空白の館/アラガイs
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- ただのみきや 
- 伊藤透雪 
- Giton 
なるほど、質問者のスピードと質問の順序に左右されますね。それが正確な診断と言えるんでしょうかね?!患者を作り出す検査手法では?
- こひもともひこ 
作品を読んでて、子供の頃やったクイズを思い出しました。
順番に止まっていくエレベーターに、男が何人乗ってきて、女と犬が乗ってきて・・・・と続けた最後に「いま何階でしょうか?」って訊く方法。予測と違うことを訊かれて混乱してしまう。

そういう意図・狙いがあってはじめたことではないのですが、「 」シリーズを連続して答えてれると、その人がどういう風に読み物を読もうとするのかが少し分かります。その逆に、私がどういう風に作品を書こうとするかも分かるのじゃないでしょうか。

- あおば 
- 北大路京介 
- 殿上 童 
- 梅昆布茶 
- すずき のりこ 
わたしは、この『机』『時計』『鏡』が醸し出す物語の雰囲気が気に入りました。とても惹かれました。病棟待合いから始まる描写も見たものを矢継ぎ早に筆述しながらも、時の経過である末端がいつも、幽霊のように消えていくような、奇妙な捻れを感じました。形象(カタチ)を鏡写しに真似るところも、経年劣化のごとく、ボロボロに朽ちていく捻れを感じました。質問の『時計』が思い出せない。時と記憶の奥にあるもの。彼の空白。会話も、身なりも、対象も捉えて、一見、成立してそうなのに、浸食された何か、空白の何かは記憶になく、供述されえないのだから、スルスルと幽霊のように、末端が消えてゆく、だからわたしはズルズルとこの白い壁の物語に惹かれる。詩を読むことは楽しいです。誤読も含めてですけど(^^)。なにか映画のようでした。
 
作者より:
皆様お読み頂きありがとうございます。

ただのみきや さん いつもありがとうございます。
伊藤透雪 さん お読み頂きありがとうございます。
Giton さん コメントありがとうございます。深く認識されるメメントモリに於いての相互作用は、身体的にみれば脳神経から精神的疾患へとどう移行され影響を受けるのかと。

こひもともひこ さん 。そうですね。詩に限らず創作する行為自体が予期されぬ出来事との遭遇を如何に斬新に生み出すかが鍵になるわけだから、これも新しいゲームの発見みたいなものでしょうね。主に海馬にダメージの影響が見てとれる認知症患者と精神疾患に於ける脳とこころの関係。専門家は笑うだろうけれど、わたしなりに訳されたものの瓦解を透してもっと探ってみたいとの思いがあります。コメントありがとうございます。


あおば さん いつもお読み頂きありがとうございます。

れたすたれす さん 以下に同じく…ですな。時間をもてあましついお尻を眺めてしまいますが、それも楽しみのひとつだにゃ^^ コメントありがとうございます。


北大路京介 殿
アリチンゲール殿上 童 さん
梅昆布茶 様
お三方 いつもお読み頂きありがとうございます。愚僧感謝感激雨早漏でございます。


すずき のりこ さん。コメントをありがとうございます。これはほとんど事実に少し手を加えて即興で仕上げたものでした。事実わたしのまわりには物忘れのひどい老人や、半惚け状態の人間がわたしを含めて何人か居ます。それぞれに特徴的なのは、興味を持たなくなってしまった事柄に対しての物忘れは顕著に表れるという事ですね。普段人と接する、または話す機会の少ない人間はどうしても度忘れや物忘れの度合いは進行するようです。当然最大の原因である老化現象をはじめ様々な理由は付け加えられるのでしょうが、特に日々緊張感の無さやそれに付随する集中力の欠如に大きな原因はあるように思われるます。単語で取り上げた机、時計、鏡、日々の生活を基盤によくよく考えてみればどれも関係はつながるものです。わたしが何故時計を思い出せなかったのか、後で冷静に考えてみれば、ここ何年もわたしは年月曜日は疎か時間をほとんど気にかけていません。忙しい人々からすればなんとうらやましいと思われるかも知れませんが、気にかける術を持ち合わせていないのです。。もちろん時計だけはいつも眺めていますが、時計とは無用な飾り物で、つまりわたしにとっての時間とは、おっしゃられているように通常の時間ではなく「空白」に置かれた捻れ、ある一定の期間になってしまっていると云うことなのでしょう。お読み頂きコメントまでありがとうございます。




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