死を運ぶ蟻のように/室町 礼
洗貝新さんのコメント

その特異な経験とは我々の血や肉と成り、骨にまで影響を与えるものですが、その事が想像にまでつながるのか、と言えばそう成るとは限らない。
摂取されるという外部の影響から形成される血や肉も、動物という観点に於いてはあらゆる生命へと還元されるのです。そして、
それらを動かすのは細胞という極めて小さな単位の組織が働くからでしょう。
その働き(蟻)も人間という形を整えるには同じ構造を持つ遺伝子や細胞たちへの指令が異なるわけにはいかない。
ならば一人一人の想像が違うのはどうした指令に基づくものでしょうか。
それには細胞の力によって想像というまったく新しい伝達物質を脳内に作り出さなければならない。
それを蟻(細胞)によって知覚感覚として神経細胞に運ぶということでしょう。
知覚感覚、そうです。
いくら地獄を見聞きして経験してきてもその事が想像へと発展されなければただの経験として終わってしまうのです。
言葉を書くには先ずは文字を習得しなければならない。
そして、そのことから詩や作文へと導かれるには文芸という技術を学ぶ手立てもあります。
これはある意味言葉をよりわかりやすく上手に読ませるための教育学習ですね。
なので学習を終えた上手な詩人や作家たちは混然と我々の眼前に蔓延るのです。

わたしは偏差値学歴秀才ではないのですが、この論理的思考方法という技術面を、尊敬はすれどもほとんど信用はしていません。
詩や創作に置かれる物語を想像物として理解するならば、
どうしても独学的な思考方法が必要にもなる。
そういう観点から見つめれば貴兄のおっしゃることは正しい。
その経験から得られる認識の相違性。
反動意的に捉えることはできても、間違いではないのでしょう。
豚は豚で牛は牛。
想像を養うのは人間に備わる細胞に働きかける意識なのです。


書き忘れてましたが、この猛烈な暑さの最中わたしもあちこち痛いふらふらで生きています。どうぞ、お身体だけはご自愛ください。貴兄にはまだまだ逝ってほしくはない。


---2025/07/27 08:44追記---

---2025/07/27 10:30追記---