いびつな箱/伊那 果
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- あおば 
- しろいろ 
1首目と7首目がすてきです。
- Rin. 
- ルナク 
- 紅林 
 
作者より:
>孤蓬さん

すみません、私にはあまり違和感がないので、としかいいようがないです。
1首目は「見送っている」という表現でもいいんでしょうが、ほかの人の選択に対する「我」を際立たせたかった、という部分があります。私は「我」という表現が、短歌で使うのにそれほど違和感がある表現だとは思いません。「たり」も同じです。
---2008/03/05 02:23追記---
>あおばさん、しろいろさん、ありがとうございます。


---2008/03/05 22:39追記---
>孤蓬さん 現代短歌には現代短歌としての表現があってもいいんじゃないでしょうか。

 小説だって歌だって、「不自然な表現」のオンパレードです。
 斉藤美奈子が茶化して書いていましたが、ハードボイルドのようなしゃべり方をする男なんて、まずいないですよね。ドラマだって同じです。「自然な日本語」だけが表現手段ではないでしょう。
 私は「歌人」ではないし、楽しみの一つとして短歌をやっています。
 孤蓬さんがそういうスタイルが好きでないのはわかりますが、そういうのがぴったり来る人だっているわけで。人それぞれ、でいいんじゃないかなーと思いますよ。
 

---2008/03/06 21:03追記---
>孤蓬さん 好みは人それぞれだと思います。こだわりを大切にされてくださいね。


---2008/03/07 16:56追記---
>孤蓬さん 逃げとか、言い訳とか、そういう言い方は残念ですね。

 私はインターネットでの議論、特に知らない人とはとても難しいと思います。
 それに、1対1で論争しても、袋小路に入ってしまうだけで、生み出せるものは少ないと思います。こういう議論は、歌会とか、相手のバックグラウンドも認識した上での紙面上の論争とかの方が適しているでしょう。
 ほかの方へのコメントや、作品を見せていただきましたが、孤蓬さんは現代詩や、現代短歌の世界とは一線を画した、ご自分の世界をきちんとお持ちなのでしょうから、それを大切になさってください。

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