そのとき光の旅がはじまる/yo-yo
アラガイsさんのコメント
拝見いたしました 。どこまでも続く線路のように、甦る遠い記憶への回想は、消えてしまった祖母や駅舎の面影を慈しむ。毛糸玉や古い服、土手のヨモギといった子供の頃の思い出が、どこまでも記憶をつなぐ二本の線路を旅するように語られています。主題は記憶の中を旅するように「そのとき光の旅がはじまる」閉じ込められた風景が、ビー玉のガラスに反射して映し出されるように、光と甦る子供の頃。あくまでも語り手に寄り添いながら発語される言葉たち。慈愛と語られる想いの他は何の淀みも感じはしない。しかし力量のある方だから敢えてこれに疑問をぶつけてみたい。終わりに置かれた四行は具体的に内容を把握できる重要な呼び掛けだが、誰が誰に語られたのだろうか。あるいは何が誰に、誰が何に。 文全体が心象と置かれているだけに、こうして呼び掛けで終わる構成が果たしてこの詩をより活かさせているのだろうか。私には明確な判断が就かない。。