人が自由を奪われるってのはね、生きていても生きている感じがしないとかそういう体験の恐怖なんだと思う。/石川和広
石川和広さんのコメント
ふるるさん、ありがとうございます。いや、ネットでも新聞でもそうですが、あるいはファシズムもそうなんだけど、豊かな層がやっているというのもあるけど、実は多くのつよくならねばならぬ教は、多くの苦しんでいる人を煽りまきこんでいっているように思います。

たぶんそれは、実は僕も人間は勇気があるのはかっこいいと思っています。
でも、多くの人がいう強さは「どんなことがあっても、負けてはならない。最後の一兵まで戦う」式のまるで軍隊式の論理に似ています。しかしマスコミだって憎悪を煽ったって責任なんてとりません。みんなしんどいばかりです。

その強くあるべきみたいな規範に従ってやせ我慢し続けるのは自殺行為です。僕も今でもそういう部分はありますよ。頭いい方が勝つとかそんなことマダ思い込んでいる。

もちろん誰しも譲れないものはあります。それどころか自分はきちんとやっていると、素敵だと思いたい。それはごくふつうなことです。しかしその自尊心というか、自他への肯定感情を破壊されたりする中で生きてきた人が頑なになりやすいのだと思います。だからその破壊されたり、嫉妬や攻撃を煽る社会や、その環境自体にも相当問題があると思います。人間も生き物ですから、ふるるさんも昔言っていたように攻撃性があります。攻撃性をあおられずに自分の生活を続けていく。しかるべき場面でフェアに向けることがない場合それは混沌になるんだと思う。
いやもう俺も言いたい放題なんですけど、根源的な意味での攻撃性は、実は芸術や宗教や社会活動全般の構成要素のひとつではあると思っています。ふるるさん、コメントありがとう。助かりました。

重ねて言いますが、自尊感情とか、自分は生きているとか、そういうのはあるのがしぜんです。それが他者に対する脅威になる危険性はいつでもあるのです。

---2009/04/09 16:22追記---

ソティロさん、ありがとうございます。そうなんです。同感です。なんかこっちの水は甘いぞみたいな話になっていますよね。で、結果それぞれがどういうふうに生きているかということが見えなくなってしまうわけです。

ふるるさん追記ありがとう!いや、ふるるさんは決断力があると思っています。僕は大胆さがないので、ぐずぐずになってもいます。

それとふるるさん、ソティロさんのお話全然かまいません。むしろこの散文を書いてお二人が意見してくれたことが僕にもとっても参考になっています。お二人ともありがとうございました。

これは追記ですが
うちの家族で、父も母もどっちも何だかなあと思うときもあります。例えば喧嘩していたら、オヤジいいすぎ!とオカンも言いすぎって思うときがあって…
ただ俺もええ年した人間なので、だからどっちもどっちという感じよりは自分は男として育ってきたけど、女の人だけでなく他人と共に生きるって難しいなあって思います。大体俺は自分が一番偉いと思う自己中なので、だからすぐ自分の思うとおりにいかないとこでイライラします。

恋愛、俺の場合異性が恋愛対象になりがちですが、なかなか難しいもの、苦労します。でも、相手から見たらきっと僕のことを始末に終えないなあと思っている部分もあると思いますが。それはみえないんです。
いやわかっていても、意地になるんです。それは人間であれば同じです。ただ、背負ってきた役割やなんかあるいは自己形成の仕方がちがうので、カチンと来るときもあるわけです。俺はどうしてもそういうとき男目線なんだなあと思います。

---2009/04/09 16:43追記---

岡部淳太郎さん
北村守通さん
三枝フウさん
ありがとうございます。
---2009/04/10 08:03追記---