殺人の否定/salco
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- beebee 
- るるりら 
殺人者へ なんの差別もなく その心を 正しくないかどうかを 自分に問うそんなふうに悩む力が わたしにはないのです。人間なのだから 人間を愛せないなんてことを実現できないなんて 嫌。とっても貧しい とっても弱者だから、力がないから そんな空想も容易いのかもしれないです。ですが、とっても裕福で、とっても強者の人の中にも、 「人間なのだから 人間を愛せないなんて嫌だ。」と、思っている人に従いたいと 私は思っています。偽善者の言い訳、苦しい言い逃れで満ち満ちていても、いや 満満ているからこそ そういう人についていきたいです。そういう人には そういう香があるはずで、私はそういう人の香を嗅げる蟻になりたいです。
 人柱として楯としての実行性?わたしは蟻なので、そんなに難しいことは 考えられないです。しかし、何度も差別によって、人に殺されるような思いをしてきた人が居たとして、、けれど それでも その人が人間のことを、どうもとても愛しているんだようだ。 そんな気がするという理由だけで、わたしは蟻なので、たぶんついてゆきます。


---2011/07/27 08:26追記---
- 中川達矢 
- 恋月 ぴの 
- 高梁サトル 
 
作者より:
森朝様 : お目に留めていただきありがとうございました。 
beebee様 : お目に留めていただきありがとうございました。 
るるりら様 : お言葉も下さりありがとうございました。私も殺人犯の心理はわかりませんので、恐怖心からの差別は私にもあります。
私は性向的サディストではありませんが、自分自身の支配欲や高揚を検証してみるとシンパシーは感じます。理解不能では決してないと思えます。
が、まだまだ考えが至りません。これからも考えて行こうと思っています。 
「人柱として楯としての実行性」これはまあ、身を挺して子を守る親もそうで、決して縁遠い事でもないのですが、これを見ず知らず他人の為にできる人は僅少ですよね。広義には出征兵士や特攻隊などもそうですが。
ばかもの様 : お目に留めていただきありがとうございました。 
恋月 ぴの様 : お目に留めていただきありがとうございました。
高梁サトル様 : お目に留めていただきありがとうございました。 
中之島公園力様 : お目に留めていただきありがとうございました。

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