聖地より/白井明大
小池房枝さんのコメント
読んでしまったので、心から、・・・。
---2009/01/29 15:35追記---
コメントをポイント・コメント欄からコメント・コメント欄に引越し。ここにおかせてください。
---2009/01/10 01:09追記↓---
この作品が投稿されたとき一番最初に「この文書を良いと認めます」ボタンをクリックした小池です。今まで何度も書き込もうと思ったのですが書きかけては書き込めずにいました。「コドモノウエニバクダンヲオトスノハヤメロ」きつくって、カタカナでしか書けません。投稿の中の言葉を借りれば、あほみたいに直球でwebに書き込まれた言葉。直球ですよね。孤蓬さんはいったいこの詩の目的は、と1/9 23:20での書き込みで仰っていますが、この詩に目的なんてなかったのではないでしょうか。いろいろ考え込んでしまったら何も言えない。あほみたいに直球でwebに書き込むことだけならできるけども。
一方、作者氏、何を疑問視しているのかと書かれてましたが、no bomb。 そう、本当に。でもこれのどこが疑問かと開き直ってしまってはいけないのだとも思います。作者氏、白井さんが開き直ってらっしゃるという意味ではありませんが。第一開き直ってたらとっくにやりとり終わってましたでしょうし。ただ、「コドモノウエニバクダンヲオトスノハヤメロ」。これさえも万人に自明な正義なんかではない。「コドモノウエニバクダンヲオトスノハヤメロ」と言ってバクダンを落としあってる人間に何が言えるのか。もしそれを言うのであれば、身内をなくしたばかりの人間に殴り倒される覚悟で、どちらかといえば限りなく間接的にではあるけれどもバクダンを供給してるかもしれない側の人間が我もまたひとの親である子であるという理由だけで(それは決して小さな理由ではないはずなのだけど)言うことになるのだと、忘れないでいようと思っています。ひとではなく国や組織や企業にいうのであれば尚更です。頭おかしかったりするんじゃなくて冷静に自分たちの感情や損得を見て行動したり人を動かしたりしている人間たちを直球でwebに書き込むことだけで動かすことはできない。
ずっと考えていたことは他にも、コドモでなければいいのか。ミンカンジンでなく兵士・軍属ならばいいのか。バクダン落とされても落とし返すのだけはやめなければならないのか。誰もが誰かの子どもでしょうに、自明であろうとなかろうと、バクダンを落とされていい誰かなんていない。揚げ足取りや言葉遊びでなく、戦争でなければいいのか、餓えや病いや貧困ならばいいのか。盾にはなれない。でも間に合うこと出来ることも何かあるはずだということ。乱文お許し下さい。ポイントいれた作品に対するせめてもの旗幟鮮明です。