僕が思う現代詩と合唱の関係について(8)/赤青黄
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- るるりら 
私は、現代詩を難解にさせている理由のひとつは
文字に頼りすぎて 耳を無視している作品の多さが
 その理由のひとつだと 思います。

しかし、人を人たらしめているのは
見えないものを見る力です。それならば、耳の感覚に立ち返る
必要かあると私は思いました。音声に肉体に宿る空気を振動
させながら織りなす詩があるなら その詩は 人々を聡明な
視点にいざなってくれる。わたしは、そのように感じました。

- こひもともひこ 
- 北村 守通 
 
作者より:
るるりらさん:コメントありがとうございます。
       
       合唱曲のテキストに谷川氏の詩が使われることが多いのですが、
       その理由のひとつに、氏は言葉の音、というものに重点をおいて
       詩作されていることがあるのではないかと僕は思っています。
  
       例えば谷川氏の詩集の中に「歌の本」という曲のテキストになっ
       た試作品を集めた詩集があるのですが、氏はその中で「作曲され
       歌われることを前提とした詩を自発的に書き始めた」と言ってい
       ますが、その理由は谷川氏がまだ若かった頃ラジオで流れていた
       曲の歌詞が不満だったからだったそうです。

       合唱曲のテキストとされる物には、有名な古典作品が使われるこ
       とが多々あるのですが、その理由は多分古くから語り継がれてき
       た文学というものは、内容もだけでなくその古典に紡がれた音も
       優れているからだと僕は思うのです。

       …とまあそんなことを、るるりらさんのコメントからふと思いま
        した。
       
       その作品が優れている優れていないの基準として、言葉の音が全
       てでは無いと思いますが、人を感動させたり、深く印象付けたり
       また音楽などのテキストに使われたりする詩というのは、るるり
       らさんのおっしゃるような詩だと僕も思います。

       嬉しいコメントでありました。ありがとうございます。


---2013/02/28 17:39追記---

こひもともひこさん:ポイント&いつもお読み下さりありがとうございます
---2013/03/13 20:36追記---
北村 守通さん:ポイント&お読み下さりありがとうございます

戻る Home
コメント更新ログ