軽さへのあこがれ/佐々宝砂
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 佐々木妖精 
- FUBAR 
胸筋は、
おそろしいほどですが
- たりぽん(大理 奔) 
- 因子 
最後の部分がとてもすきです。
- Etuji 
- 未有花 
- 石瀬琳々 
- 大村 浩一 
- あおば 
- 右肩良久 
- ここ 
- kauzak 
- よしおかさくら 
- 恵理 
- ルナク 
- 風音 
- soft_machine 
- Rin. 
- norif 
- 藤原有絵 
- 月下美人 
- 夏野雨 
- ましろ 
きっと捨てずにやっぱり大切に守っていらっしゃるのでは…
と思いました。
- 六一介 
- ピッピ 
最初の4行だけでも凄いと思った
- 望月 ゆき 
- ukiha 
- 妖刀紅桜 
- Affettuoso [アフェットゥオーソ] 
考えさせられました。
- 暗闇れもん 
- 鎖骨 
- matu 
- 黒田人柱 
- 服部 剛 
- 高島津諦 
- 士狼(銀) 
- 夢乃 綴喜 
- さわ田マヨネ 
- モリマサ公 
- 皆月 零胤 
- フミタケ 
-  
- 只野亜峰 
- すみたに 
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- こしごえ
コメントのみにて失礼致します。

ずっと以前、車にひかれて死んでいたサギを見つけて、道路の脇の桜の木の下へ抱きかかえて運んだ事があります。

とても大きい鳥ですが、ほとんど重さを感じる事がないくらい軽いと感じたのを覚えています。
ただ、そのいのちは重さでははかりしれないものがあるのだとも、おもいます。
---2008/03/18 09:19追記---
あっ、念のために追記しますが、この詩を否定などするつもりはありません。
こういう体験をした事があって、こうおもいます、という事を佐々さんへお伝えしたくてコメントした次第です。
_( )_
---2008/03/18 09:25追記---
私の伝えたい事をくんでくださったようで有り難くおもいます。

あえて再び追記します。

「この詩」に関して言えば、重さや「捨て去った」もの(こと)などを(私広茂が)軽く見ているわけではありません。
この点は、可能な限り感じてくみたい、とおも(思・想)います。
---2008/03/18 19:13追記---
- 片 一
初めまして!
この詩を読み始めた時、「来た×2」と思っちゃいました。
それは感動や感傷的なものではなく、単に「巧い」という思いです。私にとって、詩を読むことで得る「感動した」や「ついつい感情が…」といった純粋な感傷の時間よりも、「ぬぅおー巧っ」と心から感じることが最上の時間なんです。
こういうかたちでコメントを残させて頂きます。

    かけら はじめ
- るるりら
ポイントなしで失礼します。鳥がいろんなものを捨てたとは思えなくて 人も得れば飛べると個人的には思っていて。
けれど、解る。この詩の示唆しようとしていることは 解る気はしたのだけど。にもかかわらず、解るといいたくないなとポイントいれませんでした。。鳥の骨は 脆くはないと感じていて、構造物って空洞持つと丈夫になることはあるやないかなとか。私の飛翔への憧れが すねてしまったのです。

ですが、今日この詩のレスを読んで、これは軽さへの憧れであって、飛翔ではないというくだりを読んで、なんとのう合点がいきました。 わたしは わたしのグラムを捨てたいなと。
 
作者より:
わたしもおそろしいくらいの胸筋がほしいです。

私は瀕死のカラスを河原に運んだことがあります。やっぱりとっても軽かった。でも、重かった。だから広茂さんの言いたいこと、わかる気がします。
---2008/03/21 22:26追記---

私は本気で軽くなりたいのですが、難しいようですねー
---2008/03/23 22:00追記---

私が抱えているのは体脂肪とかです。
胸筋ほしいが体脂肪はいらんー
---2008/03/23 23:06追記---

さんきゅーべいべー(←軽くなろうと努力中)

この詩はあくまでも「軽さ」へのあこがれ。
「飛翔」へのあこがれではないのです。

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