ぼくの田舎の人々や
  ぼくの父や母が
  それから水を汲んだのだ

  これはナイル川
  ぼくが生まれ育つのを見
  ひろい平原に
  無自覚に燃えるのを
  見た

  これはセーヌ川
  その混濁のなかに
  ぼくは巻きこまれ
  自分を知った

  これらはイゾンツォ川のなかで数えあげられた
  ぼくの川なのだ

  これはそれらの川のおのおののなかに
  夜になった今
  ぼくに浮かんでくる
  郷愁なのだ
  そのため
  ぼくの人生はぼくに
  闇の花かんむりのように思われる
  


イタリア現代詩選集(55)

97/12/01 00:57





       イタリア現代詩選集(55)/ 佐藤 三夫訳

    ジュゼッペ・ウンガレッティ:島
    (Giuseppe Ungaretti:  L'isola)

  昔ながらの蔭深い森が
  とこしえの夕暮れをなしている岸辺へ
  彼はくだり
  踏み入った
  そして焼けつくような水の
  かん高い動悸によって解き放たれた
  羽の音に彼はひきつけられた
  (うなだれてまた生気づく)
  幽霊を彼は見た
  ふたたび登って彼は見た
  それはにれの木に抱きついて
  立って眠っているニンフだった

  まぼろしから真の炎へと心のうちで
  さまよいながら彼はある草原にたどり着いた
  そこでは目のなかにおとめたちの影が
  オリーヴの木の根元の夕暮れのように
  群がっていた
  枝々から光の矢のゆったりとした雨が
  したたっていた
  そこでは羊たちが心地よいぬくもりのなかで
  うたた寝をしていた
  他の羊たちはかがやく掛け布を
  むしって食べていた
  羊飼いの手はほのかな熱で
  つやつやしたガラスであった


イタリア現代詩選集(56)

97/12/02 02:33






       イタリア現代詩選集(56)/ 佐藤 三夫訳

    ジュゼッペ・ウンガレッティ:慈悲
    (Giuseppe Ungaretti:  La pieta`)

     1
  わたしは傷ついた人間です
  
  わたしは立ち去って
  最後には到り着きたいのです
  お慈悲に そこでは
  自分自身とだけいる人間が
  耳を傾けてもらえます

  わたしは自負と善意しかもっておりません
  
  そしてわたしは人々の間に追放されていると感じています

  しかし彼らのためにわたしは悩んでいるのです

  わたしは自分自身に立ちもどるのにふさわしくないのでしょうか

  わたしは沈黙をさまざまな名前で満たしました

  わたしは言葉の奴隷になるために
  心や精神をこなごなにしたでしょうか

  わたしはまぼろしを支配しています

  ああ 枯れ葉よ
  そちこちに運ばれた魂よ----

  いや わたしは風が
  太古の獣のような
  その声がきらいです

  神よ あなたに哀願する人々は
  名前だけでしかあなたを知らないのでしょうか

  あなたはわたしを人生から追い出しました

  あなたはわたしを死から追い出すのでしょうか

  人間はおそらく希望するにも値しないものです

  悔恨の泉さえも涸れてしまったのでしょうか

  もしそれがもはや清純へとみちびくのでないならば
  罪など何の役にたつのでしょうか

  肉はかつて強かったことを
  かろうじて覚えています

  魂は狂っており疲れ果てています

  神よ われらの弱さを見そなわしたまえ

  わたしたちはなろうことならある確実さが欲しいのです

  あなたはわたしたちのことをもはや笑いさえしないのですか

  それではわれらを哀れみたまえ 残酷なるものよ

  わたしはもはや愛のない欲望のなかに
  塗りこめられるのにがまんなりません
  
  正義の痕跡でもよいからわれらに示したまえ

  あなたの掟とはいったいどれなのですか

  わたしのあわれな情念を雷で撃ちたまえ
  わたしを不安から解放したまえ

  わたしは声なく泣きわめくことに疲れました

     2
  かつては喜びで満ちていたのに  
  ふさぎこんでいる肉よ
  疲れた目覚めの薄目をあけて
  あまりに成熟した魂よ おまえは見ることができるか
  地に堕ちたならわたしがどうなるだろうかを

  死者たちの道が生者たちのなかにある

  われわれは影法師の流れなのだ

  彼らは夢のなかで破裂する穀粒なのだ
  
  われわれに残っている隔たりは彼らのものなのだ

  そしてさまざまな名前に重みをあたえる影は
  彼らのものなのだ

  それではわれらの運命とは
  影のかたまりを願うこと以外の何ものでもないのか

  そして神よ 
  あなたはもしかして夢にすぎないのでしょうか

  向こう見ずにもわたしたちはせめて
  あなたに似た夢を望みます

  それはまったくの狂気の所産だ

  それはまぶたのへりにいる
  朝のすずめたちのように
  枝の雲のなかでふるえていない

  それはわたしたちのなかにいて
  憔悴しているふしぎな傷だ

     3
  わたしたちを突き刺す光は
  ますます細くなる糸だ

  殺すのでなければおまえはもうまぶしくない

  この最高の喜びをわたしにあたえよ

     4
  単調な宇宙である人間は
  財産が増えると信じているが
  彼の熱にうかされた両手から
  無際限に出てくるわけではない

  彼はむなしくその蜘蛛の糸に
  しがみついて
  自分自身の叫びでなければ
  何も恐れずそそのかさない

  彼は墓を建てることによってその消耗を埋めあわせ
  そしてあなたのことを考えれば 永遠なるものよ
  彼は冒涜をもつだけだ





イタリア現代詩選集(57)

