きみらの贖罪/HAL
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- N.K. 
三木清で読んだことがあるのは文庫の「哲学ノート」ですが、孤独
について自分の内を見ている時には孤独は感じず、外を向いている
時に孤独を感じるということを言っていたような気がします。伸ば
した手を見つめてみればわかるようなことを言っていた気もしま
す。今頃になって思うのですが、孤独を感じるとはある意味他者と
のつながりを求めていることでもあると思います。そして、それ
は、ある意味自然なことだととも・・・。
- 吉岡ペペロ 
- OZZY 
孤独と錯覚してしまう事の自体ですね。
---2012/04/01 22:51追記---
- 泡沫恋歌 
 
作者より:
ポイントなど関係なしでお読み頂いた方すべてにお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
---2012/04/01 16:27追記---
>N.K.さんへ。

三木清氏が忘れられていないことに感動とN.K.さんの見識にとても嬉しく想いました。N.K.さんの仰る通りです。
ぼくは重度の鬱病にやられ人交わりができなくなり、その医師の勧めもあって愚詩を編む様になりました。
孤独を感じるのは、N.K.さんが喝破されていられる様に、他者との繋がりを求めている証です。また、チェーホフは
《恋について》の中に『孤独な生活をしている人間は、いつも心に何かすすんで話したくなるようなことを持っているものである 』
とも残しています。ひとと繋がりたいのにそれができないことが、ぼくの心が正常にならない大きな原因であるらしいです。
でも、難しいですね。静かに生活をしていくのは。
---2012/04/02 06:25追記---
>ペペロさん。

いつも読んで頂き、本当にありがとうございます。

>木島伸晃さん。

感想まで頂き、心からお礼申し上げます。

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