読むことのスリル──ひだかたけし小論(1)/おぼろん
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- ひだかたけし 
まず、僕の詩作品群をこのような評論の対象にして頂いたこと、深く感謝します。

そして、「ひだかたけし」という私性抜きにして、優れて自立した評論作品である、という点で評価ポイントを入れさせて貰います。

さて、時間について、ということですが、
一点、疑義を。

「分裂」という僕の詩について、おぼろんさんは以下のように評論しています、

〉ただ、そこには季節を通り越した「変化」だけがある。「水銀灯」「夕陽」「白壁」……そのどれもが、(あるいは失われた)過去、すなわち「時間」そのものを表しています。いくつかの抒情、または叙景が「何億年もの時間を経て」という一点に集約されているのです。

しかし、筆者としてはこの詩表現は“瞬間”を抉り出し並列しているので、「変化」や経過としての時間ではありません。

氷河が崩れ落ちる、というその瞬間/光景を捉えているので、崩れ落ちるまでの「何億年もの時間を経て」という生成時間を表現の的にしていません。

それは、「線形時間/風景」と「瞬間/光景」との絶対的相違です。

これは僕の詩表現における核心(時間観)に関わることです。

如何でしょうか?何か、僕の誤解でしょうか?

追伸

以下、ゆっくり続きを読ませて頂き、その上でコメントあればさせていただきます。ゝ

追伸2 「大河に崩落していく氷河は何億年もの時間を経て」は、何億年もの時間を経て今マサにこの瞬間にー、ということです。ここの表現はちょっと冗長かな…






---2023/03/16 17:55追記---

---2023/03/16 17:59追記---

---2023/03/17 14:43追記---
- ナンモナイデス 
- 田中教平 
(1)読みました。

生まれながらの詩人はいるのか?という命題と
時間とは?という命題との中で
ひだかたけしさんの品が浮いているというか

詩人、時間、そしてひだかたけしさん、その何を「本当に」語りたいのか
三つが其々独立してしまっているような印象です。
---2023/03/24 16:26追記---

返信ありがとうございます。
楽しく続きを読ませていただきます。

- ryinx 
 
作者より:
「カクヨム」からの転載です。「はじめに」と「おわりに」を含めて全9章となっています。
貴重なポイントとコメントをありがとうございます。

>ひだかたけし様

ひだかさんの時間観は、読者の立場からすると独特で、それがひだかさんの詩の魅力の一つになっていると思います。ですので、読者としてはその時間観に近づくのも困難なのです。わたしはわたしの乏しい知識から、なんとか時間に関する一般論とひだかさんの詩を近づけようとしましたが、あるいは成功していないかもしれません。この批評では、「生まれながらの詩人はいるのか?」というのがテーマです。そして、ひだかさんがそれに該当すると。わたしとしては、この疑問のほうが重要に思えたのですね。ですので、わたしの時間観、ひだかさんの時間観は、この批評という一創作からは置き去られてしまっているかもしれません。その点については、読者自身がひだかさんの詩を読む過程で見つけていってほしい、という思いもあります。真の現代詩人に出会える、という魅力がそこにあることを伝えられればと思っております。

>田中恭平 new様

コメントありがとうございます。実はこの批評はひだかさん自身から依頼されたものであり、始点はそこにあるのですが、わたし自身はひだかさん自身に関しては未知の人にとって、ひだかさんの詩の紹介という役目が果たせればと思い、この小論を書かせていただきました。初出をカクヨムにしたのも、そのような思いがあってのことです。批評の対象があいまいであるという指摘は、その通りかと思います。ただ、わたし自身のスタンスの問題もあって、あえて詩の解題という深みに入り込んだ批評は避けました。詩史の歴史のなかで、ひだかさんの詩の本質に迫ってもらえればという思いもあるのですね。出来れば、全体を通してこの小論の果たすべき役割(ひだかさんの詩の改題ではなく紹介)を見て取っていただければと思います。


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