2010 10/07 22:33[214]
鵜飼千代子
http://www18.ocn.ne.jp/~bell103/yanagidafusa.html
柳田國男の蔵書は、成城大学に死蔵されているそうです。大学の先生も、訳知り顔の小学生相手の塾の先生もいるんだから、掴まれちゃったらどうぞ。
天彦さんの詩に「それからそれへ」という詩があります。金子秀夫さんの「原形」13号(1960.10)初出、処女詩集「鴉とレモン」(1962.12.31刊 原形社 発行者 壺井繁治)所収です。詩集の第一章タイトルが「それからそれへ」です。(わたしは1966.7生まれです。1960年、天彦さんは23歳です。)
「現代詩との出会い」を5分聞けば、そういう人だって、わかりますって。その前に3言でわかられちゃって、里見城城趾でソメイヨシノのサクランボを千切ってくださったのかもしれませんが。天彦さんって、ロマンティストなんです。女より男の方がロマンティストっというのは、通説だと思いますが、小娘が喜ぶようなことを、こぼした米粒を拾うかのようになんでもないこととしてなさいます。
「それからそれへ」について、何か書かなくちゃいけないと思ったのか、訳の解らない評を読んだことがあるのですが、わからないなら無理に書かずにスルーしていただいた方が、変な前知識にならずにいいです。これまでのことは仕方が無いので、もうしないでください。
「それからそれへ」は、愛する人への狂おしいまでの想いが描かれています。隣りで眠る愛する人がいつか死んでしまう。「死」への恐れ。流されてはいけないとエッジをかける心。「無かったことになんかしないから、ひとかけらすら灰になんかしないから」という、思い。恐怖も過ぎると笑ってしまう境地の軽妙さで、「ずっと一緒に居て」と深い愛情を書かれている詩です。天彦さんの年譜に、お母様と、長姉の亡くなった年は入っていないといけません。ご本人はいれないでしょうけれど。
天彦さんの蔵書は、散逸したようであって、詩界関係は中村不二夫さんのところに集っているし、同様のものをわたしたちは金子秀夫さんに尋ねられるし、天彦さんが研究していた川路柳虹の資料はまだご自宅に残っているから(美術関係の図録や絵画は佐倉市立美術館に一括して納められている。絵画ほか美術関係書籍800冊余り。入館無料)。寄贈詩書が今程多くなかった頃の「蔵書散逸」とは、少し考え方を変えた方がいいと思います。
心配は、火事を出さないことだけですね。わたしが奥様からいただいてきて保管して、火事で焼けちゃいましたじゃ済まないなんて、思ったりします。けれど、九十九里の「いわし博物館」など、2004年7月に地下にたまった天然ガスに引火し爆発を起こし、職員2名死亡なんていうのもあるから、どこにあっても絶対安全ということはないと思うのですが。
他の方も仰られているように、「いつも試験をされているようだった」というか、何度目の役員面接?という感じはありましたが、碁盤を前に対局しているというのか、わたしは将棋も囲碁も出来ず、父に習った「五目並べ」では、何回か、父を負かしたことがありますが(自慢)、それが普通なんですね。で、その、試験にしか思えないような見守りに、どれだけどちらが笑いを盛るか、それが勝ち負けだったような気がします。もういっぺん、こちらは真顔で、天彦さんに吹き出させたかったな。還って来いよ〜♪ べんべん←三味線の音