「がんばるな、ひとよ」(3331 Arts Ciyodaにて2011.4.3に/白糸雅樹
深水遊脚さんのコメント
 頑張らなければどうにもならない状況があって、それでも人間は強くないから、ささやかな幸せも噛み締めたい。時にはハメを外したい。そんな欲求を代弁する何かは必要と思います。だから、考え方の違いはあってもこうしたパフォーマンスが行われることそれ自体は否定しちゃいけないと思います。
 今回でたような批判は、たとえその内容が何であれ目に見えて被災者の役に立っていない(ように見える)ならば向けられる反感でしょう。でも、何が役に立つかなんて分かりません。本当に八方塞がりの苦境で思わぬことが深く心に染みたり、行き詰まりを解決するきっかけになったりします。目に見えてどうという判断は、人の噂話に似ています。それは何かを否定する根拠としてはあまり強くありません。正当性がないとはいいませんし、世間の常識によって守られるものも多いです。でも、詩を書くような人達は、そうした世間の常識から守られない、噂話の刃(やいば)を突き付けられる人々のことに思いを巡らせる人達ではなかったでしょうか。

(パフォーマンスの内容がイメージできなかったので、こちらに書きます。自己満足の是非に話は行きましたが、そこまで抽象化してしまうのとは別に、実は自己満足ではない可能性を考えてもよいのではないかと思い、これを書きました)