【批評祭参加作品】谷川俊太郎インタビューから考えた事/大村 浩一
鵜飼千代子さんのコメント
言いたいことを言うならその閃きをいただいた対象としてポイントをいれるのがわたしのスタンスなのですが(場的にあげなーいでも、おもしろーいってのはありだと思いますが)、なにしろ持ち合わせがなくおいおいということで、コメントのみもOKという片野さんの裁量に感謝します。



論と関係のない部分で、現実を正確にとらえていないと思うところを指摘させていただきます。

> 漫画「エンゼルバンク」によれば、日本ではトマトは殆ど一種類しか栽培も
>流通もされていない。誰でも何でも手に入るように見えて、実はそんな具合
>に
>なっている。本当に安全で美味しい食品は苦労して探さないと手に入らない
>し、
>生産者側もビジネスモデルを懸命に成立させないと持続できない。普通のマ
>ン
>ガ作家にこんな事を指摘されてしまう、マスコミや農学者や農政の不甲斐な >さ
>をどう思えばいいか。…話を詩に戻そう。



>日本ではトマトは殆ど一種類しか栽培も
>流通もされていない。

というのは、スーパーに行った事しかない主婦でも何が基準かわからないほどとまどう間違いです。丸かったり四角かったり先っぽが尖っていたり、とまとは同じではありません。

明日にでもスーパーに行って写真を掲載したいとは思いますが(この時期の温室栽培のものですが)、同じ名前で販売されている作物でも、旬ではないものは違う品種が栽培出荷されている事は当たり前の事です。それだけ、努力しています。

>普通のマンガ作家にこんな事を指摘されてしまう、マスコミや農学者や農政の不甲斐なさ

とは、大村さん特有の喧嘩売りですが、わたしは詩を披露する場所として、ささやかな大村さんの評を含む現代詩フォーラムの詩評を基準としてきたものとして、あまりにも寒くて北方領土です。

わたしは、詩を書く事と読む事専門で評は大村さんと奥主さんに任せますが、わたしが知ったところから始まって調べたところによると本評は本当にそうかと、いささか齟齬があります。けれど、その思いも、こうして大村さんが書かれなければ、わたしのそばに来た近しい人への独り言で終わってしまうと思うので、それでは従来の詩誌による詩界のままだし、わたしたちは、そもそもわかんないことだらけだけれど、詩の世界がこのままじゃ閉じ込められてしまうだろうと始まっていたはずで、みっともないけど手の裏明かして前に行こうというスタンスに、ここから出かけた人間として、知り得た事をわたしがささやかながら協力出来ればと思います。わたしの情報の中で奥主さんも大村さんも拾えなかった部分を今来たばかりの新鮮な発想で拾っていただくのもありがたいことです。こちらは同じ方向で見ていますから、見えませんから。

---2010/01/10 09:50追記---
ポイントを入れる為、ポイントなしコメントを一旦削除しました。
---2010/01/10 21:03追記---
わたしのコメントが長くて他の方のコメントが読みにくくなるので、データの提供のみ出来ればと思います。データが違うのではという場合でなければ、わたしのコメントに対しての意見は、別の評か、詩作で表現していただければと思います。
スーパーのトマト写真 http://po-m.com/forum/upfile/i/s1263118681.17574.1.jpg
トマトのWiki http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%88
現代詩がもてはやされていたのにマスコミからオミットされたのは学生運動後では。スポンサーがつかなかったり降りてしまうようでは番組が成り立ちません。NHK教育テレビの「日本語であそぼ」が興味深いです。3歳以下の子は怖くて泣くらしいです。幼稚園児はわからないけど、たどれるところだけ、くちずさんでいます。小学生になれば、なんだか変で面白いでしょう。

