「思い出の渚」の冒頭歌詞を検証してみる「作詞家岩谷時子の発言を聞いて」/洗貝新
ハァモニィベルさんのコメント
ポイント有りという程の内容はありませんが、
この歌詞を考えるというコラム・スタイルはいいと思います。

岩谷時子じしんが書いた様々な歌詞を読んでみると、永遠の二人でいたい、というモチーフが濃いので、このワイルドワンズの『思い出の渚』は、真反対の世界だから彼女からみると違和感しかない、という感じだろうな、と想像できますね。
岩谷のヒロインは、たとえ別れていても、熱い思いを持ってますが、ワンズの渚の主人公には熱い気持ちが薄いからです。歌詞も、ひと夏を現住民の女と遊んだ文明人の男みたいな感じに読めたんじゃないか、という気がします。
 ロードのように死別してる可能性もありますが、
どっちなんだろう、と歌詞を読んだ時に、
 「君をみつけた・・・」と、貝殻か何かのように書かれてるので、
ああ、遊びだったんだな、という感じになるわけでしょう。だから、その箇所に言及したんじゃないでしょうか。
  ・
 君と見つけた この渚に (今は独りだ)

と書いてあれば、一気に全体が哀切なラブソングになるのに、とプロの岩谷は洞察したのかもな、と(わたしは)思いましたけど。


私も昔、歌詞を論じたことがありますよ。しかも詩にしてね。

テレサ・テンの「つぐない」の歌詞にある
  <壁の傷も残したまま 置いていくわ>
という、この「壁の傷」は、何で出来た傷だろうか?と問題提起して、
野口五郎の「舞」という歌がそれに答えている、と。
  <そんな気がしてドアを開けたら、残り香だけが僕を待ってた>
  <壁で揺れてた似顔絵も無い>
喧嘩して食器を投げつけて出来た傷じゃないんだよと。
それは、売れない画家の彼が描いた彼女のささやかな肖像画を留めていたピンの痕だと。

(わたしの「詩の水族館」を読んで頂きありがとうございました)