作品における構造概念の詐術についてのメモ/るか
 
ポイントはありません。
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- Debby
フォルマリストさんたちのことも、
たまには思い出してあげてください。
ぼくがいなくなっても
お花をささげてあげてください。

シクロフスキーさんは
きっと偉大な作家でした。
---2012/09/25 22:59追記---

フォルマリズムは、わりと重要な、少なくとも
新たな創作・批評の着眼点と捉えるに十分なものかと。
文学史的にはヤコブソンやレヴィちゃんより
功績がデカいと思うんですよねー。ヤコちゃんもレヴィちゃんも
「文学の理論」じゃないしね。
批評論としての構造主義に、そもそもレヴィちゃんって必要ないですし。どーでもいい。シクロフさんからの流れでほぼほぼ完成しきってる。というか、プロップさんがいれば、レヴィちゃんなんてマジいらねー、と言わざるを得ない。
わかったわかった、隅っこの方で斜視のジジイと殴りあってろって感じじゃないですか。

そういうわけでヤコブソンへの結実より、バフチン・ルカーチなどによる批判的継承の方が大きいだろうと思います。文学史的には。
ドフトエフスキーの構造解釈が、つまるところバフチンだったので。いやーバフチン全否定ってのは、スゴイと思います。
ドフトエフスキー作品にみるべき構造はない、ってホントにすごいご意見。文学史がひっくり返ります。

それにしても。
構造主義の端緒をニーチェとみるか、アルチュセールとみるか、ブルバキとみるか、あるいはフォルマリストとみるか、それとも教科書通りのマヌケさでソシュールーヤコブソンーレヴィちゃんのラインとみるかは人によりますが。

なんにせよ、その時代から百数十年、文学は衰退し続けているとは、スゴイご意見。傾聴に値しますね。
フレドリックさんより更に過激なご意見。大変面白く読ませていただきました。作品構造を思考した形跡がないって、私は古代ギリシアからあるように思うのですが。すごい。斬新です。感動しました。
デウス・エクス・マキナも殴り壊して火にくべるような暴論には、清新な風を感じます。アリストテレスさんもそうすべきだと言ってました。そのままどこかへ吹き去って欲しい。

---2012/09/25 23:32追記---

寂しい…。
もう少し相手して欲しかった。
…。さみしい。
---2012/09/25 23:36追記---

あれですよー。闘争的議論を楽しみたくて来たわけですよ。
構造主義系の批評論をやった人を思いっきり挑発してるわけじゃないですか、この文章。モノスゲーワクワクしてきたのに俺。
そりゃ、最後まで受けきるのがプロレス的倫理ちゃいますか?
ロープに投げたらちゃんとラリアットしましょうよ。投げっぱなしはよくない。
---2012/09/25 23:41追記---

あれですよ、僕はただの不動産業者ですよ。
ずいぶん前に学生なんて終わっちゃいましたよ。えーえー、どうせアカデミズムに残れなかった哀れな不動産屋ですよ。首都圏の中古マンションがご入り用の際には、ぜひお声掛けを。
まぁまぁ、お忙しければ次の機会でもね。実生活大事ですよね。学生さんと違って、文学にかまけてられないのが社会人のしんどいとこですよ。まったく。学生に戻りたいもんです。
 
作者より:
それ、何?
ロシア文学なら、プーシキンとかゴーリキーでしょ。トルストイであり、ドストエフスキーなんでしょ。シクロフスキーがフォルマリズムの理論家でなく作家だと認知して愛してるごく僅かな方がいたとして、そういう「瑣末な事柄」は、この稿の扱う所ではありません。勿論、構造主義の射程にはロシアのフォルマリズムも入りますよ。ヤーコブソンに結実する流れは重要だしね。
でも、そういうこと言ってるんじゃないでしょ。
---2012/09/25 18:13追記---

---2012/09/25 18:48追記---

---2012/09/25 23:29追記---
きみ、話にならないから、まあ、豊かな文学をやって下さいよ。シクロフスキーとかね、w

---2012/09/25 23:34追記---
申し訳ないが、いま帰宅途中でね。また今度伺いましょう。
---2012/09/25 23:39追記---
そう焦りなさんなよ。とりあえず、帰宅して仕事したらなんで、明日以降にでも。きみは学生ですか。失礼ですが。

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