98/02/13 02:16





       イタリア現代詩選集(57)/ 佐藤 三夫訳

    ジュゼッペ・ウンガレッティ:おまえは打ち砕かれた
    (Giuseppe Ungaretti:  Tu ti spezzasti)

     1
  たくさんの巨大な散らばった灰色の石が
  いまは消された原始の炎の
  秘密の投石器にまだふるえている
  あるいは執拗な愛撫でなだれ堕ちた
  処女なる洪水の恐れにふるえている
  ----砂のきらめきの上に硬直した恐れ
  空虚な地平線のなかに 
  おまえはおぼえていないか

  谷のなかの影の唯一のかたまりへと面している
  傾いた杉 あえぎながら大きくなって
  他の呪われたものたちよりももっと冷ややかな
  孤独な性質の固い石のなかへねじまがっている
  根から絶ち切られた切り口は
  蝶や草でみずみずしい
  ----おまえはその杉をおぼえていないか
  三尺ほどのまるい石の上に
  完全な平衡をたもって
  錯乱し押し黙ったまま
  摩訶不思議に姿をあらわしている
  あの杉を

  枝から枝へキクイタダキ鳥が軽やかに飛び跳ね
  おまえのむさぼるような目は驚きで酔っていた
  おまえはそのまだらになった頂を征服した
  向こう見ずで音楽的な子供よ
  ただ深く静かな海の深淵の
  澄んだ底で
  海草のあいだにふたたび目を覚ました
  おとぎ話の亀たちを見るために

  自然の極度の緊張と
  水中の絢爛(けんらん)
  葬いの警告

     2
  おまえは翼のように両腕をあげて
  動かぬ空気の重みのなかを駆けながら
  風を生んだ
  おまえの軽やかな踊る足が休むのを
  けっしてだれも見なかった

     3
  幸せな恵みよ
  とてもこわばった盲目のなかで
  打ち砕かれないわけにいかなかったろう
  単なる風のそよぎそしてガラスのおまえは

  不信心な者にとってはあまりに人間的なきらめき
  森のなかを 無情に ブンブン音をたてたきらめき
  裸の太陽の咆哮







イタリア現代詩選集(58)

98/11/27 23:52





       イタリア現代詩選集(58)/ 佐藤 三夫訳

    ジュゼッペ・ウンガレッティ:ディドの心の状態の叙述的合唱
                   (『約束された土地』から)
    (Giuseppe Ungaretti:  Cori descrittivi di stati d'animo)
                    [da La Terra Promessa]

     1
  影が消えうせていく

  歳月が遠くへだたって

  そのころは悩みにかきむしられることもなかった

  ねえ聞いて そのときあなたの子供っぽい
  胸は渇望して立っていた
  そしてあなたの目はおののいて
  かぐわしい頬から
  四月の無分別な火があらわにうかがえた

  ばかげたこと 入念な幻影よ
  時をとめてしまうものよ
  そしてながくそのよく知られた憤りが

  むしばまれた心を解き放つ

  けれど夜になると無言の格闘
  年を経てやわらいで消え去るかしら

     2 
  宙づりになった火によって
  夕方がながびいている
  そして草のざわめきがすこしずつ
  かぎりなく運命にもどっていくように思われる

  そのとき気づかれぬ月のこだまが生まれ
  波のわななきに溶け合う

  これ以上生き生きとしたものをわたしは知らない
  そのささやきは酔った流れにまで あるいは
  もはややさしく黙って耳を傾けている者にまで 





イタリア現代詩選集(59)

99/09/10 01:37





       イタリア現代詩選集(59)/ 佐藤 三夫訳

    [錬金術派の詩人たち]

    エウジェニオ・モンタ−レ:裏声
    (Eugenio Montale:  Falsetto)

  エステリ−ナ 20歳という歳が
  少しずつその囲いのなかにおまえを閉じこめる
  灰色とピンクと入りまじった雲となって
  おまえをおびやかす
  そのことをおまえは知っているが恐れない
  風がはげしく引き裂いたり濃くしたりする
  煙る霧のなかにわたしたちは
  おまえが浸っているのを見るだろう
  それからおまえは灰の波から
  かつてよりもいっそう焼け焦げて出てくるだろう
  射手のディア−ナ女神に似た
  ひたむきな顔をいっそう遠い冒険へと差し伸べながら
  そして20もの秋が立ち上がり
  過ぎ去った春がおまえをつつむ
  至福の地にありながら
  今やおまえにとって予兆の鐘が鳴る
  ぶつかってひびの入った水差しのような音が
  おまえにもたらされることがないように
  それがおまえにとって鈴ひものしゃんしゃん鳴る
  えもいわれぬ合奏であることをわたしは祈る

