「わかる」ということと「リアル」について/大覚アキラ
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 塩水和音 
例えばたまらない眠気を感じていても、その「眠気」や「眠気を感じている自分」を疑うことは出来ますが、結局眠ってしまうのは、眠った方が気持ち良いからですよね。
原理的には全ての判断は信仰でしょうけれど、それが何に基づいているかというと、肉体的な感覚というよりは、「快・不快」というか、広い意味での「欲求」であるような。気がします。
- ソティロ 
あ、あれっすね「腑に落ちる」。
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- 箱犬
もしも世界がCGで出来ていて、知覚や味覚、触覚なども電気信号で
脳に送られるものだったとして、実は僕はカプセルの中で転がって
いるだけだったりして。

まぁ、映画でも有名な「マトリクス」な世界の話ですが。

極端な話、傍から見て「こいつはなんて世界が小さいんだろう」
と思われたところでその人にとっての世界はそれが全てですし、

「わかった!!」とかエウレカとか叫びながら裸で走り回って
万歳三唱しても実はその人全くわかっていなかったりしたり
するんですよね。


リアルとかわかったと言う感覚は自分自身にしかわからない事。
超現実よりもむしろ精神論に近い気がする、と言うのが僕です。

僕が来ましたよ。

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