Cheers /リリー
おぼろんさんのコメント
生活感あふれる詩というのは、過去のフォーラムでは嫌われていました。というより、軽く見られていました。今でもそうですね。わたしはそういう潮流(生活詩の否定)にたいしては、嫌悪感を抱くものなのです。「それはポエムにすぎない。行分けされた散文にすぎない」というのが彼らの言い分なのですね。わたしがネット詩の世界から離れていた時期に、「ライトバース」などというものが(「ポエム」という呼称で良いじゃない、とわたしは思うのですが)流行ったらしいのですが、そうした軽めの詩を否定して、文学の世界というものが成り立つのか、ということを思います。リリーさんの詩は生活や個人的な感慨・経験に根差したであろう詩が多く、当初わたしはそれを上手く作られたフィクションなのか? とも思いました。小説家の感受性、想像力のみによる創作(ここでは悪い意味の)にすぎないのではないのか、と。ですが、リリーさんの詩を読み進めていくうちに(これは、ひだかたけしさんから勧められたことによるところが大きいです)、リリーさんの詩は生活を元にして想像力を発揮しているのではなく、創造性を元にしてむしろ生活や過去の体験などを文章のうちに引き寄せているものなのだ、と思うようになりました。先日までリリーさんが書かれていた一連の猫の詩を、リリーさんの挑戦心の表れだとは思いつつ、わたし自身はあまり評価できずにいたのですが(戦後詩以降、物語詩という確固たる一分野が出来たことは思っています。ですが、それは長い詩を書いて対価を得なければならない、という詩人のひっ迫した事情から生じたものです。飯島耕一氏のように、劇詩などに活路を見出した詩人などもいます。哲学的な表現に活路を求めて、名付けるならば知識詩とでも呼べるような詩を書いた人たちもいます。フェミニズムの流れで、いかにしてオリジナルかつあからさまな性的な表現をするか、といったことに憑かれた女性詩人などもいます)。話を元に戻すと、リリーさんが書かれた猫の詩のなかで、リリーさんは叙述と抒情との違いということを意識することになったのではないかと思っています。意識的にそれがなされたか、そうでなかったかは存じません。「あれは小説だ」という安易な批評もしません。ただ、詩表現というものが多様化した時代にあって、一つの挑戦的な試みであったろうとは思うのです(過去にそうした挑戦をした有名な詩人は大勢いますから、新しいものとは考えていません)。それは、リリーさん自身が本当には何を表現したいのか、ということを意識的に考える転機になったものと思われます。この詩(「Cheers 」)のなかでは、料理という女性的な話題を骨子にしつつ(料理というのが未だに女性のものであるということを残念にも思い、それに反してプロの料理人の世界では圧倒的に男性の調理人が占めているということを、さらに残念に思うのですが)、それはあくまでもガジェットとしてのそれであり、本質は料理を取り巻く女性の世界(人間の世界、であればなお良いです)の人間模様・交感を描くものとなっている。そこに詩の本質があると思うのです。戦後の女性詩はおもに個人主義に徹するものでしたが、語られているのはそういうことではなく、詩的な感情、他人を求めるということへの追求であるのでしょう。最後の連の

「いい天気なって良かったなあ!」
 今年は菜種梅雨の入りが早く
 近頃 ぐずついた空模様だったのだ

という部分を、旧来の詩表現に凝り固まった読者は、あるいは「脈絡がない」「ポエジーが一貫していない」として批判するかもしれません。ですが、この部分に、この詩がメタ的な表現になっていることの表れを見るものです。それまで書かれていた料理の話題は、詩表現が引き出したものであって単なる叙述ではない、という気もちにさせられるのです。言うなれば、詩というものが何であるのか、ということが書き進められるうちに問い直されている。過去のどんな詩に似ているのかと言えば、ランボーの「酔いどれ船」が最後の最後になって転調する(詩的雰囲気ががらりと変わる)、そうした類似性を見ることも出来るでしょう。多分、この唐突な話題の切り替えは、詩を書いていくなかで無意識かつ自然に行われたものだと思うのですが、この部分があって、この詩は詩たりえている、と言うことが出来るでしょう。
過去の詩人のなかには、名辞の羅列に逃げる詩人たちもいましたが、この詩のなかに出てくる名辞たちは、それが苦しんで選ばれたものではなく、楽しんで選ばれたものである、という点で読者にとってはしっくりと来るものです。このサイトのなかで誰の詩に似ているかと言えば、ふるる氏の詩に似ていますが、リリーさんの書き方はより抒情詩に近いものでしょう。多分、このような詩作法を続けていけば、より意識的に生活していかない限り、いずれは行き詰るだろうと思うのですが、先日の猫の詩のような(自己主張ではなく)表現としての表現を求めるというリリーさんの姿勢、また豊かな感受性を思えば、こうした路線で書き続けられる・成功する、という道もあると思います。読者はわたしのようなひねた見方をするのではなく、自然にこの詩の面白さを楽しめば良いと思います。ただ、繰り返して読まれるのに値する詩だ、という思いで長文の感想を寄せさせていただきました。長々と書いてしまい、失礼いたしました。

追記ですが、わたしは「カクヨム」というサイトでも活動しているのですが、このコメントを「カクヨム」に転載させていただいてもよろしかったでしょうか。もし、不可ということであれば、このコメント欄のうちに留めさせていただきます。

返信をありがとうございます。転載を許諾してくださり、感謝いたします。若干形を整えたり補筆するかとは思うのですが、おおむねこのままの形で投稿したいと考えております。わたしも、インスピレーションを刺激してくれる作品に出合えることは幸せなことです。ありがとうございます。
---2024/03/02 20:38追記---