見あげれば(見し人)おぼろに竹林のみち/足立らどみ
足立らどみさんのコメント
孤蓬さん、添削ありがとうございます。

見あぐれば見し人おぼろに竹林のみち

確かに此方の方が座り心地が良さそうです。
推敲してみます。

見し人は、今、手元にある学研全訳古語辞典(金田一春彦監修)初版によれば、

連語
以前会ったことのある人。顔見知りの人。以前つきあった人。

伊勢物語 九
「『かかる道はいかでかいまする』と言ふを見れば、みしひとなりけり」
訳「このような道にどうしていらっしゃるのか」と言うのをみると、
以前会ったことのある人であった。

なりたち
動詞「みる」の連用形+過去の助動詞「き」の連体形+名詞「ひと」

と、なっていて、同じ使い方をしておりますので、見し人の「し」は、
過去の助動詞「き」の連体形で良いと思います。

古文も、また、楽しいですね。

---2020/01/12 21:23追記---

孤蓬さん、追記ありがとうございます。


それから、一件、言い忘れていました。
「見し人」という連語が「以前あったことのある人。顔見知りの人。以前つきあった人」という意味になる場合、その人は、今現在は自分の前にいない、今現在は自分と離れた所に所在する人という含意が前提となります。
したがって、貴投稿が、「以前あったことのある人。顔見知りの人。以前つきあった人」を今現在目の前にしつつ、それでも「見し人」という言い方をしているのであれば、それは、誤りということになります。

一理ありますね。
そうするとだ、古語辞典の例文の伊勢物語の作者も間違えているのかもしれません(もしかして新発見!!)
古文の世界も、また、奥が深く楽しいですね。

---2020/01/13 00:57追記---
けりのご説明ありがとうございます。
しかし、貴殿の文言からは、私の作品には、いきなり「けり」のような、重要な機微を示す語は用いられ
ていないので、見し人の使用は誤りであり、例文の伊勢物語の「みしひと」は、今現在目の前にしている
けど、なりけりがあるから、誤りではないのだと書いているようで、何かダブルスタンダードの説明と
かんじました。
多分、今後、貴殿のいう通り、精進して学んでいけば、貴殿の伝えたいことは私にも伝わるのでしょう。

一字一句を大切になさりたい気持ちは伝わっています。
今後とも、宜しくお願いします。