続・風のうしろに風はない/佐々宝砂
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- いとう 
別に批判や批評が禁止されている場所ではないので、このような文章を書くのは自由ですが、私としては批判や批評をされたくてこの場所に文なり詩なりを載せているつもりはないので、先の私の文章は削除します。
事前に言っておきますが、「発表したものがどのように扱われようが云々」という話はよく聞きますし、またそれも一理あると思っています。なので当然、初出のURLを引っ張ってきてそれに対する批判であるなら、私としては何の問題もありません。お好きにどうぞ。それとは別の理由、感情から削除するものです。それについて尋ねられてもそちらに上手く説明できる自信がありませんので(理解してもらえるとは思っていないので)、理由は聞かないでください。

追記:文の内容自体については、「そういう見方もあるだろう」程度に思っています。
さらに追記:
「削除するという行為はその批判自体をまったく無効にしてしまう」というご意見をいただいて、確かにそのとおりであると思ったので、こちらに初出URLを出しておきます。(敢えて言うなら、この場所が初出であるなら削除はしていません)
http://po-m.com/inout/06ito.htm

(みつべえさんは大人だなぁ(笑)。学ばねば)
- みつべえ 
うまく言えないので他人の言葉を引用しますが、詩には「ひとつのことを欲しながら敵対者の演技を演じるというイロニカルな精神の運動(原子郎)」のようなものがあると思うんですよ。両者の言いぶんはそのへんの機微にふれた感じ。ともあれ、キャッチボールして遊びたかったのに今日はそんな気分でないとソッポむかれたみたいで、心情的には佐々さんの味方です(笑)
 
作者より:
まだどうしようか決めかねているので、ひとまずは削除も書き直しもしないでおきます。Ohatuさんの「相違点は、「詩の定義」の違いによるもの」という意見は、もしかしたら大正解なのではないかと思います。私は、たもつさんの詩評を一通り終えたら(まだ終わりそうにないですけど)、次にいとうさんの詩の批評をするつもりでおりました。無論、批判だけをしようと思ったわけではありません(私は「批判」という言葉そのものからして嫌いなんですけど……まあそれは関係ないですけどね)。

私は詩評をするにあたって、まずはいとうさんを理解しようと思ったのです。いとうさんの「詩の定義」がいかなるものか、いとうさんはどのような思いで詩を書いているのか、いとうさんが目標としているのはどのあたりか? そのあたりまで読みこまないと、突っ込んだ批評などできないはずだと私は考えています。で、いろいろ読みましたよ。いんあうとの散文はもちろん、「シの灰」のバックナンバーまで読みました。で、てはじめに軽く、と思って投げたボールがこうなっちゃったので、がくぜーんとしてしまったというのが本音です。「尋ねられてもそちらに上手く説明できる自信がありませんので(理解してもらえるとは思っていないので)、理由は聞かないでください。」といういとうさんのカキコを読んで、さらにがくぜんとしてしまいました。

私のボールの投げ方がいけなかったのか。それとも突然ボールを投げたのがいけなかったのか。場所が悪かったのか。いんあうとで書けばよかったのか(でも、途中で検閲があるとこで書くの苦手なんです、私。試してみたけど、ろくなもん書けないとわかりました)。ともかく今はどうしたらいいものかわかりません。

5/4 つけくわえ
「いん・あうと」に検閲がある、という言い方にはデリカシーがないと意見をいただきました。まさしくその通りデリカシーのない使い方でした、「いん・あうと」には検閲システムのようなものはありません。いん・あうと関係のみなさん、申し訳ありませんでした。

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