2010 09/12 21:12[173]
鵜飼千代子
昨日はちゃんと更科に行って食事をして22円ツケを払って来ました。覚えていらっしゃらなかったけれど「お預かりします。」と受け取っていただきました。
昨日はパーティーに出ずに帰ろうと思ったのですが、三田洋さんにご馳走になってしまいました。<(_ _)>
西岡光秋さんは、次の御用があったので、乾杯の音頭と、お話をされて帰ってしまわれたので、つまらなかったです。
ハガキで天彦さんの作品研究をライフワークにしたいと、奥様と、金子秀夫さんに宣言(? (^_^;A)していたのですが、連絡が取りやすいからと金子秀夫さんの同人誌「焰」に入れていただくことになりました。もともと縛りのない同人誌だとのお話だったのですが、2ヶ月に一回ある川崎での合評会などは遠いし、家庭第一で来なくて大丈夫だよ、「天彦研究をする」ってことでいいですよ。と言っていただきました。ありがとうございます。
そして、「千葉市美術館で今、田中一村の美術展が開催されていて、天彦は好きで奄美大島まで追っかけて行ったから、観に行くといい」と水を向けていただきました。今日と、来週の日曜日、NHK教育の日曜美術館でも特集されているんですね。見そびれてしまった。
http://www.nhk.or.jp/nichibi/
「川路柳虹って、知ってる?」と尋ねられて、「教えていただいても一度では憶えられなくて、何回か質問して今はわかります。」とお答えしたのですが、「あー、近代詩から勉強しなくちゃいけないな。天彦の研究やるなら川路柳虹もやらないと。」と言っていただきました。
天彦さんは、金子秀夫さんに川路柳虹宅に連れて行かれ、一度しかお宅に上がってないのに心酔し、亡くなってからあちこち調べ年表を作り、それを評価されて、日本詩人クラブに入会されたらしいのです。「川路柳虹」のことは、天彦さんが生前完遂出来なかったことのひとつなんですね。
「天彦さんの本から、近代詩に広げて行きます」とお返事したのですが、まずは隅から隅まで出来ているものを読むことですよね。耳のピアスの穴をコヨリで掃除するように。一通り頭に入ったら、疑問のある部分はどんな参考文献を調べればいいか尋ねればいい。あれも知らない、これも知らない、では、尋ねられた方も、(もう少し勉強してからきてよ。。。)って、辛いことも思いたくなっちゃいますもの。
和田アキ子さんが、徹子の部屋かなにかで、「学歴がないから、暇があると国語辞書を読んで言葉を覚えた」って仰っていたことが印象的で、柳美里さんも、広辞苑を読んでいる、だったか、作家さんで広辞苑が愛読書の方ってひとりやふたりではないんですよね。わたしも、広辞苑を読もうと10年以上前から思っているのですが、読んでいないのですが、天彦さんの本なら読めるかな。(笑)同じところばかり読んでしまって、まだ全部読んでいないのだけど。
「天彦やるなら、美術も知ってないとダメだよ」と仰っていただいて、天彦さんご本人が、ご幼少の頃から近所に芸術家が多く住まわれている環境で育っていらして、ご自身で「芸術ズレしている」と書かれているくらいなので、愛読者を超えて、研究者の域に行きたいのであれば、今のツルッツルの美術知識は何とかしなければいけないなと思う訳です。(天彦さんにも言われていた)研究家って、アバクヒトの変換じゃないからね。結局、より良い愛読者というところに戻るような、作品研究のためのお勉強がしたいです。
「誰だか知らないけど、オレの親友の作品研究だとか、100年早いんだよ。」って、ボコられなくて良かったです。天彦さんの親友は寛大です。(涙)
金子秀夫さんと、西岡光秋さん(天彦さんと親しかっただけでなく、筧さんととても親しかったので)に、気付いたことをお知らせしていくのもひとつの務めかなと思っています。本日の詩人クラブの運営とは別のところの、もっと根源的で、詩の未来を拓く何かを見つけたい。わたしが見つけられるわけでなく(畑が貧し過ぎて)、「それならこれも書いておかなくちゃいけないな(過去に何回も書いたけれど)」って、墓場まで持って行かずに、わたしたちに授けて行って欲しいのです。いっぱい。飢えているので、がつがつ食べます。20年後には詩の世界の力になりますから。(^_^;A
金子さんのいじりも、何も知らなければ、「怖い」かもしれないのですが、何から手をつけていいのかわからないながら、わたしも問題意識を持っていたことなので、むしろ言っていただいて、自由に勉強出来ると思い、嬉しかったです。北岡淳子さんにも、「鵜飼さんは、天彦の研究をやるから。近代詩から勉強しないといけないけれど。」とお話を通してくださいました。心強いです。^^
60歳前後の人は騙し合いなのか、暑苦しい人が多いのですが、やはり、老人と子供は相性がいいのでしょうか。20年後にお役に立ちますから、わたしたちにいっぱい栄養をください。<(_ _)>
「オレたちは、10年もしたら死ぬから」って、とても、心細くて、嫌です。まだ、わたしたち、水戸的に育ち切っていないです。現体制を脅かすために、乗り込むことはしません。他にもしなくてはいけないことが沢山あるからです。
近代詩を勉強して来た人たちは、そのまま、続けてね。若いって、知らないことが沢山あるってことだから、器用貧乏はつまらないけれど、諦めず、自分の中の足りないところを、育てて行こうね。
今日ちょっとやって、明日もちょっとやって、次の日もその次の日も休んで、しばらくしてまたちょっとやって、そうした積み重ねでも、「凄い努力家で嫌みな感じ」と言われるようになることもある。「ちりつも」ですよ。
「沈黙」掲載の「奄美と一村に」にある「今回の旅は田中一村記念美術館へ行くことが目的だった。NHKの『日曜美術館』で『黒潮の画譜ー異端の画家田中一村』の放映を見、九年前の千葉そごう美術館で一村の世界に触れて、逆光の美に心うたれたからだ。」とあります。天彦さんの文章は帰って来てから再読したのですが、美術になれていないわたしは、2時間かけて観ただけで、絵のパワーにヘトヘトになってしまったのですが、きっと、自分に近いんですね。帰って来て「逆光の美」という言葉を読んで、過去に書いたこんな詩を思い出しました。なるほど、この見慣れた陰影は日陰から見た風景なんだって思いました。拙い方がわかりやすい時もあるので、掲載致します。
「陰」
日陰にいると普通の明るさが
あんなにも眩しくて
傷つくのはわかっていても
焦がれてしまうんだ
これは
誰のせいでも
ない よね
奥主さんは絶対(わたしがあまり使わない言葉)『天彦五男詩全集』を読んだ方がいい。特に、『原形』の若書き部分。わたしが知っている天彦さんも歳を取って別人ではなかったけれど、この繊細さは奥主さんはひとりぼっちじゃないってわかるはず。
天彦さんは何人分の人生を、押し隠してひとりで生きたのだろう。