くだる/るるりら
アラガイsさんのコメント

「くだる」地方紙の文芸選辺りに投稿されれば入選として評価されるかも知れない。さすがにしっかりと書かれてはいます。それはさておき、るるりらさん、昔からのお知り合いなので私なりにちょっと厳しい見方をさせていただきますよ。
あの、という連体詞が多く用いられていますが、これは意図的なものでしょう。くだる、とタイトルにもあるので、このことは過去への想い、つまり語り手の胸のうちに眠る記憶から情景を抜きとってイメージにされていると思うのです。
読めば、家族と暮らした子どもの頃の情景や二章と置かれた「さらに、くだり」では平成という時代を背景に、わたしは指の仕草を絡めながら縄文土器の形が一時代の象徴として語られています。平成を思い返すわたしの心境として。いまではひっそりと暮らす数も少ない子供たちを眺めては、にぎやかに暮らしたわたしの子どもの頃の情景を重ねて。無骨にも色鮮やかだった花のような子どもたちとわたし。それは、いまでも胸に残る、あの橋の向こう、と。 つまりここでは語り手の遠い過去をくだりながら現在の心境として、(あの)は内実の遠距離を示すように用いられているわけです。
しかし語り手自身の遠距離感を示すだけでよいのか、とも思われてもきますね。イメージ的に遠近法的な見方をすれば。
それは情景としての空気感がいま少し乏しいからです。あの、が在ったのならば、この、近距離がなくてはならない。このことは現況を示す心境としては語られています。では情景としてどうでしょうか? この、とは近景なのです。この、もちろん用いるのは必要ありません。その代わりに実際に眺めみたような景色は具体的に必要にもなってくる。たとえば橋を渡る今では崩れかけた灰屋、傍らに咲く花は何の草花たちなのか等々。このことはむろん創作でもかまいません。そのようにイメージさせてもらえば(あの)はもっと活きてくるはずだと、わたしは思いました。