人間空洞説(オオカミ少年は人間なのか?)/マサヒロK
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- アラガイs 

おっしゃられるとおり、「何もない空洞」という場所に人間が足を踏み入れることができた時点で、人間は人類という種別を超えることができるのだと思っております。
人類は二足歩行と共に道具を開発し、それらを使いこなすようになって人間という存在を地上の支配者に導いた。その知性とはどこまで進歩を成し遂げるのか、いや、或いは人類という種別を破滅に導くのだろうか。哲学者ニーチェをはじめ多くの思想家或いは夢想家宗教学者などはそこまで理解していたのではないか。もちろん今日の物理科学者も含めて。人類という存在は将来必ず人間という生き物を超える。ただし、絶滅という種の危機を乗り越えなければならない。とわたしなどは確信しております。

以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
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人は何によって決定されるのか。
遺伝か環境か、生まれか育ちか、氏か名か、もしくは機械論かルイセンコ科学か、、、じゃなくて、、生物にとって遺伝も環境もどっちも重要と思います。全くの白紙で生まれてくるわけじゃないけど、環境とともに書き込まれてゆくものは大きい(遺伝的制約が許容する範囲の中で)、みたいな。とくに幼児期。

おいら個人としては、人間はただのどうぶつであり、人間と動物のあいだに境界をつくって分けたくない、一元論的に捉えたいという人ですが、しかし、「野獣系で行こう!」とか言ってすべての人間がどうぶつ的に欲望優先でふるまい始めると美徳とか社会のナニカが崩壊しそうなので、社会道徳や規範的な意味で人間-どうぶつの二元論を持ち出さざるえない、、という感じですかね。。(´・ω・`

あと、これをいうとLGBT界隈の人から苦情がきそうですが、、人間なんてもんはいい加減に、テキトーに、いいようにゆえばフレキシブル(柔軟)に設計されてると思われます。
上下左右天地が反転する「逆さ眼鏡」をかけても、最初はまともに歩くことさえままなりませんが、そのうちそのあえりない状態に慣れてきて、反転した感覚が当たり前になり、しまいにはそれで普通に生活できるようにもなるし、、日頃から「俺は本能的に異性しか愛せないキリッ!」とかゆってるノーマル男でもムショ暮らしで同性愛や両刀使いに目覚めちゃったりする例すらありますし(※もちろんLGBTの遺伝要因を否定するわけではありません)、中には軽々とナニカの限界を突破して「俺は二次元の嫁しか愛せない!(LGBT以上に)自分の意思ではどうにもならない!」みたいな人もいますし。。
また、おいらたち「人間」の遺伝的な制約範囲は少なくとも「犬」や「猫」を人間同様の「家族」として認識できる程度にはけっこー広いというか、雑というか、ユルユルにできてるというか。未来ではテクノロジーでより高次の知性を獲得した動物と結婚とかする人も現れそうな気がします。

人間がどうぶつに育てられたり、人間がどうぶつを育てたり、どうぶつが他のどうぶつを育てたりすることはしばしばあります。
たとえば人間がふつーにウグイスを育てると大人になってもウグイスはホーホケキョと鳴きません。ところが、録音した音源の「ホーホケキョ」を聞かせながら育てるとちゃんと鳴けるウグイスに育ちます(ちょっとだけ編集して面白い音に変えた「ホーホケキョ」でも柔軟にオケーです)。また、鳥の鳴き声ならなんでもいいのかとゆえばそーでもなくて、録音したカラスの「ア″ーッ!ア″ーッ!」という声を聞かせてもウグイスのヒナは全く興味を示さないし、カラスのよーな声で鳴くウグイスになることも決してありません。
おそらくウグイスのヒナにはある成長段階で「ホーホケキョ」を聞くとうれしくなって真似したくなるよーなそんな遺伝的なプログラムがあると考えられますが、ある時期にそれを学習できなかったヒナは鳴けないウグイスになってしまいます。遺伝的な本能だけでは駄目で、編集したちょっとだけ面白い音源でもいいから環境の中で学習しないとプログラムは眠ったまま現実化しないし、あらかじめ備わっているプログラムも種ごとにさまざまだし、あんまりガチガチに決まってない部分もあるのではないかと思います(´・ω・`


ポイントを切らしているためコメントで。
ではでは失礼します。
---2019/05/03 23:53追記---

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