謎々/自転車に乗れない女の子
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 鵜飼千代子 
泣かない人が強いか弱いかはわからないけれど、「キジも鳴かずば打たれまい」もありますよね。一般的なわたしの印象は「無表情で腕組みをしている。」だと思います。講師には「絶対に全否定をするな」と釘を刺されました。

喜怒哀楽を出せる環境や、それがないなら、自己治癒力で癒す環境があるといいですよね。誰かに媚びへつらいバランスを取らざるを得ないのはでなく。帰る場所がある。

そしてまた、そんな心配をすることもなく、泣きたい時には泣けて全て羊水が引き受けてくれるそんな、子宮の記憶があれば幸せ。豊かですよね。

安全な場所での「泣く」「泣かない」というお話だと思ったのですが、(だって頼る人がいなくて泣けないのにそこを突かれてもかたくなになるだけ?)

実力はあってもやる気がないのと、やる気だけでなんの行儀も知識もないのが同じラジオを聞いていて、内ゲバでなく、同じように「日本の詩を復興する」を期待しているのであれば、集客目的としか思えない、「男女ザタ」は見えないところでやって欲しい。詩の未来と無関係だから。少なくともわたしは不愉快です。

そんなことを、メッセージを通じて思いました。



 
作者より:

泣いてる人より泣けない人のほうが実は弱い。
要は自分の弱さを曝け出せないんでしょ?
頼る相手がいないんでしょ?

いつから涙をみせることが弱いと思われてしまったのかなあ。

9月18日〉追記
不愉快にさせてしまったこと申し訳ありませんでした。
それから頼る相手がいない、という言葉も不適切だったかなと思います。
感情的な言葉なのでメントに表記させていただいたのですが、軽率でした。


そもそも頼る相手がいない人なんて居ないですよね。
頼ろうとしないだけで。


辛いのに1人で笑って、自分より強い人に
「強い人だね」
なんて言われて尚更逃げ場がなくなって、
そうやっていつの間にか動けなくなる。

嫌だな、そんなの。
その前にエスケープしなきゃ。

ってそんなつもり。



はい、これ、
謝罪まじりの独り言。




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