そのとき「詩」は私を救わなかった/
渦巻二三五
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
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逢坂桜
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おっとっと
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いとう
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未有花
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佐々宝砂
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大覚アキラ
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るか
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砂木
渦中の時は 作品にはできないですね 私は。
断片が浮かぶだけで。
より捕まえたいものが 残るのかもしれないです。
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石瀬琳々
生きていくためのもの。同感です。
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岡部淳太郎
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あおば
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PULL.
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川村 透
散文的な「実務」の渦中にあるときでも、「詩」とともに歩いてきたあしあとがあることが、後から考えるとほんのささやかだけれども、ささえになる、ことがあった、僕の場合は。今もずっと渦中にあるのかもしれない。うん、こんな風に書いている余裕などないのだ、ほんとうは。でも書いて伝えたいと思う。何もできないけれど、確かに、ココ、に届いていますよ。渦巻さん
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水在らあらあ
経験不足ですが、共感します。
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ことう
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銀猫
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佐藤伊織
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もののあはれ
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加藤泰清
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山内緋呂子
動
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まんぼう
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水中原動機
「乱暴され脅迫され抑圧されている者と、その加害者がいる」
まさにその通りだと思います。
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北大路京介
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umineko
その通りだと思います。詩は私たちを救わない。
ただ、再生の過程において、詩は遠い月明かり程度には
なりうると思います。詩のために生きるなんてナンセンス
ですけれど、詩とともに生きるのは赦されてもいいかな、と
思ったりします。
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瓜田タカヤ
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ヌヌヌ
共感しました
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たにがわR
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しろたしろ
作者より:
あのころ、私は異常な精神状態にありました。今はそれがわかります。
みなさま、お読みくださってありがとうございます。
まだよくわからないけれど、私にとって詩は、「消費」だったのかもしれません。
渦中にあるとき、詩とともに歩める人は、その人の詩は「生産」なのだと、思いました。
どちらが良いとか悪いとかではなく。
川村さん、お心こもった励ましありがとうございます。
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