現代詩をそんな読み方してないゆえに/KETIPA
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 雅 羊々 
 大変意味のある散文だと思います。

>この感じが共有できる気はしない(言語化出来ないから)
 共有というのも言語というもののみを通じてされるものではなく、例えばロックコンサートで体を踊り乱している人々には、彼らの間で何かを共有されていると見てよいのではないでしょうか。「LIVEの一体感」ということを彼らはよく口にしますが、これは比喩でもないでしょう。
 仮にその感じを言語化(言語化というよりも、「感じ」を「誰にでも経験できる感覚体としての言語集合体」化)できたとすれば、その人は名批評家になれます。岡部さんはそれが出来れば哲学史が一変するとおっしゃっていますが、実際には「感じの一般言語化」それだけでは哲学を一変することには不足で(精々名批評家を生む程度で)、つまり何が不足なのかというと、その前の段階、「その感じを誰しもに等しく感じさせる」段階があって大変な何かを生む素地が整うのだといってよいと思います。
 それが可能かどうかは知りません。と言うより「完全に」実現されるということを言わなければ、程度により既にこの世に実現されていることです。名批評家が要るという事実がそれを語っています。セザンヌにこういう言葉があります「ボードレールの絵画批評は実に呆れたものだ。ちっとも間違いがない」

 因みに最果タヒさんの作品はどうも不幸な方の匂いがするので私はちゃんと読んでいません。それはどうせ共有するなら良いもの、幸福なものをと望むからという個人的な指向のためです。不幸の方は嫌になるくらいには受け入れてきましたので。

 もう一つ私事ですが、私はこちらで詩を書かれている方のとある作品に感銘を受けて、批評詩とでも呼ぶべき散文を書きました。感動を逃がしたくないという願望から得られた形式です。

ヨキ氏「アルムラの葬列」へ捧ぐ
http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=3887
- ……とある蛙 
完全に正しい と思います。
- 光井 新 
- 沙虹 
- 角田寿星 
- 相田 九龍 
- いとう 
済ませてたりします。(自分が先人という意味ではなく)
- 鵜飼千代子 
>それらはおれが現代詩に感じる感動の要素ではない。それは単なる解説であり
>解釈であり、クラシック音楽における「この作曲家はこれこれこういうことを表現
>しようとして」という類のものと大差はない。そんなこと知らなくても読み取れなく
>ても、それでも心を奮わせるものしか、今のところ受けつけていないし受けつけ
>ない。そしてもしかすると、こういう読み方をしている人は多くないのかもしれな
>いと感じている。実際のところはわからない。

わたしがパソコン通信のニフティーサーブ現代詩フォーラムに来たときに、やはり、周りの方が何を基準に話をしているのかわからなくて、その時紹介された本なのですが、「詩のレッスン   現代詩100人•21世紀への言葉の冒険(小学館)」はご存知ですか?その冒頭で、入沢康夫氏が「魂の探査衛星」という題の散文で同様の事を書かれています。迷っていないと思います。書店には並んでいないかもしれませんが、アマゾンではまだ古本が買えるようです。興味を持たれたら、ぜひ。共有すべき、現代詩フォーラムの財産として、お伝えします。
- 杠いうれ 
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- ヨルノテガム
こんにちは— ちょっとちゃんと
読んでないかもしれませんが
作者さんも 絵をかきますよね
絵の感動と小説の感動と音楽の感動と色々在って
その中で何かしらの共通項のような感覚、異次元の
ような感覚を体験した時 私は感動を覚えます
感動というより 畏怖 畏敬 といった表現が
今は好きです 敬う という漢字がしっくり来てます
僕は始め 絵を描いてて 人が集中した時の入ってる状態
の作品が気になって 半分思い込みなのかもしれませんが
言葉の羅列にも そういうノッテイルものがあれば
面白いと思いますね そういうのは何かしらの効果や
美観やビジョンが単純に明快にあるものだと思います
作者さんが 感動をしたこと無い というのは
イイナと僕は思ったりもします 感動や共感の沸点が
低いより高い困難な方を好みます 感動は個人的なものだと
思うのですがそれを作者なりに探求して欲しいと思ってます
あ ちょっと的外してるかなぁ
- テシノ
まず始めに、この散文の主旨に迫る内容のコメントではない事をお許しください。
非常に個人的な事で恐縮なのですが、私があなたの詩を読んでいる時に陥る感覚を一部文章化していただいたように思います。
「描く」と「書く」の狭間のような揺らぎにドキリとさせられるようなものは、私にとっては稀です。
「感じる」というより「落ちていく」とでも言いますか。
こちらを読んで、あなたの詩を読むたび「?」となっていた自分に得心できる部分がありました。
快感を覚えるという点ではある意味特殊な状況を、私に与えてくださる事にこの場を借りて感謝します。
押し付けるようなコメントですが、申し訳ない、押し付けさせてください。
 
