ひだかたけし氏の「熱の同心居」を読む/朧月夜
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 由木名緒美 
おお……
ひだかちゃんの詩が……。

冒頭部分、大好きです。
- ひだかたけし 
敬愛するおぼろん様、先ず

また再び僕の詩表現に批評論を頂き深く感謝致します。

更なるコメントは後ほどゆっくりと。√
---2024/08/07 18:28追記---

---2024/08/07 21:05追記---

えっと、少しずつコメント深めていきたいと想うのですが(この遣り取りは個人間のメールでは無く公に曝されるべきものだと僕は確信するので)…

先ず、僕がおぼろさんに盛んに?伝える直観について です。

例えば三平方の定理、何故に直角三角形において、直角を挟む二辺のそれぞれの二乗の和が斜辺の二乗に等しいのか?
それは正にそうなので、何故に?と言われても、
はい、直観です、概念直観なり としか言いようがないわけで

それは、直に感じられる(直感)ではなく、直に観られる=直観 なわけですよね、

その意味次元での直観を更に努め深めていくことで観え解り来る意識の視界が在る ということなのです。

で、そこから 反戦 や、反戦という立場は、一見きちんと確かな立ち位置が在る様で、それは要するに議会制民主主義に基づくグローバル資本主義経済体制っていう矛盾だらけ破綻しまくったマーヤ幻に立って居る、と。

なので正に以下、

〉ですが、わたしがこの詩に見て取り、感じ入ったのも、そこに<政治的な感覚>が表れているからではありません。そこにあるのは、逆に<平和的な感覚><平和の脆さ・危うさ>なのです。わたしが何を思ったかと書けば、その<脆さ・危うさ>の表現が至高だと言うことです。平和な社会は平和な人生を招き、平和な感覚を招聘する──無自覚にそのようなことを考える読者もいると思うのですが、この詩に現れているのは、決してそのような単純な思いではなく。

なのです、はい。

この日本人間社会において、戦争反対!とか安易に言うアナタの立ち位置、一見平和に見える立ち位置をきちんと見極め直に観ることしてますか?と。
直観すれば一皮剥けば、この欺瞞(高度に洗練された)コマーシャリズムに犯された(覆われた)価値増殖・飽くなき利潤追求エゴイズム競争社会システム、此処も正に一つの戦場なわけで…

だから、僕の立ち位置は敢えて命名する?なら、超戦 感覚的には再実証不可能な立場、けれど直観に基づき次第に現れ来る確保・確かな意識の視界としての「超戦」なのですね。

と、今夜は取り敢えず此処までで、何かおぼろんさんから応答?ありましたらよろしく です。√ゝ


---2024/08/07 21:21追記--

---2024/08/08 11:05追記---

追記

〉ですが、再び読者の立場に帰って、「この詩を反戦詩と見ても良いのではないか?」という心持ちになりました。無垢・無辜・無意識の読者にとって、そのようにこの詩は見えるのではないか? と思った次第です。
そのことに、あるいは作者自身の想いとして、行き過ぎ、という感もあるかもしれません。ただ、わたし自身は「ひだかたけし」という詩人を解釈するスタート地点として、この詩があっても良いのではないか? と思ったのですね。
もちろん、この詩を「思想詩」であると言っているのではありません。読者が作者に近づくよすがとして、そのような解釈もありではないのか? そこから生まれてくる作者にたいする真の理解もあるのではないのか? と思った次第です。

はい、もちろん『ただ、わたし自身は「ひだかたけし」という詩人を解釈するスタート地点として、この詩があっても良い』と僕も想います。

反戦詩という解釈からスタートして、そこから更に何か飛躍奥まり在る意志の熱・熱という意志を感じ取って頂ければ、と。

---2024/08/08 11:09追記---

- レタス 
-  
 
作者より:
貴重なポイントとコメントをありがとうございます。

>由木名緒美様

この小論においては、ひだか氏の詩が「反戦的な詩に見える」というスキャンダラスな点において、氏の詩想の核心に近づくよすがになり得るのではないか、と思い綴った次第です。

>ひだかたけし様

ありがとうございます。お手柔らかにお願いします。

コメントありがとうございます。こちらも徐々に。

まず、この詩を「反戦詩」と解釈したのは、この詩が8月6日に綴られたものであるということ、その一点に尽きるかもしれません。ひだかさんの無意識の想念のなかで、この詩が浮かび上がってきたものではないのか、と思えたからですね。
実は、この詩を「反戦詩」と感じたとき、わたしも慄然としました。詩の内容としては、そのような文言はほとんど表れていないからです。
ですが、再び読者の立場に帰って、「この詩を反戦詩と見ても良いのではないか?」という心持ちになりました。無垢・無辜・無意識の読者にとって、そのようにこの詩は見えるのではないか? と思った次第です。
そのことに、あるいは作者自身の想いとして、行き過ぎ、という感もあるかもしれません。ただ、わたし自身は「ひだかたけし」という詩人を解釈するスタート地点として、この詩があっても良いのではないか? と思ったのですね。
もちろん、この詩を「思想詩」であると言っているのではありません。読者が作者に近づくよすがとして、そのような解釈もありではないのか? そこから生まれてくる作者にたいする真の理解もあるのではないのか? と思った次第です。
---2024/08/07 21:17追記---

あ。返信に書いているうちに、コメントをいただいておりました。
まさに、ひだかさんがコメント欄において書かれていることに同意するものです。
---2024/08/07 21:23追記---

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