死ぬために、生き続けている私/鏡ミラー文志
ひだかたけしさんのコメント
〉私:生とは舌触りで感じるエロスであり、その他のものは全て余分なものである気がします。味わい、これが全てです。慎み深さは勿論大切ですよ。ですが、それは潮の満ち引きのようなもので、結局は味わいのためにある気がしますね。


終焉は開始であり開始は終焉であり…

この次元を異にする真実に貴方レベルの方は踏み込まなければならないと、一読させて貰い、僕は想いました。

要は、直感では無く直観・直覚へと。

感情感性レベルに留まる限り混沌としたその「官能エロス舌触り/味わい」経験を良しとしてしまう、
そのことはある種の安堵を与えるかもしれませんが、
突き抜けた先の明るみ、感覚感性物質と云う幻想を突き破り、尚、その先の霊性の闇を突き破る先に観えて来る苦しみに充ちた歓びとは全く異なるラブ&ピース(笑)です。

と、取り敢えず。◯√ゝ

---2026/01/15 22:39追記---

---2026/01/16 02:34追記---

簡単には解りませんよ、もちろん(笑)。
そして、鏡さんの慎重な姿勢は正しいのです。

シュタイナー自身、「私の書物、講演録を摘み食いしても何も解りません、かえって、悪害です。あるゆる方面から一つの事を映し出し描写し、性格付けることによって、初めて何かの認識に近付き霊的生命を呼び出すのです。何故なら、あらゆる人には、全ての記憶が眠っており、それを喚起することが私の重要な一つの仕事であり書物だからです」ってなこと言っていて、

僕自身、二十代〜今に至って翻訳されたほとんどの彼の書物を読破しながら、
六十代に至って初めて、いわゆる西欧的瞑想(複合表象に依る静観的思索)を日々行う段階に至り、
今現在詩表現している、最初の段階の霊性直観(イマジネーション認識/エーテル宇宙生命界次元の霊視)に至って居ます。

まあ、ただ、別にシュタイナーを勧めているわけではありませんよ、僕は。
其の人の個性に合った途が色々とあるし、シュタイナーの修行実践すら色々な遣り方があります。

(ただ、何度か強調して来ましたが、人智学は原インドに源を発する本能的な古代秘教叡智を現在の唯物論的時代迄に進化(墜落)した人間に適する本能的集合意識レベルから意識的個人レベルに適する形式・器を創り出すことで継承・蘇生新生させたものとして普遍性を有する点(なので、基本的に書物自身が導師になっている点、最初の取っ掛かりさえ然るべき他者からあれば、後は基本的に群れること無く、一人で途を究める旅に出ることが出来ます)、
今に流行りの所謂スピリチュアルワールドや日本神道、ましてや霊媒等とは一線を画してますし、貴方のように論理的顕教に依る思索を極めて(これはこれで重要な最初の一歩です)尚且つ、エネルギーを持て余して居る方には、そのエネルギーをぶつけタイマンを張る相手(?笑)として一番向いているかなと)。

僕自身は最初に故高橋巌師に師事し、人生経験を積んだ上で今に至って居ます。

要は、感情・情性レベルに依る思弁抽象的観念からの認識飛躍だけでは、混沌のエクスタシーの渦中を彷徨う自己満足の方向に向かってしまいますよと伝えたかったのです(このことの詳細は、以前、僕自身「ゲーテの世界観」から作品をアップしましたし、鏡さん自身、ポイントを入れてくださっていたと記憶しています)。

ちょっと目が覚めたので、取り敢えず。
おやすみなさい♪

---2026/01/16 03:37追記---