緑のたぬきと赤いきつね/足立らどみ洗貝新さんのコメント
仕事の役割やその立場によって給与体系が異なるように、本来平等などという理念は階級社会に於いては存在しない。
ではこれを芸術の分野に当てはめて考えてみたらどうだろうか。
平等とは真っ平らで凹凸のない均一化された世界観を指し示す。
何かを表現するならば、その基になる空間は何もない状態から始まらなければならない。
絵描きならば、
または物書きならば常に白紙の状態であろう。
そうして創作活動によって示されたものを我々は批評する。
しかし、その全てが果たして平等な観点から発せられているだろうか。
例えば、明らかに子供が書いたとわかる絵がここにある。とする。
それは活き活きとした視点で描かれた動きのある線で、色使いもまったく自由な発想で素晴らしいのだ。
けれども、このこと何も伝えずにただ絵を見せれば大人の批評家はどのように判断するだろうか。
なかには感嘆して素晴らしい絵だと評価する者もいるだろう。
が、子供の書いた絵は一瞥して明らかに技術的には劣るとわかるのだ。
まったく先入観のない情報から、この描かれた絵は素晴らしい。
どれほどの大人たちがそう評価するだろうか。
悪しき平等とは、読まれて字の如く平等ではないところから始まる。
このことを芸術の評価として考えてみるならば、
悪しき平等とは始めから意識的に先導されて眺めみることである。
先入観のほうが勝り、真っ平らで、真っ白な状態では見ることも読むこともできない。
見る図面、読む言葉は同じでも
同じ意識、同じ位置からは評価されていない。
そのような平等な見方ができない現実がある。
と、いうことになるのだろう。
---2025/08/12 14:58追記---