【HHM参加作品】非連続/深水遊脚
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- あおば 
- こひもともひこ 
- 澤あづさ 
- るるりら 
 
作者より:
踏み入れてよかったのかいまになって悩む
言葉をひとつひとつ確かめて初めてそれに気付く
鈍感さが自分で嫌になる

ほかけ さま
ポイント、コメントありがとうございます。
レスレスはHHM評価期間終了後に書くことにしました。表現に貪欲な様が伝わります。コメントに臆病になっていた私のほうが癒されるくらいです。ありがとうございました。



あおば さま
こひもともひこ さま
澤あづさ さま
るるりら さま
uki さま
ポイントありがとうございます。

---2013/02/17 15:45追記---
 評価期間終了後に何か書くと約束していたことをいま思い出してあわてて書いています。構造分析を一通り済ませたいま冷静に読むと、第1連からファンタジー、第2連から人生哀歌、第3連から色彩豊かなある世界、第4連から色をなくした世界をだいたい感じることができます。最初の一読でこれらがいっぺんに頭のなかに入ってきました。心地よくて、でも言葉に出来なくて、ちょうどHHM参加作品の対象作品を探していた(とある事情でひとつ没にしたので)私はこれを対象作品に選ぶことに決めて一気に書き上げました。いま書いたとおり連ごとに針が逆に触れる構造、連のなかでも異なるスケールの何かから何かへと揺さぶられる展開を、一つの連続する批評に絡めとり、一つの答えを得意げに語ってしまうやり方を真っ先に捨てました。揺さぶりを起こしたもの(言葉)ひとつひとつに着目し、そのもの(言葉)をなぞることで批評を書き起こしました。言葉のなかには知らなかったものもあり、それは人に聞いたり調べたりもしました。でもあくまでその目的はこの詩の世界を理解するため、いやわかりにくいな、この詩が私にもたらした揺さぶりを理解するためでした。香瀬さんの講評に書いていただいた、作品と作品外の「非連続」はもちろんのこと、作品内部でも言葉同士の「非連続」をあえて強調しました。全体としての作品も、作品のなかのひとつひとつの言葉も、そのものとしてまずは理解するあるいは感じ取ることで、その先に描く像は違ってくるでしょう。私がこの批評で試みたのはここまでです。あとは詩を読む方がそれぞれの像を描いていただければ良い。そう思いました。もちろんこの批評も先入観になるでしょう。しかし、対象の詩について、統一感がない、雰囲気で物事を書いている、作り込みが甘い、オンライン臭がする、そうしたいささかフェアでない見方を反射的にしてしまう方にとっては、それをほぐすことができたなら、この評がもたらす先入観も少しは役に立つのかな、と勝手に考えています。


 以下はほかけさんに向けて。ほかけさんご自身の「記憶のコラージュ」とのお言葉、深く納得しました。本来なら連続するものも非連続とみなして切り離した部分もあったかもしれず、寛大に私の読みを受け入れて下さったことに感謝いたします。このコメント欄の冒頭に書いた懸念については、書かれている世界が黄泉の国で、川は三途の川で、モノクロ写真は遺影で、さかさまに涙が伝い寒さに包まれた様が死別の慟哭を表している、そういう可能性が頭をよぎったからでした。それでも私は、文学極道に作品を投稿されている事実から、作品評が書かれること、さらには作品とその批評が編集されて残る可能性については覚悟されているものと判断しました。この点につき不都合がありましたら、ご一報ください。出来る限り対応します。


追伸。このまま掲載を続け、PDF化についても拒否しないで行きます。私信での意思確認、お答えいただきありがとうございます。

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