「思い出の渚」の冒頭歌詞を検証してみる「作詞家岩谷時子の発言を聞いて」/洗貝新
菊西 夕座さんのコメント
このような解釈、分析、洞察というものは、とても楽しいですね。刺激を受けます。

どうして「出会った」でなく「見つけた」なのだろうか、という表現方法に対する疑問への回答の旅路。文学的な感性を養ううえでたいへん重要な追求だと思われます。

私なりにも考えてみました。「見つけた」というと、やはり発見の意味合いが強く、宝を見つけたといったような功績へつながる要素が色濃くなるのかと思います。そういう意味で、「きみ」というものの価値がいっそう強まるのではないか、と考える次第です。

問題はなぜプロの作詞家にはそうした表現ができないのか、ということ。それはやはり追求する姿勢がちがうからと思われるわけであり、そういう意味で、内省的・技巧的なイメージのあるプロの作詞家に対し、ナンパという外向的・直線的な姿勢をもちだしてきた洗貝新さんの解釈は説得力が感じられました。