宮澤賢治 文語詩未定稿『雪峡』の鑑賞のために/Sabu
Gitonさんのコメント
お返事をしなかったのは、これ以上このテーマについて議論を続けることが実りある結果をもたらすとは思えないからです。

ご高見は、私が「ことさらに「宮中」、「怪異」、「轟音」、「暴力」、「タブー」といった連想を引きあいにして、「神楽」や「口碑」の遭難譚について解釈をすすめている」との偏見に基づく“揚げ足取り”であり、誹謗中傷であって、そのような前提でお読みになっているための誤読としか受け取れません。

私は、「下書稿の『口碑』にある遭難事故が『人々がそれを隠蔽しようとする』出来事であったととらえています。」とは捉えておりません。「遭難事故を社会的に隠蔽する」というようなことがあるとも考えませんし、そう書いたこともありません。これは誤読です。

鉱物学での「相転移」は解りますが、「下書稿の『口碑』等に記された具体的な素材(賢治が見聞きし、記した体験)」が「『神楽』という象徴的な言葉に相転移した」というお説が、私には理解いたしかねます。ただ、これは見解の相違ですので、批判として言うものではありません。

なお、これと、私のアップした(付)は、ファイルから外させていただきます。批判応酬であって、賢治作品そのものを主題として論じるものではないと考えるからです。

今後はぜひ、他の作品について、他人を誹謗することを目的とする“揚げ足取り”ではなく、ご自分の解釈を中心に論じたものをお寄せください。

そのような真摯なものであれば、私の読み方と違っていても、歓迎いたします。
---2014/11/18 20:16追記---