挨拶/ふるる
ふるるさんのコメント
宮内緑さんへ

ご感想ありがとうございます!まさに!私の目指していた「躍動する語感がいい感じ」というお言葉、ありがたいです。
宮内さんのような素晴らしい読み手が参加している現代詩フォーラムはやはり懐が広い。

ここから先は長いので私の独り言です。

最近、アメリカの詩人ジョン・アッシュベリーの詩をよく読んでいて、アッシュベリーのよく分からない詩を読み解く一助となる飯野 友幸 著『可能性への賛歌』には、彼の詩は多声的であるとか、アッシュベリーいわく、「私は一日中われわれの心の中で起きていることを詩にしようとしている」とあり、つまり、人はいつも論理的に一貫性を持って思考していない、心の声はもっと混沌として、あっちいきこっちいきしている、それが真実だ、ということなのですが、私もそれをやってみたいと思った次第です。
冒頭の「彼らは両手を広げてやってくるでしょう」はアッシュベリーの詩「北農場にて」の冒頭「どこかで誰かが君に向かってすさまじく、信じられない速度でやってくる、」へのオマージュです。
アッシュベリーはまた、「言わんとすること(meaning)」はあっても「伝えたいこと(message)」はない、「特に世界に何か告げようという気はない」と言いきっています。散文と違って、詩はそれでもいいんだと、私は嬉しくなりました。
立派なことを言ったり、美しいことを言ったり情感に訴えたりするのは散文に任せて、詩は散文とは違うことをしたらいいのじゃないかとは常々思っており、この詩はそういった試みの一つです。
しかし、アッシュベリーの詩は「何を言ってるのか全く分からない」にも関わらず人気があり、どうやらそれはリズムや音が、音楽として心地よいらしいのです。でも日本語は音節も少ないし母音でおわるし強弱も少ないし、英語じゃないからそういうのは難しい。そこで、「躍動するような語感」「呼びかけるような挨拶の文句」「全体としては何かを言わんとしているのかもしれない雰囲気」というので読者の読む気を最後までもたせることを目指してみました。
というわけですので、この詩には伝えたいこと、という意味での内容は特になく、あるとすれば、心の中の興味や意識がぽんぽん飛ぶ様を現した詩、ということでした。


---2017/11/28 18:50追記---