作品が人を傷つける/渦巻二三五
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- わら 
- ゆりえ 
- 月夜野 
書き手と読み手のあいだにある溝を
最後はご自身で埋められたことに感銘を受けました。
- 川村 透 
- 佐々宝砂 
作品を憎む、という読み方は、それはそれで、ものすごく深い読み方のように思える。
- 砂木 
憎む作品が肩代わりしてくれる憎しみ
作品を憎めば 自分を憎むより楽だから。
自分の作品を書くしかないと思う。

追伸 言葉がたりなくてすみません。
二つの作品の組み合わせは 鏡のように自分の詩を
うつしだしたのではないかと思いました。
私自身 黎明という題で母子像の写真を見た時に
子供のいない私の黎明ではないと思いました。
でも受け入れることが 黎明だろうと思いました。
話がずれるかもしれませんが その時の事を思い出しました。
憎むという気持は その憎しみを思い出させた作品に向くけど
自分は自分の作品を書こうと強く思います。
身につまされましたが まだうまく書けてないかもしれません。
乱文ですみません。
- 結彩 
- 北野つづみ 
- m.qyi 
- 嘉野千尋 
- ささき 
作品を作る人という感受性の強そうな人でも、読者を無邪気に傷つけることがあるんですね。タイトルもとてもひきつけると思いました。
-  
- 容子 
- るるりら 
わたしは 盲(めしい)という隠喩にきずついたことがあります。私は、光を失うかもしれないと長年にわたって怖れながらすごしている人物を母にもっているからです。

それぞれの説明的な事象なんて そぎ落として書かれることの多い詩の世界では、ときに 書き手の言葉の温度のようなものが薄くなり、読み手の感覚でしか詩偏を読み解くしかないことがあります。私にも、詩を読むとき 自分の中にある傷や毒のようなものに むせかえるときが あります。

うまづめという言葉についてですが、私自身も 指摘の作者と似たところがあります。私は思春期の子供を持つ母なのです。お陰で、同じ女性として 留意したい事柄に 気をつかさせていただきました。わたしにとって良い文章に出会いました。ありがとうございます。詩偏は、遠くなりがちな人と人とを 理屈深いところの結びつきに たちどまる時間をくれるものであってほしいです。
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- モリマサ公
作品 が 人 を 傷 つける 
今後のコメント展開が楽しみです
がんばってください
 
作者より:
思いのほかたくさんのコメントまでいただきましてありがとうございます。
作品あるいは作者と読者の関係、読者としての私の「読み」に言及してくださったコメント、素直に嬉しかったです。
(砂木さん、家族さんのコメントの意味がわからなくてゴメンナサイ)

作者は自分の衝動を優先させて創作するものです。
ただ、その結果について思い致さないのは怠惰で馬鹿なことだと思います。

誰かを傷つけてしまう創作物というのは、作者の意図に関わらず存在します。
その作品がどのように置かれているか(この場合は二首の短歌が並べて置かれたことによって、一首ずつでは生じ得なかった意味を与えられてしまった)ということに、無関心であってはならないと思った次第です。


---2008/04/19 09:18追記---
るるりらさん
お心のこもったコメント、ありがとうございます。

詩は、読む者の境遇に引き寄せられて、ときにさまざまに変容します。
読み手の感覚で読み解くのは、ゆるされることであると私は思います。というか、そのようにしか読めないときがありますね。
そうして、詩を読むことで自らのなかの毒にあたってしまうことも。

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