作者より:
いまの僕はまだそんな言葉を書き切れてはいません。
少しずつ近づいていければと思っています。
安部行人さん、
石川和広さん、
青色銀河団さん、
山内緋呂子さん、
麻野梵四郎!さん、
かおるさん、
αさん、
Fujiwara Akiさん、
つきのいしさん、
輝良さん、
藍露さん、
ありがとうございます。
>Yockさん、
おっしゃることは確かに正論ですが、でも、そういう言い方をしてしまったら身も蓋も
ない、という感じはします。この、現代を異常な時代であるとする感覚は、僕が若い頃
(20年ぐらい前まで)と比較してみた僕の実感です。また、この実感がある程度の普
遍性を持ったものであるということに対して、僕は疑いを抱いてはいません。何の根拠
もありませんが、何か空気感覚のようなもので、そう感じ取れるような気がします。
詩人が生きている時代はいつでも苦難の時代だと、ギンズバーグの詩を翻訳した諏訪優
が書いていました。かなりうろ覚えですが。それに僕のこの小文の趣旨は、まず現代を
異常な時代であるとして、その時代の中でいかに言葉を書きつづってゆくかにあり、異
常な時代をまともにするにはどうすればいいのかなどは、最初から問うてはいません。
また、それは僕でなくても誰にとっても手に余る困難なことだと思います。ひとりの実
作者の決意表明として読んでいただければ幸いです。
ちなみに、秦野市も僕が仕事で通っている厚木市も、駅前あたりはかなり治安が悪くな
ってきています。新宿やさいたま市の比ではないでしょうが。
>再びYockさん、
随分ときついことを言いますね。
ただ、どうしてこの文章の前半部分にこんなにひっかかっておられるのか、よくわかり
ません。確かにこの文章は曖昧すぎるところがあるかもしれませんが、現代が異常な時
代であるというのは僕の直観で、僕はそれを頼りに生きてきたので、自分の直観を信じ
ていますし、自分の考えを曲げたくはありません。
>再びYockさん、
んんー。あやまられるとかえって申し訳ないような・・・
そうですね。信念。僕は何かにつけいちいち信念というか、自分の考えを持っている頑
固者です。
>いとうさん、
そういう現象が誰の目にもわかりやすい形で現前化してきているために、それを言い表
す言葉が必要になったのではないかと思います。現象が現前化してきているということ
自体が、異常さのひとつの表れと見ることも出来るのではないかと思います。
>服部 剛さん、
そうですね。時代と無関係に詩を書くことは誰も出来ないと思います。この時代によっ
て育まれて、この時代の良きところも悪いところも目に入ってしまうからこそ、時代を
意識した詩作が必要になってくるのではないかと思います。
>太郎冠者さん、
おっしゃることは何となくですが、わかるような気がします。矮小化された政治だっ
たら、それこそ昔のプロレタリア文学みたいになってしまうと思います。
>あおばさん、
あえて破綻するのも時には必要ですよね。
>ためいきさん、
それは僕も時々思います。詩に縁のない人に読んでもらいたいな、と。
でも、詩人っていってもただ鼻で笑われるだけですからね。難しいです。
>再びためいきさん、
その逆も確かにありますが、なんか馬鹿にされてる感じが強いような・・・ 被害妄想だと
は思いますが。
もちろん、無意識のうちに詩に縁のない人を馬鹿にしてしまうようなところは、僕自身
ないとはいえません。自分を戒めなきゃな、とは思いますが。
>たりぽんさん、
うーん、人間そのものが異常だというのは、わかるような気もしますが、むしろ隠れて
いた異常さがあらわになったというか。
>再びたりぽんさん、
ちょっと議論が込み入ってきて、頭が混乱してきましたが、知る術がないというのも、
隠されていたということと同義にはならないでしょうか?話を整理してもっと詳しく書
いてもらえば、もっとまともなコメントが返せるかとは思いますが。すみません。
>再びたりぽんさん、
僕は自分で思っている以上にモラリストなのかもしれません。どういう状態が正常なの
かというのは僕にもわかりませんが、やはり何かたがが外れているという感じはします。
そこから異常な時代だという認識が出てくるのかなと、自分では思ったり。Yockさんへ
のコメントでも書きましたが、僕は本当に直観に頼っているところがあります。その
直観を論理的に説明することは出来ないから、自分でもいらいらするのですが。
>佑也さん、
うん、まあ、意味もそれなりに大切だと思いますけどね。
>落合朱美さん、
こちらの意図がうまく伝わっていないようなので補足します。
何も僕は綺麗な抒情詩や定型詩を全面否定しているわけではありません。もともと「何
でもあり」なところが詩の面白さの核心だと思っているので。実際、そうした詩にも少
なからずポイントを入れていますし、自分でも書こうと試みたこともあります。ただ、
時代の状況に立ち向かうには綺麗な抒情詩や定型詩では駄目なんじゃないかという思い
があり、自分が詩を書くにあたっては、そういう類の詩を書くのは出来れば避けたい、
と思っています。つまり、この文章での「逃げ」というのは自らの詩作に対する戒めと
いった意味合いが強く、そういう類の詩を書いている人たちのことを指しているわけで
はありません。そういう詩を書きたい人は書きつづければいいと思っていますし、他人
の詩作の根幹に関わるところまでいちいち口を出せるはずもありません。そのことはこ
の文章の中でも言ってあるはずなのですが、僕の文章が下手くそなためにあらぬ誤解を
招いてしまったのではないかと思っています。
>Nizzzyさん、
世界の複雑さをそのまま描くというのが、僕もやってみたいんですよね。他ならぬ「詩」
という手段を使って。でも、その道のりはまだまだ遠そうです。
>ふるるさん、
そうですね。それはたしかにあると思います。
>窪ワタルさん、
ありがとうございます。