私論・詩論・試論/……とある蛙
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 月乃助 
わたしは、何のために詩を書くかからはじめ、
思いを異化でなく、言葉に同化させる方向で考えますが・・・
- 小林 柳 
確かに、難解で、何を伝えたいのか全く分からない詩も見受けられます(あくまで私にとってであり、
誰かにとって私の詩がそこに含まれることもあるでしょう)。
一方で、あまりに単純で、実用文と何ら違いはない「詩」もあります。
あるいは、メッセージを持たず、言葉の音や、語感を楽しむ、
いわゆる言葉遊びのための詩もあるのではないでしょうか。
詩を何ととらえ、何のために書くかは、個々の自由に任せるしかありません。
詩を通して何かを読者に伝えたいと思う人は、自分なりに工夫をこらして「異化」し、
同時にわかりやすさを追求するということになるのではないでしょうか。
- 生田 稔 
- こめ 
- いとう 
- 三奈 
- 相田 九龍 
- ダーザイン 
荒川洋二は全く評価できないが、貴殿の言説は評価できます。概ね賛同です。韻律については、七五調は窮屈で論外だが、すぐれた自由詩は自らの韻律を持っているものです。

ただ、言わなくても解っておられることだろうが、道理が先にあって文章を書くわけではないですね。算術ではないのだから。傑作は、神降ろしのようにやってくる。それをちゃんとした作品にできるかどうかが筆力であり、論理は超越が内在化されていることによって作品に火を灯します。
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- テシノ
以前は韻律を気にしてガチガチになっていたのですが、こちらを拝見するようになって「自由でいいなぁ」と思うようになりました。考えさせられます。いやまぁ私の場合、それ以前の問題なので、こちらにこんなコメントするのも非常におこがましいのですが…
- 瑠王
自分が書いているものが、本当に詩と言えるものなのかと考えた事があります。"詩っぽいなにか"であって、詩とは言えないのではないかと。
現代という背景があり、芸術という幅の自由度が増し、アートを名乗る表現が飽和している中で、何が本当の芸術であるのかがわからなくなってしまっているのではないかと思います。
詩の話ではないのですが、古典美術を主とする彫刻家の友人がこんな事を言ってました。

今では面白い事をやれば技術は秀でてなくとも現代アートとして受け入れられてしまう。時々、自分がどういうものを創るべきかわからなくなる、と。

自分も仕事柄、技術を差し置いて発想に助けられてる部分があるので大きい口は叩けないのですが…。

正直な話、自分も詩を書くときに技術的なものはほぼ考えていないと言えます。
以前に讃美歌の韻律を参考に書いたことはありますが、それもその場限りの実験的なもので、殆どのものは意識せずに書いてます。

詩というものがなんなのか曖昧であるうちに、現代詩というフィールドに立ってしまったのかもしれません。(立ってさえいるのか)

ひょっとして、ちょっと外れてしまったかもしれませんが、こんな風に思いました。まだ考えがまとまらず、考え中です。
長々とすみません。
ポイントどうこうの内容ではないかと思ったので、あえてこちらに。
失礼しました。
 
作者より:
月乃 さん コメント・ポイントありがとうございます。
>わたしは、何のために詩を書くかからはじめ、

 私の詩作の目的は楽しむという一点です。しかし、読み手の立場として書き手に意識してほしい部分を書いてみたのです。もちろん自分でも方法論としては意識しますけど。もっと才能のある人が、おもしろい詩を書いてくださればそれはそれでよいと思っています。

為平 澪 さん コメント・ポイントありがとうございます。
>昔は、韻律をふんでなんぼの詩が唄として、覚えやすく童歌になりました。

 韻律があって楽しい詩があればいうことないです。韻律がなくても興味深い詩もたくさんありますが、理解できない詩もたくさんあります。

道 さん コメント・ポイントありがとうございます。
>詩を何ととらえ、何のために書くかは、個々の自由に任せるしかありません。
>詩を通して何かを読者に伝えたいと思う人は、自分なりに工夫をこらして「異化」し、
>同時にわかりやすさを追求するということになるのではないでしょうか。

 読み手を考えることも必要という話であってこうしなければと言うことを書いたつもり はないのですが。私の文章力のなさだと思います。

羽根 さん コメント・ポイントありがとうございます。
>私はただ心に思ったことを吐露しているので

 みんなそうだと思います。
 私などと比較にならないくらい羽根さんは素晴らしい詩を書いていると思います。
 私は楽しみとして詩を投稿するつもりですので、そのように書かれると心苦しくなって しまいます。

批評人 さん ポイントありがとうございます。

テシノ さん コメントありがとうございます。
 結構実験的なものも多いようです。私もいろいろ試しています。

皆さんの考えも何となく聞きたかったので、不十分ながらこんなものを投稿しました。
結局 詩の良し悪しは多くは、作者の感性に関わってくるとは思います。テーマや対象の捉え方や切り方が一番大事だとは思いますが、読み手としてはこんなことも考えています。
 また、頭の中がうまくまとまるようになれば書きたいとは思っています。

重ねてありがとうございました。

---2009/09/15 09:30追記---
こめ さん ポイントありがとうございます。
Em さん ポイントありがとうございます。
ANYWHERE さん コメントありがとうございます。
>自分が書いているものが、本当に詩と言えるものなのかと考えた事があります。"詩っ ぽいなにか"であって、詩とは言えないのではないかと。

 詩と呼ぼうがなんと呼ぼうが自由だと思いますが、言語表現として散文、伝統的な定型詩(短歌、俳句など)を除いた自由なものは詩と呼んでいるようなので便宜上自由律詩としました。なんでもよいのですけれど、表現行為である以上読み手を意識すべきと考えています。
技術的問題というより意識の問題で表現に工夫は必要だと言いたいわけで、自分自身十分だとは思っていません。
がんばりましょう。
---2009/09/17 09:35追記---

Xiao さん コメント・ポイントありがとうございます。
>ぽとっ。と落とすように言葉を渡したいですね。

心がけたいです。気づいてもらえるように何かを語ることも必要ですが、いろいろ誤解されても良いような詩も書きたいです。

梨薇 さん いつもポイントありがとうございます。
吉田 雨 さん コメント・ポイントありがとうございます。
 お疲れ様。「芸術のための芸術」でなくて、理解されない場合無理矢理芸術だと行って慰めてるいるとも思えます。芸術の定義にもよりますが、前衛と言うことも誰かが解説してくれて一般の人が納得できる範囲で成立するもので、一人呟いても芸術にはなりません。
仲間内で納得しあってもやはり同様だと思います。
---2009/09/19 22:41追記---

いとう さん ポイントありがとうございます。
 考えるきっかけになればと思います。
---2009/10/03 10:33追記---
三奈 さん ポイントありがとうございます。
近藤孝次 さん ポイントありがとうございます。
相田 九龍 さん ポイントありがとうございます。
オーカバ さん コメント・ポイントありがとうございます。
>その時代を生きた良いモノは必ず残るものだと思います。

 同感です。時代相は文芸作品に必ず反映するものだと思います。
>高尚過ぎて、生きないままに伝統になってしまうのは残念です。

 高尚だとは思ってはいません。読者が一人もいなければ独り言ですし、自分の内部にあるものを外に披瀝するわけですから、ゲスも高尚もないと思います。
 でも詩は好きです。いろいろ発見もありますし、いい勉強もさせてもらっています。
ハイ。

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