【HHM(第6回批評祭)参加作品】田中宏輔はクマのプーさんのミツをなめたか?/こひもともひこ
アラガイsさんのコメント
先ず引用文と引用元に分けるというわかりやすくも面倒な作業をされた事について敬意を表します。
引用元の仕様については以前も作者ご本人とかなりキツいやり取りをした経緯もあります。
あなたがここで述べられている様に、過去に於いて文字化された膨大な情報量から選びとる必然性についての論争です。
田中さんとは仮名を交えネットでも度々交信をさせて頂いていますが、常々彼は自身存在する意味の必然性をよく口にされます。これは彼が創作する動機に於いて重要なコンセプトを占めているのではないかと思われます。もっとも創作家に於いて、自己を探求する故の道程が必然的にその目的に値するのは、誰しも同様に重要な位置を占める行為と言えるのでしょう。
仮に引用元そのものに何の必然性も意味もないのだとしたら、これは過去に於いて他者により語り置かれた辞という事になります。
言い換えればつまり其所に作者自身の存在はなく、では何処に作者自身の辞が存在するのかといえば、それを行為した自身、つまり引用された文のみに於いて作者自身が投影されているのではないでしょうか。
これは在る意味自己否定と自己同一性の矛盾という行為にもなります。意味もなく借りてきた辞(引用元)。その本意を求めようと投影された辞(引用文)。この矛盾に対比されたテクストの応用を、自己否定と同一性への認容に置き換えながら、日々革新へと変容を遂げる未知なる細胞への哀願。美しきアラベスクに彩られ秘匿された仮面。元来人間が持つ皮質と本質の概念を、新たな未知の人類愛として自己への希求に問うている気がします。