  疑わしい明日がおまえを怖がらせることはない
  塩のきらめく岩礁の上に
  おまえは優雅に身を横たえて
  手足を日焼けさせる
  むき出しの岩の上にとかげが
  じっとしているのを覚えているだろう
  少年が草のわなで脅かされるように
  青春がおまえをわなにかける
  水はおまえを鍛える力だ
  おまえは水のなかで自分を見いだし
  自分を一新する
  われわれはおまえを海草として小石として考える
  また塩分がそこなうことなく
  いっそう純粋になって岸にもどる
  海の生き物と考える

  おまえは正しいのだ
  微笑んでいる現在を妄想でかき乱すな
  おまえの陽気さはすでに未来とかかわっているのだ
  そしておまえが肩をすくめることは
  おまえの暗い明日の砦を破壊する
  立ち上がってとどろく渦の上にある
  小さな橋の上を進め
  おまえの横顔が
  真珠の地に対して刻まれる
  揺れる飛び込み板のいただきでおまえはちゅうちょする
  それから笑い
  風によって跳びはねさせられたかのように
  おまえの神々しい友の腕のなかに身を投げる
  そして彼がおまえをとらえる

  大地にとどまっている者の種族であるわれわれは
  おまえを見守っている

  ---------------
  Montale, Eugenio (1896-)
    ジェノヴァに生まれる。ほとんど独学。第一次世界大戦の間、歩兵
 将校として服役。1922年トリノで、彼は他の作家たちといっしょに『プリ
 モ・テンポ』(Primo Tempo)という雑誌を創刊した。その雑誌は短命だ
 ったが、そのみじかい生涯の間、ひじょうに有意義なものであった。1927
 年に彼はヴィユッソ−研究所の所長としてフィレンツェへ引っ越した。19
 47年以来、彼はミラノの日刊新聞『コッリエレ・デッラ・セ−ラ』(
 Corriere della Sera)の編集者となった。詩人であるほかに、モンタ−レ
 は文学批評家としてまた翻訳家としてひじょうに積極的な活動をした。生前
 彼は、ウンガレッティやクワジ−モドといっしょに、イタリアの生ける三大
 詩人の一人であると通常みなされていた。
   詩的作品:『いかの骨』(Ossi di seppia, Torino, Gobetti, 1925)
 。『税関吏たちの家および他の詩』(La casa dei doganieri e altre 
 poesie, Firenze, Antico Fattore, 1932)。『折々』(Le occasioni, 
 Torino, Einaudi, 1930)。『フィニステッレ』(Finisterre, Lugano, 
 Quaderni di Lugano, 1943)。『嵐と他のもの』(La bufera ed altro, 
 Venezia, Neri Pozza, 1957)。『全詩集』(Tutte le poesie, Milano,
 Mondadori, 1977)。


                   佐藤 三夫(QZG14142)
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RE:イタリア現代詩選集(59)

99/09/10 02:30




   「イタリア現代詩選集(59)」訂正

   先に掲載しました#00107の「イタリア現代詩選集(59)」のモンタ
 ーレの生涯の紹介の箇所で、うっかりモンターレの没年を書くのを忘れてし
 まいました。Per conoscere Montale, Antologia corredata di testi 
 critici, a cura di Marco Forti, Milano, Mondadori, 1986.  によると、
 1981年9月12日(土)にミラノの聖ピオ10世病院で、84歳で死去したとの
 ことです。後1ヶ月すればちょうど85歳の誕生日を迎えるところでした。
   また同書によると、モンターレが1927年にフィレンツェへ引っ越した
 のは、ベンポラーデ出版社(Casa Editrice R. Bemporade e Figlio)に
 雇われたためらしいです。彼がヴィユッソーの研究所の所長に任命された
 のは1929年とのことです。
   以上、おわびかたがた訂正させていただきます。


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イタリア現代詩選集(60)

99/09/29 22:58





       イタリア現代詩選集(60)/ 佐藤 三夫訳

    エウジェニオ・モンタ−レ:ド−ラ・マルクス
    (Eugenio Montale:  Dora Markus)

     I  
  それは木の桟橋がコルシ−ニの港の海に
  張りだしているところだった
  何人かの男たちがほとんど動かずに
  網を沈めたり引き上げたりしていた
  おまえは手振りで目にみえないむこう岸の
  おまえのほんとうの故郷を指し示していた
  それからわれわれはその低地に
  煤でひかっている町のドックまで
  運河をたどっていった
  そこにはよどんだ春が沈んでいたが
  覚えていない

