WAR/十六夜
山田せばすちゃんさんのコメント
二首目
えーと、六首目の「彼の戦い」がどの戦いだかいまいち不明瞭なんですが、対比されている史実としての戦争は「桜のように」とかいうからには多分太平洋戦争のイメージが濃厚ですな。ならば「極楽浄土」ではなくって「靖国神社」がふさわしいかと。

一首目と三首目は揃ったように動詞連用形で終わってるんですが、俺はどうもこの短歌を連用形で終える、というのが気持ち悪いんですよ、自由詩なんかだと最後を「・・・」で終える詩とおんなじでね、余韻を醸し出したいのはわかるんだけれどもそれ以前にきっちり言いたいこと書きたいことをきっちり押し込めんかい!と。

四首目は主格を統一したほうがいいかな、と上の句の主語は「潔い姿」だけど下の句の主語はそうじゃないでしょ?
むしろ
●潔い姿ばかりを残すのは残酷なこと隠したいから
と主格を統一したほうが意味が前に出てくるんじゃないかと。

五首目
ごめん勝手な思い込みかもしれないけれど「戦士」じゃなくって「兵士」なんですよ、近代戦争ってやつは。「やあやあわれこそは」と大見得切って一対一でやる「戦(いくさ)」ならともかく、集団として没個性的に作戦行動の駒として動かされて、最後には個々として取り扱われることなく「戦死」ではなく「消耗」されるもの、それが「兵士」です。

六首目
たぶん「彼の戦い」は今ニュースでやってるものとしてはイラク内戦とか、あるいはちょっと古いところではチェチェン独立紛争であるとか今から激化しそうなあたりではバスク独立紛争とかいろいろ考えられそうなんですが、きちんとどこでどう行われてる戦争かを明示しないのはそれぞれの持つ戦争の内実というかイデオロギーが対比されている太平洋戦争とおのおのの形で比較されるのを避けたかったからなのかそれとももっと焦点ぼやかして「今行われているすべての戦争」と「過去にあったすべての戦争」を意味しようとしてるのか、どっちにしろ焦点あってないですよね、短歌じゃなくてただのスローガンになっちゃってる。
「手を上げて横断歩道を渡りましょう」は交通標語だけど俳句でも川柳でもないんですよ。形式として5-7-5になっているにもかかわらずね。
同じように短歌が短歌として成立するには韻律以外のなにか、ポエジーとでも言うべきもんが必須であると思いますよ。


---2007/06/14 10:13追記---
一部加筆

---2007/06/14 10:14追記---
誤字訂正