左翼系の人たちですが、
http://news.livedoor.com/article/detail/2220187/
昭和41年現代詩手帖賞、教科書に詩が載っていて、大江戸線の駅にも詩文が刻まれてしまった清水昶氏が、「彼女はわたしのファンだと言っていた。投稿していた。」とブログ式掲示板で表明しています。
詩人は、時代の背景もありますが、結果的に犯罪である行為に至った詩を書いていた人に、「あなたは死刑囚だから、一緒にされたくないので、昨日までは詩でしたが今日から詩ではないことにします」とは言わないでしょう。テレビの生放送で、詩人にスイッチが入ってしまった時、番組との申し合わせがご破算になってしまう確率が高いって、歌人や俳人より想像しやすいとは思います。
>○「これからの詩はむしろ、金銭に絶対換算されないぞ、って事を強みにしな
>いとダメだ、みたいに開き直ってみたくなる」
この部分は、室生犀星の「ふるさと」的なものでは。早くに詩壇から離れた谷川氏が、けれど現代詩を奮い立たせようと少し痛くても詩の為に何かしても、光が集まるのは自分にばかり。というところから、来ているのでは。
谷川氏の桜の下での朗読会で、付き合いで連れてこられた子供が飽きて谷川氏が「リラックス出来る格好で聞いてくださいと」いったところ、芝生に大の字に寝そべってしまいました。そのとき「お子さん方もいらしているので、千と千尋歌いましょうか」と、仰ったところ、ピアノ担当の息子さん谷川賢作氏が「ひげ、行きましょう」と仰られて、少し戸惑った風ではありましたが、明るい音調でタップを踏みながら「ひげ」を朗読されました。それまでは、静かな詩を歌詞にして歌っていらっしゃいました。そうしたら、こどもが、ムックと起きだして、満開のひらひら落ちてくる桜の花びらと遊びだしたんですよ。選ばなければいけないという事は、そこでまた垣根を作る事になるのかもしれませんが、わからない事は多いけれど、面白いものはわかる小学生時代の子供に、現代詩は巧くアプローチすれば受け入れられるかもしれません。
もうひとつ、ネットからの発生で都市伝説になっている西條八十の処女詩集「砂金」の「トミノの地獄」ですが、聞き流しではなく、乗らなければいけない船ではとこのところ思っています。わたしは4年くらい前に、ネットで「詩を書くの?これってどう思う?」と構われてスルーしたのですが、一年後には、当時中一の息子がネットの都市伝説から辿ってきて、「どう思う?」と聞いてきました。子供は担任にまで(作者には関心がなかったようですが)詩の本文のみを日記に書いて「どう思いますか?」と訪ねたのですが、「気味悪いですね」と一喝されていました。都市伝説の元ネタは↓ブログです。
http://photo-collage.jp/makoto/archives/2005/01/post_175.html
西條八十の「砂金」の当初の評価、「トミノの地獄」の都市伝説と、日本詩人クラブ初代理事長、日本音楽著作権協会(JASRAC)初代会長の経歴などめちゃくちゃな組み合わせに見えるものが、そもそも源流にあるものだと認めた上で探ると何か現在の現代詩にも黎明があるような予感はあるのですが、わたしではまだそこまで至りません。
H氏賞は、日本現代詩人会の新人賞に当たる賞ですね(現代詩人会には、現代詩人賞もある)。先日「この方は詩の芥川賞と言われるH氏賞を取った方で、わたしたちの詩誌の同人なのよ」と紹介してくださった方に、「詩人の登竜門の賞ですね♪」と大村さんに習った通り褒め言葉で言ったところ、目をカッと見開いて口を一文字にして、しばらくしてそばにいた息子に、同人誌をくださり、「詩を書いたらお母さんに見せずに送ってきなさい。住所は後ろに書いてあるから」と言われてしまいました。日本詩人クラブと日本現代詩人会はメンバーはかぶっていますし、国民文化祭の現代詩の選者も両方から出ています。どちらにより参加しているかというのはありますが、自分も詩を書く外野が、H氏賞を神格化しすぎるのは、日本現代詩人会のメンバーや、H氏賞の選者に対して失礼にならないでしょうか。(H氏賞を取っていない選者も、会長理事長も当たり前にいるので)それから、わたしも、H氏賞の詩集の発行部数は300〜500ではないかと思います。あらかじめ出した詩集にいただく賞ですから。増刷、あるいは受賞後の肩書き付き新詩集出版でも5000は詩集出版の数字ではないような気がするのですが、返本承知で全国へ配本すると、それくらいの数になるのでしょうか。それが事実なら、わたしが思っているより現代詩の世界は明るいのかもしれません。ぜひ、今一度確認を(他の方であっても)とってみて欲しいと思います。(やっぱり長くてゴメンナサイ)