  そしてむかしの生活が東方のあまい不安に
  まだらにしみをつくっているこの場所で
  おまえの言葉は死にかけたメバルのうろこのように
  虹色にきらめいていた

  おまえがそわそわと落ち着きをなくしているさまは
  嵐の夕べ灯台に突き当たる渡り鳥のことを
  わたしに考えさせる
  おまえの優しささえも
  おもてにはあらわれないで渦巻いている
  嵐なのだ
  そしてそれが安らぐことはなおいっそう稀れだ
  おまえの心の無関心のこの湖のなかで
  おまえがどれほど消耗して耐えているか
  わたしは知らない
  棒口紅やパフや爪やすりのそばに
  おまえがもっているお守り
  象牙の白ネズミが
  たぶんおまえを守っているのだ
  こうしておまえは生きている

     II
  花咲く銀梅花や湖のある
  おまえの故郷カリンツィアでいま
  おまえは縁に身をかがめて
  おずおずと餌に食いついている鯉を見守っている
  あるいはおまえはシナノキの上
  ぎざぎざの小尖塔のあいだに
  夕暮れの灯がともり
  埠頭や宿屋の日覆いが水の上に赤く染まるのを
  じっと見守っている
  湿った盆地の上に身を伸べる夕暮れは
  自動車のエンジンの鼓動のほかには
  鵞鳥の叫び声しか運んでこない
  そして雪のように白いタイルの内部は
  おまえを以前別な女として見た暗くなった鏡に
  平然とした過ちの物語を語り
  それをスポンジのとどかない所に刻む

  おまえの伝説をだド−ラ!
  だがそれは金ぴかの大きな肖像画のなかの
  誇らしげな薄いひげをした人々の
  あの眼差しのなかにすでに書かれている
  そしてそれは暗くなる時間に
  ますます遅く
  こわれたハ−モニカがかなでるあらゆる調子で
  くりかえされる

  それはそこに書かれている
  台所にとっては常緑の
  月桂樹が存在しつづける
  声は変わらない
  ラヴェンナは遠い
  残酷な信仰が毒をしたたらせる
  それはおまえから何を望んでいるのか
  ひとは声や伝説や運命に屈しない----
  だが遅いのだ ますます遅すぎるのだ


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モンタ−レ:税官吏たちの家

00/05/31 01:37





       イタリア現代詩選集(61)/ 佐藤 三夫訳

    エウジェニオ・モンタ−レ:税官吏たちの家
    (Eugenio Montale:  La casa dei doganieri)

  おまえは岸壁の上に高く張りだしている
  税官吏たちの家を覚えていない
  そこにおまえの思いが群がってやってきて
  そわそわとしてちょっと立ち止まった夕方から
  それはわびしくおまえを待っている

  リベッチョは何年も前から古い壁を激しくたたき
  おまえの笑いの音はもう陽気ではない
  羅針盤は狂ってでたらめな方を指し
  さいころの予測はもうあてにならない
  おまえは覚えていない 他の時がおまえの記憶を
  さまたげてしまう 糸がほつれる

  ぼくはまだその一方の端をにぎっている だがその家が
  遠ざかり 屋根のてっぺんにすすけた
  風見が情け容赦なくまわっている
  ぼくは一方の端をにぎっているが おまえはひとりぽっちのままで
  暗やみのなかのここで息もしていない

  ああ、遠のいていく地平よ そこではタンカーは
  めったに灯をともさない
  ここが通り抜けるべき水路なのか(岩に砕ける大波が
  ぼろぼろくずれ落ちる崖に対してなおも群がっている----)
  おまえはこのわたしの夕暮れの家を覚えていない
  そしてわたしは誰が去って行き誰が残っているか知らない


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モンタ−レ:雨の下で

00/06/09 15:47





       イタリア現代詩選集(62)/ 佐藤 三夫訳

    エウジェニオ・モンタ−レ:雨の下で
    (Eugenio Montale:  Sotto la pioggia)

  つぶやき おまえの家は暗くなる
  記憶の冬至におけるように
  そして椰子は泣く 温室の蒸し暑さのなかで
  裸の希望や悔やむ思いさえも保持する
  腐敗を容赦なく押しつけるから

  「熱狂的な愛のために」----ぼくはおまえと
  渦に巻き込まれる 赤いブラインドがかがやく
  窓は閉ざされている 泥のなかへと
  入っていく卵の殻のように
  影と光のぶつかり合うなかでわずかの命が
  母なる坂の上を今歩いていく

  中庭から「さよなら子供たち わたしの
  生涯の仲間たち」とおまえのレコードが
  金切り声をあげている
  そして運命のつむじ風のかなたで
  おまえの道へと立ち戻る衝撃が
  わたしにまだ残っているならば
  仮面はわたしにとって大切なものだ
  わたしは明るい土砂降りについていく
  そして彼方にはおびただしく
  船から煙がたなびいている
  光の裂け目が現われる----
          おまえのゆえにぼくは
  こうのとりがあえてすることを理解する
  霧のかかった頂から飛び上がって
  ケープタウンの方へ羽ばたくとき


