地獄の子 地へ移行/陽向(2躯-30~35)
おぼろんさんのコメント
神聖かまってちゃんを好きだという陽向さんは、孤独な戦いを強いられると思いますよ。この詩を読んで、の子さんが裸で砂浜を自転車で駆ける神聖かまってちゃんのPVの曲がありますよね、あれを連想しました。神聖かまってちゃんのの子氏は、まだ暴力的な表現が許されるような時代に生きていたと思います。ですが、その作品はむしろ内省的であり、抒情的です。陽向さんもこうした方向性を目指しているのでしょうか? ですが、わたしは論戦や論争が嫌いで、ディベートを軸としたネット・カルチャーにも否定的です。陽向さんのように、ある意味で正確な社会認識を持っている方は、このような時代のこのようなネット環境には似合わないと思うのです。現代は、一昔前に比べればむしろ孤独と忍耐が強いられる時代になっていて、若者はただ耐えている、ということを例えば病院に入院したときに若い看護師の方と会話したことなどから、思いました。わたしは解題ということが好きではありませんので、会話調のコメントをご容赦いただければと思います。こうした見解に陽向さんがどう思われるのか、分からないのですが、今はバブル世代だけがお金を持っていて、ほとんどの作品はバブル世代を主な顧客対象として見ています。そして、その主な作法は、マニエリスム(総合的な芸術様式)です。神聖かまってちゃんなどは、その市場に圧倒的な個人主義をもって切り込んでいったアーティストだと思うのですが、その過程は自傷行為を伴うような、苛烈なものだったと思っています。この後、陽向さんが個人主義を目指すのであればより過激な自己解体を、アカデミスムを目指すのであれば(なろう系の小説家を目指してみても良いと思います。詩の世界にとっては不幸なことかもしれませんが、わたしは詩の世界の充実よりは、芸術作品全体の総合的な充実を望みます)より克己心と自己抑制を目指した表現が望まれていくと思います。陽向さん自身もわたしと比べれば若いですが、陽向さんよりも若い世代は、陽向さんよりもさらに抑制的なのです。今後、陽向さんは、そのことをジェネレーション・ギャップとして感じることになるのではないでしょうか。わたしは理解者面をすることが嫌いですから、あくまでも同じように詩の表現を志向した者としてコメントさせていただくのですが、陽向さんの目指されている道は、多分厳しいものです。理性と感性との統合とは、古来から一貫して詩のテーマとなってきたものですが、今の時代はいかにしてビジネスになるのかという、より現代的で、より安易な道に偏っています。そこで真理の表現をするためには、真理をあくまでもガジェットに留める、という自己抑制が必要になってくるのです。売れたいのであれば小説家を目指すべき(今後世相が変化するかもしれませんが)と思いますが、詩に徹してもらえるのであれば、わたしはそれを歓迎したいと思います。あとは、陽向さんが現在持っているであろう広さではなくて、深さをいかにして手に入れるかということが課題になるだろうと感じています。現代を真摯に表現しようとして失敗した、橋本治のような結果になるかもしれません。わたしは、陽向さんの朴訥さと真摯さに期待します。そこに未熟さがあることを、わたしもアラガイさんのように否定はしません。ですが、それが完成に至るのを待つだけの忍耐力は持ち合わせていると思います。わたしは、「文学を極める」とおっしゃった、陽向さんの覚悟は評価したいです。ですが、あなたは負け戦を望みますか? 望まないのであれば、小説のような世俗的な表現を目指してください。その結果詩が捨てられることになったとしても、わたしは恨み言は言いません。もし、今の姿勢を貫かれるのであれば、ランボー、中原中也、立原道造などのように、個人の主張に徹した詩人たちの詩を、もっと読まなければいけません。自分の精神性が書き換えられてしまうことすら、覚悟に入れなければいけないと思います。すみません、応援しているようでいて、応援しきれていないコメントだとは思うのですが、さらなる深化を期待する者として、コメントさせていただきました。個人主義のさらなる跳躍も、今の時代にとっては必要なことだと思います。売れるために書くか、そうではなくて書くか、は陽向さん自身が選び取ることだと思っております。

追記です。無理なく研鑚されていってください。「さん」が抜けているところがありましたので、書き足しました。
---2024/02/29 16:29追記---