認識への意志/ひだかたけし
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 朧月夜 
「信じるのではなく、知り感じたい」というのは、新鮮で潔い感覚ですね。わたしも50年近く生きて来ましたが、生きるということは、(安易な方法としては)一般的に「信じる」という感覚から始まるのだと思っています。わたし自身も、方法論としては、そうやって自分の創作を始めました。ですが、ここで「知り感じたい」と、「無一物」の自分に帰ろうとする。そういう部分は、ひだかさんにはどうしても勝てない部分だなあ、と思うんです。死んでも勝てないですね(笑)。

追記です。わたしの場合は……今は大それたものや真剣なものを書きたいという気もちはあまりなくって、自分が物を書くモチベーションを維持したい、あるいはそこから何かが生まれてくるのではないか? という思いのみで書いています。ただ、読者が時間を浪費した、という思いにならないように、それなりのものを書きたいとは思っているのですが。世界、宇宙、またまた真摯な言葉ですね。ですが、わたし自身はただ面白い冒険譚を書こうと、それが自分自身に対する挑戦だと、そんなふうに思っています。。。長文コメントに対して、真摯な返信をありがとうございます。
---2022/08/27 02:09追記---
- ナンモナイデス 
 
作者より:
松 けい子さん、
ありがとうございます♪
何かのヒントになれば幸いです。

おぼろんさん、
ありがとうございます♪
勝てませんか、勝ち負けじゃないですよ、人格と人格は(笑)
もう信仰の時代じゃありませんからね。
おぼろんさんもリアルな世界の宇宙の存在の内なる根拠・内なる根源を知りたくてあの物語を綴っているのではありませんか?
僕はおぼろんさんにそういう強い意志、魂の深みを感じます。/
---2022/08/26 11:11追記---

---2022/08/26 11:13追記---

---2022/08/26 11:38追記---

---2022/08/26 13:48追記---

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