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モンタ−レ:イーストボーン

00/09/29 01:26





       イタリア現代詩選集(63)/ 佐藤 三夫訳

    エウジェニオ・モンタ−レ:イーストボーン
    (Eugenio Montale:  Eastbourne)

  海が海岸の砂の上の馬の湿った
  足跡を消し去ろうと高まるとき
  海への通路をひらく
  パイルの上に建ったパビリオンから
  ラッパが「国王陛下万歳」を奏でる

  冷たい風がわたしを襲う
  だがフラッシュが窓々を照らし
  岸壁の真っ白な雲母が
  それらの輝きを反射する

  バンク・ホリデイ----それがわたしの人生の
  長い波をかすかに 
  その成り行きの上にあまりにやさしく連れ戻す
  遅くなる とどろく音がひろがり
  静まってゆく

  身体障害者たちが車椅子に乗って通り過ぎる
  耳の長い犬や沈黙した子供たちや老人たちが
  彼らに連れ添っている(たぶん
  明日になればみんな夢だと思われるだろう)
           そしておまえがやって来る
  捕らわれた声 途方に暮れた魂を解き放った声が
  失われて今宵元にもどった
  血の声

  ホテルの扉が
  いくつもの回転扉の上にひかって動くように
  ----もう一つの扉がそれに応えて光をそれに向ける----
  その回転の中にすべてを押し流す
  回転木馬がわたしを苛立たせる
  そしてわたしは(「わが祖国!」)耳傾けて
  おまえの息を認める
  わたしもまた立ち上がる
  一日中あまりに詰まっていた。

  すべては虚しく思われるだろう 生きている者たちや
  死んだ者たちを 木々や断崖をしっかりと結びつける
  力でさえもおまえから動き おまえに向かって動く
  祝日は無慈悲だ また楽隊がそのけたたましい音を発し
  その薄暮のなかに無防備な善意がひろがる

  悪が勝つ----車輪は止まらない

  闇の中の光よ おまえもそれを知っていた

  最初の鐘の音でおまえが姿を消した
  燃える地面のあたりに
  今までバンク・ホリデイであったという
  苦い燃えさしが残っているだけだ


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モンタ−レ:アミアータからの便り

00/11/30 01:01





       イタリア現代詩選集(64)/ 佐藤 三夫訳

    エウジェニオ・モンタ−レ:アミアータからの便り
    (Eugenio Montale:  Notizie dall'Amiata)

  悪天候の花火は 夜更けの蜂の巣箱の
  ぶんぶんいう音となるだろう
  部屋には虫に食われた梁がある
  メロンの香りが
  板張りの仕切りからもれてくる
  柔らかい煙が妖精と茸の谷に
  頂上の透明な円錐にまで立ち上り
  わたしの硝子窓を曇らせる
  そしてわたしはここから君に手紙を書いている
  この遠いテーブルから 
  空中に投げられた球の蜜房から書いているのだ----
  覆われた鳥かご 栗がはぜる炉 
  硝石やかびの筋模様は
  君が間もなくそこに出現する枠なのだ
  君を魅惑する人生は それが君を含むとしても
  まだあまりに短い! 明るい背景が
  君の肖像をあらわにして見せる
  外は雨だ
      ***
  そして君は時と煤で黒くなった
  もろい建築づたいに行った
  まんなかにきわめて深い井戸のある
  四角い中庭
  夜の鳥たちが群れ集まって
  あらゆる苦痛の包帯である銀河のきらめきを
  流れの底まで飛んで行く
  その飛び方に君はならった
  だが暗闇のなかに長く反響する歩みは
  孤独に行く者のものだ そして他の者は
  アーチや影やひだのある落ちる帳(とばり)しか見ない
  星々はあまりに緻密に鏤められている
  鐘楼の目は二時に固定されている
  蔓もまた闇の上昇だ 
  そしてその匂いは苦い
  明日はまたもっと寒くなり
  北風が砂岩の古い手を粉々にする
  屋根裏の時の書物をひっくり返す
  そしてすべては絶望的でない方向の
  穏やかなレンズであり支配であり牢獄であらしめよ
  北風がいっそう強くなる 君は鎖をわれわれに親しくし
  可能なものの胞子を封印する!
  道はあまりに狭く
  列をなしてかたかたと行く黒いろばたちが
  火花を出している
  隠れた山頂からマグネシウムの閃光が答える
  ああ暗いあばら屋からゆっくりと落ちてくるしたたり
  水となった時間
  あわれな死人たちとの長い対話 灰 風
  遅い風 死 生きている死!
     ***
  これはわたしから君にもたらす影の言葉や
  嘆きの言葉だけをもつ
  キリスト教的けんかなのか
  そのセメントの囲いのなかにやさしく埋められている
  用水路が君から奪い去ったものほどでないとしても
  ひき臼の回転 古い幹 
  世界への最後の境
  積み重ねた干し草がくずれる
  それを受け取る君の深い眠りに
  わたしの徹夜を結びつける遅い登場
  山あらしたちが
  ほんのわずかな慈悲で渇をいやす


