棄てられた女と詩人の関係/……とある蛙
ブロッコリーマンさんのコメント
最終連がなければ私も無視をしようかと思ったのですが。
めったなことなど書くものではありませんね。
詩は沈黙だと言います。
だとすればそれはだれかに読まれる性質のものなどでは最初からないのではないでしょうか。
確かに読む人がわるいなどとのたまうことは正気の沙汰ではありません。
なぜならそれは自分の詩が誰かに間違いなく(あるいは、美しく)読まれることを前提としている時点で間違っているからです。
(詩を)読まれる、あるいは読むということがどういうことなのか、ちょっと考えてみたらいいと思います。
めんどくさいのにからまれたついでです。
---2012/01/25 17:15追記---
いえ、「めんどくさいの」とはもちろん私のことです。
決まっています。

私のようなめんどうなものにからまれるくらいなら、私だったら書かない、といったのみです。

さて、「詩は沈黙だ」という文字面をなぜ、そのようにしかとれないのでしょう。
これは「芸術は爆発だ」というのと同じ言い回しです。
「詩というものを決定づける要素は沈黙である。」ということです。

しかし面白いですね。読まれることを前提としていなければ、言葉は「手控えのような覚書」に過ぎぬということですか。
そこまで言わぬにせよ、それは私の主張とは大きく異なります。

私は「読まれる」ことを否定したのではなく、「読まれる」ことで作品が完結するというあなたの主張を否定したのです。
つまり、詩とはあるいは、「書かれた」時点(もしくはそれ以前)にすでに完了しているものではないか。と。
カッコ書きで「(詩を)」と書いたわけを言っておきます。それは詩のことだけにとどまらぬからです。
詩はコミュニケーションではありません。ましてや覚書などでは。

「それを読まれる、あるいは読む、ということについて考えろ」、というのは、読むことを肯定しろといっているわけではありません。
むしろ、読まれるなと言っているのです。
この読まれるなというのは、ここに投稿するかどうかなんてこととは全く関係がありません。コメントがどうこうというのはもっと。

ここは詩の投稿サイトですので、言葉をしっかり読む方ばかりだと思いあえて抽象的に書かせていただきました。
「読む」ということを考えてみてほしい、と述べているにもかかわらず「意味不明」と言われてしまっては意味のないことでした。

今回はしっかり丁寧に書きました。どうですか?
---2012/01/26 20:12追記---
もちろん期待しています。えへ。
しかしながらそれはやりとりが私にとって建設的なものであるかぎりです。
あなたは、

>いや、それはまったく違います。書かれた時点ではなく、どのように解釈されるかで詩作品は変わってきます。解釈は読む人の自由ですが、全ての詩作品は読む人があって初めて普遍性が付与されるものと考えております。

とこれを言ったきり(あなたの考えについて)何の論述もないので、このやりとりには私が与えているのみ(この与えるはもちろん、物を与えるなどという意味ではありません。この場に意見を提示するという意味です)で否定もされず、対案も提示されずに、あなたがただ文章が読めないというだけです。

それなのに相手は意味不明で自分は論理的だなどと思っているところは非常に滑稽です。
実際のところ何度か笑いました。

沈黙とは、孤独であるということです。

まずこの文章の意味をあなたなりに考えていただいて(読んでいただいて)、あなたが「文章が読める人間であること」がわたしにわかってからお話をしましょう。
---2012/01/27 00:32追記---
いやはや、ようやく本当の顔を見せていただきました。

あなたの言う「論理」や、「説明」「定義」「前提」「矛盾」などといった言葉は全くの無価値です。
なぜならばあなたがその言葉を真に理解していないからです。どうですか。
あなたはさきにあげたものをすべて完璧に説明することができますか。
このすべてが、あなたの言う「前提」ですよ。
こんなこといちいち説明しているほど私は暇ではありません。

挙句の果てに、「ブロッコリちゃん」などと馬鹿にするのも大概にしなさい。
その侮りによってあなたはまともに文章を読むことすらできなくなっています。「どうせ意味のわからないことを書いているに違いない」と。
だから私はあほらしいと思い、「あなたは文章が読めない」と言ったのです。
そのこともわからずに、「世の中」だの「辞書的には」だのと喚き散らしている。
全然理解できていないのはあなたですよ。

最後に、
>批評する側がきちんとした説明義務があるのは当たり前です。
なぜ?
勝手に読み、勝手に批評をするのはこのサイトにおける読者の自由です。
それこそ、それがいやなら投稿などしなければいいことです。
いくらあなたが「読まれることで詩は完結する」とあほらしいことで息巻いているとしても。