作者より:
澤あづさ様 ご指摘 ありがとうございました。
実は わたしがくりかえし読んだ作品は、「文学極道」というサイトに書いておられたものを私の手によって ペーパーにプリントアウトをしてくりかえし読みました。わたしが繰り返し読んだものには 指摘の箇所が入っていたものを読んでいました。
しかし わたしは、「さわやかなミントの風を涼やかに目元に蓄え、定めた先に水色のまなざしを向けている。」という文ではない詩を、ここに掲載してしまいました。
文学極道さんのレスに「以下は改定前のものです」としてご本人が書いておられましたものを あわせて 掲載させていただきます。こちらには その詩文がございました。
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端麗に折りたたまれた見事な生活をそれぞれが晒している。
さわやかなミントの風を涼やかに目元に蓄え、定めた先に水色のまなざしを向けている。
生あたたかい温度にはしっかり蓋をして、静かに四隅を整えて桐の引き出しにしまい込む。
出来ないことには静かに首を振り、できることを楚々と繰り返し、その時々を咀嚼する。
遠くの山から湧き出た一本の清水で丹念に水みちをつくり、日ごと゛、適量の汗をかき、ふくよかに笑い、
小首を少し傾けて悩み、夢食い虫にならず、体内を巡る数億の血の道を日々めぐらせるための質素な食事を行い、麓に放牧された幾千の羊を数え眠りに着く。
よろこびを一つづつ紙に書き、ひとつひとつの物事を細やかに語り、それぞれがそれぞれに、指の湿度を感じながら念じられた物質の種をまく。ささやきのような、小葉を揺らす言葉が高層湿原のように数千の夜を超え、確かな物質となる。生まれた物質を皆で祝い、祝福の言葉を押し並べる。その言葉は餌となり、無味な味わいをしていたとしても、発し続けることで、言葉は物質をさらに成長させてゆく。
小さな物質を皆々が自愛の目で崇め拍手する、それは素直な心を広げることであり、自らの解放である。開放された物質は心を持ち、恩返しに来る。小冊子の中に静かに活字として埋め込まれ、不思議な薬効を発揮し始める。それらの人々は飾ることのない、いちいち些細で凡庸な事柄ですらも優しく捉え、美しく議論する。そしてそこからさらに小さくも形を持つ物質がいつも誕生し続けるのである。
まとわりつく陰湿な襞を伸ばし、それについても口を尖らせたり、なだめたりしながら動物の家族のように舐めあう。やがて物質は彼らを覆うように存在し、一種オーラのようにあらゆるものを守り始める、天空の怒りや突然の粛清、そういうものですら屈しない物質を手に入れるのだ。それは一心不乱に農民が作物を作るときに唱える豊年の祈り歌のようでもあり、しかし、それは実につまらない変哲などうでも良い日常会話から生まれる分子でもある。 ('12/05/25 07:22:22)