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モンタ−レ:柩

01/01/07 00:37





       イタリア現代詩選集(65)/ 佐藤 三夫訳

    エウジェニオ・モンタ−レ:柩
    (Eugenio Montale:  L'arca)

  春の嵐が柳の傘を
  ひっくり返した
  わたしの死人たちや忠犬や
  年老いた女中たちを隠す
  金羊毛が
  四月の旋風に
  菜園のなかで巻き込まれた
  そのときから
  (柳がブロンドであってわたしがパチンコで
  その巻き毛をめちゃめちゃにしたとき)
  それらの者たちは生きたまま
  わなの中に落ちた 嵐はたしかに
  それらの者たちを以前のあの屋根の下に
  集めるだろう だが遠く
  稲妻に打たれたこの大地から
  ずっと遠く集めるだろう
  その大地には人間の足跡の中に
  石灰と血が刻印されている
  台所ではひしゃくが煙を上げている
  そのまるい反射が骨張った顔や
  とがった鼻たちに集中する
  そして風のそよぎがその香りを放たせるならば
  泰山木が背後でそれらを守るだろう
  春の嵐は忠実に吠えて
  わたしの柩を揺すぶるのだ 
  ああ失われた者たちよ


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モンタ−レ:昼と夜

01/01/07 23:11





       イタリア現代詩選集(66)/ 佐藤 三夫訳

    エウジェニオ・モンタ−レ:昼と夜
    (Eugenio Montale:  Giorno e notte)

  宙に飛ぶ羽根でさえも
  君の姿を描くことができる あるいは
  家具の間でかくれんぼうをする日の光や屋根からの
  子供の鏡の照り返しもそうすることができる
  市壁の上の霧のただよう流れが
  ポプラのとがった梢を長くする
  下では研ぎ屋のおうむが止まり木で
  羽毛を逆立てている それから小さな広場の
  蒸し暑い夜や人の歩み 
  そしていつもそうなのだが
  悪夢から何世紀にもわたり
  また何秒かにわたって変わることなく
  立ち直るために沈むというこの辛い労苦
  それらは灼熱した洞穴のなかに
  君の目の光をふたたび見いだすことはできない
  そしてなおヴェランダの上の同じ叫びと
  ながい嘆きをも見いだせない
  もし夜明けの危険な告知者である
  君の喉を赤くし君の翼を砕く銃声が
  突然鳴り響くならば
  そして修道院や病院が
  ラッパの引き裂く音で目覚めさせられるならば----


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モンタ−レ:うなぎ

01/01/10 01:37





       イタリア現代詩選集(67)/ 佐藤 三夫訳

    エウジェニオ・モンタ−レ:うなぎ
    (Eugenio Montale:  L'anguilla)

  うなぎはわれらの海やわれらの河口や
  川に到り着くために
  バルティック海を後にする
  冷たい海のセイレーン
  彼女は逆らう潮のもとに
  支流から支流へそれから
  さらに細くなった流れから流れへ
  ますます中へ ますます石の核心へと
  水底をさかのぼる そして
  いつか栗の木々からのひからびた光が
  アペニン山脈の崖をロマーニャに
  結びつける堀で
  腐った水たまりのなかにうねっている
  その姿を照らし出すまで
  泥の掘割のなかをすり抜けてゆく
  うなぎ たいまつ 鞭は
  われらの峡谷やピレネー山脈の乾いた小川が
  唯一豊饒の天国へと連れもどす
  地上における愛神の矢だ
  そこでのみ干ばつや荒廃を噛む
  いのちをもとめる緑の魂だ
  すべてが燃えて墨になるとき
  すべてが始まるというあの火花
  埋められた切り株
  まつ毛の間におまえがはめこむものと
  またおまえがその泥のなかに漬かった人間の
  息子たちの間に損なわれることなく輝かせるものと
  双子の姉妹である短い虹
  おまえはその虹を
  姉妹と信じることができないか


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デ・リーベロ:わたしのチョチャーラの夜

01/03/25 21:45





       イタリア現代詩選集(68)/ 佐藤 三夫訳

    リーベロ・デ・リーベロ:わたしのチョチャーラの夜
    (Libero De Libero:  La mia notte ciociara)

  パトリカ・チョチャーラに家がある
  山々とあのくたびれたレモンの木の方を向いた窓々
  その木はカクーメの干からびた季節に
  まだ木の葉でもって言葉を語りつづけている

  今晩もわたしは心もとないトンネルを通って
  つま先立ってそこへ行った
  そこに坐ってふくろうを待っていた
  そのふくろうはサッコ川に谷が出会うところに
  たぶんある伝言をもって行ったのだ
  わたしは小声でわたしといさおしを共にした亡き仲間たち
  アウレリオやネットやフェデリコを探す
  ロイアの鉄柵の間をさまよう猫たちの苦い幻や
  カーネーションの昔の育ての親マンマッティーナや
  山峡や好ましい庭園をを通って流れ去る水を探し求める

