【HHM2参加作品】田中宏輔『THE GATES OF DELIRIUM。』の分析文またはLEGO/こひもともひこ
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 阿ト理恵 
- 澤あづさ 
>これは各々で分析してもらうほかない。実際に、ここでやられている方法による印象変化や効果は、やってみないと理解はできないものだからだ

この断言に痺れました。ここまで作品を綿密に調査しておいて、そこから導かれた結論を提示しないままこの断言に至ったという言行それ自体が、「この作品の真価は実際に精読しない限りわかりなどしない」という主張を鮮明に表現し、「おれはこの作品にちゃんと読まれてほしいのだ!」と熱情的に語っています。(とわたしは思います)

①結論が出ていないので、論文としては文字通り「論外」としか言いようがありません。
②データの用途が明示されておらず、読者に能動的な分析を要求する不親切な資料なので、「この詩を効果的に宣伝するヒヒョー」だとは思えません。

以上二点に関する個人的な疑問は否めないものの、この筆者はこの詩が本気で好きなんだなあと思いました。
 
作者より:
ポイントおおきに!

蛾兆ボルカさん:コメントありがとう。
この作品の構成は、法則性がないのが特徴かもしれません。できるだけ違う組み合わせ方で作られている。けれど、田中さんの別の作品にある3×2×1(=6通り)のように、組める限りのやり方を目指したわけではなく、自分の使える手法を沢山使いながらも、同パターンがあったとしても、それが作品に必要なのであれば利用する。

簡単にいうと自由に作っているということなのですが、よくあるデタラメさと自由を勘違いして使っているわけではないという印象を受けました。


れたすたれすさん:コメントありがとう。
レゴレゴ。

---2014/03/28 20:56追記---

澤あづささん:コメントありがとう。
?は、そうやね。批評・考察というものからのズレは感じてます。分析文として、どういう構成かの提示はしたけど、だからどうだとは書いてない。

?は、実際にこの作中でも、「言葉の並べ替えを実践すること」を前提として書かれたように私は思ってるねん。言葉の並べ替えによる印象変化を実感するのは、自分で実践してみないと分からない。この作品じゃなくてもいいので、自分で言葉の入れ替えをしてみて、それをどう感じるか。「精読」ではないねん。「実践」やねん。ここでいう印象変化っていうのは、読み物を読んでの印象だけじゃなくて、自分で言葉を並べ替えることによって感じるいろいろなものが含まれてる。たとえば、自分の好きな詩を引用する場合には、そうじゃない詩を引用するときより緊張するというようなことは、自分でやってみないと分からない。そこは伝えられなかったのかもね。


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