作者より:
皆さんコメント、ポイントありがとうございます。テーマが多分に抽象的なので、なかなかどう伝えたらいいのか苦労しますが、手探りで返信させて頂きます。

askfortigerさん

「読んで解釈する」ことによって、「感動」(微妙にずれた表現かもしれないけど)を説明できるかどうかが気になるところです。というか、理論的解釈と詩の作用(感動?)との関係性が、個人的にはいまひとつわかりません。全然別物なんでしょうか。

ヒヒョーカは馬鹿にしてないですよ。人によっては、気づかなかったことを提示してくれるので、非常にためになります。「言語化不可能な感動」といっても、それについて語らせると一人ひとり違う感覚のことを指しそうな気がします。同じ対象に対して感じるものである以上、ある程度似てくるとは思いますが、微妙にずれた感覚に対して議論をするとなると、困難が伴いそうですね。

もっと評価されていいなんて、恐縮です。ありがとうございます。


雅 羊々さん

「LIVEの一体感」は、感覚の共有という意味では近いですね。ただどうでしょう、おそらく同じ音楽を同じ場で聴いても、それを受け止める側が同質でなければ、やっぱり個々人で微妙に感じ方が異なっている気がします。結果的なアウトプットは同じ表現(踊り狂う)だったとしても。
個人的にロックもよく聞きますが、ロックとかが好きな友達が低音のよさを語るのに対して、私はあまり低音を重視しません。また歌詞も聞き流しているので、おそらく全員と共通のフィルターを通して音楽にふれてはいないと感じています。そのフィルターの違いは、ひょっとすると誤差程度の感覚差しかもたらしてないかもしれませんが、「その感じを誰しもに等しく感じさせる」ことを妨げることもあるかもしれません。自分のフィルターや他人のフィルターの構造がどうなっているのか、どこが違うのかを窺い知れたら、その言語化にも近づけるような気はしますが、うーん。

個人的には最果さんの作品から不幸を感じ取ることはそんなにないですね。おそらく私は、あのような詩から具体的な感情を得ることができないようです。文をパチッと、時には酷なほどはっきりと切り替えられてしまう、その断面のような感触のほうを強く感じます。

『ヨキ氏「アルムラの葬列」へ捧ぐ』拝読しました。この批評詩や批評対象の詩について、私は何もいうことが出来ません。「ちっとも間違いがない」からです。そしてまた、間違いがなければ感動できるかというのも、気になるところではあります。


……とある蛙さん

この文章の意味がわからないと感じる人もいるでしょうが、少なくとも私にとっては完全に正しい文章です。


ヨルノテガムさん

「何かしらの共通項のような感覚、異次元のような感覚」は、誰かの作品に感じることはあっても、自分の作品にはなかなか感じられないというのが正直なところです。ちなみに私の場合、そういう感覚は畏怖や畏敬というより、もっと肉体的、電気信号的(あるいは血液的)な感覚だと感じているので、それを精神的な次元に持ってこれないでいます。

感動や共感の沸点が高いというか、共感のポイントがどこなのか自覚(そして説明)できないため、見かけ上困難になっているだけだと思っています。理由の説明できない感動に対して、簡単でありきたりな、説明の不十分な解釈で片付けたくないと思っているので。そう思っているからこそ、こんな文章をかいたんだと思います。


テシノさん

私の詩からそのような感覚を受けているということに、驚いたのと同時に嬉しく思います。もしかすると、私が自分の詩を読んだり書いたりする時とかなり近い感覚を持っておられるのかもしれません。「「描く」と「書く」の狭間のような揺らぎ」というのは、なかなか的を射た表現のように感じます。

自分の作品で好きなほうに入る詩(そしてあまり評価されてはいない詩)に「断面はあたかも泣いているかのように」があります。荒削りではありますが、あの詩を自分で読んでも「落ちていく」というか、からみついてくるというか、そういう感じがあります。テシノさんが言っている感覚が、それに近いものなのかを確かめることは出来ませんが、「引きずりこまれた」というコメントをあの詩にいただけて嬉しく思います。この場を借りて感謝します。ありがとうございます。

押し付けられたというか、ありがたく受け取らせていただきました。これからも、機会があればよろしくお願いします。

---2009/11/17 00:26追記---

いとうさん

ここまで言語化しないまでも、うすうす感じてるという人も多い気がしてきました。
もしかすると一人ひとり別の回答があるのかもしれませんね。

---2010/01/21 22:00追記---

鵜飼千代子さん
「詩のレッスン 現代詩100人•21世紀への言葉の冒険(小学館)」は知りませんでした。先人の議論として是非読みたいと思います。ご紹介ありがとうございます。

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