  そこでは空は燃えるような葉脈をもった
  コンパクトな葉っぱであり 時々月がさまよい
  角笛は呼び声を出そうとして音色がさえない
  わたしは人々の不安げな歩みを聞く
  彼らは飽きることなく扉を開いたり閉じたり
  今は椅子が集まっている部屋の中で
  たえず衣擦れの風を起こしてしる
  
  わたしのクロチャーラの夜は時々
  森で待ち伏せをしている秘密の馬たちが
  ひづめで地面をかく音がする
  そして弱々しい咳でわたしを揺すぶるおまえが誰か知っている
  また闇のなかをゆっくりと走るおまえの馬車が
  涙をもよおさせる小さな炎のなかに溶けてゆくのを知っている
  わたしは雨のことを思う 
  そしてマントは寒さからおまえの身を守らない
  おまえは耳を風に向けている
  おしゃべりな御者がおまえに残酷な事実を物語る
  わたしの肩におまえが別れのようにもたれかかる時
  わたしがすすり泣くことのできる弱い男だとおまえは言う
  立去ろうと決心したおまえのために泣くことは
  たやすくない

  わたしのチョチャーラの夜はいつも
  朽ちたゼニアオイに縮れた
  鼻をつく臭いの牛乳であり
  喜ばしい大焚火であり
  糸杉の太い影のあるあの崖であり
  八つ裂きにされた土地である
  わたしのチョチャーラの夜は不幸な物語だ
  かどわかされた子供たちの
  女とならない娘たちの
  冬のある朝とともに荷物も語るべき言葉もなく
  出発する男たちの永遠の記念日だ
  パトリカでは夜明けはまったく
  垣根に明るい穴を開ける鼠たちの噛った跡だ
  そして一日は栗の木のなかで古くさくなって
  ぼろぼろに崩れてしまう


                     三夫(QZG14142)
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            オン・ラインで『ユートピア』11号発刊





ガット:草と牛乳

01/05/04 22:45





       イタリア現代詩選集(69)/ 佐藤 三夫訳

    アルフォンソ・ガット:草と牛乳
    (Alfonso Gatto:  Erba e latte)

  空の映る青白い窓に鈴の音のひびく
  穏やかで遠い夕方がしめっぽく匂う
  そして空の家がそれを見習って沈黙している
  緑の壜のなかには牛乳が

  冷えたぬくもりをもちつづけたまま消え失せる
  明るい雲が田園のほのかな心地よい沈黙のなかで
  遠ざかっていく 川の眠りがわたしの家の
  敷居で成し遂げられているように思われる

  野天での祝福された顔 あたかも夜が
  ほとばしる香りのなかでたえずわたしを開くように
  そして山羊が用心深く温かく軽くわたしをなめる
  部屋は草とこけの匂いで満たされる


                   佐藤 三夫(QZG14142)
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ガット: 村の死人

01/05/06 01:44





       イタリア現代詩選集(70)/ 佐藤 三夫訳

    アルフォンソ・ガット: 村の死人
    (Alfonso Gatto:  Morto ai paesi)

  長く求められていた日の
  道に面して浮かれた子供であるわたしは
  村の遊びで死ぬだろう
  夜のとばりが降りる前に
  さざめく海の涼しい静けさが
  扉から扉へと聞かれる

  浮かれた子供は死んでゆくのだが
  その叫びで夕暮れをもたらす
  そして沈黙のなかに母の白い匂いを見つける
  彼女の顔のかすかな面影を

  その額に燃えるような恥ずかしさがまだ残っている
  きれぎれの声で
  馬車の上で歌われた村のことに
  耳かたむけようと扉にそって
  彼はもどってくる


                   佐藤 三夫(QZG14142)
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ガット: 泣かない者が泣くだろう

01/05/08 01:43





       イタリア現代詩選集(71)/ 佐藤 三夫訳

    アルフォンソ・ガット: 泣かない者が泣くだろう
    (Alfonso Gatto:  Piangera` chi non piange)

  すべての死人たちとともに夕方
  子供のころのすべての影とともに
  家から家へ光が降りてくる そして海も独りぽっちだ
  泣かない者が泣くだろう 泣くだろう----

  雨のなかの黒い馬車
  花売り娘が叫び声を押し殺し
  胸に閉じこめ言葉が死んでしまう
  泣かない者が泣くだろう 泣くだろう----

  気の狂った家のなかで恐怖が
  月にあやつられて恋をした少女たちに
  青い絹の服を着せる
  泣かない者が泣くだろう 泣くだろう----

  サラセン人たちがしわがれた唇に
  黒い条をつけて笑う
  悲しい挽歌が花びらの葡萄酒のように
  しおれて歯からもれて出る
  老婆たちが家の奥で
  他の死人たちにならって埋没して死んだ
  そしてしだいに消え去りながら
  年月の白い海を見つめている

