作者より:
月乃 さん コメント・ポイントありがとうございます。
>わたしは、何のために詩を書くかからはじめ、
私の詩作の目的は楽しむという一点です。しかし、読み手の立場として書き手に意識してほしい部分を書いてみたのです。もちろん自分でも方法論としては意識しますけど。もっと才能のある人が、おもしろい詩を書いてくださればそれはそれでよいと思っています。
為平 澪 さん コメント・ポイントありがとうございます。
>昔は、韻律をふんでなんぼの詩が唄として、覚えやすく童歌になりました。
韻律があって楽しい詩があればいうことないです。韻律がなくても興味深い詩もたくさんありますが、理解できない詩もたくさんあります。
道 さん コメント・ポイントありがとうございます。
>詩を何ととらえ、何のために書くかは、個々の自由に任せるしかありません。
>詩を通して何かを読者に伝えたいと思う人は、自分なりに工夫をこらして「異化」し、
>同時にわかりやすさを追求するということになるのではないでしょうか。
読み手を考えることも必要という話であってこうしなければと言うことを書いたつもり はないのですが。私の文章力のなさだと思います。
羽根 さん コメント・ポイントありがとうございます。
>私はただ心に思ったことを吐露しているので
みんなそうだと思います。
私などと比較にならないくらい羽根さんは素晴らしい詩を書いていると思います。
私は楽しみとして詩を投稿するつもりですので、そのように書かれると心苦しくなって しまいます。
批評人 さん ポイントありがとうございます。
テシノ さん コメントありがとうございます。
結構実験的なものも多いようです。私もいろいろ試しています。
皆さんの考えも何となく聞きたかったので、不十分ながらこんなものを投稿しました。
結局 詩の良し悪しは多くは、作者の感性に関わってくるとは思います。テーマや対象の捉え方や切り方が一番大事だとは思いますが、読み手としてはこんなことも考えています。
また、頭の中がうまくまとまるようになれば書きたいとは思っています。
重ねてありがとうございました。
---2009/09/15 09:30追記---
こめ さん ポイントありがとうございます。
Em さん ポイントありがとうございます。
ANYWHERE さん コメントありがとうございます。
>自分が書いているものが、本当に詩と言えるものなのかと考えた事があります。"詩っ ぽいなにか"であって、詩とは言えないのではないかと。
詩と呼ぼうがなんと呼ぼうが自由だと思いますが、言語表現として散文、伝統的な定型詩(短歌、俳句など)を除いた自由なものは詩と呼んでいるようなので便宜上自由律詩としました。なんでもよいのですけれど、表現行為である以上読み手を意識すべきと考えています。
技術的問題というより意識の問題で表現に工夫は必要だと言いたいわけで、自分自身十分だとは思っていません。
がんばりましょう。
---2009/09/17 09:35追記---
Xiao さん コメント・ポイントありがとうございます。
>ぽとっ。と落とすように言葉を渡したいですね。
心がけたいです。気づいてもらえるように何かを語ることも必要ですが、いろいろ誤解されても良いような詩も書きたいです。
梨薇 さん いつもポイントありがとうございます。
吉田 雨 さん コメント・ポイントありがとうございます。
お疲れ様。「芸術のための芸術」でなくて、理解されない場合無理矢理芸術だと行って慰めてるいるとも思えます。芸術の定義にもよりますが、前衛と言うことも誰かが解説してくれて一般の人が納得できる範囲で成立するもので、一人呟いても芸術にはなりません。
仲間内で納得しあってもやはり同様だと思います。
---2009/09/19 22:41追記---
いとう さん ポイントありがとうございます。
考えるきっかけになればと思います。
---2009/10/03 10:33追記---
三奈 さん ポイントありがとうございます。
近藤孝次 さん ポイントありがとうございます。
相田 九龍 さん ポイントありがとうございます。
オーカバ さん コメント・ポイントありがとうございます。
>その時代を生きた良いモノは必ず残るものだと思います。
同感です。時代相は文芸作品に必ず反映するものだと思います。
>高尚過ぎて、生きないままに伝統になってしまうのは残念です。
高尚だとは思ってはいません。読者が一人もいなければ独り言ですし、自分の内部にあるものを外に披瀝するわけですから、ゲスも高尚もないと思います。
でも詩は好きです。いろいろ発見もありますし、いい勉強もさせてもらっています。
ハイ。