  残っているあの空虚は生きている者たちの
  幽霊のような都市だ その都市は空をつくりだす
  その不吉な空を その色を
  われわれを抑圧する世界の破片をつくりだす
  泣かない者が泣くだろう 泣くだろう----

  鉄の女たちの記憶から
  宵を解放せよ 彼女たちは
  寝床で恋人たちを葬り去る そして死人たちの
  黒い口で子供たちに熱や叫びや広大な都市の
  群衆を残す その都市は海のなかに
  光のこの上ない叫びをもった

  騒がしい家々の上に夜のとばりが降りる
  そして闇よりも影がもの思いのなかに
  遠く世界中で話をしている幽霊たちを突き落とす
  その世界のなかでは月がひとりぽっちで照り
  歌が風の腕のなかに死人たちの心のなかにある

  泣かない者が泣くだろう 泣くだろう----
  そして悲嘆に暮れた智慧は
  人生への最後の嘆きのように
  希望が人間にあたえられる夢である


                   佐藤 三夫(QZG14142)
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ルーツィ: 象牙

01/06/23 01:12





       イタリア現代詩選集(72)/ 佐藤 三夫訳

    マリオ・ルーツィ: 象牙
    (Mario Luzi:  Avorio)

  赤道杉が話す 
  山地の暗い感じのするノロが歓喜している
  雌馬たちが赤い泉のなかへゆっくりと
  たてがみからキスを洗い流す
  霧の立ちこめた森からとても高くて広大な
  都市へと河はながく下ってゆく
  愛情のこもった帆が夢のなかで
  オリュンピアへ動くように
  風に吹かれた娘たちである河は
  オリエントの混んだ道を流れるだろう
  そして塩の市場から彼らは
  陽気に世界を見るだろう
  だがわたしはどこからわたしの人生を引き出したらよいのか
  わたしのふるえる愛は死んだのだから
  薔薇はかつては地平を侵害していた
  悩める庭を振りまいて
  ためらっている都市は天にあった
  空中のその声は花々で満たすことのできない
  荒れ果てた岩だった


                   佐藤 三夫(QZG14142)
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ルーツィ: ワインと黄土色

01/07/05 00:02





       イタリア現代詩選集(74)/ 佐藤 三夫訳

    マリオ・ルーツィ: ワインと黄土色
    (Luzi:  Vino e ocra)

  情熱の星がそこではいっそうひかり輝いて
  度を越している 盲従的な雲のなかで真珠色の
  商館の上にいっそう苦々しく
  わたしの愛した都市があくせくしている

  そして君たちのおのおのが感覚を鋭くして
  無害となった風の冷たさに条を引く
  君たちは木なのだ そこから伝説の平穏のなかで
  大理石が親しいものとなった

  空に微笑みが帰る だがすでに永遠なものとして
  未亡人は不毛になった畑を通じて
  自分のなかに墓を包む 角笛が丘の上で狩を告げる
  そこでは月が回転している

  そして君たちはやさしい 君たちは人生の
  荘厳な本質だ 夜の乳のぬくもりに
  風は焼けた女たちの溝のなかでためらう

  昔の雌熊たち そして目に見えない平野や
  渓流の壮麗な景観に沿って
  狂乱した馬たちが走り回り
  波のもとで雲の臭いを嗅ぐ 


                   佐藤 三夫(QZG14142)
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セレーニ: 12月3日

01/09/10 23:42





       イタリア現代詩選集(75)/ 佐藤 三夫訳

    ヴィットーリオ・セレーニ: 12月3日
    (Vittorio Sereni:  3 Dicembre)

  線路の上の最後の轟音で
  おまえは自分の平和をもつ
  そこでは橋や街路が飛んでいって
  都市は田舎へと身を投げる
  そして通りがかりの者はおまえに気づかない
  ちょうどおまえをかすめる狩の木霊に
  おまえが気づかないように

  平和はたぶんほんとうにおまえのものなのだ
  そしてわれわれが閉ざしたおまえの目が
  今永久に開かれて
  われわれにとってもなお
  おまえが毎年少しづつ
  この日に死ぬことに
  おどろく


                   佐藤 三夫(QZG14142)
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セレーニ: テラス

01/09/11 00:28





       イタリア現代詩選集(76)/ 佐藤 三夫訳

    ヴィットーリオ・セレーニ: テラス
    (Sereni:  Terrazza)

  とつぜん夜がわれわれを襲う
  おまえはもはや湖がどこで
  終わるのか知らない
  ただあるささやきが
  宙に浮いたテラスの下で
  われわれの生に触れる
  われわれを詮索してから
  向きを変えて去っていく
  魚雷艇のあのサーチライトのなかで
  われわれはみな今晩の沈黙の出来事に
  懸念をいだいているのだ


                   佐藤 三夫(QZG14142)
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